第二十八話  慰めて、其の一

 真比登は、夜、佐久良売さまの部屋を一人で訪れる。

 つまとして。


「遅かったわね。」


 佐久良売さまは、一人で浄酒を呑んでいた。


「すみません、五百足いおたりが妻を迎える、めでたい、と、宴になってしまって……。」


 たくさん浄酒を呑まされて、五百足いおたりが酒癖で泣き始め、ずっとオイオイ泣くので真比登が殴って気絶させるまでが一連の流れだ。


「宴、ね。韓国源からくにのみなもとも宴には間に合ったのかしら?」


 みなもとは、今宵、若大根売わかおおねめの父親に会いにいったのだ。


「はい、宴の半ばに戍所じゅしょへ戻ってきました。父親に婚姻を認めてもらったそうで……、ただ、戰が終結してから、と条件を出されたようです。まあ、戰の最中はいつ黄泉にぶらり逍遥しょうよう(お散歩)をするかわかりませんからね。」

「まあ。言い草。」

「はは、冗談です。五百足いおたりと源、二人の婚姻が決まった、めでたい、うべなうべな、と皆盛り上がって、源も嬉しそうに騒いでましたよ。」

「そう、聞けて良かったわ。若大根売わかおおねめには、今夜、源と二人で父親と会ったら、あたくしのもとには戻らず、そのまま父親と過ごしなさい、と言い含めたから……。」


 佐久良売さまは白い須恵器すえきつきから、くっ、と浄酒きよさけをあおり、


「真比登、小鳥売ことりめから聞いたわ。小鳥売の前に、誰かと住んでいたの?」


 たおやかな笑顔で、真比登にそういた。

 真比登は瞬間的に息をつめ、眉をひそめた。


「その反応、女ね?」


 佐久良売さまが顔を横にそむけ、口元は冷たく笑いつつ、流し目で、真比登をにらんだ。

 そのような表情も、おのこをぞくりとさせる色香を放つ。


「あ、いや……。うん、おみなではあります……。」


 真比登は素直に白状する。


「お話し。」


 こほん、と佐久良売さまは咳払いをして、眉尻をさげ、


「……話して。」


 命令口調を緩める。そのような妻が可愛い、と思いつつ、


「佐久良売さま。」


 佐久良売さまの腕をとり、倚子から立たせ、ひきよせ、抱きしめる。


「真比登、話を……。」


 と佐久良売さまがわずかに抵抗するが、


「話します。だけど、先に、こうさせて下さい。慰めて……。」


 頬に口づけし、首もとに顔を埋め、佐久良売さまの良い匂いを鼻いっぱいに吸い込む。左手で、柔らかい感触を探し求め、胸元に手を彷徨さまよわせる。


「もう……。しょうがないわね。」


 佐久良売さまは抵抗するのをやめ、するりと身体の力を抜く。

 しなやかに首がのけぞり、真比登の口づけを受け入れる姿勢になり、柔らかく領巾ひれが床に落ちた。







 当時を思い出すのは、ちょっと、苦しい。

 話す前に、愛しいおみなの柔肌に触れ、慰めてもらいたかった……。






   *   *   *





 さ寝のあと、佐久良売さまの柔らかい胸の上に頭をのせ、安らぎながら、真比登は話しだした。


「オレは、十八歳になって、鎮兵ちんぺい伯団はくのだん小毅しょうきになりました。禄が増えた事だし、兵舎を出て、家を設ける事にしました。

 オレは、仲の良かった同僚に、一緒に暮らさないか、と声をかけました。

 そいつは、オレの一歳年上で、オレが鎮兵勝ち抜き戰で八百人中一位になった仕合を見て、オレが二十一歳になったら、きっとすぐに大毅たいきになれる、お前についてくぜ、と言ってくれました。

