第三十二話  大川さまのご趣味

 三虎が大川の部屋に戻ると、床に大柄なおのこが仰向けになり、うんうんうなりながら、


「すまない……。オレの天女……。すまない……。」


 と寝言ねごとで繰り返している。三虎は主の部屋で醜態しゅうたいをさらす者が許せない。憮然ぶぜんとして、


「なんですかこれ。」


 とたずねると、大川はちょっと得意そうに笑った。


真比登まひとが酷い酔い方で、助けてほしい、私じゃなきゃ駄目だ、とみなもとが呼びに来てな。私が相手をして、鋭い一発をいれてやった。真比登まひとは満足そうだったぞ。

 今夜はここで寝かせる。」


 三虎は、はっ、と目を見開き、


「大川さま、とうとう、そういうご趣味が……!」

「はっ?! いや大概たいがいだな! 話を朝一番でしたいだけだよ!」

「そうです、か……?」


 と、真比登まひとがむくりと上体を起こし、


「オレなんて、しいなぬか(役に立たない残り物。かす。つまらないもの。)だ。

 オレは一生、おみな婚姻こんいんできないんだ!」


 と、ぼろぼろっ、と涙を流した。

 三虎は無表情のまま膝をつき、真比登まひとの後頭部を強く殴った。

 ぼぐっ、と打撃音が響き、


「あがっ!」


 と真比登は倒れた。大川は、


「あ。」


(三虎は躊躇ちゅうちょなく殴るな。真比登、ちょっと可哀想。)


 と思い、三虎は、


「こうしておけば良いんです。」


(ふん、大人しく寝てろ。)


 と思った。

 三虎は部屋の隅から、ごそごそと予備のふすま(ムシロで荒く編まれた掛毛布かけもうふ)を取り出し、真比登まひとにばさっとかけた。その背中に大川は訊く。


郎女いらつめは?」


 三虎が、大川を見た。振り返った顔は無表情。


「……ずっと泣いてました。そのまま部屋でお休みになったようです。人参と大黄だいおうを、衣代として渡されました。」

「そうか。ご苦労だった。衣代なんていらないのにな。」


 大川はふっと笑い、


(ずっと泣いてたのか……。)


「可哀想だな……。」


 と、ため息をついた。




    *   *   *




 朝。

 真比登まひとは見知らぬ部屋で目を覚ました。


(ここ、どこ……。)


 頭がズキリと痛む。

 顎もヒリリと痛い。胃の腑がむかむかとする。

 硬い床で寝かされている。

 ゆっくり昨日の記憶が蘇る。


(やっちまった。酔って暴れちまったな……。顎の痛みは、鮮やかに大川さまに打ち抜かれた名残りだな。)


 右手を後頭部にやると、たんこぶがある。

 これは心当たりがない。


「皆に大きな怪我をさせてなきゃ良いけどな……。」

伯団はくのだんの皆なら、あざはあっても、大事ない。」


 真比登まひとの独り言に、涼やかな声で返事があった。

 真比登は、がば、と上体を起こす。


「大川さま!」

「おはよう真比登まひと。ここは私の部屋だ。」

「おはようございます……?」


 衣の整った大川が、倚子に座って、微笑みながら、床の真比登まひとを見下ろしている。


 朝日が押し出し間戸まどから柔らかく射しこみ、大川の白い端正な顔を照らしている。

 なんだか、いつもより艶がある。


(なんでだ?)


 見ると、大川の髪が濡れている。水気をふくんでしっとり輝く髪が、ただでも美男の大川の色気を何倍にも引き立てている。

 大川からは高そうな香木と甘い花の……宇万良うまら(野いばら)の匂いが濃厚に漂ってくる。


 真比登まひとは、はっ! と自分の両肩を抱いた。


「えっ、オレ……? とうとうおのこと過ちを……?!」

「いやお前も大概だな。そんなわけあるか。」


 大川がじとっ、と半目になる。

 

「そうですよね。失礼しました。昨日はすみませんでした。オレ、暴れてしまって……。お怪我はありませんか。」

「ああ。暴れた事は気にするな。

 真比登、話をしよう。私の部屋に酔ったおまえを運ばせたのは、軍議前に話がしたかったからだ。

 今回の事は、もとはと言えば私が、嫌がるおまえに縁談を押し付けたせいだ。悪かった。

 そこでだ。この戰が落ち着いたら、佳きおみなを探してやろう。

 私はこれでも上野国かみつけののくにの大領たいりょうの跡継ぎでね。

 望むままのおみなを用意しよう。

 遊浮島うかれうきしま一の遊行女うかれめ、身分の高い血を引く郎女いらつめ、郷の素朴なおみな、我が屋敷の女官で一番の佳人かほよきおみなでも良い。

 どのようなおみなを望む?」


 真比登まひとはぽかんと口を開けて、ぼんやりと大川を見た。そしてかぶりを振る。


「いりません。」


 その表情は打ち沈んだ、暗いものだった。


「大川さま。オレの右の眉上に、傷があるでしょう? 

