第二十九話 慰めて、其の二
さらに一年すぎた。
ある日、
それは日本側の商人が毛皮の代金として渡した塩壺の下半分に、巧妙に、白い砂利が敷き詰められていたという理由だった。
日本側の商人は、
「蝦夷の舌にはそれで充分だろう。こっちは交易をしてやってるんだ。」
と蝦夷は立派な毛皮を提供してくれるのに対し、ひどい言い草で……。
真比登はその性根の曲がった商人をよっぽど殴ってやろうかと思ったが、吉麻呂に、
「やめろ兄弟。オレ達の役目を思い出せ。蝦夷からの
と肩を
「わかった。」
と引き下がった。
蝦夷の怒りは凄まじく、話し合いで解決せず、小競り合いとなったのだ。
蝦夷が弓を使った。
「危ない!」
吉麻呂が真比登をかばった。
矢が、ぶつっ、と首に刺さった。
あってはいけない。
あってはいけない事だった。
吉麻呂が真比登をかばって、死ぬなんて!
「うわあああああ───! 嘘だ! 兄弟! 吉麻呂! 目をあけてくれ!」
口から鮮血をあふれさせ、遺言を遺す暇もなく、吉麻呂は黄泉渡りした。
「あんたのせいだ! 息子を返せ! こんな所に来るんじゃなかった。吉麻呂が、どうしてもって言うから。あんたは
あんたなんか、息子でもなんでもないよ!
返せっ! 吉麻呂を返せ! 返せ返せ返せ───!」
叫び、立ったまま動けない真比登に物を投げつけたあと、
「こんなところ、もう一刻もいてやるものか。出てくよ、田吉売!」
と田吉売に言ったので、真比登は、はっとして、
(田吉売だけでも!)
「でっ、出ていかないでくれ、お願いだ、ここに居てくれ、田吉売!」
と必死に懇願し、田吉売の手をとろうとした。
「触らないでっ!」
その手は田吉売にはねのけられた。
「……あんた、気持ち悪いのよ。家族に入りこんでこようとして。いつもあたしを見て。」
憎悪の目を向けられた。
その時になってやっと、真比登は
(吉麻呂を殺してしまったから、だけじゃない。ずっと、田吉売は、オレを憎悪していたんだ。)
「あたしと
その一言一言が、真比登に突き刺さった。
真比登は何も言えず、田吉売はそのあと一言も話さず、
「行くよ
と、言葉を残して、二年、暮らしたこの炊屋から、出ていってしまった。
真比登は、その場にうずくまり、泣き、夜半、部屋にもどり、昨日までは吉麻呂と二人で寝ていた寝ワラで、たった一人、また、泣いた。
───
と言ってくれた吉麻呂を思い出し、鼠のように泣いて逃げ惑う
時々愚痴をこぼしながらも、毎日畑仕事をし、家族に食べさせられる事を誇りにしていた親父。
時々親父に文句を言いつつ、親父を愛していた母刀自。
頼りにしていた、
優しかった、
(どうして、オレは生きているのだろう。
死んだほうがましだ。
吉麻呂ではなく、オレが死ねば良かったのだ。)
そうも思ったが、
───あたし達のぶんまで、幸せになってね、お兄ちゃん……。
その言葉の為に、真比登は生きていくしかなかった。
* * *
「……その後、
翌日、市に
(
家族の一員として紛れ込むような、図々しい態度は控えよう。
出会った当初は、オレはそう思っていたなぁ……。)
「八年一緒に暮らし、もう、
オレが今まで笑顔でやってこれたのは、この二人に支えてもらったからです。」
「真比登……。ぐすっ。」
佐久良売さまが
「悔しいわ……。あなたは、天下無双の勇士、高潔な人柄、あたくしの
「佐久良売さま……。」
(オレの天女。
オレは、泣きながらこのようなことを言ってくれる
十七歳で、鼠のように逃げ、泣き叫ぶ
それからは、
何を言われるか。どんな目で見られるか。それによって、カッとなった自分が手をあげてしまわないか……、と。
十八歳で、普通に話せる
二十歳で、再び己が
(それでも、心のどこかで。
広い秋津島に、一人くらいは。
素顔のオレを愛してくれる
淡い、淡い期待を抱いて。
ずっと。ずっと。
待っていた。
いつかそんな女と出会える事を。)
そして、佐久良売さまと出会えたのは、二十八歳になってからだ……。
真比登は、佐久良売さまの頬をつたう涙を、そっと指でぬぐった。
「あなたが泣くことはありません。
オレの
オレにはもう、あなたがいてくれるのだから。
「辛い思い出を話させてごめんなさい……。」
「いえ、いいんです。
……佐久良売さま。さっきも慰めてもらったばかりですが、もう一度、慰めてくださいますか。」
「良くてよ。」
やっと、悲しそうだった佐久良売さまが笑った。
(慈しみ深い笑顔。大好きだ。)
真比登もつられて笑い、佐久良売さまの胸に落ちた涙を唇で追いかけるべく、胸の谷間に顔を埋め、佐久良売さまの細い腰を抱きしめた。
(この良い匂いも。
うっとりする美貌も。
とろける抱き心地の身体も。
佐久良売さまが注いでくれる愛も。
今は全部、オレのものだ……。
愛しています。オレの
オレを愛してくれて、ありがとうございます。)
* * *
お姉さまへ。
今夜はじめて、お父さまが源と会いました。
はじめは、お父さまは不機嫌そうにむすっと口をつきだして無言。
源はすっごい笑顔で、
───美味しいです!
と出された食事を食べ続けるだけで、あたし、もうどうしようかと思いました。
そのうち、お父さまがぽつぽつ、口をききはじめ、何を質問しても源はぱっぱっぱー、と答え、途中から何を言ってるんだかわからない、難しいことをお父さまと話しはじめました。
源はずっと背筋を伸ばしてニコニコしてるのに、お父さまだけ、みるみる顔色が変わり、最後は、
───くっ、貴殿、何者だ。
と言って、その後はしきりに、
───
すぐに鎮兵やめて、うちの
もったいないなぁ。
すぐに戦力になるよ。
奈良にいってる長男、
優遇するよ?
なんならうちの娘もやるよ?
と言うので、
───お父さまっ!
と肩を叩いてやりました。
源は、いつか
───どうか、
とお父さまに頭を下げました。お父さまは沈黙のあと、
───うん、貴殿なら、良いよ。許そう。
……ただし、娘を奈良に連れていくのは、戰が終結してからにしてくれ。そこは理解してほしい。
と言って、寂しそうにあたしを見ました。
源は、
───
と言い、あたしは照れ、お父さまは、うっ、と目頭を押さえていました。
もう、佐久良売さまがお父さまを呼び出して、お話は済んでいるので、お父さまは断らないだろうとわかっていましたけれど。
そのお父さまの顔を見た時は、あたしもちょっと寂しかったです。
帰る源を送りに、屋敷の門を出て、あたしと源二人きりになった時に、
───
と、源は、あたしの唇に、ちゅっ、と素早く口づけをして、にこって笑ってから帰っていきました。
も───!
格好いいんだからああああああ!
唇って、口づけすると、ちゅっ、と音がするんです。
キャ──────ッ!
もうこれで、戦が終結したら、あたしは源の妻です。
やりましたわあああああああ!
あと今日はですね、小鳥売が恋を実らせました。自分から、愛しい男に、妻にしてって言ったんですよ。もう、あたし、見ててどきどき、どきどき、土器土器……。
あ、木簡がここまでですね。
今日はこれにて。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076214919192
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