第四十話  やうやう寄り来

 陸奥みちのくの  安達太良あだたら真弓まゆみ


 かば


 やうやう  しのび忍びに



 美地乃久之みちのくの  吾田多良真弓あだたらまゆみ

 吾引者あがひかば

 他宇々々与里古やうやうようこ 志乃比々々々仁しのびしのびに



 陸奥の安達太良あだたら真弓まゆみ、あたくしが引いたら、だんだんこっちへいらっしゃい。そっと、そっと……。



 ※安達太良あだたら山のまゆみから作った弓は、優れた弓としてもてはやされた。





     *   *   *





 嶋成しまなりは、まだ足が少しふらつく真比登まひとを、兵舎の部屋に送り届けたあと、


「皆に、真比登の目が覚めたって報告するから。たたらき日をや(さようなら)。」


 といなくなった。

 真比登まひとは手早くもとどりを結い、ひとり、寝床に横になった。

 右腕を触る。……くれないの飾り布がない。


(無くしたのか……? 誰か洗濯してくれたのか。オレの手元に返してほしい……。)


 落ち着かない気分でいると、


佐久良売さくらめさまのおとないです。」


 と、佐久良売さくらめさま付きの女官の声が、扉の外からした。





     *   *   *




 佐久良売さくらめは、お付きの女官、若大根売わかおおねめを伴い、真比登まひとの部屋に入った。

 それなりの広さがある。

 机、倚子、寝床。部屋の奥の目立つ場所に、挂甲かけのよろい一式と、弓、大刀たち、それと、金槌かなづちを大きくしたような、見慣れない大岩の武器が飾ってある。


 武具が派手で立派なのに対し、部屋は簡素だ。

 唐櫃からひつ(大きな物入れ)があり、背の低い簡易な棚があり、棚に、乾燥させたほほづき(鬼灯ほおずき)が土師器はじきの花瓶に飾られ、だいだい色の彩りを、つつましく部屋に添えている。


 ほほづきと、武具以外に、部屋の装飾はない。


 防虫の為であろう、山奈やまなのスッキリした匂いが薄く部屋に漂う。かすかに、甘く濃厚な丁香ちょうこうも感じる。


 真比登まひとは立ち、礼の姿勢で佐久良売さくらめを迎えた。

 顔色は悪くない。

 疱瘡もがさはあっても、男らしい凛々しい顔立ちに、逞しい身体。

 こうやって見ると、歴戦の武人らしい曜威ようい(威光を輝かす)の気配が、立ち姿から滲み出している。


(まったく、ただの兵士であると勘違いするとは。たしかに、挂甲かけのよろいは立派だった。きっと軍監ぐんげん殿の副官なのだろう、と気にもとめなかった。あたくしの目は節穴か。)


 佐久良売さくらめはジロリ、と真比登まひとを見た。


「寝てなくて平気なの?」

「はい。」

「じゃあこのたび、どうして名前を偽って縁談に来たのか、はっきり説明なさい。」


 真比登まひとは姿勢を正した。


佐久良売さくらめさま。オレは、みなもとにオレの名前を名乗らせて、佐久良売さくらめさまとの縁談の席につかせました。みなもとは悪くないです。

 オレは……、こんなですから、おみなとまともに喋る事さえ、楽ではありません。オレを見ると、皆、嫌そうな顔をしたり、とくにおみなは、疱瘡もがさを見ただけで、悲鳴をあげたりするから……。

 直垂ひたたれで顔を隠して縁談の席についても、オレの疱瘡もがさを見たら、郎女いらつめは驚き、ご不快な思いをさせてしまうと思いました。」


悪戯いたずらや、からかってやろうという悪意からじゃないのよね……。)


 真比登まひとと接していると、純粋さと初心うぶさを感じさせる。

 疱瘡もがさのことも、本人は相当、気にしているのであろう。それでも……。


「だからって、名前を偽って、他の者に縁談させて良いと思うの?」


 真比登まひと項垂うなだれた。


「……申し訳ありません。オレは、我が身可愛さに、縁談から逃げたんです。佐久良売さくらめさまを、どんなに傷つけることになるか、わからずに。全部、オレが浅はかだったせいです。」


(……縁談から逃げた、って聞かされると、やっぱり傷つくわね。)


