第五十五話  夢に夢にし

 ぬばたまの  ながみかも


 背子せこ


 いめいめにし  見えかへるらむ




 夜干玉之ぬばたまの  夜乎長鴨よをながみかも

 吾背子之あがせこの

 夢尓夢西いめにいめにし  所見還良武みえかへるらむ




 ぬばたまの夜が長いせいだろうか。

 あたしの愛しい人が、夢に、夢に、繰り返し見えるの……。





 ※ぬばたまの……ぬばたまの実は真っ黒い。夜にかかる枕詞。

 ※見えかへる……繰り返し見る。






       万葉集  作者不詳






       *   *   *







 ───三虎。

 ───恋いしい三虎。







 十月の草の枯れた野原に腰をおろす。

 三虎の隣。

 あたしは、女官姿。

 ここには二人きり。


 ───まるで夢みたい。


 三虎があたしの(スカート)を見た。


古志加こじか、女官の衣が汚れたらマズイか?」

「もう良いよ。だって、薬草園ですでに土まみれだもん。」

「違いない。」


 三虎の口もとが柔らかく笑う。

 素敵。


「腹が減ったろう。」


 三虎は懐から笹の葉の包みをだす。なかをあければ、大きな握り飯が一つ。三虎が器用に、握り飯を二つに割る。


「ほら。」


 半分をあたしにくれる。


「わあい! ありがとうございます!」


 あたしは三虎の隣で、もぐもぐ、塩握り飯をほおばる。

 三虎はなぜか、そんなあたしを、やっぱり口元に微笑みを浮かべながら見てる。

 あたしはもぐもぐしながら、


「なんれふです?」


 と訊く。


「なんでもない。」


 と三虎は、すっと無表情になり、握り飯を食べはじめる。


 なんだろう。

 何を思っていたの?



 ───三虎。


 ───もし、もしさ……。


 ───もし、三虎が……。


 ───あたしを……。



 そうあたしが思うと、ぱっと場所が、かわる。

 さっきまで陸奥国みちのくのくにの山にいたけど、ここは、上野国かみつけのくにの、上毛野君かみつけののきみの屋敷。


 あたしはまだ幼い。

 背丈が三虎の胸までしかない。

 擦り切れたみすぼらしい衣を着ている。

 石畳の道わきの雑草をせっせと抜いている。


 今よりずっと若い大川さまが、後ろに一人の従者を従えて、石畳の道を通りかかった。


 三虎だ!


 駆け寄っていって、話しかけたい。三虎の後ろをくっついて歩いてまわりたい。今日あったことを話して、くしゃくしゃと頭を撫でてほしい。

 でも、三虎は従者のお勤めの最中だ。

 話しかけてはいけない。


 あたしは立ち上がり、礼の姿勢をとり、目をふせ、二人が歩き去るのを待つ。

 ふわり、と、大川さまと三虎の、高価なお香の良い匂いが鼻をかすめ、さらさらと衣擦れの音も軽やかに、二人は黙ってあたしの前を通りすぎた。


 あたしは礼の姿勢をほどき、二人の背中をじっと見送る。



 ───三虎。


 ───かっこいい。


 ───三虎は、遠い人……。


 ───三虎の、そばにいきたい。




 あたしがそう思うと、場所が切り替わる。

 ……大川さまの部屋だ。

 でも大川さまはいない。


 三虎と、二人きり。


 あたしは幼くない。今より若いが、もう、大人の女。つまを持ってもおかしくない年齢だ。

 濃藍こきあいの衛士の衣だ。

 三虎は無表情にあたしの目の前に立っている。

 二人の距離は、近い。

 一歩、踏み出せば、口づけできる距離。

 あたしは目を潤ませ、頬を上気させながら、三虎を真っ直ぐ見ている。

 


 ほ、し、あ、ん、ず。



 あたしは、声にださず、唇の動きだけで、そう三虎に伝える。

 恥ずかしくて、声に出せなかったのだ。

 でもこれで、三虎にはわかるはず。

 あたしが、……三虎の唇を意識している事が。



 三虎に口づけをしてほしい。

 今も。

 三虎のことを、恋うているから。


 だから、言おう。


 勇気を出して。


 三虎、あたし。三虎から口づけが欲しいんです、と。


「三虎……。」


 あたしが言いかけると、三虎は少し目を見開き、ぐっと不機嫌な顔になり。


 ばこん!


 三虎の手刀があたしの頭の上に落ちた。


「オレはこれから姉上のところへ行く。おまえはすぐ卯団うのだんへ戻れ。いつまでもサボってんなよ。」


 厳しい口調で言われた。

 あたしはしょぼん、としながら、すぐ卯団長である三虎の言葉に従う。





 ───もし、もしさ。


 ───三虎がもう少し、あたしに時間をくれていたら。


 ───あたし、三虎に言えていたのかな。


 ───そしたら、三虎は、あたしに口づけをしてくれたのかな……。




 

 あたしがそう思うと、また、場所がかわる。




 ここは三虎の部屋だ。

 上毛野君かみつけののきみの女官姿で、力なく寝床に横たわるあたしを、三虎が強く抱きしめる。


「今夜は、朝までこうしといてやる。

 どんな夢を見ようとも、オレが必ず夢から引き上げる。

 どんなに魂を散り散りにしようとも、オレが必ずうつつにおまえを引き留める。」


 あたしの目からはボロボロと涙がこぼれる。


(三虎、三虎。恋いしい。愛しい。恋いしくてたまらない。)


「古志加、妻にしてやる。」


(あっ!)


 


 !!







 あたしは衝撃で飛び起きた。






 夢だ。






 ここは、陸奥国みちのくのくに長尾連ながおのむらじの屋敷の女官部屋。あたしの他に、十人の女官が大きな寝床で寝ている。

 朝方。

 押し出し間戸まど(窓)の閉じた隙間から、細い朝日が光って見えている。


「…………。」


 口元をおさえる。

 嗚咽おえつがでそうだからだ。


 うつつで、三虎が、妻にしてやる、と言ってくれたことはないし、これからも、ないだろう。

 夢で見れば、虚しい。


 三虎。

 会いたい。

 顔が見たい。

 声が聴きたい。

 今すぐその胸に飛び込みたい。


「……………。」


 無言のまま、ぽろぽろと涙がこぼれた。


 上野国かみつけのくににいる時、遠い奈良にいる三虎を想い、戰場となった陸奥国みちのくのくにに行ったと聞けば、陸奥国にあたしも行きたいと思った。

 今、あたしは陸奥国にいるというのに、もっと三虎のそばに行きたいだなんて、なんて欲しがりか。


「…………ひっく。」


 まだ寝よう。

 まわりの女官を起こしちゃうと、悪い。

 あたしはこも(イグサで編んだ掛毛布)で身体をくるみ、細い涙の筋を目の横に作りながら、ぎゅっと目をつむった。








 恋いしくて。


 愛しくて。


 あたしは三虎の夢を、繰り返し見てしまう。


 切ない。


 辛い。


 苦しい。


 そして甘い。


 まだ年若い三虎も、大人となった今の三虎も、浅香あさこうがくゆるように、凛々しいかっこよさをまとっていて、あたしは三虎の姿を目にするだけで、ほうっとなってしまう。





 それが夢だとわかっていても……。





   






↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093078355796206


↓かごのぼっち様から、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093087601095907

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る