第六十三話 八穂蓼、其の一
「あっつ……。」
身体が熱っぽい。
「
そこで意識がハッキリする。
ここは、
今の嶋成は、ただの鎮兵。
熱をだしたから、すぐに薬草を飲めるわけではない。
それが、普通ということなのだ。
喉が乾いた。水が飲みたいし、外の風に当たりたい。
嶋成は、痛む左足をかばいながら、ゆっくり立ちあがった。
三日月の照らす夜空。
二月の雪の残る庭を、足を引きずり、歩く。
……
良く世話を焼いてくれた。
思い返せば、嶋成が熱をだした時、一番親身になってくれたのは、坂盾だった。夜通し、傍にいてくれた……。
でも、小言も多くて、嶋成は苛立ち、遠ざけた。
───おまえはもう、ここに来るな!
オレにはこんなに取り巻きがいる。
従者なんて必要ない。
傍にいるヤツが何かしらやってくれるんだからな!
坂盾は、悲しそうな顔をして、嶋成のもとを去っていった。
もう一年以上前の話だ。
家令の息子だったから、あの家には、まだいるだろう。きっと父親について、真面目に仕事を覚えてるはずだ。
「……今頃、どうしてるかなあ。」
そんなことを考え、井戸に来ると、井戸が盛り上がっていた。
違う。
人が身投げしようとしてる!
嶋成は、走った。
「バカッ、やめろっ!」
井戸に生えた腰に抱きついて、引っこ抜いた。
「離して! もう死ぬんだから! 生きてても希望なんてないんだから!」
女は暴れた。
「そんな事言うなっ!」
嶋成は完全に女を井戸の外に引き上げた。女は、ぺたん、と地面にしゃがみこんだ。
顎のつきでた女、
「命を粗末にするな!」
(こんなこと、しちゃダメだろ!)
嶋成は叱り飛ばした。
「わっ、わああああああん!
あんたなんて、何も知らないくせに───っ!」
大鍔売は、わっ、と泣き出した。
(ふう……。)
嶋成は、脂汗を拭いた。
今になって、左足が酷く痛む。ちょっと無理をした……。
「あたしには、もう希望なんてないのよ。明日にも
すぐに生家に帰されるわ。
屈辱よ。
女官を辞めさせられた女なんて、どんな噂が立つか……。
わああ……!」
大鍔売は地面に泣き伏した。
「わ───っ! わ───っ!」
ずっと泣く。嶋成は、
(少し可哀想だな……。)
と思った。
「上野国に送り返されるのが、困るんだな。」
女は泣きながら頷く。
「じゃあ、
「えっ?」
女が顔をあげた。
「死ぬほど送り返されるのが嫌なら、そう訴えれば良いさ。
女官にだって心がある。
大川さまは、その事を知らない人じゃないと思うぜ。」
* * *
「………。」
もう、大豪族の判断はくだった。
三虎が、明日にも帰れと言ったのだが、大川さまは部屋のなかにいて、壁越しにそれを聞いていた。
聞いていながら、何も言わなかった。
それは肯定だ。
(あたしの運命はもう、決まっているはず……。
何を言っているの?)
ひょこ、と目の前の男は足をかばいながら、一歩、あたしのほうに踏み出し、手を出してくれた。
「ほら。立てる? 立って。」
あたしはぼんやりと、手を出した。握られ、力強く上に引っ張られた。
立てた。
男はすぐに手を離す。
「行こう。オレも一緒に行って、話してやるよ。」
さっき、あの怖い従者に、出ていけ、と追い出されたばかりだ。
それなのに、また会いにいくなんて、恐ろしい……。
あたしは足がすくんだ。
「ほら、行こうぜ?」
「足が……、動かないの。」
自分の足じゃなくなったみたいに、ちっとも動かない。
鷲鼻の男は、困ったようにあたしを見たあと、鼻の下をこすって、
「へへっ、見てな!」
とひょうきんに笑い、唄いだした。
「(※注一)
草はな刈りそ、
(
そこで、鷲鼻の男は左腕を上にあげ、ちょいちょい、と脇を刈るように右手を動かした。
「(※注二)いづくそ
今度は手を額にあてて、あたりを見回す仕草をし、ぽん。と手をうち、ぽ、ぽん、と、腹、腰を打ち、あろうことか腰を一回前に突き出し、
「
ちょいちょい、と鷲鼻のあたまをかく仕草をした。
「ぷっ、なに、それ……。おかしい。」
あたしは、くすくす笑った。
「あはっ! 笑った。……動けるだろ?」
男は満面の笑みを浮かべた。
「………。」
足が前にでた。
本当だ。身体が動く!
