第三十二話  女官、そして衛士。

 ※熒光けいこう……かすかな光り。

 ※蘭薫らんくん……蘭の良いかおり。蘭のかおるような、すぐれた美女を言う。

 ※一意いちい奮闘ふんとう……心を一つに集中し、奮い立って闘うこと。




   *   *   *


 


 佐久良売さくらめは、自分の部屋に古志加こじかを連れてきた。


「年はいくつ?」

「十八歳です。」

「女官の衣は?」

「持ってきていません……。」

「良いわ。どうせ、上毛野君かみつけののきみの女官の衣とは、違う衣でしょうから。若大根売わかおおねめ、衣を一式、与えてあげて。」

「はい。」


 さっそく、古志加を女官の衣に着替えさせる。

 几帳きちょう(布の衝立ついたて)の向こうで、若大根売わかおおねめが着付けを手伝う。


「寝る部屋は、女官の十人部屋で良いでしょう。若大根売わかおおねめ、あとで案内してあげなさい。」

「はい。」


 古志加が女官の衣に着替え、几帳きちょうからでてきた。

 古志加は、良く日焼けし、髪の毛はくるくる巻いた癖っ毛。

 おみなの髪は、真っ直ぐで太く艶のある黒髪が良いとされているので、残念な髪である。

 しかし、それを差し引いても、澄みきって美しい瞳、はっきりした目もとの印象的な、秀でた顔立ちの美女だった。

 熒光けいこうを放つ紅珊瑚の耳飾りが良く似合っている。

 背が高い。おのこの平均ほどある。

 肩幅も広い。肩の筋肉ががっちりしているのだ。

 そして……。


(うぬ……。これは……。)


 大きかった。つい胸に視線がいってしまう。


(あら? さっきまではこんなに胸が目立っていたかしら……?)


 若大根売わかおおねめが、


「佐久良売さま、古志加はさっきまで、胸に麻布を四重に巻いてましたわ。」


 と言った。佐久良売は納得した。


(まったく、こんな蘭薫らんくんの美女を戰場である桃生柵もむのふのきに呼び寄せるなんて、あの従者、何を考えてるのやら。)


「さて、古志加。あなたは、女官……、という事で良いのかしら?」


 女官と兵士、というか、衛士を兼任するなど、聞いたこともない……。

 戰場で戦うのが兵士。

 平和な時に屋敷などを護るのが、衛士である。


 古志加は凛とした声で、


「あたしは、ここに強くなる為にきました。女官の仕事も、言いつけられればもちろん、喜んでやりますが、基本は兵士だと思っていただきたいのです。

 上野国かみつけのくにでは、八日間、衛士として務め、一日、女官として仕えていました。

 あたしは、毎日、衛士としての鍛錬を欠かした事はありません。どうかご理解を賜りたいのです。」


 と言った。顔がきりり、と引き締まっている。強い意思を感じた。


おみなが兵士なんてできるのかしら……?)


 という疑問を、佐久良売は呑み込みんだ。


「わかったわ。桃生柵もむのふのきを護る兵士が増える事は、喜ばしい事です。

 それで、古志加? あなたはあの従者殿の吾妹子あぎもこ(愛人)なの?」

「ちっ、違います……。」


 古志加は、首から額の上のほうまで、ぽっぽっぽー、と赤くなった。

 さっきまでの凛々しい顔つきはどこへやら、眉尻がさがり、唇が恥ずかしそうにぷるぷる震えている。


(何これ……。可愛い。)


 と目を細めると、若大根売わかおおねめと目があった。


(可愛い。)


 佐久良売は頷いた。


(可愛いです。)


 若大根売わかおおねめも頷いた。

 主従というのは目で通じ合うものである。


「そうなの? あたくしはてっきり、前に従者殿が言っていた、心に決めた、たった一人のおみなってあなたの事かと───。」


 佐久良売は口をつぐんだ。

 話しの途中で古志加がみるみる青ざめたからである。


「ち、ち、違います。み、み、三虎は……、吾妹子あぎもこが、何年も通い続けているたった一人の吾妹子あぎもこが、遊浮島うかれうきしまにいて、きっと、そのおみなのことです。

 あたしは……、違う。あたしじゃない……。」


 うっ、と嗚咽おえつをもらし、ぽろぽろ、古志加は泣き出した。


「三虎は……、そんな事を言ったんですか……。」


 ごまかしてもどうしようもない。


「言ったわ。」

「う…………。」


 古志加は口元に手をあて、大粒の涙をこぼした。











「あなたは酔っている。佐久良売さくらめさま。必ず後悔なさるでしょう。

 ───そしてオレも。

 心に決めた、たった一人のおみながいるので。」











 誰にも言うつもりはない、あの夜の出来事。

 あの従者は、たしかに佐久良売に、そう言ったのである。


(あのおのこをうっかり一夜夫ひとよづまにしてしまわなくて、本当に良かった。)