 これは、昔、遊浮島うかれうきしまで、オレの疱瘡もがさを見た遊行女うかれめが、悲鳴をあげながら火鉢を投げつけてきたあとなんです。

 オレは、おみなに自分がどう見えているか、良く分かっているんです。」

「そんなおみなばかりじゃないだろう。」

「そうかもしれません。

 でもオレは、おみなに嫌悪や忌避の目で見られるのが辛い……。

 それより今のまま、おのこ同士でいるほうが、よっぽど気が楽なんです。」


 真比登まひとは涙をこぼした。


佐久良売さくらめさまは……、初めて、疱瘡もがさを見ても、目を逸らしたりしなかった人だ。

 触っても感染うつらないと言って、このオレに微笑んでくれさえしたんだ。

 そんな人を、オレは騙して傷つけてしまった。」


 真比登は、右腕の傷を左手で触った。衣の下には、


 ───傷口が早く癒えますように。


 佐久良売さくらめさまの言霊が乗ったくれない鮮やかな飾り布が巻いてある。

 この飾り布は、綺麗に洗って返すべきだ。

 身近に身につけていたものは、呪具の対象にもなる。きっと、佐久良売さまは、真比登まひとがこれを所有し続けることを、快く思わないであろう。

 

(飾り布を綺麗に洗ったら、返しにうかがおう。そして、できれば直接会って謝罪したい。

 でも、じかに会ってはくださらないだろう。)


 そもそも、豪族の娘が医務室にいて、戯奴わけ(目下の男)が気軽に声をかけられる状況自体がおかしい。


(きっともう、直接、会うことはかなわない……。

 もっと早く、偽りだと告げていれば良かった。

 賊の襲撃から救い出してすぐ、縁談に配下を行かせたと、謝罪していれば良かった。

 そうすれば、佐久良売さくらめさまは激怒し……、そこで、この縁は終わっていたはずだった。

 こんなに佐久良売さくらめさまを、泣かせる事にはならなかったのではないか……。

 いや、騙した事に変わりはなく、早かろうが遅かろうが、佐久良売さくらめさまは傷ついたろう。

 オレが、ただ、佐久良売さくらめさまとの縁を失いたくなくて、ずるずると偽りを続けてしまっただけだ。

 すまない、佐久良売さくらめさま……。)

 

 真比登まひとの目からは、あとからあとから、涙が溢れた。

 大川が気遣う目を真比登へ向けた。

 大川からも、哀しみの気配が溢れだした。


「ではこの先、妻を作らないのか。

 死ぬまでおみなとさしないのか。」

「この数日間、オレは浮かれすぎてました。有頂天で、ずっと、ワクワクしていた。もう充分、幸せな夢は見ました。」

「そうか……。」


 大川が小さい声で、


「では、おまえは、私より幸せなのかもしれないな……。」


 とかすかに苦笑しながらつぶやいた。

 カタン。

 大川が倚子を立ち、優しいけれどぬくもりを感じさせない、作り物のような美しい微笑ほほえみで、真比登まひとへ向かって歩いた。


「慰めにはならぬかもしれぬが……。」


 片膝をつき、真比登まひとへ身を寄せ、


「私の秘密を教えてあげよう。」


 左手で邪魔な髪をかきあげ、真比登の耳に顔を寄せ、ささやき声で耳たぶをくすぐりながら、


「……私は秋津島あきつしまに妻はおらず、の亀卜きぼくを持っている。」


 とささやき、真比登の耳から顔を離した。


「え……? でも……、子どもが。」

「黄泉渡りした兄の子を養子にした。私に妻はいない。私も、生涯一人身のお仲間かもしれないぞ。」


 至近距離から真比登を見る大川は、初めて見せる表情……、皮肉げで寂しそうな笑顔を浮かべた。

 思わず、真比登はじっと大川を見た。

 二人、見つめ合う。


「入ります。」


 突如とつじょ扉が開き、三虎と塩売しおめが姿をあらわした。

 床に座る真比登まひとは寝乱れ胸襟きょうきんが開き、それにせまる大川は身だしなみこそ整っているが、髪の毛がしっとり濡れて婀娜あだっぽい。

 塩売しおめは落ち着いた女官であるが、この時ばかりは、


「ンまっ!」


 と赤い顔で口元を押さえて、固まった。

 三虎は無表情のまま二人を見て、


「これはご趣味が……。」


 と真顔で言った。大川が慌てて立ち上がり、


「違う、違う、誤解はするな! そんな目で見るんじゃない!」


 と両手をぶんぶん目の前でふる。

 真比登は居心地悪く、頬をぽりぽりとかいた。


「ほーら三虎! そこの女官はどうした?」


 あせった笑顔の大川が塩売を見る。三虎が淡々たんたんと、


桃生柵もむのふのき領主の娘、長尾連ながおのむらじの都々自売つつじめさまが、春日部かすかべの真比登まひとをお召しです。く来よ、と。」


 と真比登を見て言った。都々自売つつじめ付きの女官、塩売が礼の姿勢をとり、


「副将軍殿。そこの軍監殿ぐんげんどのを、すぐにお寄越よこしくださいませ。

 軍監殿。お早く身支度を。その顔の左半分は、きっちりお隠しくださいませ。

 あと、都々自売つつじめさまに、七尺(約2.1m)以上近づいてはなりません。

 よろしいですね?」


 と冷たい目線で真比登まひとを見た。







    *   *   *





かごのぼっち様から、ファンアートを頂戴しました。

かごのぼっち様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093079725364470



 

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