第三十七話  花麻呂! あっち行きたい!

 ※喧豗けんかい……うるさく、ぶつかりあう。




   *   *   *




 戰場がある。

 十月の寒い風。

 灰色の空。

 大勢の男たちが大地を踏み、土埃が舞う。

 兵士の怒号のなかに、一人、おみなの気合の声がまじる。


「やああああ!」


 馬に乗った古志加こじかだ。

 目の輝きが強い。

 らんらんと光る。

 手には剣。

 馬上より賊奴に剣をふるう。

 古志加がおみなだとわかると、


「ハッ! エ シノッ ヤッカ メノコ!」


 と賊奴ぞくとは好色そうな顔で笑うこともあるが、


「しッ!」


 短い気合とともに、ためらいのない剣が、ずっぷりと首の根本を割る。

 致命傷。

 それがわかり、さっと古志加は剣を抜く。反対側にせまってきていた賊奴ぞくとに素早く剣をひらめかせる。

 それとは別に、古志加の左足をつかんで、馬から引きずりおろそうとする賊がいる。


(触るなっ!)


 古志加が右にせまった賊奴の胸を深く斬りつけ、血しぶきを浴びながら、左足をつかんだ賊奴をキッと睨みつけると、その視線に射殺されたか。賊が、


「ぎゃっ。」


 と悲鳴をあげ、倒れた。

 背後には剣を持った花麻呂。花麻呂が斬ってくれたのだ。


「花麻呂! ありがとう!」

「おうよ。」


 花麻呂は敵味方入り乱れる戰場でも、ぴたりと古志加のそばから離れない。

 ありがたい。


 ぴゅう。

 矢が飛んでくる。

 古志加は身をひねりかわし、花麻呂は矢を叩き落とす。

 お互い返り血まみれで、笑みを交わす。


(今まで毎日、鍛錬をかかさずにきて、良かった。

 卯団うのだんの稽古は無駄じゃなかった。

 あたし、動ける!)


 あちこちで剣花が散る。

 鮮血が吹き上がる。

 悲鳴と喧豗けんかい

 血の匂い。

 血のまじった泥と、踏みつけられた草の匂い。

 人馬に大地が揺れる。

 敵を殺し、気を抜けば自分もあっという間に黄泉行きだ。

 はあ、はあと息があがる。ずっと動き、周囲に目を光らせているからだ。

 ごっそり体力が持っていかれる。

 同時に高揚し、いくらでも戰っていられる、と思う。

 古志加の口に笑みが浮かぶ。


(いつもの稽古の比じゃない。この短時間で、どれくらい剣を濃密にふるったろう。手応えを感じる。あたし、もっと強くなれる!)


 古志加は強くなりたい。

 強くならなければならない。

 一生、衛士として一人で生きていけるように。


「古志加、平気か?」


 古志加は、あらたに向かってきた賊奴の喉を横薙ぎに切り裂き、剣の切っ先から、長く血をひきながら、


「平気!」


 と力強く返事をする。

 その時、古志加に襲いかかる敵の額中央に、びっ、と矢が刺さった。

 鮮やかな矢。

 この矢は……。


「三虎?!」


 矢が飛んできた方向を見ると、遠く、喧騒のなかで、馬上で弓を持った三虎が、古志加を見てかすかに微笑んでいた。


「三虎!」


 古志加は嬉しくなり、満開の笑顔になる。

 三虎はすぐ見えなくなった。

 きっと大川さまのそばに、付き従っている。


「花麻呂! あっち行きたい!」


 絶対、三虎のそばに行く。馬の腹を蹴る。


「おうよ。どこまでもお供しますよ。」

「あはは! それじゃあたしがどこかの郎女いらつめみたいだよ!」

「はっはっは。ソウダネー。」


 なんで棒読みなのかな?



   *   *   *



 花麻呂は、馬をすすめる先で出会う賊奴ぞくとを危なげなく斬り伏せながら、隙なく古志加の周囲を警戒する。

 戰場ではあるが、古志加に死ぬほどの怪我や、落馬して、賊奴に連れ去られるなどは、あってはならない。

 絶対に、である。

 それが花麻呂に課せられた使命だ。

 とくにきつく命じられているわけではない。

 三虎からは無表情に、


「古志加を頼んだぞ。」


 と言われただけだ。

 荒弓あらゆみ(卯団の実際のリーダー)からも温厚な笑顔で、


「古志加を守れよ。」


 と言われただけだが、そもそも、今回、花麻呂が古志加と一緒に桃生柵もむのふのきに来たのは、三虎の、


 ───古志加を桃生柵もむのふのきに呼べ。誰か一人、供につけろ。誰でも良いが、古志加を守れるヤツ。


 という木簡の命令のもとに、花麻呂が選ばれたからだ。

 この事は古志加は知らない、と、荒弓から聞いた。


 古志加に何かあった場合、三虎におのことして合わせる顔がないし、上野国かみつけのくにに帰って、卯団うのだんの皆に合わせる顔もない。


 古志加は皆に可愛がられている、卯団皆の女童めのわらは(女の子、この場合、マスコット)なのだ。


 それに、花麻呂だって、もし古志加を守りきれなかったら、自分で自分が許せない。

 古志加を勝手に同母妹いろもみたく思ってるのだ。

 だって可愛いからね。


 戰場で自分の手柄をあげるとかは二の次。とにかく古志加を守るのが、花麻呂の絶対の役割だ。


 そんなこちらの気も知らず。古志加に、


「あはは! それじゃあたしがどこかの郎女いらつめみたいだよ!」


 と言われると、


(おまえはそういう扱いだが! 

