第三十八話  霊剋 〜たまきはる〜

 佐久良売さくらめさまが、道に放り出された真比登まひとにすがって、大泣きしはじめた。


「おい、久自良くじら汗志うしもやめろよ。」

 

 嶋成しまなりは喧嘩する二人のおのこの仲裁に入る。

 二人とも、伯団はくのだんの同僚だ。汗志うしが、


「あーっ! 嶋成! こんなところにいた! 探したぞ。おまえ、何したんだよ。真比登まひとがおまえを連れて来いって怒ってて……。」


 と言いつつ、


「真比登、そこにいるな……。これ、連れてきたことになるのか……? 」


 と首をひねった。ぼてんと肉付きの良い体型の久自良くじらが、


「おまえのせいで荷車の車輪が外れちまったよ! これじゃ運べない。」


 と怒り、ふうふう言いながら、しゃがみこんでしまった。見れば、肩に血がにじんでいる。戰場の刀傷であろう。


「きゃあああ! いや、いや、真比登まひとを医務室へ運んで! 死んでしまう! いや! いやあああ!」


 佐久良売さくらめさまが恐慌状態に陥って、首をふり叫んだ。


「落ち着いて! オレがおぶって運ぶ! そっちの方が早い!」


 嶋成は真比登まひとを背負った。


汗志うしは荷車を戍所じゅしょへ運べ。久自良くじらはあとからゆっくり医務室へ来い。」

「わかった。」

「助かる。」


 嶋成は、小走りで意識のない真比登まひとを運ぶ。

 佐久良売さくらめさまは、嗚咽をもらしながら、真比登まひとの顔が見える横の位置でついてくる。

 その悲しそうな顔を見て、嶋成は、どうしても言いたくなった。


佐久良売さくらめさま、おのこにまったく心が動かされないって言ってたけどさ、今のあなたは、そんな風には見えませんよ。婚姻ができない、なんて、そんな風にご自分を思わないでください。」


(それが、オレ相手じゃなくてもさ……。)


「……!」


 佐久良売さくらめさまは、驚いた顔をして、嶋成をまじまじと見た。

 ぽろ、ぽろ、と涙を流しながら、噛みしめるように頷いた。

 そのあとは、落ち着いて、医務室までついてきた。

 真比登まひとを医務室の寝床におろしてから、佐久良売さくらめさまは、ぱっと嶋成の方に来て、


「感謝します。嶋成さま。ありがとうございます、ありがとう……。」


 と嶋成の両手を握って、額に押し付け、お礼を言った。

 嶋成の手の甲に、佐久良売さくらめさまの熱い涙が落ちた。


「!」


 その涙の熱さは、直接、嶋成の胸の深いところまで、ぽとん、と染みてきた。


「い、いいんですよ……。」


 嶋成がぼんやり言うと、すぐに佐久良売さくらめさまは背をむけ、真比登まひとのところに向かっていった。たえなる残り香が鼻をくすぐる。

 もう、嶋成のことは見ない。






 ああ、これで、良かったんだなぁ……。


 




 一月ほど前、佐久良売さくらめさまに縁談でひどい扱いをされ、オレは怒った。

 オレが言った言葉が発端だ、とあとから考えが至ったが、その発言の前から、佐久良売さくらめさまは、オレを睨んでいた。

 貴族の息子である自分が、なぜ豪族の娘にはじめから拒絶されたのか、考えてみた。

 理由がさっぱりわからなかった。

 そして初めて、何不自由なく育てられてきた自分が、足りない人間であると。このままじゃいけない、と思ったんだ。

 オレは、オレを変える為に、ぬくぬくとした家を出て、親の力に頼らず、己を鍛えようと、ここに来た。

 佐久良売さくらめさまに、何を求めているかわからないまま。

 誇りを傷つけられて、悔しかったのか。

 生まれ変わった自分を見せて、見直した、と言わせたかったのか。

 ただ、謝罪させれば、気が済むのか。

 そうも思うが、それだけでスッキリするか、というと、違う気がする。

 もっと、オレの問題は根深いのだ。

 謝罪させて屈伏させればおしまい、そうではないのだ。


 そう思いつつ、賊に攫われ、辛く心細い思いをしたであろう佐久良売さくらめさまが気になって、早朝、百合を摘んで花束にした。

 自分で渡しにいく勇気がなくて、源に託した。

 花束を手にした佐久良売さまを一目見たくて、あとから五百足いおたりに拳骨をくらう覚悟で、稽古をサボり医務室に行った。

 

