第三十九話  うべな達の暗躍

 あれは、何だったのかしら?


 短い間、真比登まひとに強く抱きしめられた。

 普通なら、汗くさくて、血や埃まみれのおのこになど、触ってほしくない。

 それなのに、不思議と、佐久良売さくらめはまったく嫌じゃなく、真比登の腕の中で、己の身体の奥深くに、ぽっ、と小さな火の穂が燃え上がったのを感じた。


(あんなの初めて……。)


 過去、豪族のおのことどんなに深い仲となっても、このように感じたことはなかった。


 ───佐久良売さくらめさま、おのこにまったく心が動かされないって言ってたけどさ、今のあなたは、そんな風には見えませんよ。婚姻ができない、なんて、そんな風にご自分を思わないでください。


 この言葉は、胸に染みた。

 道嶋みちしまの宿禰すくねの嶋成しまなりさまの言う通りかもしれない。


 これも不思議なことだった。嶋成さまは、縁談の席で一度だけ会い、どうせ、もう二度と会うことはないだろう、と手酷てひどい扱いをした方だった。

 その方がこのように、一歩踏み出す力を与えてくれるなんて。


(ずっと、あたくしは、おのこを恋する心を欠落させて生まれてきたのだと思っていた。でも、違うのかもしれない。)


 騙されて、恨めしくて、それでも、黄泉渡りしてほしくない人。

 医師から、死なない、との言葉を聞くまで、ずっと不安で、もう大丈夫だ、と医師から言ってもらって、力が抜けて、その場にへたり込みそうになった。


 あたくしは、真比登が黄泉渡りしないでいてくれて、嬉しい。


 そう思えるおのこに、心を動かされる男に、初めて出会えたのかもしれない。


 真比登に抱きしめられた時に生まれた熛火ほほは、まだ消えず、身の内にある。

 ぽっ、ぽっ、と火の粉を舞わせながら、小さい火の穂は、じんわり、佐久良売の心を、温め、浮き立った心地にさせている。


 佐久良売は、つい微笑みながら、寝床に仰向けになった真比登の長い、胸下まである黒髪を、くしくしけずる。


(ふんっ、騙したこと、許さないんだから。ちゃんと説明してもらうんだからね。あたくしは怒ってるのよ。)


 そう佐久良売は口を尖らせるが。


(寝顔はあどけないわね。髪の毛は、まっすぐ硬いわ。手入れ不足ね。ちょっとパリパリしてるわよ。)


 真比登の寝顔を見ていると、ひとりでに頬が緩んでしまう。

 眉は凛々しい。左頬に疱瘡もがさがあるとはいえ、目鼻立ちは、おのこらしく整っている。隙だらけの寝顔は、わらはのようで、勇猛果敢な武人からはかけ離れて見える。

 真比登の髪の毛をくしけずるのが楽しい。

 これはどうしたことかしら……。


 まったく、戯奴わけ(目下の男)かどうかなど、気にしていた自分が馬鹿らしい。

 このおのこ郷人さとびと出身とはいえ、軍監ぐんげん殿ではないか!

 

(あたくしと身分が釣り合う。それがどういう事か、わかっているの? 真比登……。)


 医師の見立てでは、真比登は、明日には目を覚まし、後遺症も残らないだろう、という事だ。


(早く、目を覚ましなさい。そして、ちゃんと、話をしてよ。)


 どうして、縁談に代理をたてたか。その顛末てんまつを。

 あなたの気持ちを。


 妻にしたい、と言われはしたが、佐久良売は、あんな、その場の勢いの妻問つまどい(プロポーズ)は信じない。

 おのこは、妻、という言葉がおみなにとって、どれくらい効き目があるか知っていて、本気じゃなくても、妻にしてあげる、と言える生き物なのだ……。


(待ってるんだから……。)


 佐久良売は素早く、ちょん、と真比登の唇を人差し指でつついてやった。

 乾いて、男らしい皮膚の硬さと、唇の柔らかさを感じる。


「ふふっ!」


 肩をすくめて笑い、


「さっ! 厨屋くりやへお湯をもらいにいくわよ、若大根売わかおおねめ。」


 と背もたれのない倚子を立つ。普通は、負傷兵の身体は、水で濡らした布で清める。


(でも、お湯をつかってあげたほうが、気持ち良いはずよね。)


