第五十四話 故非忘れ貝
波が手元を伝ってきて、オレの袖がずぶ濡れになろうとも、恋忘れ貝を拾わずには帰らない。
※恋忘れ貝……恋を忘れることができる貝
万葉集 作者不詳
* * *
夕餉を終え。
「ちょっと来いよ。」
と、人の輪から離れたところへ、
「……なんだよ。」
「
「なんで……ッ!」
「おまえの顔に書いてある。
見ればわかる。
ひどい顔をしている。」
「ほっとけよ!」
「……ほっとけんな。友だろ、オレたち。」
「う……。」
「付き合うから、呑めよ。」
久自良がオレに
オレは呑んだ。
呑んでも、呑んでも、
大きな潤んだ瞳。
可憐な赤い唇。
赤く光る、紅珊瑚の耳飾り。
たゆらと揺れる豊かな胸。
花のような
───だから、嶋成をそういう目で見る事はできない。
……ごめん。
「うっ、うっ、うっ……。」
古志加の言葉が、オレを泣かせる。
「オレ……、オレ……。
本当に恋うていたんだ。
妻問いしたんだ。
最後は、オレが
それでも、完全に、振られたんだ。」
涙があとから、あとから流れでる。
「オレ、辛い……。苦しい。
こんなに辛いなら、恋なんてするんじゃなかった。
古志加に会わなければ良かった……!」
源が気遣わしげな顔で、
「元気だせよ……。」
と背中をさすってくれる。久自良が唐突に、
「源。おまえ、恋に敗れた事があるか。」
と
「ない。
「そうか。おまえは幸せだな。
恋に敗れる苦しみは、恋に敗れた者にしかわからない。
……嶋成。古志加は、きっぱり振ってくれたんだろう?」
「ああ。」
「良かったな。」
「……!」
オレはカッとなった。
「何が良いんだよ!」
「二年だ。」
「は?」
「オレは、郷で、すこぶる良い体つきの
その
心から恋うていた。
だが、その
郷長の
オレはそれでも、その女の、恋うている、という言葉を信じて、彼女が本当に恋うているのはオレなのだと、郷長の目を盗み、通い続けた。
二年たって、いきなり、もう来ないでくれって言われた。
もうあんたは用済みだ、あんたのちっちゃい目が好きじゃない。
始めから、恋うてはいなかったって……。
二年、心を偽られた。
それなら始めから、恋うてないって言ってもらった方が、よっぽどましだ。
そう思ったよ。」
久自良は、穏やかに語った。
だが、語りきれないやるせなさを吐き出すように、深く長い溜め息をついた。
「なあ嶋成、古志加は、誠実な、良い女だったんじゃないか?」
「ああ……、そうだな。」
古志加は、オレの身分を匂わせても、なびかなかった。
オレは残念に思いながらも、竹を割ったように清々しい気分になった。
あれは、古志加が……。
オレ自身を見てくれたから。
だからなんだな。
「うっ、うわああああ……。」
(古志加、妻になってほしかった。オレの
オレは大声をあげて泣いた。
久自良が、
「泣けよ。恋に敗れるってのは、そういうもんだ。
泣いて泣いて、涙の海におぼれるもんだ。
失恋は苦い。
あまりにも苦い。
だからこそ……。次の恋が甘美だ。」
源が、
「久自良は、そのあと、どうしたの?」
と遠慮がちにきく。
「ああ、ずいぶん長く苦しんだがな。次の恋を見つけた。
オレの
オレが
「あ、そうだったね……。」
と源。
鎮兵は妻を、兵舎に住まわせて良いのだ。
久自良が、
「なんだ源。そんな顔するな。
さっき、恋に敗れる苦しみは、恋に敗れた者にしかわからないって言ったの、言い過ぎたかもしれないな。すまん。」
源は、はっ、と顔をあげた。
「いや、言い過ぎじゃないよ。その通りなんだと思う。
オレ……。嶋成になんて言葉をかけたら良いか、自分のなかで言葉が見つからないんだ。
オレ、いつも、どんな時でも、言葉が見つからないなんてこと、ないんだ。
こんなの初めてだ……。
久自良が大人の
オレ、嶋成の役に立てなくて、自分が情けないよ……。」
「バカだな。」
おいおい泣くのに忙しいオレの横で、久自良がわしわしと源の頭をなでた。
「良いんだよ。おまえはそれで。気持ちは嶋成に伝わってる。なあ?」
オレは涙と鼻水でグズグズの顔で頷いた。
すまない。今、上手く言葉が喋れないんだ……。
黙って
「ぐすっ……。ありがど……。」
「うん。」
源は、弱く笑顔を浮かべた。久自良が、
「嶋成。今は泣け。そして忘れて、次の恋をしろ。」
とオレに言う。
「……でぎない。もう、恋、なんて、嫌だ。辛い。ぐすっ。」
「そう言うな。ほら、これをやるよ。すごく良いものだ。」
と久自良が、懐をごそごそあさり、何かを掌にだした。
茶色い二枚貝の貝殻だ。
何の
「恋忘れ貝だ。」
「むむっ。」
源が何か言いたげにし、口を引き結んだ。
今夜の夕餉の鍋には、貝が入っていた。
「いいか、これは、特別な貝だ。
持っていたら、恋の苦しさを忘れられるという、ありがたーい恋忘れ貝だ。持っとけ。」
久自良がオレの手に貝をおしつけた。
(ちがうだろ、絶対、鍋に入ってた貝殻だろ……。)
そう思いつつ、
「ぐすっ、あり、がとう……。」
とオレはその貝をぎゅっと握って、
「ううううう……。」
まだ、泣く。
「久自良、源……。ありがとう。」
切ない。辛い。苦しい。
恋とは苦い。
でも次の恋は、甘美なのだという。
本当なのだろうか?
わからない。
今はわからない。
でも……。話を聴いてくれる友が。
恋忘れ貝をくれる友がいてくれて。
本当に良かったよ……。
今は泣かせてくれ。
* * *
著者より。
↓
かわいいラブストーリーに仕上がっていますので、お時間があればぜひ!
「メユカはクジラに口づけする」
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