第四十四話  桃花褐 〜つきそめ〜

 立ちて思ひ  てもぞ思ふ


 桃花褐つきそめ


 にほ裾引すそびき  にし姿を





 立念たちておもひ 居毛曽念ゐてもぞおもふ

 桃花褐つきそめの

 尓保布裳下引にほふもすそびき  去之儀乎いにしすがたを





 立っていても、座っていても、何をしていても、ずっと想ってしまう。

 桃色染めの裳裾もすそ(スカート)を引いて去っていった、桃色が匂い立つように美しい、あのおみなの姿を……。







 ※桃花褐つきそめ……桃の花のような色に布を染めること。

 カツは、衣。

 ※匂ふ……ここでは、実際香りがするのではなく、匂い立つように美しい、ということ。


     




   *   *   *





 佐久良売さまの部屋で、若草のくん(ブラウス)、桃色の裳裾もすその姿の古志加を見た時、三虎は、


(やっぱりな。)


 と驚かなかった。









 先日、五百足いおたり小鳥売ことりめの婚姻の宴が、鎮兵、伯団はくのだんで開かれた。

 三虎は祝いの品を持って、少しの時間、顔をだした。

 そこで、ふっくらした体型の小鳥売は、


「佐久良売さまから頂戴した衣なの!」


 と、郷の者には立派すぎる衣を自慢していた。

 五百足いおたりに聞いたら、五百足いおたりは何も知らされず、佐久良売さまの部屋にいったら、この衣で着飾った小鳥売がいて、そこで小鳥売から妻問つまどいされた。

 佐久良売さまからお祝いとして、この衣を下賜かしされたのだという。


 五百足いおたりは、ずっと小鳥売に想いを寄せていて、踏み出すきっかけを探していたから、助かったと言っていた。


「良かったな。」


 と三虎は心から言ったが、


(身分あるおみなのおせっかいとは恐ろしい。)


 と思った。

 簡単に、古志加の顔が浮かんだ。


(きっと、佐久良売さまは古志加を放っておくまい……。)


 古志加は、目上のおみなに妙に気に入られるきらいがある。姉上しかり、藤売ふじめしかり。母刀自(※注一)にだってそうだ……。

 なぜかは、おのこの三虎にはわからない。


 あんじょう、それが来た。

 一目見て、


(ああ、綺麗だな。さすが佐久良売さまの化粧。)


 と思ったが、のんびり古志加に見惚みとれる、という事はなかった。

 それより自分に突き刺さる異様な視線が気になったからだ。


 正面、佐久良売さま。


(くちなわ(蛇)のような目でオレを見てる。こわっ!)


 佐久良売さまだけは怒らせたくない。

 その後ろ、お付きの女官、若大根売わかおおねめ

 このおみなは、名前を覚えておくべき女官だ。なにせ、赤紫蘇水をかけられた大川さまに衆目のなか、堂々と文句を言える女官だから。

 若大根売わかおおねめは、大きな目をかっぴらいてオレを凝視し、歯を食いしばり、ギチギチと鳴らしている。


(……なんだ、この顔。)


 さらに奥。部屋のはじに控えた、郷の衣の女、小鳥売からも、強烈に睨まれているのを感じる。

 見ると、苛立いらだった顔で、声を出さず口を開けて、ぱく、ぱく、と大きく動かした。


(……何を言ってる。)


 佐久良売さまの隣に座る、真比登からも視線を感じる。

 女三人よりは穏やかな目線だが、うすら寒くなるような顔でオレをじっと見てる。

 駄目な奴を見る顔で……。


(───何だ! 何なんだ!)