 吉麻呂よしまろという名前でした。」




   *   *   *





吉麻呂よしまろ! オレと一緒に住んでくれよ! 母屋おもやとは別に、広い炊屋かしきやがある、そこに家族皆で来ないか?」


 鎮兵ちんぺいの鍛錬の休憩時間に、十八歳の真比登は十九歳の吉麻呂に声をかけた。


「ええ?」


 人の良さそうな顔立ちの吉麻呂は、目をまるくした。


 真比登は、吉麻呂の父親が何年も前に黄泉渡りして、吉麻呂が、母親と同母妹いろも、三人で暮らしていると知っていた。


「オレ、一人暮らしになる。家事をしてくれる人が欲しい。

 特別な事をしてほしいんじゃない、普通に掃除をして、オレの分も食事を作ってくれれば良い。もちろん、その分の賃金はオレが出す。

 炊屋は、自分たちの家だと思って好きに使ってくれれば良い。

 うるさい事は何も言わない。

 ぜひ、来てくれ。」


 真比登は、疱瘡もがさのせいで、妻を迎える事は諦めていた。

 妻が持てないなら。


 家族が欲しい。


 切実にそう思った。

 慈しみ、いたわりあう、家族のぬくもりがほしかった。


「うーん、母刀自に相談してみるよ!」


 そう言った吉麻呂は、翌日、良い返事をしてくれた。


 そうやって、真比登と、吉麻呂と、母刀自・和良比売わらびめと、同母妹いろも田吉売たよしめ、四人で暮らしはじめた。


 田吉売たよしめは十五歳。そこまで見栄えのする顔立ちではなかったが、真比登は、顔はどうでも良かった。

 無口な娘だった。


 吉麻呂は本当に良い奴で、いつも明るく笑っていた。

 真比登の疱瘡もがさも、気にしないで接してくれた。

 ただ、真比登は和良比売わらびめと、田吉売たよしめの前では、疱瘡もがさ直垂ひたたれで隠した。


 真比登は、母屋で一人で食事をとるのがイヤで、


「オレも炊屋で、皆と一緒に食事をとりたい。食事の支度したくも楽だろう?」


 と炊屋にあがりこみ、一緒に夕餉をとる事を要求した。

 吉麻呂は、明るく笑ってくれたが、シワの深い和良比売わらびめの顔に、胡散臭うさんくさそうな色が走ったのと、田吉売たよしめが不快そうに顔を歪めたのに、気が付かなかった……。いや、気が付かないフリをした。


 とにかく、家族が欲しかった。


 家族の団らんに、滑りこみたかった。


 吉麻呂とは、兄弟のように。


 和良比売からは、息子のように。


 田吉売からは、兄のように、思ってほしかった。


 真比登が吉麻呂の家族と食事を共にする時、いつも吉麻呂が明るく話題をふってくれ、炊屋には笑い声が絶えなかった。

 真比登は、田吉売と目があうと、にっこりと笑いかけるようにした。

 そのたび、田吉売は、はっ、と息を呑み、顔を伏せた。



 真比登は、その、久しぶりの家族の団らんに同席させてもらううち、こう思うようになった。


(いずれは……。田吉売と夫婦めおととなれたら、どんなに良いだろう。

 そうだ。一緒に暮らして、オレの事を好きになってもらえば良い。

 そしたら、オレは家族と、妻を、いっぺんに手に入れられる。

 幸せだ。

 ここで、鎮兵として、ずっと暮らしていけば良い……。)



 一年すぎた。


 真比登は、直垂ひたたれを外してみた。

 和良比売は、ぎゃっと声をあげ、皺のよった顔で憎らしげに真比登を見た。

 田吉売はおびえた顔をして震えた。

 吉麻呂が真剣な顔で、


「真比登、すまない。直垂ひたたれはつけておいてくれ。」


 と言った。真比登は狼狽ろうばいし、


「すまない、もう外さない、ここを出ていかないでくれ、お願いだ! すまなかった……。」


 と三人に謝った。背中を向けた和良比売が、今にも荷物をまとめて出ていってしまう───。そんな気がしたからだ。

 吉麻呂はため息をつき、


「兄弟。出ていかないさ。」


 と言った。


 その頃は、吉麻呂と真比登は、兄弟、と呼びあっていた。

 和良比売と田吉売からは、真比登、と呼ばれていた。


 真比登は、庭で田吉売が重そうな荷物を運んでいると、


「オレがかわろう。」


 と積極的に荷物を運んでやった。

 直垂ひたたれで顔を隠しながらも、田吉売に、にこっと笑いかける事を続けた。


(黄泉渡りした母刀自は、オレの明るい笑顔が好きだと言ってくれた。きっと、たくさん笑っていれば、優しくしてれば、田吉売だって、オレのことを好きになってくれる……。オレの疱瘡もがさじゃない、中身を見て、田吉売。)


 田吉売は、必要最低限しか真比登と喋ろうとせず、真比登が笑いかけるたび、びくっ、として目を伏せた……。











 


↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093076214772993

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