第四十五話  暁闇の恋

 夕月夜ゆふづくよ  暁闇あかときやみ


 おほほしく


 見し人ゆゑに恋ひわたるかも




 夕月夜ゆふづくよ  五更闇之あかときやみの

 不明おほほしく

 見之人故みしひとゆゑに  戀渡鴨こひわたるかも





 夕方に月が照らし、沈んだあとの暁闇あかときやみのなかで、ぼんやりと見えたあなた。

 目をこらして見ようとしても、朧気おぼろげなあなたゆえ、オレは恋い焦がれ続けています。





 ※おほほしく……ぼんやりと。はっきりしない。

 ※暁闇あかときやみ……午前三時〜五時。



       万葉集  作者不詳




   *   *   *




 夕餉を終え、鍋を片付け。

 鎮兵たちが、一日が終わる前に、焚き火を前にし、短い憩いの時間を過ごす時。

 星がまたたく夜空を眺め、嶋成しまなりは思う。


(……たゆらちゃん……。)


 もし吉弥侯部きみこべの古志加こじかに、嶋成が道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりだと明かしたら。

 彼女は、


「えっ……! そうだったの!」


 と驚き、嶋成を憧れの目で見るだろうか。

 大国造おおくにのみやつことただの郷の娘は、遥かな身分の差がある……。

 その時のたゆらちゃんの驚きを想像すると、身が痺れるような甘やかな気分になる。


 と、同時に、まだ知られたくない、と心から思う。

 身分を明かし、掌をかえすように、たゆらちゃんの態度が媚びたものに変わり、牡鹿おしかにいた女たちのように、


「ねえ〜ん、若さまぁん、妻にしてぇ〜ん。」


 と言われたら、今のオレはむしろ、幻滅してしまう。

 名前だけで、恋されるのでは、意味がないのだ。

 オレは、それが良くわかった。

 たゆらちゃんには、オレ自身を見てほしい。

 道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりではない、ただのオレ、一人のおのこであるオレを。


 佐久良売さくらめさまが、真比登まひと疱瘡もがさにひるまず、大勢のおのこたちのなかから、真比登を見出し、愛子夫いとこせに選んだように。


 ただの嶋成として、たゆらちゃんの愛を得る事ができたなら。


 きっと、生涯、手を取り合い、お互いを尊重し、深く愛し合える夫婦めおととなれるだろう。




 そんなおみなを見つけたいんだ。



 そんな恋がしたいんだ。




 オレ自身を、見てくれるだろうか、吉弥侯部きみこべの古志加こじか……。





(はあ……。たゆらちゃんと話がしたいな。

 オレは、たゆらちゃんの事を良く知らないんだ。

 たゆらちゃんは黙ってても可愛くて。

 笑うと花が咲いたようで目が離せず。

 胸が素晴らしくたゆらで。

 剣が強くなりたくてここに来た。

 それぐらいしか知らない……。)


 たゆらちゃんには、頭に藍色の布を巻いた北田きただの花麻呂はなまろが、ずっとべったり張り付いている。

 夕餉をすませると、彼女は女官部屋にひきあげるが、なんと北田花麻呂は、女官部屋まで送っていく。

 たゆらちゃんが一人でいる隙がない……!


 オレは、両腕を頭の後ろで組み、星空を見上げ、悩ましくため息をついてしまう。


「はあ……。」


 そばにいた韓国からくにのみなもとが、


「どうした嶋成ー?」


 とあっけらかんと訊いてきた。


(この恋愛充実野郎め!)


 とオレはこめかみ辺りがヒクヒクするが、あまり羨ましがっても自分が寒いだけなので、また一つため息をつき、


「……なんでもねぇよ。……ああ、吉弥侯部きみこべの古志加こじかにさ、オレが道嶋宿禰みちしまのすくねだってこと、言わないでくれよ? 頼むよ……。」


 と言う。


 もう、オレが道嶋宿禰だという事は、皆にばれてる。でも、皆、前と変わらず接してくれるのは、本当にありがたい。

 オレが、父親に背いて鎮兵になった事、荒海あるみの久自良くじらが、


「こいつ、実家に何かおねだりしたみたいだけど、何も送ってもらえなかったみたいだぜー。ばはは。」


 と笑って皆に言った事で、


「なあんだ。」


 と、使えない奴、という目で皆から見られた……。

 屈辱だが、同時に、この扱いが心地よい。

 命を預け合う、仲間、だからな。






 韓国からくにのみなもとは、


「わかった。」


 とだけ言い───とはならず。


「古志加を恋うてるの?」


 とズバッと訊いてきた。

 そうだよ、コイツはこういう奴だったよ!!

 オレは、頭の後ろで組んだ腕、その肘を手前に、顔を隠すようにして、


「う〜〜〜〜。そうだよっ。くそ……、これは、恋だ。」


 と認めた。近くにいた荒海あるみの久自良くじらが、


「ばはは。可愛いおみなだもんな。で、どうだ? なびきそうか?」


 と訊いてきた。ちなみに荒海あるみの久自良くじらは、家が裕福だそうで、ぼてん、と肉付きの良い体型をしている。


「そんなの……、わかんねぇよ。全然、話しをする機会もないんだ。あの野郎……北田きただの花麻呂はなまろにも、邪魔されてるし。」

「邪魔?」


 とは源。


「こいつはやめとけ、って、今日、言われた。あれは吉弥侯部きみこべの古志加こじかに恋するなって意味。」

「ふうん。なんで?」

「知るかよ!」

「ふうん。」


 源は、ぱっと立ち、あたりを見渡し、ちょうどたゆらちゃんを送って帰ってきたであろう北田花麻呂を見て、


「花麻呂ー! ちょっとこっち来い!」


 と大声で突撃していった。


「おっ……、待てよ!」


 オレはわたわたする。

 源、おまえ、ちょっとは立ち止まれ!!





    *   *   *






 背が高く、福耳の鎮兵に、花麻呂はつかまった。

 名前は源。覚えている。一昨日、下衆に襲われたのを助けてもらった兵士の一人だ。

 花麻呂は警戒の目をむける。


「……なんです?」

「ちょっと話がしたい。それだけだよ。」


 と、源は、屈託のない明るい笑顔を浮かべた。


「…………。」


 目の前の若い男から、敵意やねじれた悪意は感じられない。

 だが……。

 一昨日助けてくれた相手を疑って悪いが、連れていかれた先でタコ殴りにされかねない。

 花麻呂はここではよそ者だ。

 そして、花麻呂を殴って言う事をきかせれば、女である古志加を、こっそり好きにできる、と思う不逞の輩がいても、何らおかしい事はない。


(上等だ!)


 大人数でいくら殴られ蹴られようが花麻呂が屈する事はない。

 最悪、死のうとも。

 花麻呂が死んだら、三虎は事態を重く見て、古志加を兵士の仕事から引き上げさせるだろう。

 だから、花麻呂は何も恐れない。

 死んだとしても古志加を守る。その覚悟を持って、


「……。」


 と花麻呂は答える。










 きんくま様から以前ちょうだいした、ファンアートの再掲載です。

 嶋成が描く未来予想図のなかの古志加は、きっとこんな感じです。

 きんくま様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093073539318384

 

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