第七話  紙銭

若大根売わかおおねめ、会えて良かった。待ってたんだ。ほら。」


 源はニコニコしながら、手に持って眺めていた紙束を若大根売わかおおねめに見せた。


紙銭しせん。オレが用意したんだ。」


 紙に筆で六つの円を描き、銭、と文字を描いたもの。現し世ではただの紙だが、燃やして黄泉に届ければ、銭として、故人が使えるのである。


 お姉さまは喜ぶはずだ。母刀自も。ありがたい贈り物だ……。


若大根売わかおおねめのお姉さんに。」


 源は、紙銭を半分、渡してくれる。


「ありがとう。あたしの母刀自も黄泉にいるの。母刀自とお姉さまに、送らせてもらうわね。」

「うん。名前を訊いても良い?」

「良いわ。母刀自は、根売ねめ、姉は、古富根売ことねめよ。」

倉木くらきの根売ねめ倉木くらきの古富根売ことねめ

 紙銭しせん韓国からくにのむらじのみなもとが奉る。黄泉にて、魂安らけ。」

「えっ、むらじ……? かばねがあるの?」


 源は紙銭を火に焚べる手を止め、照れくさそうに、頭の後ろをかいた。


「皆には秘密……。オレの家、古い家なんだ。

 でも、今は、貧乏で、ただの平城京に務める役人の家だよ。

 全然、かばねがあっても、すごくない。

 長尾連ながおのむらじみたいな、立派な金持ちとは、まったく違う。

 だから、むらじは普段、名乗ってないんだ。でも、死者には嘘はつけないからね……。」

「また騙されたわ……。」


 あたしが睨むと、源は困ったように笑った。


「えへへ……。ごめん。もう、隠し事は何もないよ。」

「信用して良いの?」


 源は、はっ、と目を見開き、傷ついた顔をした。動揺し、瞳が揺れた。


「し、……信用して、ください。

 オレ……、信じてもらえてないんだね……。

 オレ、普段は、嘘なんてつかないよ。本当だよ。

 佐久良売さまを騙したのだって、オレは、嫌だって言ったんだ。

 こんなの、あとから言ったって、ただの言い訳に聞こえるだろうけど……。」


 源は、今にも消え入りそうに、うなだれた。

 あたしは、その姿をじっと見つめた。

 ……信じる事ができる。

 そう、思った。


「信じても、良いわ。でも、もう、次はないわよ。」


 源は、ぱっと顔をあげて、安心したように満開の笑顔になった。

 あたしもつられて、笑顔をかえす。


 ……ちょっと見つめあっちゃった。


 あたしの心臓しんのぞうが、とっとっとっ……、と早鐘を打っている。


 あたしは慌てて、目線を手元に落とし、渡された紙銭しせんを裏返した。

 当然だが、裏には何も書いてない。


「良く白い紙を持っていたわね……。」


 紙は貴重だ。公文書ならともかく、普段使いの紙は、裏表、使用することが多い。

 でも、紙銭は、死者に届けるもの。裏を使用した紙は使わない。


 という事は、みなもとは、真っ白い紙をこの戰場に持ち込んで来ていたのだ。


「良かったの? 紙なんて、高価なのに……。」


 あたしはまず、ばらした木簡を、火に放りこむ。


「オレね、七人兄弟の末っ子なんだ。長男の、まことぃって言うんだけど、まことぃが勉学が好きで、定期的に紙に文字を書けって言うんだ。

 木簡は、間違ったら削れば良いが、紙はいったん書いたら消せない。

 その緊張感がないと、生きた文字が書けなくなる。

 源、戰場であろうと、紙を持っていけ、って持たせてくれたんだ。

 とにかく、勉学と文字を愛してる兄なんだよ。

 オレは、木簡に書くのだって、文字は変わらないと思うんだけどね。

 若大根売わかおおねめはどう思う?」


 源は、優しい笑顔で、あたしを見る。


「お兄さまの言うこともわかるわ。でも、生きた文字を書きたいから、定期的に紙に文字を書けるのは、限られた人だけよね。」


(紙は貴重品だから……。)


 あたしは木簡を焚べ終わり、


(───母刀自。古富根売ことねめ姉さま。韓国からくにのむらじのみなもとから、紙銭をいただきましたわ。

 ありがたい事です。

 どうぞ、お使いください。黄泉で、あな安らけ。)


