第二十九話  慰めて、其の二

 

 さらに一年すぎた。




 吉麻呂よしまろ、二十一歳。

 真比登まひと、二十歳。

 田吉売たよしめ、十七歳。


 ある日、蝦夷えみしとの小さないさかいが起こった。


 それは日本側の商人が毛皮の代金として渡した塩壺の下半分に、巧妙に、白い砂利が敷き詰められていたという理由だった。

 日本側の商人は、


「蝦夷の舌にはそれで充分だろう。こっちは交易をしてやってるんだ。」


 と蝦夷は立派な毛皮を提供してくれるのに対し、ひどい言い草で……。

 真比登はその性根の曲がった商人をよっぽど殴ってやろうかと思ったが、吉麻呂に、


「やめろ兄弟。オレ達の役目を思い出せ。蝦夷からの鎮護ちんごだろ?」


 と肩をつかんでさとされ、


「わかった。」


 と引き下がった。

 蝦夷の怒りは凄まじく、話し合いで解決せず、小競り合いとなったのだ。

 蝦夷が弓を使った。


「危ない!」


 吉麻呂が真比登をかばった。

 矢が、ぶつっ、と首に刺さった。



 あってはいけない。

 あってはいけない事だった。

 吉麻呂が真比登をかばって、死ぬなんて!


「うわあああああ───! 嘘だ! 兄弟! 吉麻呂! 目をあけてくれ!」


 口から鮮血をあふれさせ、遺言を遺す暇もなく、吉麻呂は黄泉渡りした。







 和良比売わらびめは怒り狂った。


「あんたのせいだ! 息子を返せ! こんな所に来るんじゃなかった。吉麻呂が、どうしてもって言うから。あんたは疱瘡もがさ持ちでも良いヤツだからって吉麻呂が言うから、ここにいてやったんだ!

 息子面むすこづらしやがって!

 あんたなんか、息子でもなんでもないよ!

 返せっ! 吉麻呂を返せ! 返せ返せ返せ───!」


 叫び、立ったまま動けない真比登に物を投げつけたあと、


「こんなところ、もう一刻もいてやるものか。出てくよ、田吉売!」


 と田吉売に言ったので、真比登は、はっとして、


(田吉売だけでも!)


「でっ、出ていかないでくれ、お願いだ、ここに居てくれ、田吉売!」


 と必死に懇願し、田吉売の手をとろうとした。


「触らないでっ!」


 その手は田吉売にはねのけられた。


「……あんた、気持ち悪いのよ。家族に入りこんでこようとして。いつもあたしを見て。」


 憎悪の目を向けられた。

 その時になってやっと、真比登は響神なるかみ(カミナリ)に打たれたように、わかった。


(吉麻呂を殺してしまったから、だけじゃない。ずっと、田吉売は、オレを憎悪していたんだ。)


「あたしと夫婦めおとになりたいと思ってたんでしょう? ……疱瘡もがさ持ちなんて、ごめんよ。」


 その一言一言が、真比登に突き刺さった。

 真比登は何も言えず、田吉売はそのあと一言も話さず、和良比売わらびめは、


「行くよ田吉売たよしめ! ……本当に、こんなところに来るんじゃなかったよ。」


 と、言葉を残して、二年、暮らしたこの炊屋から、出ていってしまった。









 真比登は、その場にうずくまり、泣き、夜半、部屋にもどり、昨日までは吉麻呂と二人で寝ていた寝ワラで、たった一人、また、泣いた。


 ───大毅たいきになれよ、兄弟! どこまでもついてくぜ!


 と言ってくれた吉麻呂を思い出し、鼠のように泣いて逃げ惑う遊行女うかれめを思い出し、まだ疱瘡もがさのなかった、幸せだった幼い頃を思い出した。

 時々愚痴をこぼしながらも、毎日畑仕事をし、家族に食べさせられる事を誇りにしていた親父。

 時々親父に文句を言いつつ、親父を愛していた母刀自。

 頼りにしていた、真名足まなたり兄ちゃん。

 優しかった、大真須売おおますめ姉ちゃん。

 保保豆木ほほづき(ほおずき)が好きだった、可愛い同母妹いろも小麻須売こますめ



(どうして、オレは生きているのだろう。

 死んだほうがましだ。

 吉麻呂ではなく、オレが死ねば良かったのだ。)




 そうも思ったが、えやみで黄泉渡りした家族の無念を思うと、真比登は生きていくしかなかった。




 ───あたし達のぶんまで、幸せになってね、お兄ちゃん……。




 その言葉の為に、真比登は生きていくしかなかった。






   *   *   *




「……その後、和良比売わらびめ田吉売たよしめがどうなったかは知りません。

 翌日、市にはたらを買いにいきました。そこで買ったのが、小鳥売ことりめです。」


五百足いおたりと小鳥売には、保護する者として接しよう。

 家族面かぞくづらして、気持ち悪いって思われたら、また出ていかれてしまう。

 家族の一員として紛れ込むような、図々しい態度は控えよう。

 出会った当初は、オレはそう思っていたなぁ……。)


「八年一緒に暮らし、もう、五百足いおたりと小鳥売は、オレにとって大切な家族も同然です。

 オレが今まで笑顔でやってこれたのは、この二人に支えてもらったからです。」

「真比登……。ぐすっ。」


 佐久良売さまが柳眉りゅうびをゆがめ、悲しそうに泣いている。

 白珠しらたま(真珠)のような涙が頬を伝い、ぽたっ、と美しいはだかの胸元に落ちた。


「悔しいわ……。あなたは、天下無双の勇士、高潔な人柄、あたくしのつま相応ふさわしいおのこよ。取るに足らないおみなたちに虚仮こけされたなんて、許せないわ。」

「佐久良売さま……。」


(オレの天女。

 オレは、泣きながらこのようなことを言ってくれるおみなを、やっと見つけたのだ。)