 そのあと、戍所じゅしょですれ違っても、オレを無視した佐久良売さまに、オレは……傷ついた。

 オレの顔を見たら、もっと何か、あるんじゃないかと。


 でも、佐久良売さくらめさまの世界には、オレはいないんだなぁ。


 多分、オレが毒にやられても、佐久良売さくらめさまは、あんなふうに取り乱したりしないだろう。


 それが、わかる。


 ちょっと、切ない。


 でも、やっとわかった。


「感謝します。嶋成さま。ありがとうございます、ありがとう……。」


 オレは、この言葉を聞く為に、ここに来たのかもしれない。


 胸が熱い。


(やべえ、泣きそう。)


 医務室に嶋成の仕事はない。嶋成は、こみあげてくる熱い思いを胸に、医務室をあとにした。

 




   *   *   *





 若大根売わかおおねめの土器土器日記


 お姉さまへ。


 お姉さま。いったい何が起こったのでしょう。

 米菓子を平らげたあたしが医務室へ行ったら、佐久良売さくらめさまがあの疱瘡もがさ持ちを、丁寧にお世話なさっていたのです、

 き髪にくしを入れる手つきは、他の負傷兵より格段に優しく、しかもお顔は、嬉しそうに微笑んでらっしゃるんです。

 このおのこは、副将軍殿と一緒になって、佐久良売さくらめさまを騙していたというのに。

 あたしが、つい、


 こんなおのこ佐久良売さくらめさまがお世話なさる価値はありません。


 と申し上げたら、佐久良売さくらめさまは穏やかに、


 良いのよ、黄泉渡りしてほしくないの。


 とおっしゃいました。

 佐久良売さくらめさまは優し過ぎます!

 疱瘡もがさ持ちは、快方に向かっていて、これなら、明日には目を醒ましそう、腕の傷も問題ない、と医師は申しておりました。


 そうそう、副将軍殿には、佐久良売さまが文をお書きになりました。




 上毛野かみつけのの 阿蘇山あそやまの池の 池の底 は忘れじ 君が聞こして いたもすべなみ 大地おほつちを ほのほと踏みて 立ちてて ゆくへも知らず 朝霧あさぎりの 思ひまとひて  霊剋たまきわる いのちねばぬべく 嘆きつるかも 


上野かみつけのの国の阿蘇山の池の底のように深く、あたくしは忘れません。

 あなたがおっしゃった言葉で、どうしようもなく辛く、大地をよろよろと、たたらを踏んで、居ても立っても居られず、どこへ行けばよいかわからず、朝霧で見えないなかをさまよい、命が消えるのなら、消えてしまうだろうというくらい嘆いているのです。)




 あたし、しっかり副将軍殿に届けてやりました。

 ふっふっふ、これくらい言ってやって良いのです。震え上がるが良いのです。

 そう、なんとも美しい副将軍殿について、ご報告しなければなりません。

 なんと、なんと、ご趣味がおのこなんです。

 塩売しおめが、今朝、この疱瘡もがさ持ちと副将軍殿がしどけない姿で密着していたのを、しっかと見たそうです。


 それを聞いた厨屋くりや激震げきしんが走りました。


 まさか疱瘡もがさ持ちを、あの美しい大川さまが、信じられない、と言う者もいましたし、あの疱瘡もがさ持ちはそんな趣味はないはずだ、と言う者もいました。

 しかし、なかの一人が、副将軍殿は疱瘡もがさ持ちでも私は気にならない、軍監殿は面構えだって良い、と言っていたと申告しました。

 若く美しき副将軍殿と、疱瘡もがさ持ちではあるが益荒男ますらおの年上男。

 何がどうなってどっちが攻め気なの、とあたしが塩売に訊いたら、何がどうなっては分からないが、あの体勢は副将軍殿が攻めである、と答えました。

 だから……、確定なのです。

 副将軍殿の為にも、あの益荒男は生き残って良かったのですね。


 あたしは、ふがふが寝てる益荒男の髪を、こっそり、えいー、と力いっぱい引っ張っておいたので、これで許してあげる事にします。

 だって、佐久良売さくらめさまが許したのなら、あたしはそれに従うだけですもの。


 ふう、今日は筆がはかどりましたわ。美男と貔貅ひきゅう、といったところでしょうか。満足ですわ。


 若大根売わかおおねめより。






    *   *   *





 ※霊剋たまきわるとは、命にかかる枕詞まくらことばです。


 

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