第三十六話  あの子はたゆらちゃん、其の二


 事件はその夜、夕餉の時間におこった。


 嶋成と韓国からくにのみなもとが一緒にかわやから帰る途中、伯団はくのだん戍所じゅしょとは違う方向へ歩いてゆく、吉弥侯部きみこべの古志加こじか北田きただの花麻呂はなまろを見た。

 他の軍団の者、六人に囲まれて、どんどん道をはずれた木立の方に進んでいる。

 嶋成と韓国源は、


「なんだろ?」

「ついてってみるか。」


 こっそりとあとをつけた。

 濃藍こきあいの、おのこの衣の古志加こじかが歩きながら、


「本当なの?」


 とおのこたちに問うた。


「ああ、見た見た。」

「こっちだ。」

「もうすぐだよ。」

「げへへ……。」


 良くないかんじだ。六人のおのこたちはにやにやと笑っている。

 黙っていた花麻呂が、


「……古志加。引き返そう。落とし物はオレ一人で見つけにいくよ。お前はいったん、帰れ。」


 と前を歩く古志加の袖をひいた。

 古志加が花麻呂を振り返り、何か言う前に、


「んぐっ!」


 古志加の後ろにまわった男が古志加の口をふさぎ、腰を抱いて引き倒した。


「可愛がってやるよ!」

「早く脱がせろ!」


 花麻呂が、


「古志加ッ!」


 と叫ぶが、花麻呂の左右、二人の男が花麻呂の両腕を素早くとらえ、三人目が花麻呂の顔を思い切り殴った。


(やべえ!)


 源が、


「オレ真比登呼んでくる!」


 と、さっと踵をかえし、嶋成は、


(たゆらちゃん!)


「うおおおー! やめろ───!」


 と大声をあげて、倒された古志加に群がる三人の男どもにむかって突っ走った。 

 一番近くの男の後頭部めがけ、両手を組んで拳を打ち下ろす。


「邪魔すんなっ。」


 嶋成に頭を打たれた男は立ち上がり、嶋成に殴りかかってきた。三発、かいくぐったが、四発目が嶋成の左頬にぶちあたった。

 目の前に火花が散る。

 右足がふらっとするが、左足、力を込めて踏み込み、男の下腹に左拳を鋭く打ち込んだ。


「ぅげっ。」


 男はうめき、顔が前に出る。その顔を、


(お返しだ!)


 嶋成は渾身の右拳で打ち抜いた。手応えの衝撃が右拳に散る。男は倒れた。


(たゆらちゃん!)


 次の男を、と古志加を見たとき……。

 古志加がひゅっと地面を飛んで、右膝を男の顎に命中させるのを見た……。

 男は白目をむいて気絶した。

 見れば、古志加に群がっていたもう一人の男は、すでに草むらに倒れ気絶していた。


「つ、強いなあ……。」


 花麻呂を助けなきゃ、とふりかえって花麻呂を見たとき……。

 花麻呂が男の後ろ首に手刀を叩きこんで気絶させたところだった。

 残り二人は花麻呂の足元にしゃがみこみ、


「痛えよ〜、足が痛えよ〜。」

「顎が〜、顎が〜。」


 とうめいていた。


「あれ……、強いですね……。」


(オレの加勢はいらなかったのでは……。)


 古志加は、いささか乱れた衣を、ぴっ、と直し、


「ふええええん、花麻呂ー!」


 と、走って花麻呂に抱きついた。


(だっ、抱きついた! 恥ずかしくねぇの?)


 夫婦めおとだって、人前では手を握ることしかしない。


(うらや……、けしからん!)


