第五十三話  下よし戀ひば、其の三

 副将軍、上毛野君かみつけののきみの大川おおかわさまの従者、いつもムスッとしてる長身のおのこが、一人で歩いてきた。

 右手に弓を持ち、肩にゆき(矢入れ)を背負っている。


「あっ、三虎! どうしたの?」


 古志加が弾かれたように顔をあげ、嬉しそうな声を出す。


香足火射箭かあひいやがぐずっていると、馬丁から使いが来てな。

 オレの愛馬は、時々、気晴らしに遠乗りをしてやらんと、不機嫌になる。

 これから遠乗りだ。……古志加、来るか?」

「行く───!」


 だっ、と古志加が素晴らしい速さで走り、従者に抱きついた。


 ズキズキズキッ。


 オレの胸が痛む。


(そうだ。古志加は、上野国かみつけのくにから来た。もともと、この従者の部下だって、この従者が言ってたもんな。

 そうか……。

 古志加。このおのこを恋うてるのか。命を投げ出しても惜しくないほど。)


 従者は無表情なまま、


「おっと。」


 と弓を持っていない左腕で古志加を抱きとめた。


「ああ、女官の仕事中か?」

「うん……。」


 古志加は残念そうに、従者から離れた。


「いいよ、古志加。もうここは終わるから、あとはやっとくよ。行ってこい。」

「嶋成っ! 良いの?」


 古志加は嬉しそうにオレを振り返った。従者は、


「良いのか?」


 と無表情のまま首をかしげた。

 目があう。

 オレは冷静をよそおい、

 

「大丈夫です。」


(とっとと行けよ。)


 とうなずく。


「嶋成、ありがとう! たたら濃き日をや(さようなら)。」

「たたら濃き日をや。」


 古志加は華やかな笑顔をのこし、オレから背をむけ、最初から最後まで無表情を崩さなかった従者と並び歩き、


「あっ、あたし、着替えてきましょうか?」

「……そのままで良い。香足火射箭かあひいやに乗れ。

 まあ、ここは上野国かみつけのくにじゃないからな。

 女官姿で馬に乗っても良いだろう。」

「えっ、三虎と一緒に香足火射箭かあひいやに乗って良いの? 

 本当に?! やったぁ!」


 と、道の向こうに消えた。

 オレは二人が去って、充分時間が経ってから。


「うわあああ…………。」


 泣き出した。





   *   *   *





 離れた木の陰では、四人の男女が、そっとその場を離れた。


 嶋成の家の家令かれいの息子、坂盾さかたてはうなだれ、無言だ。


 雪膚花貌せっぷかぼうの美女、佐久良売さくらめが、そばかすの女官、若大根売わかおおねめに、


「今日は遅れたわね。若大根売わかおおねめ、先に医務室に行って、あたくしが手伝いをする場を整えておいてちょうだい。」


 と伝える。若大根売わかおおねめは、


「はい。」


 と礼の姿勢をとり、早足となり、先に医務室に向かう。

 その姿が小さくなってから、佐久良売は福耳のみなもとを呼び止めた。

 源の表情は暗い。


「源。今回は、あなたを試すような事をして、悪かったわ。

 あなたの友を信じる心、立派でした。あたくしは、あなたと若大根売の仲を、祝福しています。そこは勘違いしないでね。」

「はい。」


 源は短く答え、礼の姿勢をとる。

 佐久良売は、嶋成さまは残念だったわね、と言おうか迷い、何も無粋は言わないほうが良いのだ、と口をつぐむ。



 坂盾が立ち止まり、


「私はもう、充分見ました。もう、これで帰ります。

 佐久良売さま、ありがとうございました。

 源殿、これからも何卒、嶋成さまを、よろしくお願いします。

 何か困ったことがあったら、この牡鹿おしかの坂盾を思い出してくだされ。」


 と、佐久良売と源に礼の姿勢をとった。



   *   *   *





 古志加と三虎は、桃生柵もむのふのきを離れ、なだらかな道を馬で走る。


(わぁ……。三虎の胸がずっと目の前にあるよ……。)


 古志加は、三虎の栗毛馬、香足火射箭かあひいやの上で、横すわりになり、三虎の首に右腕で抱きつきながら、三虎の胸を凝視していた。

 

(幸せ! こんなに長い時間、三虎に抱きついていられるなんて! 

