第六話  土器土器日記、書いてます。

 若大根売わかおおねめ土器土器どきどき日記。


 お姉さまへ。


 佐久良売さまが、昼間、


 ───おまえも十七歳、そろそろ婚姻相手を考える年頃ね。

 戰が終わり、時が来たら、きちんと良い相手を探してあげるから、安心するのよ。

 陸奥国みちのくのくにに戻ってきたからには、あたくしは古富根売ことねめのぶんまで、あなたの幸せを見届けますからね。


 とおっしゃってくださいました。

 古富根売ことねめ姉さま。

 佐久良売さまは、乳姉妹ちのえもであるお姉さまを、忘れてはいらっしゃいません。

 あたしは嬉しくて、涙ぐんでしまいました。

 あたしとお姉さまの敬愛する佐久良売さまは、本当に慈愛に満ちた、素晴らしいお方です。


 あと何年かしたら、お父さまがあたしの婚姻相手を探してくださるのだろう、とぼんやり思っていましたが、佐久良売さまが自ら、あたしの婚姻相手を探してくださる名誉にあずかれそうです。


 ありがたい事ですが、あたしは正直、まだ、婚姻なんて考えられません。

 佐久良売さまが奈良から帰ってきてくださった。

 佐久良売さまにお仕えできる喜び。

 あたしには、それ以上の事なんて想像がつかないです。

 あたしは、つい。


 ───婚姻とは、そんなに良いものなのでしょうか。


 と佐久良売さまにたずねてしまいました。佐久良売さまは、


 ───良いものよ。毎日、安心できて、毎日、愛しい男の顔が見られるの。幸せよ。


 と、それはそれは幸福そうなお顔をなさいました。

 そのあと真面目な顔になり、


 ───でも、毎日、自分のもとに来てくれる男じゃないとね。

 男は何人も妻を持つものだから。


 と言いそえたので、あたしも、


 ───違いありません!


 とこたえて、二人で笑いました。

 佐久良売さまは、真比登さまを愛子夫いとこせとなさってから、明るい顔で毎日を過ごすようになりました。

 なるほど、婚姻とはきっと、良いものなのでしょう。


 でも、今日はその顔が曇り、恐ろしい鬼のようなお顔になりました。


 とうとう、真比登さまが副将軍殿と、過去、恋仲であったと、佐久良売さまの知るところになってしまったのです!


 佐久良売さまの怒りをこらえたご様子。大地に地震なゐふりが起こるかと思うほど、恐ろしかったです。


 あたしは、今まで噂を黙っていた事を謝り、許していただきました。

 安心して腰から力が抜けるかと思いました。


 佐久良売さまは、すぐに真比登さまのところにむかい、どうしたと思います?


 口づけです!

 口づけで、誰が真比登さまの愛を勝ち得ているのか、皆に知らしめたのです。

 佐久良売さまは、堂々と、真比登さまはおのれのおのこである、と宣言なさいました。

 かっこいいです。


 副将軍殿は、郷のおみなが忍び込んで、はだかを見せても、顔色一つ変えず突き返した。

 おみな之毛度しもと(鞭打ち刑)で罰せられたと噂になり、今日は厨屋くりやはその噂で持ち切りでした。


 副将軍殿は、きっとまだ、真比登さまが忘れられないのかもしれません……。

 お可哀想かわいそうに……。

 でも、真比登さまは心も身体も佐久良売さまのものです。

 佐久良売さまに、衆目のなかで口づけをされて、へろへろになり、倒れかけていました。


 真比登さまは、今頃、佐久良売さまとどのような話をなさっているのやら───。


 進展がありましたら、また、書きますわね、お姉さま。



 若大根売わかおおねめより。




    *   *   *




「殺伐とした戰場になった桃生柵もむのふのきで、これだけ幸せな話題で木簡もっかんを埋められるのは、ありがたい事よね……。」


 若大根売わかおおねめは木簡を丸くまとめながら、そう、一人部屋でひとりごちた。


 若大根売わかおおねめは、身の危険は感じていない。

 戰となってはいても、桃生柵もむのふのきが破られ、賊の手がここまで届く事など、あり得ない、そう思うからだ。


 ……本当は、届いた事がある。少人数で、蝦夷が、この長尾連ながおのむらじの屋敷まで押し入ってきた事があった。

 でも、あれはすぐに、兵士がおっぱらってくれた。

 女は、戰の表に立つ事はない。桃生柵もむのふのきの山の上、兵士たちに守られている長尾連ながおのむらじの屋敷にいれば、危ない事はないだろう。


 でも、負傷兵の手当は辛い。

 治療しても、次から次へと、連日、負傷兵が医務室に運びこまれる。

 そして思い知らされる。

 若大根売わかおおねめが直接、戰を目にしなくても、ここは戰場。

 蝦夷と戦っているのだ。


 いつまで続くのだろう。

 早く戰が終われば良いのに。

 なんで、さっさと蝦夷を退けられないの……。


「なんで戰なんてこの世にあるの……。」


 何度、この言葉を口にしたかわからない。ため息をつき、若大根売わかおおねめは、木簡を届けに、大庭へ行く。

 焚き火には、先客がいた。


 韓国からくにのみなもとだ。


 背が高くすらりとした若いおのこは、焚き火を見つめて、まだ、こちらには気がついてない。


(……どうしよう。このまま引き返して、お姉さまにふみを送るのは、また明日にしようか。

 お姉さまは許してくださるわよね。)


 みなもとには、つい先日、手を握られて、好きなおのこはいるの、って、かれた。

 なんで、そんな事訊くの。

 なんで、手を握ったの。

 大きな手。武器を沢山扱ってきた、かたい皮膚の手だった。

 思い返しても、恥ずかしくて、若大根売わかおおねめは頬が火照る。


(手を握るなんて。あたしを遊行女うかれめか何かと勘違いしているの。あたしは、陸奥国みちのくのくにというひな(田舎)にいる女官だけど、これでも、長尾連ながおのむらじさまに長く仕えるれっきとした家の出身なんですからね。)


 ……本当は、わかってる。

 あの人に、あたしを遊行女扱いして、蔑むような目の色は、ない。


 あたしは、あんな……おのこに手を握られるなんて、された事がなくて、ただただ、戸惑ってしまう。どうしたら良いかわからない。


 可愛らしい顔立ちで、博識の男は、あたしを見るとき、まっすぐな目で見る。

 大きな目で、目の力が強くて、あたしは、たじろいでしまう。


 ……あれ?


 でも、あのおのこ、まだ、真比登さまの名前を名乗っていた時に、医務室に百合の花束を持って現れ、佐久良売さまの手をとって、堂々と医務室から連れ出してなかったっけ?

 あたしは、夫婦めおとでもないおのこおみなの手を握るという行為に驚いて、


「ひょぉぉぉぉ〜!」


 と声をあげたけど、佐久良売さまから仰せつかった医療が終わってなかったので、佐久良売さまの後に付き従う事ができなかったのだわ。


(なんだ。手を握るのは、あたしだけじゃないじゃない。こんな、動揺して損した。あたしのバカバカバカ……。)


 あたしはズンズン、と焚き火のそばに歩いた。

 源が気がついて、振り向き、にっこり笑った。

 焚き火に照らされて、笑うと、さらに明るく人懐こい印象だ。


(うっ!)


 なぜか、あたしの心臓しんのぞうがビックリして、どくん、と跳ねた。


(な、な、何よ。笑顔を見たくらいで、なんでこうなるのよー!!)




 








↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074954264447

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