第五話  予想以上に効きました。

 もうすっかり陽は落ちている。

 庭にところどころかかげられた可我里火かがりび篝火かがりび)をたよりに、佐久良売さくらめは、伯団はくのだん戍所じゅしょへ続く小道を、イライラと歩いていた。


 さきほど取り調べをした、不埒ふらちおみなが、聞き捨てならない事を口にしたからである。


 取り調べが終わったのち、お付きの女官、若大根売わかおおねめを見たら、


「ひっ! 佐久良売さま!」


 と怯えられた。自分は相当、怖い顔をしていたらしい。


「お許しください、あたしも話を耳にしたことはあります。」

「……詳しく言いなさい。」

「副将軍殿が責めで真比登さまが受けです。

 塩売しおめが見たと言っていました。

 でも、佐久良売さまと真比登さまが婚姻なさる前の過ちであったともっぱらの噂です。」

「……なんてこと。」


 あまりの衝撃に、こめかみがドクンと脈うち、その時握りしめた筆を、うっかり真っ二つに折ってしまった。

 あれはもったいない事をした。

 若大根売わかおおねめが、


「ひぃ! 黙っていた事、お許しくださあい……!」


 と震えてその場に崩れ落ちてしまった。あたくしはそれを助けおこし、


若大根売わかおおねめ。あなたに非はないわ。……いくわよ。」


 と、まだ、兵士たちと夕餉をとり、帰ってこないつまのもとに向かったのである。

 今宵すれ違う兵ども、皆が皆、あたくしの顔を見たとたん、


「うっ!」

「げっ!」

こわ……。」


 と驚き、顔をひきつらせ、さっと道を譲るのはどうしたことか。


 戍所じゅしょについた。

 真比登はすぐに見つかった。兵士たちと同じ鍋を囲んで地面に座り、談笑している。

 真比登は、佐久良売を見て立ち上がり、


「佐久良売さま? どうした……ん……。」


 語尾が消え、たじたじとなった。

 あたくしはぱっとまわりを見渡す。

 副将軍殿はいない。


(いたら問い詰めてやろうと思っていたのに。まあ良いわ。

 真比登……、あなた本当に副将軍殿と色恋の仲なの? あたくしのっ! 愛子夫いとこせなのにっ! 悔しい、許せないわ。)


 カツカツ、早足でそばに近寄り、じとーっ、と真比登をにらむ。

 真比登はその視線をうけて、みるみる青ざめた。


(どうしよう、ここで大声で真比登を詰問きつもんしても良いけれど、おのこにとられたなんて、あまりに不名誉な事、皆に知られたくないわ。

 でも、真比登はあたくしのつまだって、広く皆に知らしめたい。)


 どうすれば良いのか。

 こうすれば良いのである。

 佐久良売は腹に力を込め、大声をだした。


「真比登っ! あなたはあたくしの愛子夫いとこせです!」

「はいぃ!」


 と怯えた声をだしたつまの襟首をつかみ、つま先立ちをし、一気に唇をうばった。


「う──────!」


 びっくりした真比登が肩を揺らす。

 かまわず、首に両腕をからめて、ちゅうう、と口づけを皆に見せつける。


 おわああああ!

 まただああ!

 どうして佐久良売さまはこうなんだ?

 すげえ───!

 うべなうべな───!


 と、まわりの兵士たちがどよめく。

 あたくしは満足し、唇を離し、まわりの兵士を見渡し、


「いい? これはあたくしのおのこですっ!」


 と宣言した。


 おおおおお……。


 と兵士たちから拍手が起こった。


「ふんっ!」


 あたくしは拍手のなか、胸をそらす。


(兵ども、思い知ったか。これで、真比登に手を出すおのこはいないでしょう。

 それにしても、おみなどころか、おのこにまで注意を払わなくてはならないって、どういう事なの。

 真比登の魅力に、あたくしは気が休まる暇がない。

 そういう事なのね?!)


 真比登が、真っ赤な顔で、


「ど、ど、どうして佐久良売さま、こ、こんな……。」


 と細い声を出した。眉尻を下げて困った顔は、可愛い。

 たくましく、無双の勇士でありながら、誠実で、素直で、深く愛してくれて、笑顔に愛嬌があって、一緒にいると幸せにしてくれる人。

 疱瘡もがさがあろうと、その魅力を損ねることにはつながらない。


 筋骨隆々の男でありながら、この困った顔を閨でされると、可愛いくて可愛いくて、あたくしはその唇に口づけしたくてたまらなくなるのだ。


(……この顔に副将軍殿もやられたのかもしれない。

 副将軍殿はあれだけの、奈良でもめったにいない美男なのに、やるわね真比登……。

 いや、これは噂。鵜呑うのみにしてはいけないわ、佐久良売。

 きちんと本人に釈明しゃくめいの機会を与えるべきよ。)


