第三十五話  あの子はたゆらちゃん、其の一

 見まくり  が待ちひし


 秋萩あきはぎ


 枝もしみみに  花咲きにけり




 欲見みまくほり  吾待戀之あがまちこひし

 秋芽子者あきはぎは

 枝毛思美三荷えだもしみみに  花開二家里はなさきにけり




 見たい見たい、と恋いしく待っていた秋萩は、枝に隙間なく花を咲かせました。





 ※見まく欲り……見たくてしょうがない。見たい見たい。

 ※しみみに……びっしりと。隙間なく。





     万葉集  作者不詳





   *   *   *





 上野国かみつけのくにから来た衛士二人、花麻呂はなまろ古志加こじかは、到着した次の日は、兵としての基本訓練に費やした。

 午後は、古志加だけ、女官の仕事を教えてもらった。




   *   *   *





秋萩あきはぎが咲いたなあ……。」


 戰場から帰った嶋成しまなりは、中央に赤みがさした白い萩の花が、十月の涼しい風に揺れるのを見ながら、ぷらぷら桃生柵もむのふのきを歩いていた。

 すると、道端に、ちらりと撫子なでしこ色のかたまりが見えた。


(なんだろう?)


 拾い上げてみると、撫子色の粗末な……、いや、一般的な布地の袋。

 なかみは、女物の、素朴なくし、梅の花が彫られたつみの櫛だった。

 梅の花の一つだけ、金色に塗ってあり、傾き始めた日差しに、きらり、と光っていた。


(女モノの櫛だな。持ち主に返してあげたいけど……。)


 立ち止まった嶋成に、遠くから話し声が聞こえてきた。

 おのこの声で、


「あれ? いつもの背子はいし(ベスト)は?」


 低めのおみなの声で、


背子はいしは、こっちでは、つけたりつけなかったりなんだって……。」


 道の先を見ると、新入り、北田きただの花麻呂はなまろと、吉弥侯部きみこべの古志加こじかが話をしていた。

 花麻呂はこちらに背を向けている。


(あの子の落とし物かな? それにしても、女官姿のあの子、可愛いな。)


 大きな目、小さく可憐な唇、すっと通った鼻梁。美しい顔立ち。

 そして胸がでかかった。

 でかかった。

 神が豊穣ほうじょうれたもうた二つの丘である。


(おっと、胸に見とれている場合ではない。声をかけるか……。)


「おまえ、佐久良売さくらめさまの警備も兼ねてるんだろ? そんな衣がたくさんの女官姿で、何かあったら、戦えるの?」

「戦えるよ!」

「じゃあ、この場で何回か飛んでみ?」


(はっ? なんだと? 飛ばせる気か? その格好で飛ぶってことは……!)


 これから見られるかもしれない奇跡の瞬間にそなえ、嶋成はさっと木陰に身をひそめ、息を殺し、目をかっぴらいた。


(見まくり───!)


 古志加は、


「わかった!」


 と、ぴょん、ぴょん、とその場で飛んだ。

 恵みの象徴である二つの丘が、

 たゆら。

 たゆら。

 と揺れた。


(バカ野郎───! 何やらせてんだよ───! 古志加もなんの疑いもなく飛んでんじゃねえよ!)


 たゆら。

 たゆら。


 春ですね。(今は十月)

 素晴らしいですね。

 豊かですね。

 揺れますね……。


 嶋成の頭のなかで不可思議な言葉たちが浮かび、手古奈てこな(蝶)がとんだ。


 花麻呂はさっと口元を押さえた。

 多分、にやけ顔を隠す為にちがいない。


(おまえ、わかってやってんな……。)


 花麻呂は古志加の肩を叩き、


「おまえがその格好でも戦えるのが、充分わかった! だが他のおのこの前で同じ事をしちゃ駄目だぞ!」

「はあ? わけわかんないよ花麻呂。」

「まあ、良いってことだ……。」


(何も良くねえ!)


 二人は、去って行った。

 嶋成はしばらく、その場に立ち尽くした。

 瞼の裏に、可愛らしい顔と、豊かな胸が揺れるさまが、繰り返し浮かび、鼻の下がのびた。


(あの子はたゆらちゃん。

 これからは、心のなかで、そう呼ぼう。それ以外には考えられない。)


 嶋成は、もともと、ふっくらした体型の女が好みだ。

 たゆらちゃんはふっくらした体型ではない。大柄で筋肉質、たくましいおみなだ。

 でも可愛くって豊かだ……。


 それって……。


 良いよね……。


 


 嶋成はすっかり、落とし物の存在を忘れていた。












↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093077303591336




   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る