第八話  皿は飛び赤鱗は踊る。

 嶋成しまなりは、幼少時は、普通の生活だった。


 奈良のこじんまりとした家に住み、父は武人で、生活には困らなかったが、家婢かひもいない、慎ましい暮らしぶり。

 その頃は、名前だって、丸子まるこの嶋成しまなりだった。

 丸子ってくそのことな。


 八歳の時から、父が出世しはじめ、十歳で、ぐん、と世界は変わった。

 丸子の名前は、道嶋連みちしまのむらじ道嶋宿禰みちしまのすくね、と変わり、家は大きなところに引越し、どさっと家婢が増え、贅沢をしても、しても、しても、何も注意されず、むしろ、もっと金を使え、どんどん使え、と上機嫌な父から言われた。


 父は、すごく偉くなったのだ。


 オレは、へこへこ、媚びへつらう連中に囲まれるようになった。

 父から豊富に与えられた財貨を、気前よく与えてやると、そいつらは、オレを褒めそやし、たぬき踊りでもなんでもした。 


 オレは教養を身に着けろ、と、博士や武芸の師をつけられたが、オレが励んでも、適当にやっても、


「嶋成さまは何でもおできになりますねぇ。」


 と、褒められたので、


(なあんだ。オレはちょっとやればできるんじゃん。流石、オレだぜ!)


 と、オレは勉学にも武芸にも、打ち込むという事を知らず、ただ遊ぶことだけを求め、わいわい楽しく日々を過ごし……。


 二十一歳になった。


 おのこが正式に、一人前と見られる年齢である。


 七月。


 桃生柵もむのふのきが、蝦夷から突如、攻められた。


 その知らせを聞いて、平城京の采女うねめであった、陸奥国みちのくのくにの桃生もむのふのこほり少領しょうりょうの娘が、桃生柵もむのふのきに帰ってきたという。


 なんでも、二十歳はとうに過ぎているが、驚くほどの美女らしい、と噂になった。


 オレは取り巻き連中から、詳細な噂をきいた。


 そのひいでた美女は、奈良で山のように言いよってくるおのこに一切とりあわず、どんなたふときおのこにも、なびかないという。


「ふ───ん。本当に美女なんだろうな?」

「そりゃあもう、保障しますよ! 目玉が飛び出るくらいの美女だそうで!

 そんなおみなを見ちゃった日にゃあ、ほーれ、ぽーん、オレは鯉になって池に飛び込んでしまいますってね! そーら、ぽーん、そーら、ぽーん!」


 そう言いながら、その阿呆な取り巻きのおのこは、近くにいたおみなに、手当たりしだい、がば、と抱きつきはじめ、


「やだー!」


 と女たちに叩かれた。それを見て、取り巻きも、オレも、皆、


「わははは!」


 と腹をかかえて笑ったものだった。そして、


(そんなおみななら、オレの妻にふさわしいんじゃないか? そうに決まってる!)


 と思ったオレは、父親に、佐久良売さまとの縁談を申し込んだんだ。

 父親は、そっけなく、了承した。





 ……あの時は、オレは気がついてなかったが、遊ぶばかりの放蕩息子に、父親は辟易しはじめていたのだろう。

 この頃、父親のオレに対する態度は、淡白なものだった。





   *   *   *





 桃生もむのふのさとに、予定より早くついたオレは、近くの森で、狩りをする、と宣言をした。

 オレの我が儘になれた取り巻きたちは、はい、とすぐに狩りの準備をした。なかには、


「今は戰中です、危ないですよ。」


 と言う者もいたが、


「はっ、蝦夷何するものぞ! もし賊にでくわしたら、オレが全部刈り取ってやる。わっはっは。」


 とオレはとりあわなかった。オレはのびのびと狩りをし、敵には出くわさず、鹿を一頭とらえた。血抜きをしている最中、打ち捨てられた山中の郷を、


(この後会う縁談相手に、鹿を狩ったいさおをどう自慢してやろうか。)