 真比登まひとは申し訳無さそうな顔で小さくなっている。

 佐久良売さくらめは真比登を責めたいわけではない。真比登の心が知りたくて来たのだ。


 居丈高いたけだかおみな、怖いおみなと、好き放題に噂されていた自分が、縁談相手に常識外れな注文をつけた時、縁談相手や、周囲から、今後どんな目で見られるか、ある程度は覚悟はしていた。

 

(まさか、縁談から逃げられ、代理に立てられた配下と縁談する羽目になるとは思わなかったけれど……。)


 ムカムカしてしてきた。


「あたくしは年増なのに、縁談相手に我儘わがままな注文をつけ、怖いと噂のおみなですから、誰しも縁談などしたくないでしょう。嫌で嫌で、代理を立てたくもなるわね。」

「そんな、違う!」

「違わないわ。あなたがしたのは、そういうことよ。

 副将軍殿から縁談を押し付けられ、断りきれず代理を立て、挙句の果て、嘘がばれたら、妻問つまどい。優しいのね? 真比登まひと。」

「違う……!」


(違うの?)


 佐久良売さくらめは黙って、真比登を見た。

 

(どういうつもりで、妻問つまどいしたの? あなたは真実……、あたくしを恋うて、婚姻したいと思っているの? きちんと、真心まごころが見えなくては、嫌。教えて。あなたの心を……。)




     *   *   *




 真比登まひとは、緊張のあまり、どくどく、心臓しんのぞうが激しく脈打つのを感じていた。


 言わねば。

 恋していると。

 信じてほしい。 

 心は偽りではないと。


「心から、恋い慕っております。佐久良売さくらめさま。でも……。」


 ここまでは良い。

 でも、妻にしたい、と言うのは、オレが佐久良売さくらめさまを抱きたい、と言う事であって……。


 このような、美しい郎女いらつめを、オレのような、疱瘡もがさ持ちが抱きたいと思ってると知れたら、きっと、気持ち悪いと思われてしまうだろう。

 自分だって、身体を見るとき、疱瘡もがさは醜いな、とつくづく思ってしまうのだ。


(嫌だ。嫌われたくない。もう会話もしたくない、顔も見せるな、と言われてしまう……!)


 真比登まひとは、佐久良売さくらめさまにこの偽りを許してもらい、時々、花などを捧げに行って、会ってもらえたら……それだけで良い。


「けして、好色こうしょくな目で佐久良売さくらめさまを見ているわけではありません。オレなんかが、佐久良売さくらめさまをどうこうしたいとか、厚かましい事を思ってはいません! 信じてください。」



   *   *   *



「ん?」


 佐久良売さくらめは思わず、目を細めた。


(そこは、妻になってください、じゃないの?)


「あたくしを恋うてる……のよね?」

「はい。」

「あたくしにどうしてほしいと……?」


 真比登まひとは顔を真っ赤にして、うつむいた。小さな声で、


「と、時々……。あの……、文字を教えていただいたり……、会って、話などしていただけたら……。」


 そう言う間に、だらだらだら、と、大量の汗をかきはじめた。


「うん……?」


(会って話をする、だけ……。お友達なのかしら? たしかに恋してると聞かせてもらったけど……。)


 佐久良売さくらめは首をかしげる。


「んんん……?」


 これはどういうことであろうか?

 真比登まひと初心うぶすぎて、恋してます、と告げたあと、どうしたら良いのかわからないのであろうか?

 それとも、婚姻したいほど恋してはいない、ということか。

 そこまでではない、と……。


(あれぇ……?)


 盛り上がってた自分が馬鹿みたいである。


「………。」


(待つ、か。)


 自分から婚姻して、と言うのもしゃくだ。おみなから言ってはいけない、という決まりはないが、やっぱり、おのこから言って欲しい……。


 真比登まひとは、だらだら、汗をかき続けている。


「時々会うくらい、良くてよ。」

「あっ! ありがとうございます!」


 真比登は、ぱあっと大輪の花が花開くように明るく笑った。


(く……、笑顔が可愛い。その唇に、あたくしの唇を押し当てて、驚かせてみたい。

 その逞しい腕にかき抱かれて、今も身体の内側で燃え続けているちいさな熛火ほほが、どれだけあたくしを焦がすか、感じてみたい。

 こう思ってしまったら、おみなの負けよね。)


