第三十一話  礼の美しい女

 佐久良売が伯団はくのだん戍所じゅしょにいそぐと、人垣ができていた。

 やんや、やんや、見物して楽しんでいる。


「真比登ー!」

「やれやれー!」

「姉ちゃん、美人だぜー。」

「うひょぉ〜〜!」


 ヤジがいつもより下品である。


(何をやってるのっ!!)


 佐久良売の頭に血が昇る。


「うぬっ、見えない……。」


 人垣が邪魔だ。怒鳴って道を開けさせるか?

 でも、決定的な、言い逃れできないところを押さえたい気持ちもある。


「こっちよ!」


 佐久良売は郎女いらつめにあるまじき……、草地に膝をつき、茂みからこそこそ近づく作戦にでた。若大根売わかおおねめを伴い、がさがさ、やぶの密生地に飛び込んだ。


 ギン。

 キィン……ッ!


 剣戟が重なる音が近づく。

 ひょこっ、と藪から佐久良売が顔を出すと、大刀たちを抜いた真比登と、濃藍こきあい色のおのこの衣のおみなが、剣を合わせているのが見えた。

 おみなは十代後半。

 美しい顔立ちをしていた。


「あは……!」


 妖艶に笑い、悩ましい喜びの声をもらし、素早い動きで戦っている。

 ちらっと赤い石が耳元で光る。


(なんなの……、わけがわからないわ。あんなに剣を振り回して。怖くないのかしら……?)


 予想しなかった光景に、佐久良売は首をかしげる。


「は……ッ!」


 女が逆立ちとなり、両足をばっと真比登の首にからめた。


「うお。」


 真比登は驚いた声をだした。

 女は剣を持ったまま、上半身を腹の力で起こし、真比登の首に巻き付こうとする。

 剣のつかで、真比登の頭を狙っている……。

 真比登はよろめくが、


「よっと。」


 ぱっと剣を手放し、地に右手をついて、強引に身を回した。

 

「わっ!」


 女は真比登の急速な回転で、身体をはがされ、あっという間に地に転がった。

 すかさず真比登が女にのしかかり、左肘で女の左腕を、左膝で女の両足を、右膝で女の右腕を抑えた。

 女は口を大きく開け、はあはあ言いながら、動けない。


(ちょっと……、どういう体勢よっ!!)


 佐久良売は頭に血が昇りすぎて、ワナワナと震えた。


 真比登は空いた右手をぶらぶらさせながら、笑っておみなを見下ろした。


「勢いは良いが、戰場で敵に密着しすぎるな。」

おみなって、ばれました……?」

「そりゃあ、腰から肩までの骨が全然違うからな。

 だがおまえ、良いなあ! 剣ふってるの楽しいだろ? 歓迎するぜ。

 オレも、おみなの太ももに首を締められて、昇天しそうだったぜ!」


(はああああ〜〜っ?! なんですってぇぇぇ!!)


「真比登!!」


 佐久良売は鋭く叫び、茂みからガサッと立ち上がった。頭からぱらっと葉っぱが落ちた。


「あっ、佐久良売さくらめさま!」


 真比登は慌てておみなから離れた。

 副将軍殿の従者がすっとんできて、おみなを助けおこし、おみなを自分の背にかばった。


じゅしょおみなを連れ込んで何をしてるのっ?! 太もも、太……。わあああん!!」


(ひどいわっ!)


 あまりの屈辱、あまりの衝撃で、佐久良売は火がついたように大声で泣き始めた。


「わああああん!!」

「わっ、ちがっ、これっ、ちがっ!」


 真比登はすっかり色を失い、両手を上に下にぶんぶん振った。

 そこに副将軍殿の従者が淡々たんたんと口を挟んだ。


「佐久良売さま。これは上毛野かみつけの衛士団えじだんの衛士で、オレの部下だ。

 今日ついたばかりで、真比登とはさっき会ったばかりだ。

 稽古をしてただけだ。」


 と身体をずらし、おみなを佐久良売に見せた。

 女は事態がつかめない、といった顔で、大きな目をぱちぱちしながら、従者と佐久良売を見た。

 赤い石と見えたのは、紅珊瑚べにさんごだ。かなり高価な耳飾りである。


(はあ〜? 本当なの……?)