 胸に顔を押し付けてふがふがしてみたい。……我慢。)


 時々、風で、足首まである(スカート)がまくれあがり、ふくらはぎまであらわになるのが恥ずかしい。

 右腕は三虎の首にまわし、左腕は三虎の背中で弓を持ってるので、手で抑えられないのがもどかしい。


(三虎は前しか見てないし、まわりに誰もいないから、良いか……。)


 弓を持っていくのは、狩りではなく、もし蝦夷と出くわした時の為の用心だ。


「三虎、二人乗りなのに、早足すぎない? 香足火射箭かあひいやが疲れちゃう。」

香足火射箭かあひいやは、力が強い。二人乗りでも気にしない。

 速く走らせてもらえないほうが、へそを曲げる。」


 三虎は、前を見たまま、古志加の顔を見ないで続けた。


「……なあ古志加、オレはさっきのおのこにらまれた気がするんだが。

 本当に仕事を抜け出して来て良かったのか?」

「嶋成?」


 古志加は胸がドキリとする。


「うん、大丈夫だと思う。

 優しい人だから。

 明日、お礼を言うよ。」

「そうか。なら良い。

 昼餉ひるげはまだだろ? 

 握り飯を持ってきた。北上川を眺めながら、半分にして食べるか。」


 見上げた三虎の顔は、機嫌良く目を細めている。


「やったー! 嬉しいっ!」


(えいっ!)


 喜んだついでに、三虎の胸に顔を、ぼすっ、と押し付けてみた。

 硬い胸。


(大好き……。)


 ふがふが。

 三虎の好む浅香あさこうの、軽妙な甘さと奥深い辛さの良い匂いがする。


「ははは……。こうやって二人でゆっくり話すのも、久しぶりだな。」

「はい!」


 古志加は顔をあげる。

 三虎は古志加の顔を見ない。


「古志加、大川さまに……。」


 古志加は話の続きを待つ。しかし三虎は話を続けない。古志加は無表情となった三虎の顔を見上げる。


「……三虎?」

「なんでもない。どうだ、桃生柵もむのふのきは?」

「楽しいです!」

「佐久良売さまは怖くないか?」

「怖く? いいえ。」

「おまえはうまくやってるようだな。この前は佐久良売さまに、着せ替え人形で遊ばれてたもんな。」

「……はい。」

 

(……違うんだよ、三虎。あれは三虎の為に……。)


「いろいろ大変だとは思うが、頑張れよ。佐久良売さまを怒らせるな。怒ると手がつけられない。」

「わかりました。」


(着飾ったあたしに、何も言ってくれないんだね……。

 すみません、佐久良売さま、せっかく、衣を貸してくださって、化粧をしてくださったのに。

 若大根売わかおおねめも、あたしの癖っ毛を時間をかけて結ってくれたのに。

 小鳥売も、綺麗よって言って、あたしを応援してくれたのに。

 あたし、もとが、おのこみたいだから。

 三虎はあたしを、おみなとして見てないんだ……。)


 古志加は悲しくなって、目の前にある三虎の胸に顔をうずめた。


(ついさっき、妻問いされた。

 そして、断ってしまった。

 嶋成は泣いていた……。

 泣き顔、可哀想だった。)


 なぜ、胸がツキンと痛むのだろう。


(三虎は……。あたしが、他のおのこから妻問いされたって言ったら、なんて顔するかな。)


 嶋成は、本当は貴族だとか言っていた。流石にそれはない、貴族なんてごろごろ、そこら辺にいるもんじゃない───と思うが、衣が立派な嶋成だ。きっと、家はかなり裕福なのだろう。


(嶋成は、優しそうだし、誠実そうだし、きっと、婚姻相手として、良い相手だ。

 だから、三虎は……。

 あたしが妻問いされたって聞いたら、なんて言うか、あたしはわかる。

 ───好きにしろ。

 きっと、そう言う。)


 古志加の顔に、寂しい微笑が浮かんだ。


 三虎は古志加の顔を見ない。












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