 今はまだ、妻にしたい、と口にしてくれなくても。

 いつか、心がもっと佐久良売に近づいて、


 ───どうしても妻にしたい、あなたはいも(運命の女)だ。


 と言って欲しい。それを、待とう。


 心が寄って来て欲しい。


 もしこれが、豪族のおのこなら、ふみをかわし、心を通わせていくところだ。


(でもこのおのこ、文字読めないのよー! だからふみを書く事はないけど……、もし和歌を作るとしたら……、やうやう、を、核としよう。それを導く為に、何を使おう。寄らせる為に引く、弓が良い。どこの地名を使おう。ここ陸奥みちのくで良いわ。)


 佐久良売さくらめは、くれないの手布をだし、真比登まひとに近づいた。


「あ、それ……!」

「そうよ。あなたの右腕でボロボロになった飾り布は、あたくしが引き取って、手布に断ちました。」

「申し訳ありません……。」

「いいのよ。」


 佐久良売さくらめ真比登まひとの額の汗を手布でぬぐった。


「あなたが生きていて、良かったから。」

「!」


 真比登まひとが目を見開き、まじまじと佐久良売さくらめを見つめた。澄んだ瞳の色でありながら、人生の悲しみを秘めた、深い眼差し。


陸奥みちのくの  安達太良あだたら真弓まゆみ 

 が引かば

 やうやう  しのしのびに)


「忍び忍びに……。」


 佐久良売さくらめはそれだけ言い、ぱっ、と真比登まひとから離れ、


「また明日も昼餉の時刻に、ここに来ます。療養なさい。たたら濃き日をや。(さよなら)」


 とかすかに微笑み、部屋をあとにした。



   *   *   *



「ほあぁ〜!」


 真比登まひとは一気に脱力し、寝床にどさっ、と仰向けになった。


 全身の血が熱い。


(許して……もらったのか?)


 嫌われてない。これからも時々会いたいと伝えたら、目を限界まで細め、何とも言えない表情で真比登を見たが、明日もこの部屋に来るって言ってくれた!

 最後の、忍び忍びに……は、意味がわからなかったが……。

 まだ縁が切れていない。

 優しい手つきで、汗を拭いてくれた。きらめく夜の宝玉ほうぎょくのような瞳で、真比登まひとをまっすぐ見てくれた。

 疱瘡もがさを気にせず、真比登まひと自身を。


「はぁ……。佐久良売さくらめさま……。」


 白く透き通った肌。

 桜色の唇。

 漆黒の艶を放つ黒髪。

 なんて美しい。

 あでやかな微笑みと、甘く清涼感ある香りを残し、去っていった佐久良売さくらめさまの面影が、いつまでも真比登まひとから消えなかった。



   *    *   *




 若大根売わかおおねめ土器土器どきどき日記。


 お姉さまへ。


 聞いてください! どうやら、佐久良売さまは、あの疱瘡もがさ持ちを……、いや、本当は軍監ぐんげん殿を、慕ってらっしゃるようです。

 今日、軍監ぐんげん殿の部屋から帰る時、あたし、


 ───佐久良売さま、あのおのこをもしかして……。


 と訊いてしまいました。佐久良売さまは、何もおっしゃいませんでしたが、にっこり微笑んで、頬が色づき、目が潤んでらっしゃいました。

 あんな美しい笑顔、初めて見ました。

 あたし達の敬愛する佐久良売さくらめさまは、本当にお綺麗です。


 でも、でもですね。

 あの軍監ぐんげん殿、年下の副将軍殿と道ならぬ恋に落ちているのです……。

 いえ、恋ではないのかもしれない。ただのイケナイたわむれの道なのかもしれません。

 きゃ〜!!

 いや〜!!


 副将軍殿がいくら美男でも、佐久良売さまが本気になれば、きっと軍監殿を振り向かせることができるはず、あたしは信じています!

 だから、ね。あたし、軍監殿が副将軍殿と深い仲なのは、佐久良売さくらめさまに黙っていようと思うのです。良いですよね? お姉さま。


 ああ、美男と貔貅ひきゅうと最高の美女、どうなるのでしょう?


 もちろん、佐久良売さくらめさまが最後に笑うのです。そうでなかったら、あの軍監殿、顔をいてやるんだから!

 今から爪をいでおきますわ。お姉さま。


 若大根売わかおおねめより。














 かごのぼっち様より、ファンアートを頂戴しました。

 かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093079816268053

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