 あたくしは、かっ、と目を見開いて真比登を見た。


「いろいろ訊きたいのはこちらなのよ? このあと、すぐにあたくしの部屋に来なさい。すぐよ?」


 それだけ言って、くるりと背をむけ、ずんずん戍所をあとにする。

 若大根売わかおおねめは真比登に礼の姿勢をとってから、佐久良売に付き従う。

 背後では、


「オ、オレもう駄目……。」


 と今にも倒れそうな真比登の声と、


「わはは! 愛されてるってことだよ! うらやましいぜ! ……少し怖いけど。」


 と励ます、真比登の擬大毅ぎたいき(副官)、五百足いおたりの明るい声がした。





     *    *    *





 佐久良売さくらめさまの部屋に駆けつけた真比登まひとは、自分が佐久良売さまと婚姻する前、美貌の副将軍、大川おおかわさまと、男同士なのに恋仲を疑われていると知って、あんぐりと口を開けた。


(……あの、酔いつぶれて大川さまの部屋で起きた朝、女官に目撃された。あれが噂の発端ほったんか、チクショー!)


 ははは、と人の良さそうな笑顔を浮かべた大川さまの顔が脳裏にチラつく。無駄に綺羅綺羅しい顔をしおって。おまえのせいだ、となじってやりたい。


「なっ、なんですかそれは! ないないない! ないです!」

「そーおぉぉ? 副将軍殿はおみな見紛みまがう、美しいおのこよ?」


 佐久良売さまはじっとり、疑う視線で真比登を見る。


「そっ、それは認めますが、オレはおのこ御免ごめんです!」

「上司じゃない? せ。」


 佐久良売さまは、口にするのもはばかられるのだろう。苦々しい顔で言いよどみつつ、


せまられたりしたら、断りきれない、とか……、あるんじゃないの?」

「佐久良売さま! オレは迫られたこともないですし、もしそうなっても断りますって! そもそも、こんな疱瘡もがさ持ちを相手してくれるのは佐久良売さまだけですよ!」


 真比登は悲鳴のようにそう言い、ぱぱぱっと下袴を脱いだ。


(よりにもよって、おのことの事を疑われ、責められるなんて、あんまりだ! こうなったら、コレで信じてもらうしかない!)


 真比登は微動だにせず、犢鼻たふさきふんどし)もパーンとほどいた。それを誇示こじするため、己の尻を右手でパーンと打った。

 狙い通り、佐久良売さまの目は屹立した角乃布久礼つののふくれに釘付けになった。


「オレがこうなるのは佐久良売さまだけです! 信じてください!」

「うっ……。」


 佐久良売さまは真っ赤になって恥じらい、うつむいた。


(あれ? これ予想以上に効いてるんじゃ……。これならいける!)


 真比登は一歩踏み出し、


「信じてください!」


 力強く言うと、佐久良売さまはとうとう顔を覆って、


「信じるぅ……。」


 と小さな声を漏らした。


(良しっ!)


 真比登は安堵あんどし、佐久良売さまの両腕をとらえ、顔を覆った手を優しく外す。

 顔赤く、目の潤んだ、女らしい表情の佐久良売さまがいる。






 あとは口づけし、抱き寄せ、存分に、歓びを重ねる。






   *   *   *






 ───佐久良売さま。



 ───オレが恋うているのは、あなただけなんですから。


 ───戰場で、敵をほふってきてから、佐久良売さまの柔肌に身を沈めるのを、どんなに楽しみに、心を踊らせて帰ってくるか。


 ───きちんと、知ってください。


 ───美しい佐久良売さま。


 ───恋うています。


 ───オレの天女。


 ───もう、変なこと、疑っちゃ駄目ですよ。





 ───ああああっ。ひぃ…………。

 真比登。疑って、ごめんなさい。

   



    



    *   *   *





 著者より。


 ※真比登の真似をしてはいけません。

 ※拙作は公序良俗に反する行為を推奨するものではありません。


 真比登の行動はお下品ですが、真比登は、阿呆なことをして、恋人に「どうして男ってバカなの。」と言われつつも許してもらうという、男女のイチャイチャの楽しみを知らずに、この年齢まで来ました。

 遅ればせながら、青春をやり直しています。

 それは幸せなことです。

 真比登の為に必要なエピソードと思い、書いています。

 真比登が、これだけの事ができる幸福な関係を佐久良売と築いているのだと、どうぞ覚えておいてください。


 また、佐久良売は、真比登をリードすることが多いですが、お嬢様育ちであり、男性に野性的に迫られた経験がありません。

 真比登にこう迫られると、免疫がないため、可愛らしい、初々しい反応になってしまいます。

 そして佐久良売は、真比登のこういった男らしさも、大好きです。



    

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