第八話 皿は飛び赤鱗は踊る。
奈良のこじんまりとした家に住み、父は武人で、生活には困らなかったが、
その頃は、名前だって、
丸子って
八歳の時から、父が出世しはじめ、十歳で、ぐん、と世界は変わった。
丸子の名前は、
父は、すごく偉くなったのだ。
オレは、へこへこ、媚びへつらう連中に囲まれるようになった。
父から豊富に与えられた財貨を、気前よく与えてやると、そいつらは、オレを褒めそやし、たぬき踊りでもなんでもした。
オレは教養を身に着けろ、と、博士や武芸の師をつけられたが、オレが励んでも、適当にやっても、
「嶋成さまは何でもおできになりますねぇ。」
と、褒められたので、
(なあんだ。オレはちょっとやればできるんじゃん。流石、オレだぜ!)
と、オレは勉学にも武芸にも、打ち込むという事を知らず、ただ遊ぶことだけを求め、わいわい楽しく日々を過ごし……。
二十一歳になった。
七月。
その知らせを聞いて、平城京の
なんでも、二十歳はとうに過ぎているが、驚くほどの美女らしい、と噂になった。
オレは取り巻き連中から、詳細な噂をきいた。
その
「ふ───ん。本当に美女なんだろうな?」
「そりゃあもう、保障しますよ! 目玉が飛び出るくらいの美女だそうで!
そんな
そう言いながら、その阿呆な取り巻きの
「やだー!」
と女たちに叩かれた。それを見て、取り巻きも、オレも、皆、
「わははは!」
と腹をかかえて笑ったものだった。そして、
(そんな
と思ったオレは、父親に、佐久良売さまとの縁談を申し込んだんだ。
父親は、そっけなく、了承した。
……あの時は、オレは気がついてなかったが、遊ぶばかりの放蕩息子に、父親は辟易しはじめていたのだろう。
この頃、父親のオレに対する態度は、淡白なものだった。
* * *
オレの我が儘になれた取り巻きたちは、はい、とすぐに狩りの準備をした。なかには、
「今は戰中です、危ないですよ。」
と言う者もいたが、
「はっ、蝦夷何するものぞ! もし賊にでくわしたら、オレが全部刈り取ってやる。わっはっは。」
とオレはとりあわなかった。オレはのびのびと狩りをし、敵には出くわさず、鹿を一頭とらえた。血抜きをしている最中、打ち捨てられた山中の郷を、
(この後会う縁談相手に、鹿を狩った
と考えながら、ぷらぷら歩いていると、一軒だけ、壁が修理された家があるのを見た。
興味がわいて、無人のその家のなかに入ってみた。
最近まで人が来ている気配が、整えられた部屋のなかから窺い知れた。
干し肉まであった。
「はん。」
一枚失敬すると、変わった味の干し肉だった。
変わり者が宿にしてるのかもしれない。
(戰の最中に、一軒だけ、避難してないのかな。命知らずだな。そのうち、蝦夷に襲われて死ぬだろうに。)
避難をうながしてやるか? とも思ったが、一枚の干し肉を食べ終わるまで、誰も住人は帰ってこなかった。
飽きた。
オレは、さっさとその貧しい家をあとにし、それきり、その家の事は忘れた。
……まったく、人生、何がどう役に立つか、わからないものだ。
* * *
縁談で初めて会った佐久良売さまは、たしかに、とても美しかった。奈良で磨かれた美貌は、ここらの
つん、と顎をそらし、笑顔ひとつ浮かべない、愛嬌のない女だったが、これだけ顔が良いのだ。その態度も許せる。
だが、許せないのは、その体型の細さ。
嶋成は、ふくよかな
(顔は申し分ないんだけどなぁ。体型がもったいないな。まっ、沢山食べさせて、太らせれば良いか。そしたら……むふふ。)
「
オレは、ただ、そうするべきだ、と当然の事を言った……つもりだった。
うう、今から思い返すと恥ずかしい。
オレが鯉になって池の底に沈みたい。
ぼちゃん。
佐久良売さまは、ギリギリッ、と恐ろしい顔でこちらをにらみ、オレは、その迫力に、うっ、と息を呑んだ。
「
これはご存知かしら?
※
「は……?」
勉学をさぼってきたオレは、目を白黒させ、ぽかん、と口をあけた。
その口に、
「これが
と皿ごと川魚の煮付けが飛び込んできた。なんと佐久良売さまが、机に並んだご馳走の皿を、オレの顔面に投げつけてきたのだ。
「ぎゃー、佐久良売ぇ! なんて事を!」
佐久良売さまの父親、
「むおっ……。」
と驚いていた。オレはいきり立ち、口にはいった魚を、ほがっ、と吐き出し、顔から甘辛い煮付け汁を
「何するんだ、こんちくしょう! こんな縁談、こっちからお断りだ!」
と怒鳴り、挨拶もせずその場をあとにした。
縁談は壊れた。
帰り道、屋敷の一角からモクモクと煙があがり、女官や下人がざわついていたのが見えたが、そんな事、この腹立たしい屈辱の前では、どうでも良かった。
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093075179497673
* * *
※
参考
古代歌謡集 日本古典文学大系 岩波書店
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