 さすがに不満で、三虎はいつもよりさらに、不機嫌顔になった。


 古志加に視線を戻すと、きちんと女官の役目をはたし、佐久良売さまの後ろに控えた。


 そう、古志加は、女官としても鍛えられている。

 前采女さきのうねめであり、美しい所作にはうるさいであろう佐久良売さまのもとに、何の心配もなく預けられる……。


(卯団長としてオレは鼻が高い……。

 古志加は、佐久良売さまに気に入られたようだな。

 これだけ着飾らせてもらうとは、古志加はまるで佐久良売さまの着せ替え人形だ。)







 簀子すのこを追いかけてきた古志加からだいだいの入った袋を受け取った三虎は、


「ご苦労。」


 と古志加をねぎらった。


(やっぱり、綺麗だな。

 佐久良売さまはまさか、この姿の古志加を兵士たちの前に出すことはないだろうな。

 古志加が下衆どもに襲われかけた件は、佐久良売さまもご存知のはずだから。)


 と古志加を見た。

 古志加は浮かない顔をしている。

 三虎は、


(やれやれ……。娯楽の少ない戰場の桃生柵もむのふのきとはいえ、郎女いらつめのお遊びには困ったものだ。)


 と内心、ため息をついた。


(そうだ、さっき、古志加を見た時の大川さまの様子に、オレは気を配るのを忘れたな。従者として不覚ッ……!)


 と大川さまをさりげなく見る。

 大川さまは、いつものように微笑んで、


「佐久良売さまに、書と橙、重ねて御礼申し上げると伝えよ。」


 と古志加に一つうなずいた。

 その様子に、いつもと変わったところはなかった。

 古志加は目をふせ、


「はい。」


 と礼をし、簀子すのこをとってかえした。ひらり、と桃色の裳裾がひるがえり、麗靡れいび(※注二)なる香気こうきが匂い立ったように感じた。

 去り際、三虎を見た目は悲しげで、三虎はなぜか、胸が詰まったように感じた。


(古志加。

 そのような顔をするな。

 おまえは、強くなりたいんだろう?

 桃生柵もむのふのきはおまえの望みを叶えられる場所だ。

 佐久良売さまのわがままで着せ替え人形にされるのは不本意だろうが、それぐらい耐えてみせなくて、どうする。……頑張れよ。)


 三虎は、心のなかで古志加の背中に励志れいし(※注三)を送った。





   *   *   *





 簀子すのこを二人の長身の男が歩く。

 前を歩く大川の、後ろに組んだ手、人指し指が、とん、とん、と弾んでいる。

 巻物と橙の入った袋を持った三虎は、


(おや。)


 とそれに注目した。

 その人差し指の動きは、大川の機嫌が良い証拠であった。


(………!)


 三虎の目の色が変わった。


 動揺。

 焦り。

 後悔。

 猜疑。


 それらが、瞬時、顔の表情を駆け抜ける。

 だが生まれた時から主の従者であるようしつけられた男は、ますます顔から表情を消し、ただ、主の後ろに付き従う。


 つと、先を歩く主たる男が立ち止まった。


「三虎。」

「はい。」


 大川は、いつもの麗しい笑顔で、三虎を振り返る。

 そして良く良く三虎の顔を観察したあと、


「……部屋には、その書をさっそく飾ってくれ。」

「はい。」


 短い会話のあと、何事もなかったかのようにまた、歩きだした。

 大川も、生まれた時から一緒にいる乳兄妹ちのとの気配の推移を、自然とわかってしまう。

 後ろを歩く三虎の気配が、わずかに険を持って尖ったのを、敏感に察し、振り返ったのである。


 大川は、優しさと、近寄りがたい冷たさ、両方を感じさせる美しい笑顔を浮かべ、ただ、歩く。

 その表情で隠した下、胸のうちに、今何を想い、誰の面影があるかは、誰にも知らせるつもりはない。





    *    *   *





 (※注一)三虎には、姉・日佐留売ひさるめ母刀自ははとじ鎌売かまめ上野国かみつけのくににいます。

 藤売ふじめは身分の高い女性で、以前、大川さまの屋敷にいました。

 

 (※注二)麗靡れいび……美しく派手。

 (※注三)励志れいし……こころざしをはげますこと。



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