 心のなかで静かに祈りながら、もらった紙銭を焚べはじめた。

 高価な紙は、あっという間に燃え、灰となり、煙となり、夜空に昇る。


「うん、そうだよね。うちだって銭に余裕は……、いや、むしろ、カツカツなんだけど、もう目を血走らせて、まことぃったら、紙だ! 紙が必要なのだって言うもんだから……。」


 源はくっくっ、と楽しそうに笑った。


「上から四人目の兄が、わたる兄ぃって言うんだけど、イタズラ好きでさ、そんなに紙が好きか、じゃあ水に漬けてふやかして、倍に増えるかためしてみよう、ってまことぃをからかうもんだから、まことぃが怒っちゃってさ……。

 あ、ごめん、オレの話ばかりしちゃったね。」

「かまわないわ。」


 あたしは、くすりと笑う。

 源は、家族の話をする時、とても楽しそうな顔で笑う。家族への深い愛情が見てとれた。


(いいな……。源のこの顔……。)


「家族のことが大好きなのね? 楽しい話だわ。」

「うん、大好きだ。オレの大事な家族。オレは、家族の為に……。」


 源は顔を赤らめ、


「ああ、駄目だ、また自分の話をしちゃった! 

 若大根売わかおおねめの話も聞かせて欲しい、です。

 お姉さんって、どんな人だったの?」

「お姉さまは、とても優しくて、しっかりした人だったの、母刀自は───。」


 あたしは話を続けた。

 いつの間にか、肩に入っていた力は抜けた。

 無理に手を握ろうとしたり、距離を詰めようとせず、礼儀正しい距離をあけて立ち、穏やかに紙銭を火に焚べる源に、やっとあたしは落ち着く事ができた。


 久しぶりに、古富根売姉さまと、母刀自の思い出を、気が済むまでたくさん、人に話した。

 源は、適切に相槌をうち、にこにこ笑顔で、きいてくれた。聞き上手なおのこだった。

 いつの間にか、すべて、紙銭は焚べ終わっていた。

 いつの間にか、会話が途絶え、二人とも黙った。

 あたしは、焚き火に照らされる源を、ただ、見ていた。


(背が、高いなあ。顔も飛び抜けて、整ってる。

 家族のことが大好きな、善良なおのこなのだわ。これで博識なんて、できすぎよね……。

 ───いや、待て。何か忘れてる。)


 あたしが急にむっすりした顔をしたので、源が、ん? と首をかしげた。


「あなた、前に、佐久良売さまの手を握ったわよね? 百合の花束を持って……。手を握るなんて、どういうつもりだったの?」

「ああ、うん? あれね?」


 源がイタズラっぽく、にやっと笑った。


「逃がさない為には、手を握るのが一番なんだよ。」


 源の手がさっと伸びて、あたしの右手をとった。


「きゃあ!」


 あたしの口からは小さな悲鳴がもれ、顔が瞬時に真っ赤になり、


「ふしゃ───っ!」


 威嚇し手を払い、


「軽々しくおみなの手を握ってはいけません!」


 その場をぱっと逃げ出した。


「あっ、ご、ごめん、怒らないで───!」


 と背中に声が聞こえたが、ふんだ、ふんだ! 知りません!


 びっくりしたじゃない。

 心臓しんのぞうの早鐘がおさまらないじゃない。

 もう、顔から湯気が出そうよ。どうしてくれるの……。

 バカバカバカバカ。

 いきなり手を握って、驚かせたりしないで。


「はあっ、はあっ……。」


 力いっぱい走ったので、息が乱れた。

 顔がまだ赤い。


「うう……。」


 なんで、だろう。

 頭に、源の顔ばかり浮かぶ。

 優しい笑顔。

 家族の話をする楽しそうな顔。

 イタズラっぽい悪い笑顔。

 それだけじゃない。前に見せた、縁談の席での、きりっとした頭の良さそうな顔。

 あの蝦夷えみしの娘の背中で、手が触れ合って、拒絶した時の、悲しそうな顔。


 ああ、なんで……?


 あたしはうつむき、顔を両手で覆う。

 源の顔ばかり思い返してしまう自分が、とにかく恥ずかしい。


 きっと、あのおのこが、いきなり手を握ったりしたせいだ。


 バカバカバカバカ……。










 ↓挿絵です。

 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093074954623299

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