 お湯は、厨屋くりやでしか扱わない。


「この者の身体を清めるのは、あたくしがします。手出し無用よ。」


 しっかりまわりに宣言し、桶を持った佐久良売は、意気揚々と医務室をあとにした。

 真比登の衣の下はどんなであろうか? 丁寧に肌を拭ってあげよう……。

 これは医療の手助けの一環なのである。佐久良売が普通に負傷兵に行っていること。その範疇はんちゅうのことなのである。


 上機嫌の佐久良売が、お湯をもらい、若大根売わかおおねめをともなって医務室へ帰ると。


 よよ、と泣く女官がいて、さっぱり衣を改めた、寝たままの真比登がいた。


「どっ、どういう事、これはぁぁ〜ッ?!」


 佐久良売が桶を取り落としそうになりながら叫ぶと、女官が、


「さっき、六人ほどの兵士が、うべなうべな言いながらやってきて、真比登は肌をオレら以外に見せるのを嫌がるから、オレらが身体を清めます、そうしないと恥ずかしがって目を覚ますもんも覚まさなくなっちまう、わはは! って、あっという間に身体を清めて衣も取り替えて、去っていったんです〜!」

「止める暇もなくて……。」


 と女官達は泣き崩れた。

 佐久良売は涙目になりワナワナと震えた。


「あ、あんの野郎ども……!」


(よくも、あたくしの楽しみを……っ!)




    *   *   *



 その夜、佐久良売は、偽りの縁談の原因を作った副将軍殿に、恨み言たっぷりのふみを送りつけてやった。



    *   *   *



 副将軍、大川は自室でガタガタと震えた。


「これっ! これ、どうしよう! すっごい怒ってる、怨念が怖ぁいぃぃ!」


 大川に続き、佐久良売からの木簡もっかんに目を通した従者、三虎が、無表情に、


「大川さま、どうぞ。」


 墨、筆、木簡を用意した。


「………。書けたっ! 三虎、返歌をすぐお届けしてっ! 何か品物もお付けしよう。この部屋にある一番良い品物、何かな?」

「砂金の小袋ですね。」

「それで! 二袋つけて!」

「はい。」



    *   *   *



 佐久良売のもとに、副将軍殿の従者が、木簡もっかんを持ってやってきた。

 ふみをこちらから届けて、四半刻しはんとき(30分)もたっていないだろう……。


「主から、ふみと、砂金を預かってまいりました。お納めください。それと、兵士たちには箝口令かんこうれいをしきました。ご安心ください。」


 背の高い、無表情なおのこは、態度に昨日のことをまったくださない。

 佐久良売はほっとしつつ、少し気まずい。顔が赤くなりそうなのを抑えつつ、澄まし顔をした。


「そう。兵士がコソコソ噂をしないのは、重畳ちょうじょうね。」


(幸い、父上には、まだ、この偽りの縁談は、ばれていないみたい。良かった。

 余計な心労はかけたくない。)


ふみと、小袋をひとつ、頂戴しましょう。もう一つの小袋はいりません。これにて、許します。」

「主にかわり、感謝申し上げます。」


 従者はピシリと礼の姿勢をとり、佐久良売を必要以上に見ることはなく、帰っていった……。



 木簡には、


 姫由理之  知利麻我比多流  阿蘇乃山  可悔心駕  吾毛若尓


 君之随意




姫由理ひめゆりの  散りまがひたる


 阿蘇あその山


 ゆべき心か  あれもころ



 ───阿蘇の山に、姫百合ひめゆりが散りみだれている。後悔する心で散っているのだろうか。それなら、私も同じ想いである。


 君之随意きみがまにまに


 ───あなたの思い通りに。)



 と書いてあった。


「心づきなし。(心惹かれないわ〜。キザったらしいわ〜。)」


 佐久良売はそう思っただけだった。




    *   *   *


  


