第四話  部屋には洗濯女が出入りする。

 上野国かみつけのくに


 満月の夜。


 上毛野君かみつけののきみの屋敷のやぐらの上で、若い男女の衛士えじ夜番よるばんつとめている。

 おのこも、おみなも、ひいでた顔立ち、目が大きく、瞳は清廉せいれんな光を放ち、美男美女である。

 つと、おのこが、おみなのほうに身体を寄せ、ひくひく鼻を動かした。


古志加こじか、さっきからさせてる、この匂いってさ……。」

花麻呂はなまろ、わかる?」


 古志加こじか、と呼ばれたおみなはくすり、と笑う。普通は匂いを嗅がれるなんて嫌なものだが、おみなはこのおのこを兄のように慕い、気を許しているので、不快には思わない。


三虎みとらの匂い袋なの。」

「あの大変だった任務の、褒美にもらったってやつか。」

「うん。もったいなくて、いつもはしまってるんだけど、今日はなんだか、さみしくて……。持ち歩きたくなっちゃった。」

「良い匂いだな。」

「うん。」

「三虎も、大川おおかわさまも、陸奥国みちのくのくに戰場いくさばだもんなぁ……。」

「二人とも強いから、心配はしてないけど、早く無事に帰ってきてほしい。」

「そうだな。大川さまの事だから、陸奥国みちのくのくにでも、おみなに群がられて困ってるかもしれないぞ。」

 

 花麻呂が軽い口調で言うと、古志加こじかも、うんうん、とうなずく。


「うん、群馬郷くるまのさとを歩いてるだけで、知らないおみなから花束を捧げられる大川さまだもんね。きっと、そうだよ。」

「オレ、郷の見廻りのとき、五十歳くらいの郷のおみなが、ぽっと顔を赤らめて、団子を大川さまに捧げようとしたの、見たことあるぜ。」

「あたしも、見廻りのとき、六歳くらいの女童めのわらはが、あの若さま素敵ーっ、て叫んで、母親に口をふさがれたの、見たことある。」


 花麻呂と古志加は顔をみあわせ、ぷっ、と吹き出した。花麻呂が、


「あはは、大川さまらしいや!」


 と笑うと、古志加が、目を潤ませて、


「それで、三虎が、いつもムスッとした顔で、郷のおみなには、もう行けって言って、上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官には、しっ、しっ、て言って、追い払うの……。」


 と遠くを見た。花麻呂は苦笑する。


「早く、帰ってくると良いな? 古志加。」

「うん。待ってる。待ってるんだ……。」


 おみなは、濃藍こきあい色の衣の、腹のあたりに手をあてる。そこには、恋いしいおのこからもらった、匂い袋が忍ばせてある。

 満月を見上げ、


(会いたい、三虎……。)


 とおみなは思い、


(早く三虎が帰ってきて、妻か吾妹子あぎもこ(愛人)にしてもらえると良いな、古志加こじか。)


 とおのこは思った。




    *   *   *



 