「行こう!」
「はい。」
あたしは、涙でぐしょぐしょになった顔を、手布を出してぬぐい、歩きだした。
* * *
あたしは、大川さまに会いにいっても、あの怖い従者に、また来たのか、と即刻追い返されるのではないか、と不安だった。
でも、実際は違った。
鷲鼻の男が、三虎に打ち解けた様子で話しかけ、三虎は苦虫を噛み潰したような顔をしたあと、すぐに大川さまの部屋に入れてくれた。
(……信じられない。)
三虎に耳打ちされた大川さまは沈痛な面持ちになり、
「そのようなこと……。今後は一切、禁ずる。自ら命を断とうなど、してはならぬ。」
と言い、三虎は短く、
「命を粗末にするな。」
とあたしに言った。あたしはうつむく。鷲鼻の男は、
「なあ、上野国に送り返さないで良いだろ?」
と、ずいぶん気軽な口調で言う。
(ええっ? こんな砕けた喋り方で話して……。この人、何者なの?)
大川さまは怒るどころか、穏やかにあたしを見て、
「ああ、ここにいて良い。
でも、ここは平時の
私は、お付きの女官は不要だ。
それより、人手が必要な場所は他にある。
佐久良売さまの手伝いをし、力を活かしてほしい。」
と言ってくださった。
(やったわ、送り返されずにすむ!
医務室の仕事は、血が怖いけど、頑張るわ!)
「はい、佐久良売さまの言いつけの通りに働きます。ご温情に感謝します。」
あたしは美しく礼の姿勢をとった。
大川さまが倚子を立った。鷲鼻の男に、
「嶋成、うちの女官を救ってくれて感謝する。」
と、礼の姿勢をとった。三虎も続いて礼の姿勢をとる。
あたしもきちんと、鷲鼻の男───嶋成に、礼の姿勢をとった。
嶋成は、照れて頭のうしろをかいた。
「嶋成、褒美は……。」
と大川さまが言いかけたのを、
「大川さま。」
と三虎がさえぎった。
「嶋成、褒美、ほしいか?」
ニヤリと口元だけ笑った。
(うっ、目元が動かない。この従者、笑顔も怖い。)
「いらねぇよ。大川さまと三虎からの、さっきの言葉で充分だ。」
(なんて無欲なの! 信じられない……。)
あたしはまじまじと、嶋成を見た。
嶋成は、さっぱりした顔をしている。
三虎は頷き、大川さまは、
「ふふっ。」
と笑った。
優美さに満ちていながら、どこか近寄りがたい微笑みだった。
* * *
嶋成と大鍔売が帰ったあと、大川は、
「まさか井戸に身投げしようとするとは。」
とため息をついた。
「ええ、嶋成が救ってくれて、助かりました。」
男二人は、困り顔だ。
「三虎は言い方がきついから。」
「普通です。……ですが、ここは、
三虎が突き放した言い方をしても、新人女官を導く
大川が頷く。
「死ななくて良かった。」
「いっそのこと、一度、
「ああいう目つきの
「オレは
「な、い!」
三虎は無表情のまま、
(いつまでも、
オレは
と、心のなかで嘆き、
(……
と
* * *
(※注一)
(
※
※
※
(※注二)
いづくそ
(どこだ、赤土を掘る岡は。
※
いずれも万葉集。
挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078706416033
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