 大川の従者、三虎は、無人の簀子すのこ(廊下)で、後ろを振り返り、無表情のまま、一つため息をついた。


「ふぅ……。緊張した……。」




    *   *   *




 真比登まひとは、いきなり覚醒した。見知らぬ天井。


「……はぁ、はっ。……ここは……。」

「医務室よ。」


 寝床に寝かされた真比登を見下ろす人影がある。

 むっ、と唇を突き出した、不機嫌そうなお顔の佐久良売さまだ。


「佐久良売さま! 危ない……、大変なんだ、道嶋みちしまの嶋成しまなりがあなたを狙って……!」


 真比登は乾いた喉で懸命に言うが、ぷっ、と佐久良売さまに笑われた。

 横から、ぬっと鷲鼻のおのこが現れた。


「嶋成! おまえ、佐久良売さまを逆恨みして、身分を隠し、こっそり佐久良売さまに近づこうと……!」


 真比登は起き上がろうとして、くらり、と目眩めまいがし、寝床に倒れこむ。


「えっ? やめてくれよ。たしかに、道嶋宿禰みちしまのすくねであることは、大川さまに秘密にしてもらったけど、それは、ひとりのおのことして皆に見てほしかったからだ。佐久良売さまは、関係ないよ。」

「そうよ。嶋成さまを疑うなんて、どうかしてるわ。この方は、良い方よ。」

「えっ?」


 嶋成が驚き、


「えへへ。」


 でれっと笑った。


「ふふ。」


 佐久良売さまと嶋成は笑いあう。

 その仲の良い様子が憎らしい。

 真比登は嶋成をジロリとにらんだ。


「だから、誤解だって。佐久良売さまを逆恨みなんて、してない。オレは、自分を鍛えたくて、進士しんしとなっただけ。」


(じゃあ、嶋成は危なくない、のか……?)


 嶋成と、佐久良売さまのあいだでは、話し合いがすんでいるようだ。これなら、佐久良売さまに危害を加えるようには見えない。それでも、


「嶋成。いつでも見張ってるからな。変な気を起こすなよ。」


 真比登はすごむ。

 

。」


 嶋成はしょぼん、と下を向いた。

 佐久良売さまが、ツン、と顎をそらし、


「よくも人のことを言えたわね。名前を偽ったのはどこの誰? あたくし、怒ってるんですからね! みなもと!」


 と真比登にむかって顔をしかめた。

 佐久良売さまは、真比登が目を覚ましてから、真比登に対して、ずっと怒っている!

 真比登は慌てた。


(謝るのは今しかない!)


「さっ、佐久良売さま! オレは……、源じゃないんです。真比登、なんです。今まで偽ってて、本当に……。」

「まあっ! ここで長話を始めるつもりかしら? 

 ここは医務室よ。目が覚めたなら、今すぐ寝床をけなさい。まだふらつくでしょうから、明後日までは自分の部屋で静養するように、と医師からの言付ことづけです。───あとであたくし、部屋に行きますからね?」


 キロリ、と大蛇が目を光らせるような迫力で、佐久良売さまが言った。


「は、はいぃ! わかりました!」


 と真比登は寝床から全力で起き上がる。さら、と髪の毛が肩に落ちた。


(あれっ!)


 もとどりは、通常、人前で解かないが、医療(鍼治療)の為に解かれたのだろう。医務室にいる他の者も、髪の毛を解かれている。だから、おかしい事は何もないのだが、佐久良売さまにこの姿を見られている、と思うと、妙に恥ずかしい。

 そしてやっと、衣が昨日と違う事に気がつく。


(もしかして……?! 身体を見られた?!)


 真比登の身体には、無数の疱瘡もがさがある。


(嫌だ。絶対に見られたくはない。)


「あの……、あのう、オレの着替えって、誰が……?」


 嶋成が質問に答えた。


「昨日、伯団はくのだんの皆で着替えさせたよ。ここの女官には……、佐久良売さまにも着替えは見せてないから、安心してよ。」

「良かったァ……。ありがとう。」


 真比登は安心して脱力した。

 なぜかますます、険しい顔になった佐久良売さまが、


「ふんっ! 早く部屋に戻りなさい!」


 と嶋成と真比登を医務室から追い出した。










↓大川の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023211909884097




↓佐久良売の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818023212127594198

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