 三虎だって卯団うのだんの皆だって、おまえに甘いだろうが!! 

 自覚はないのか! 

 ないな! 

 くそ! 

 そのままで良いよお前は。可愛いから……。)


 と瞬時にいろいろな思いが渦巻き、


「はっはっは。ソウダネー。」


 と棒読みでかえす花麻呂であった……。



   *   *   *




(三虎! みつけた!)


 大川さまは、金色に輝く挂甲かけのよろいに身を包んでいるので、古志加は大川さまを目印に、すぐに三虎を見つけた。


 大川さまは鉾を凄まじい速さでふるい、周囲に血風を巻き起こしながら、横顔は涼やかだ。

 三虎は、混戦のなかでも弓矢を速射し続け、近寄ってきた賊奴を射殺し、足蹴にし、もっと近づいた賊奴の蕨手刀わらびてとうを、ひょいと上体を限界までそらし、よけ、素早く上体を戻した時には矢を短く握り、賊奴のこめかみに、ざくりと深く矢のやじりを刺し通す。


 馬上で強靭な身体は鋼のように。構えは冴え冴えと美しく。弓矢は正確に的を穿つ。

 卓越した弓の技。それが三虎だ。

 かっこいい。


 古志加は、声で女だとわかるからか、敵に群がられる事が多い。

 しかし大川さまは、その金の挂甲かけのよろいゆえ、絶えず、古志加より敵が群がっている。


「ハ───イッ!」


 大川さまの気合が放たれ、大川さまは鉾の一薙ぎで数人の敵の首を飛ばし、三虎は無言で、大川さまに殺到する賊奴を次々と射殺す。

 戰に集中した顔が、いつにも増して冷気を放っている。

 かっこいい。


(うう。こんなかっこいい三虎を見れるなんて。来て良かったよぅ。)


「三虎!」


 馬をよせ、後ろから声をかける。


「おう、来たか。」


 輝慕門きぼもん(南門)の前に広がる平原。そこのなかで暴れろ、が、真比登から古志加たちに与えられた指示だった。だから三虎のそばで戦っても良いはず。


 三虎はちらりとこちらを見て、口元が笑った。すぐに前を見て、手を止めず矢を放ちながら、


「花麻呂、いるな。」

「はい。」

「良し。ああ、ここでの返事は、。慣れろ。」

。」


 そう淡々と言ったあと、口調が柔らかくなり、


「古志加。戰う真比登を見たか?」

「いえ、まだ。」

「見ろ。あれは見る価値がある。まさに建怒たけび朱雀すざくだぞ。ここは良い。行け。」

「は……、!」


 古志加と花麻呂はうなずき、その場を離れる。



 戰場を走り。

 あまたの命をほふり。



「おい、古志加、あれ見ろ!」

「え? ……人が打ち上がってる?」


 真比登が流星錘りゅうせいすいを豪快にふるい、敵を空中へ打ち上げ、駆け抜けるのを見て。


「すっげ───!」

「これが建怒たけび朱雀すざく!!」


 二人して大声を出してしまった、古志加と花麻呂である。


 近くにいた鎮兵ちんぺいが、建怒たけび朱雀すざくに見惚れる新入り二人に、


「うべなうべな!」


 と声をかけてゆく。



   *   *   *



 その日の戰は終わり。夕餉の時刻。


 真比登は、新入り二人に声をかける。


「どうだった、桃生柵もむのふのきの初戰は?」


 古志加と花麻呂は、二人仲良く並んで地面に座り、椀によそった鍋を匙ですくっていたが、笑顔を真比登にむけた。


 ちなみに、今日の夕餉の鍋は、猪肉ゐのししの干し肉と豆とキノコ、甘野老あまどころ独活うどの塩漬けを煮込んだものだ。味付けは、塩。

 刻み若海女わかめの握り飯もついている。


 古志加は真比登を見て、ほうっとため息をついた。


「真比登、強いですね! 惚れ惚れしちゃいました。」


(古志加。それ、言わなくて良いから。佐久良売さまに聞かれるとまた厄介だから。)


「はあ、疲れました。」


 花麻呂はそう言いつつも笑っている。


「そうだよなあ。初戰のあとって、吐いちゃう奴とか、いるからさ。そういうの、ない?」


(だっておみなだろ……。)


 真比登は、大勢、そんな奴を見てきた。戰場とは、異常な場所だ。身体より心が壊れる者もいる。ましてや、古志加は女だ。


 二人は顔を見合わせ、平然と笑った。花麻呂が穏やかに口を開く。


「賊を黄泉送りにしたのは、これが初めてではありません。オレも、古志加も。」

「そうかよ。さすが上毛野衛士団かみつけののえじだんだな。」


 真比登は、肩をすくめ、その場をあとにする。

 初めて人を殺して、動揺しているのでは、というのは、余計な気遣いだったようだ。











 挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077422113076






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