 と考えながら、ぷらぷら歩いていると、一軒だけ、壁が修理された家があるのを見た。

 興味がわいて、無人のその家のなかに入ってみた。

 最近まで人が来ている気配が、整えられた部屋のなかから窺い知れた。

 干し肉まであった。


「はん。」


 一枚失敬すると、変わった味の干し肉だった。

 阿倍橘あべのたちばなだいだい)を味付けに使用している。

 変わり者が宿にしてるのかもしれない。


(戰の最中に、一軒だけ、避難してないのかな。命知らずだな。そのうち、蝦夷に襲われて死ぬだろうに。)


 避難をうながしてやるか? とも思ったが、一枚の干し肉を食べ終わるまで、誰も住人は帰ってこなかった。


 飽きた。


 オレは、さっさとその貧しい家をあとにし、それきり、その家の事は忘れた。





 ……まったく、人生、何がどう役に立つか、わからないものだ。






    *   *   *





 縁談で初めて会った佐久良売さまは、たしかに、とても美しかった。奈良で磨かれた美貌は、ここらのひな(田舎娘)とは雲泥の差だ。

 つん、と顎をそらし、笑顔ひとつ浮かべない、愛嬌のない女だったが、これだけ顔が良いのだ。その態度も許せる。

 だが、許せないのは、その体型の細さ。

 嶋成は、ふくよかなおみなのほうが、富貴を感じさせて、美しいと思う。


(顔は申し分ないんだけどなぁ。体型がもったいないな。まっ、沢山食べさせて、太らせれば良いか。そしたら……むふふ。)


佳人かほよきおみなですね。年増なのは仕方ないとしても、枯れ枝みたいな体形なのは、良くありませんね。妻となったら、もっと食べてください。」





 オレは、ただ、そうするべきだ、と当然の事を言った……つもりだった。

 うう、今から思い返すと恥ずかしい。

 オレが鯉になって池の底に沈みたい。

 ぼちゃん。






 佐久良売さまは、ギリギリッ、と恐ろしい顔でこちらをにらみ、オレは、その迫力に、うっ、と息を呑んだ。


正四位上しょうしいのじょうの陸奥国みちのくのくにの大国造おおくにのみやつこの道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋足しまたりさまの息子、嶋成しまなりさまなら、もちろん聡明でいらっしゃるでしょう。

 これはご存知かしら?

 ※靈臺廣宴れいだいくわうえんひらき、寶斝琴書ほうかきんしょを歓ぶ。てうおこ青鷥せいらんの舞。

 は踊らす赤鱗せきりんの魚。」

「は……?」


 勉学をさぼってきたオレは、目を白黒させ、ぽかん、と口をあけた。

 その口に、


「これがは踊らす赤鱗せきりんの魚よっ!」


 と皿ごと川魚の煮付けが飛び込んできた。なんと佐久良売さまが、机に並んだご馳走の皿を、オレの顔面に投げつけてきたのだ。


「ぎゃー、佐久良売ぇ! なんて事を!」


 佐久良売さまの父親、佐土麻呂さとまろさまは蒼白になり、オレの父親も、


「むおっ……。」


 と驚いていた。オレはいきり立ち、口にはいった魚を、ほがっ、と吐き出し、顔から甘辛い煮付け汁をしたたらせながら、


「何するんだ、こんちくしょう! こんな縁談、こっちからお断りだ!」


 と怒鳴り、挨拶もせずその場をあとにした。

 縁談は壊れた。

 帰り道、屋敷の一角からモクモクと煙があがり、女官や下人がざわついていたのが見えたが、そんな事、この腹立たしい屈辱の前では、どうでも良かった。










↓挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093075179497673



   *   *   *   




 ※霊台れいだい(うてな)で盛大な宴を開き、立派な酒杯しゅはいに琴をだんじ作詩する事を喜ぶ。

 ちょうの国では青い鳳凰の舞を舞いはじめ、の国では音楽を奏して赤い鱗の魚を淵から躍り上がらせた。

 



 懐風藻かいふうそう  箭集宿禰蟲麻呂やつめのすくねむしまろ




 参考

 古代歌謡集  日本古典文学大系  岩波書店


 

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