第三十三話 花麻呂! 返してよ!
部屋には、大川さまが好む
良い匂い。
懐かしい匂い……。
倚子に座った大川さまは清浄な
(大川さまは相変わらず、
佐久良売さまも、びっくりするくらい、お綺麗だった。
大川さまと佐久良売さまが並んだら、良くお似合いなんだけどなぁ……。)
大川さまが、
「良く来た。久しぶりに、
と柔らかく訊いた。
古志加はきりっ、と顔を引き締めた。
古志加は大川さまの息子、
「はい、お変わりございません。広瀬さまも、
「そうか、良かった。
おまえ達二人は、
その間も、
いずれは
大川さまの後ろに立つ三虎が、
「はい。」
と返事をする。
「ここは
戸惑うことも多いだろうが、まわりに
戰場で手柄をあげ、
……ただし、死ぬな。古志加、花麻呂。
死んだら、私は悲しいぞ。」
大川さまは静かに笑う。
冷たい、温度を感じさせない笑顔に見えて、その奥には、ちょっと面白い、温かい人間性が潜んでいることを、古志加は知っている。
「はい!」
古志加と花麻呂は礼の姿勢をとる。
古志加の目は、微笑む大川さまから、無表情な三虎へと、自然に吸い寄せられる。
三虎は、背が高くスラリとして、武人らしい研ぎ澄まされた気を、静かにあたりに放っている。
その雰囲気は、名家の息子らしく、洗練されている。
立ってるだけで、郷の
(三虎、格好良い。
腫れぼったい目。
無愛想な表情。
薄い唇。
好き。
こっち全然見てくれない。でも良い。
三虎が見れるだけで幸せ。十ヶ月ぶりに会えたんだもん。
あたし、三虎の顔が見れた事が嬉しくて、会ってすぐに、抱きついちゃった。
振りほどかれるかと思ったけど、優しく抱きしめて、よしよし、って背中を撫でてくれた。
嬉しい。恋いしい。)
古志加の口元に微笑みが浮かびそうになる。
しかし同時に、心はすぐに冷える。
(三虎が心に決めた、たった一人の
浮かれすぎるな、あたし。
あたしは以前、三虎に、強くなりたい、と望みを言った。
だから、ここに呼んでくれたのは、あたしの望みを叶えてくれたんだ。
ありがとう三虎。
あたしはここで、強くなる。
告げなむなんてしない。
ここには、強くなる為に来たんだから。
……でも、三虎がもし、あたしの手をひいて、
───夜、部屋に来い。
と言ったら、飛んで行っちゃうもんね!
だって、ここには、
夜に呼ばれた事はいまだかつて一度もない。
三虎は
古志加は
三虎は名家の息子。
古志加は郷の娘。
(三虎はあたしを、いくらでも好きにして良いのに……。)
じーっ、と古志加は三虎を見る。
三虎はムッと不機嫌そうないつもの顔で、
「挨拶がすんだら、
と、大川さまの部屋から、古志加と花麻呂をさっさと追い出した。
* * *
───三虎に恋われてなくても、
妻や
ずっと、そう思っているのに、それすらも、あたしには贅沢すぎる望みなのかな……。
* * *
古志加と花麻呂が挨拶し、部屋を去ったあと、三虎が、
「大川さま。オレはすこしお時間を頂戴してよろしいですか? 夕餉は女官に運ばせます。」
と言ってきた。もちろん、大川は許可を与える。
大川は部屋に一人になった。
「ふっ……。」
大川の顔にひそやかな笑みがこぼれる。
普段、顔に貼り付けている
その珍しい微笑みを、見る者は、ここにはいない。
「久しぶりに顔を見たな。」
心がざわつき、じっとしてられない。
「秋萩か。」
部屋には、秋萩の花が土師器の花瓶に飾ってある。その枝を手にとり、
「…………。」
美貌の
はら、はら、と花弁が唇からこぼれ、
「まずい……。これは食べ物ではないな。」
と大川はくすくす笑う。
* * *
花麻呂と
それはありがたく、刺激的な稽古だった。五人、
花麻呂と古志加はほぼ同時に、五人全員を地に沈め、
「これは新しい!」
「
と充実して声をかけあうと、見物していた兵士たちから、
「やるねぇ。」
「強いねーっ!」
「うべなうべな!」
という声と、ぱちぱちぱち……、と拍手がおこった。その後、本格的な宴となったが、三虎は現れなかった。
(うえーん、三虎ともっと一緒にいたいよぅ。会える時間が短いんだよぅ。せっかく
がくり、とうつむく古志加を、花麻呂が肩を叩いて慰めてくれた……。
(あたし、ここでやっていけるかな。)
伯団、五百人。
古志加は、
新しい人たちのなかに入っていくのは、不安で心細い。
ますます、気心のしれた花麻呂に甘えてしまいそうだ。
花麻呂は優しいから、きっと、あたしが甘えても許してくれる……。
だから、どんどん甘えてしまう。
花麻呂は強く、頼りになる。
もちろん、恋ではない。
花麻呂は、恋うてる
まだ、花麻呂が独り身であることも。
花麻呂は、長い片想いの最中なのだ。古志加には何も言わないけれど……。
古志加は、新しい場所でうまくやっていけるかは不安だが、剣をふるう事に関しては不安はない。
早く戰場に立ちたい。
そう思う。
「さ、お姉ちゃん、呑みなよ。」
と入れ替わり立ち替わり、目の前にやってくる男たちが、次々、古志加の
「お姉ちゃんじゃないです、古志加です……。」
と小さい声でもそもそ言って、
「いただきます。」
と呑もうとしたら、横から手がのびて、
花麻呂だ。
「花麻呂! 返してよ!」
抗議すると、
「もう駄目。この後は水。ここは
と水の入った
「うぅ……。まだ呑めるのに。」
古志加は唇をとんがらせて、水を飲むのであった。
「よう新入り! なんかやれ!」
時々、こんな無茶な要求もある。花麻呂が、
「じゃあ唄う!」
とすっくと立ち、
「
となかなか良い声で唄いだす。
「良い声だ!」
「うべなうべな!」
「うべなうべな!」
古志加が、
「うべなうべな?」
(うべな、って、そうだ、って意味だけと、こんなに皆で大合唱するような言葉だっけ?)
と首をかしげると、
「そ、うべなうべな。意味はわかるだろ?」
「うん。」
「ここにいると、移るぜ。うべなうべなって口癖が。オレは
と鷲鼻の兵を指差し、ぱちっと片目をつむった。鷲鼻の兵はぺこりと頭を下げ、古志加の
* * *
(※注一)
【情報が多いので、少し整理します。】
(まとめ不要な方は、読み飛ばしてOK)
所属は、
古志加は、
「何か望みは?」
と訊かれて、
「強くなりたい」
と答えた。
三虎は、古志加の望みを叶える為に、戰場である
死なせたくないので、お
花麻呂は古志加の同僚であり、良い兄貴分。
古志加は安心して甘えている。二人に恋愛感情はない。
古志加が恋してるのは三虎。
三虎は古志加に優しかったり、そっけなかったり。
古志加は、「三虎はあたしを恋うていない。」と確信している。
この恋が報われなくても、衛士として一生、そばにいたい、と思っている。
いつか戯れでも良いから、
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