 韓国からくにのみなもと春日部かすかべの真比登まひと丈部はつせべの五百足いおたりが、遠くから、


「どこだ?」

「こっち!」

「おい! バカどもがあぁ……あれ?」


 と駆けてきたが、


「終わってんなあ、これ……。」


 と真比登は走る足を緩めた。

 嶋成が殴った男が、その場をこそこそ逃げ出そうとし、五百足いおたりに取り押さえられた。


「バカめ。建怒たけび朱雀すざくが来たのに、逃げおおせる事ができると思うな。」

「うぅ……っ。」


 建怒たけび朱雀すざくの名前は覿面てきめんに効いた。

 五百足いおたりに腕をねじられ、地面に膝をつかされた男は、がくり、とうつむいた。

 五百足いおたりは男を冷たく見下ろした。


「どこの団だ?」

「し、白河しらかわのだんです。」

「全員か?」

。」

「真比登、全員、白河団に引き渡しましょう。白河団の大毅たいきが、しかるべき裁きを下してくれるはずです。」

「そうだな……。」


 真比登は顎に手をあて、少し考えこんだ。

 古志加に抱きつかれた花麻呂が、


「古志加、大丈夫か?」


 と心配そうに古志加の背に腕をまわし、古志加は、


「平気。」


 と花麻呂に身体をぴたっとくっつけた。


(あれでは、たゆらちゃんのたゆらが! うらや……けしからん!)


「……ちょっと怖かった。」


(いや、怖かったって言ってるたゆらちゃんは、ぴんぴんしてるけど、男二人はたゆらちゃんに気絶させられてますよ……。)


 抱き合う二人は離れる気配はない。


(まるで恋人同士だな……。)


 ちょっと胸がちくり、とした。

 古志加が嶋成を見た。

 ぱっとこちらに駆けてきて、嶋成の手をとった。

 柔らかい……、と思ったが、その手は嶋成の知る女の柔らかい手とは違った。

 労働、そして武芸に使い込まれた、皮膚の硬い手だった。


「ありがとう。あたしを助けに来てくれて。殴られて……、痛かったでしょう?」


 近くで見る古志加は、可愛いかった。

 不覚にも、嶋成は胸が高鳴ってしまう。


「あ、こ、これくらい、なんでもないデスッ!」


(……どうしてオレは、ここで声が裏返ってしまうんだ!!)


 古志加はすぐに離れ、源、真比登、五百足いおたりにも同じように、お礼を言った。ただし、手は握らなかった。

 真比登が、


「どうしてこうなった?」


 と訊く。花麻呂が応える。


「古志加が大事なくしを落としたんです。探していたところを、声をかけられたんですよ……。」

「もっと気をつけろ、花麻呂。」

「肝に銘じます。すみませんでした。」


 嶋成は、


「櫛……? これか……?」


 と、拾った櫛を見せた。古志加が、


「あ! これ! あたしの!」


 と、ひゅん、と走ってきて、


「ありがとう!」


 と嶋成に抱きついた。


「わっ…………!」


 ふわっと柔らかい。

 野に咲く花のような、良い匂いが、古志加の髪から香った。

 古志加はすぐに離れた。ぽろぽろと泣いている。櫛の入った撫子色の袋を渡すと、胸に抱きしめた。


「あたしの……、死んだ母刀自ははとじの形見なんです。

 これ以外は、置いてきちゃったから……。これしかないから……。大事な、大事な櫛だったんです。

 見つかって良かった。

 拾ってくれて、ありがとう、ありがとう……。」


 花麻呂が、


「良かったな。」


 と声をかけ、


「うん。」


 と泣いたまま古志加が花麻呂にひしっと抱きついた。

 花麻呂は、古志加の背中を軽く叩いた。


(なんでいちいち抱きつくのっ?)


 源が、


「おまえら恋仲なの?」


 とズバッと訊き、古志加と花麻呂が声をあわせて、


「違う。」


 と言う。


(そう言うなら離れんかーい! たゆらちゃんからそんなに抱きついてもらえるなんて、羨ましすぎるぞ北田花麻呂……!)




   *   *   *




 その後、六人の下衆は、白河団に引き渡される前に、


「ちょっと化粧するかぁ!」


 と真比登に顔面を殴打され、もれなく全員顔を腫らした状態で、縛り上げられ荷車にのせられた。

 その荷車を見せびらかしながら、真比登は陸奥六団全てを巡って、


「うちの新入りはおみなだが、強いぞ。手を出すやつは、こうだ! このおみなはオレが預かった剣。無傷で持ち主に返す。手を出すバカは、この軍監ぐんげんの怒りに触れると知れ!」


 とにらみをきかせて言った。

 建怒たけび朱雀すざくの庇護下のおみなに、手を出すバカはいない。

 たゆらちゃんがおみなとして不快な目にあうのは、これが最初で最後であろう。
















 挿絵、其の一。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077362659976


 挿絵、其の二。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077362783303

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