 十七歳で、鼠のように逃げ、泣き叫ぶ遊行女うかれめに火鉢を投げつけられた。

 それからは、直垂ひたたれ無しではおみなと話ができなくなった。

 おみなが怖かった。

 何を言われるか。どんな目で見られるか。それによって、カッとなった自分が手をあげてしまわないか……、と。

 十八歳で、普通に話せるおみなは、和良比売わらびめ田吉売たよしめだけだった。

 二十歳で、再び己が疱瘡もがさ持ちである事実を思い知らされ、小鳥売をのぞいて、おみなの顔を見る事さえできなくなった。

 




(それでも、心のどこかで。


 広い秋津島に、一人くらいは。


 素顔のオレを愛してくれるおみながいるんじゃないかと。


 淡い、淡い期待を抱いて。


 ずっと。ずっと。


 待っていた。


 いつかそんな女と出会える事を。)


 そして、佐久良売さまと出会えたのは、二十八歳になってからだ……。








 真比登は、佐久良売さまの頬をつたう涙を、そっと指でぬぐった。


「あなたが泣くことはありません。

 オレのいも

 オレにはもう、あなたがいてくれるのだから。

 疱瘡もがさ持ちでも、愛してくれるあなたが……。」

「辛い思い出を話させてごめんなさい……。」

「いえ、いいんです。

 夫婦めおとですから。

 ……佐久良売さま。さっきも慰めてもらったばかりですが、もう一度、慰めてくださいますか。」

「良くてよ。」


 やっと、悲しそうだった佐久良売さまが笑った。


(慈しみ深い笑顔。大好きだ。)


 真比登もつられて笑い、佐久良売さまの胸に落ちた涙を唇で追いかけるべく、胸の谷間に顔を埋め、佐久良売さまの細い腰を抱きしめた。






(この良い匂いも。


 うっとりする美貌も。


 とろける抱き心地の身体も。


 佐久良売さまが注いでくれる愛も。


 今は全部、オレのものだ……。




 愛しています。オレのいも

 オレを愛してくれて、ありがとうございます。)


 




     *    *   *






 若大根売わかおおねめ土器土器どきどき日記。


 お姉さまへ。


 今夜はじめて、お父さまが源と会いました。

 はじめは、お父さまは不機嫌そうにむすっと口をつきだして無言。

 源はすっごい笑顔で、


 ───美味しいです!


 と出された食事を食べ続けるだけで、あたし、もうどうしようかと思いました。


 そのうち、お父さまがぽつぽつ、口をききはじめ、何を質問しても源はぱっぱっぱー、と答え、途中から何を言ってるんだかわからない、難しいことをお父さまと話しはじめました。

 源はずっと背筋を伸ばしてニコニコしてるのに、お父さまだけ、みるみる顔色が変わり、最後は、


 ───くっ、貴殿、何者だ。

 若大根売わかおおねめ、すごいよ、すごいおのこを見つけてきたよ……。


 と言って、その後はしきりに、


 ───鎮兵ちんぺいなのぉぉぉ? 

 すぐに鎮兵やめて、うちの務司まつりごとのつかさに来ない? 

 もったいないなぁ。

 すぐに戦力になるよ。

 奈良にいってる長男、三根人みねひとの配下においで。

 優遇するよ? 

 なんならうちの娘もやるよ?


 と言うので、


 ───お父さまっ!


 と肩を叩いてやりました。

 源は、いつか韓国からくにに渡り立身栄達を叶える夢の為に、陸奥国みちのくのくにに留まるつもりはない事、いずれ奈良にあたしを連れていきたい事を話し、


 ───どうか、若大根売わかおおねめをオレに下さい!


 とお父さまに頭を下げました。お父さまは沈黙のあと、


 ───うん、貴殿なら、良いよ。許そう。

 ……ただし、娘を奈良に連れていくのは、戰が終結してからにしてくれ。そこは理解してほしい。

 若大根売わかおおねめは大切な娘だ。くれぐれも、大事にしておくれよ。


 と言って、寂しそうにあたしを見ました。

 源は、


 ───天地乎乞禱あまつちにこいのむ韓国からくにのむらじのみなもとうけひをする。

 倉木くらきの若大根売わかおおねめを妻とした暁には、大事にする。

 言幸ことさきく。弥栄いやさかに。


 と言い、あたしは照れ、お父さまは、うっ、と目頭を押さえていました。


 もう、佐久良売さまがお父さまを呼び出して、お話は済んでいるので、お父さまは断らないだろうとわかっていましたけれど。

 古富根売ことねめお姉さま。

 そのお父さまの顔を見た時は、あたしもちょっと寂しかったです。

 

 帰る源を送りに、屋敷の門を出て、あたしと源二人きりになった時に、


 ───若大根売わかおおねめ


 と、源は、あたしの唇に、ちゅっ、と素早く口づけをして、にこって笑ってから帰っていきました。


 も───!

 格好いいんだからああああああ!

 唇って、口づけすると、ちゅっ、と音がするんです。


 キャ──────ッ!


 もうこれで、戦が終結したら、あたしは源の妻です。

 やりましたわあああああああ!


 あと今日はですね、小鳥売が恋を実らせました。自分から、愛しい男に、妻にしてって言ったんですよ。もう、あたし、見ててどきどき、どきどき、土器土器……。




 あ、木簡がここまでですね。

 今日はこれにて。


 若大根売わかおおねめより。














↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076214919192

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