 陸奥国みちのくのくに桃生柵もむのふのき


 夕刻。


 軍議のあと。大川が兵舎の部屋に戻り、扉を開けると、無人であるはずの部屋から、


「ふふ……。」


 おみなの含み笑いがした。

 大川は眉をひそめ、美しい切れ長の目を曇らせ、


「またか。」


 とつぶやいた。

 薄暗いなか、二十歳ごろの見知らぬおみなが、部屋の中央に立ち、にんまりと笑った。

 百姓ひゃくせいが着るような荒い衣を肩から脱いだ。

 上半身はだかとなり、豊満な乳房があらわになる。


「ねぇ……。抱いてくださいよぅ。」


 おみなは両手で乳房を持ち上げ、見せびらかした。


「ご無沙汰なんでしょぉ……。」


 大川の後ろにいた三虎が、小走りに大川の横を通り過ぎ、おみなにむかって容赦なく右手をふりあげた。


「ひっ!」


 おみなおびえた声を出すのと、


「やめよ三虎!」


 大川が鋭く命じたのは同時。

 三虎はぴたり、と空中で手を止めた。


「怪我をさせるな。暴力をふるっておみなを連れ込んだと見えかねん。」

「これは浅慮せんりょ。失礼しました。」


 三虎は無表情で大川にこたえ、


「おい糞女くそおみなっ、大川さまの温情に感謝するんだな!」


 怒りがおさまらぬ、とばかりに、近くの倚子をめいっぱい蹴った。

 ガアン、と派手に倚子は倒れた。


「ひっ……、ひぃ……。」


 おみなは怯え、両手で身体を隠し、ぶるぶる震えた。大川は冷たい微笑を顔に貼り付け、穏やかに、


おみな、所属はどこだ?」


 ときいた。大川もこのおみなに不快感を持っているが、大川は感情を隠すのが上手い。

 その笑顔は凄まじいほどの美。幽玄に花開く、たえなる蓮の花のよう。

 おみなはつい、状況を忘れ、ぽーっと見とれた。


「しょ、所属……?」


 愚鈍な女に、三虎がチッ、と舌打ちし、


「誰に仕えてる? どこから来た。さっさと言え!」


 と厳しく問う。


「ひっ! あの……、桃生郡もむのふのこほり桃生郷もむのふのさとの者です。」


 大川は、


長尾連ながおのむらじの佐土麻呂さとまろさまのところへ行くぞ。」


 と三虎に申し付けた。


「はい。」


 返事をした三虎は、むしろおみなの身体をぐるぐる巻きにし、どこから出したか、荒縄でむしろの上から女を縛った。

 そのまま、大川と三虎とおみなは、長尾連ながおのむらじの屋敷に行き、桃生郡もむのふのこほりをおさめる豪族である、長尾連ながおのむらじ佐土麻呂さとまろに、涙と鼻水でべしょべしょの顔のおみなを突き出した。

 大川は厳しい顔で、大きな声で、


「こういった事は、今後一切ないようにしてもらいたい!」


 と言い放った。

 知らないおみなが無断で部屋に忍び込み、大川の愛を乞うのはこれが初めてではない。

 全て三虎が打擲ちょうちゃくのすえ部屋から叩きだし、その後は不問としてやったが、いい加減うんざりだ。

 本当、迷惑なのである。大川は、こういう手合てあいが大嫌いなのである。

 なので、決然とした態度を示しておきたかった。


 むしろをはがされて、公衆の面前で上半身をさらす形となったおみなは、羞恥のなか己の所業を後悔し、土の庭にしゃがみこんだ。

 その背中に、ぽん、と三虎がおみなの上衣を放った。三虎の情けである。


おみなのことは、あたくしに。」


 厳しい目をした佐久良売さくらめ佐土麻呂さとまろの後ろから進み出た。

 佐久良売と、その同母妹いろも都々自売つつじめは、この桃生柵もむのふのきで一番偉いおみなであり、おみなの管理は彼女たちの管轄となる。



   *   *   *




「だ、だって、噂で、軍監ぐんげん? と副将軍さまはもともと色恋の仲で、軍監にふられた今、傷ついた副将軍さまを落とす絶好の機会だって……!」

「はあああああ〜っ? 真比登まひとはあたくしのつまです! 刑吏けいり! 回数を追加しておやり!」



    *   *   *




 後日、佐久良売さくらめから大川に、おみなについて、いくつかの報告がもたらされた。

 おみなは、郷からの避難民で、ここで洗濯に従事するうち、大川を見たこと。

 洗濯仲間の女たちに、つまが戦場に出て夜がさみしい、おのこおみなの肌を見せればイチコロだ、と話していたこと。

 之毛度しもと(鞭打ち刑)で罰したこと。

 今後このような事がないよう、厳しくおみなたちに通達したこと。


 以上を持って、管理不届きを許してほしいと、報告は締めくくられた。





 これは桃生柵もむのふのきで噂となり、同じ目にはあいたくない、と、たくさんのおみな達がため息をついた。

 大川は美しく、立ち姿凛々しく、歩いているだけで、清雅せいがなる光りを放つよう。

 おみな達は、かねてから、大川が歩けば色目をつかい、遠目から見ては舌なめずりし、未婚既婚問わず、美貌の副将軍のお手つきになる事を望む者が多かったのである。


 しかしこれにて、大川の部屋に忍び込むおみなは皆無となる。






 


↓挿絵、其の一。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074842701734




↓挿絵、其の二。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074843035806

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