 佐久良売は泣くのをやめ、じとっとした目でおみなと従者と真比登を見た。

 従者が続けて言う。


「佐久良売さま。こいつは女官としても使える。

 骨があるヤツなので、きっと佐久良売さまもお気に召すだろう。

 古志加こじか、挨拶しろ。」


 おみなは堂々と胸を張った。


「はい、上野国かみつけのくに上毛野かみつけの衛士えじ卯団うのだんの衛士、吉弥侯部きみこべの古志加こじかです。加え。」


 古志加こじかが肩幅に開いていた足を閉じ、剣の柄から手を離した。


上毛野君かみつけののきみの大川おおかわさまが子息、上毛野君かみつけののきみの難隠人ななひとさま付きの女官です。」


 と礼の姿勢をとった。

 衣はおのこのものだが、優雅で品のある礼、ひな(田舎)では滅多に見られないほどの、立派な礼であった。


「ふぅん……。」


(悪くないわね。)


 副将軍殿のご子息の女官、というのは本当なのだろう。

 佐久良売のなかで最悪だったこの女の心証は、いくらか和らいだ。


 だがまだ怒りが収まらぬ。


 佐久良売は、じろっと真比登を睨みつけ、ぐいぐいと真比登に詰め寄った。真比登はわたわたした。


「これ、本当、三虎の言う通り!」

「あなた、さっき、おみなの太ももに……、って言ってたでしょ。

 あたくし、あたくし、傷ついたわ……。」


 佐久良売は真比登の襟を両手でぐいと掴んだ。


「ここで! 今すぐ! ちゃんとして! じゃなきゃ、許さないんだから……。」


 佐久良売が宣言すると、真比登は顔を真っ赤にし、佐久良売から恥ずかしそうに目をそらして、ふぅ、と一つ息を吐いてから、覚悟を決めた眼差しで、


「じゃあこれで、許して下さい……。」


 と佐久良売の両頰をとらえ、一気に口づけをした。


「ひぇっ!」


 と古志加が声をあげ、聴衆のなかには、わっ! と驚きの声をあげるものもいたが、ほとんどは、


「こうなるよなー。」

「そうだよなー。」

「うべなうべな。」


 と、もはや動じることなく見物している。


(ふっふっふ、見たか。これはあたくしの愛子夫いとこせなんだから……。)


 こういう時、佐久良売は短い口づけでは許さない。

 それが良くわかっている真比登は、長く、優しい口づけをくれる。

 どこまでいっても、優しい男なのだ。

 唇が。

 舌が。

 真比登の手が。

 優しい。

 肌のぬくもりも、息遣いさえも、真比登の存在全てが愛おしい。

 佐久良売は、頭の芯が愛の歓びで潤んだように、幸せな気分で満たされる。

 唇が離れた。

 目を開けると、真比登が微笑んでいてくれる。

 佐久良売も微笑み、そっと真比登に身を寄せ、


「許すわ……。」


 と真比登の胸を細い指でもじもじほじった。

 

 と、ぽかん、とこちらを見ている男女が目に入った。

 古志加と、その隣に立ち、古志加と同じ濃藍こきあい衣を着たおのこ。その若者は頭に藍色の布を巻いていた。

 まあ、おのこの事は良い。

 佐久良売の管轄ではない。

 でも、おみなは違う。


「衛士として戦えるけど、女官としても使えるってことね? 寝る場所は女官と一緒の場所が必要でしょう? 手配はこちらでやるわ。ついてきなさい、古志加。」


 かまわないわね? と従者を見ると、従者は無表情のまま頷いた。












 ↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076929159060



 ↓かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093084945416339





 



 

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