 あらためて、安堵のため息をついてしまう佐久良売であった。


(先ほど、あのおのこは、怒りをあらわにしたあたくしから、古志加をかばい、背中に隠した。

 だから、てっきり、心に決めたたった一人のおみなって、この娘の事だと思ったのに。

 違ったの……。

 言うんじゃなかったわ。)


「あなた、あの従者殿を恋うてるのね?」


 古志加は、こくり、と頷く。


「いつから恋うてるのか訊いても良いかしら?」

「はい。あたしが、十歳のときに、……両親がいないあたしを、拾ってくれて、それからずっと、ずっと恋うています。」

「もう、告げなむ(告白)したの?」


 古志加は首を横にふり、力なくうなだれた。


「じゃあ、ここには告げなむ(告白)をしにきたの?」


 古志加はびっくりしたように顔をあげた。目に強い輝きを宿して、


「違います、ここには戰をしにきました。あたしは衛士です。己を鍛えたいんです。一意いちい奮闘ふんとう、戦います。」


 はっきりとそう言った。


(うん……?)


 変わった子である。佐久良売は若大根売わかおおねめと顔を見合わせた。








 その後、古志加は副将軍殿にまだ挨拶していないので、と、もとの濃藍こきあいの衣に着替えた。

 寝る場場所がわからないと困るだろう。佐久良売は、若大根売わかおおねめに女官部屋を案内させた。そこで古志加と別れ、一人帰ってきた若大根売わかおおねめは、浮かない顔をしている。


「どうしたの?」

「佐久良売さま……。あの、古志加ですが……。身体が、すごい傷だらけでした。

 ふくらはぎには、ムチで打たれた古傷がたくさん……。

 あと、全身に、斬られた傷。とくに、左肩に大きな傷があって。

 あたし、それを見て息を呑んだら、古志加はなんでもない、というように、ただ笑って……。

 おみななのに……。あんなに傷だらけで笑ってるおみななんて、見たことありません。」

「そう……。」


 女官、そして衛士。

 その生き方というのは、なかなかに凄まじい。


 ───ここには戰をしにきました。


 その古志加の言葉に、誇張はないのだろう……。





    *   *   *




 古志加は、若大根売わかおおねめと別れて、簀子すのこ(廊下)を一人歩きつつ、


(見ちゃった。

 あたし初めて、おのこおみなが口づけしてるの、見ちゃったよ!)


 と、ふん、と鼻息を荒くした。


(すごいよ。

 真っ昼間から、人前で口づけするなんて、見た事も聞いた事もない。

 佐久良売さまは、話してみたら落ち着いた郎女いらつめなのに、恥ずかしくないのかなぁ……。

 それより、なんで兵士の皆、あまり驚いてなかったんだろう……?)


 佐久良売さまは軍監ぐんげんと婚姻したばかりだって、若大根売わかおおねめから聞いた。

 お二人はいくつもの波乱を乗り越えて結ばれたのだと。


(本当のいも愛子夫いとこせなのかなぁ。いつか佐久良売さまに訊いてみたい……。)


 若大根売は、ふふふ、と笑いながら、


「佐久良売さまの己如男もころお(恋敵)については、あなたには、刺激が強い話かもしれないけれど、時間がある時に話してあげるわね。」


 と言われた。楽しみだ。

 ……己如男もころお若大根売わかおおねめは言ったように聞こえたが、己如女もころめ(恋敵)の聞き間違いであろう……。


己如女もころめ、か……。」


 古志加は一人、ぽそっとつぶやき、ため息をつく。







    

 古志加こじかは、三虎の吾妹子あぎもこ(愛人)の顔を見たことがある。







 上毛野君かみつけののきみの屋敷に国司こくしさまを招いて開かれる、折々おりおりの宴。

 着飾った遊行女うかれめたち、三十人がいっせいに舞台にあがり、舞い踊るのは、宴の華だ。

 そのなかで一番、秀でた遊行女うかれめが、独唱をする。


 それが、三虎の吾妹子あぎもこだ。


 華奢きゃしゃで小柄で、色白で。

 派手な顔ではないが、とても優しい、優美な顔。

 白梅のように、全身からしとやかな色気が匂い立つ。

 鈴のような、澄んだ歌声。

 おみなのなかのおみな

 あたしみたいな、身体がたくましくておのこみたいなおみなとは、全然違う。









 ───心に決めた、たった一人のおみな、か……。

 やっぱり、三虎は……───











 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076980789750




 ↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093085392157345

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