第十五話  家族のあさげ

 早朝。


 都々自売つつじめは家族の広間に顔をだしたお姉さまに、笑顔で声をかける。


「おはようございます、佐久良売さくらめ姉さま。」

「おはようございます。お父さま、都々自売つつじめ。」


 家族は三人一緒に、朝餉をとる。

 通常は、昼餉と夕餉、二食だが、桃生柵もむのふのきが戰場となり、お父さまも忙しく、佐久良売さくらめ姉さまも医務室で忙しい。

 都々自売つつじめはお腹に緑兒みどりこ(赤ちゃん)がいる為、血の穢れに触れられない。自室にいる。

 昼餉は、各自でとるようになり、その代わり、朝餉をとるようになったのは、新しい習慣だ。

 都々自売つつじめは、佐久良売さくらめ姉さまが忙しくなると、昼餉を抜かしがちになる事を、姉付きの女官、若大根売わかおおねめと、自分付きの女官、塩売しおめのお喋りから、把握している。


 今朝の朝餉は、米、すずな(カブラ)の汁物、豆の塩茹で、桃、ひしお、塩、お酢、白酒しろさけ(ノンアルコールの甘酒)。


「うぇぇ……。」


 都々自売つつじめは、現在、絶好調の悪阻つわりだ。前は好きだったひしおの独特の香ばしい匂いが、苦手になってしまった。

 小皿に入った一口ぶんのひしおを自分から遠ざけ、


「お姉さま、食べてくださらない?」


 とお願いする。お姉さまは、ちらっとこちらを見て、顔の表情を変えず、


「あたくしはもう充分。」


 と断られてしまった。

 ひしおは高級なものだが、最近、お姉さまに食べるのをお願いしすぎてしまったらしい。


「あぁ───ん!」


 都々自売つつじめは困った声を出す。


(だって本当に食べれないんだもの!)


 お姉さまが苦笑し、


塩売しおめにあげたら?」


 と提案してきた。


「それもそうね!」


 と都々自売つつじめが、後ろに控える乳姉妹ちのえもに小皿を渡すと、塩売はあっという間にひしおを平らげてしまった。


「お、美味し……。ありがとうございます!」


 と幸せそうに笑う。


「はっはっは……。」

「ふふ……。」

「ほほほ。」


 その顔のあまりの緩みっぷりに、家族三人、なごやかに笑う。


 お姉さまが、ごくり、と唾を呑み込んだ若大根売わかおおねめに気がついたらしい。

 やっぱり苦笑しながら、後ろに控える若大根売わかおおねめに、


「はい。特別よ。」


 とご自分のぶんのひしおの小皿を渡してあげた。


「ありがとうございます!」


 若大根売わかおおねめもあっという間に平らげ、


「美味しいぃぃ! 幸せですぅぅ!」


 と涙目になって言うので、また、家族三人で笑う。


 お姉さまが、お父さまを鋭く見た。


「お父さま、戦況はどうですの?」


 お姉さまは、しょっちゅう、お父さまにこう訊く。

 都々自売つつじめもお姉さまも、ここ、桃生柵もむのふのきから、一歩も外出しない日々が続いている。

 外が気になるのだ。

 都々自売つつじめは、仕方のないこと、と思い、お父さまに質問を投げかけたりしない。

 でも佐久良売姉さまは違う……。


「うむ。心配はいらない。我々が勝つ。」


 お父さまの言葉も、決まり切った、いつもの問答だ。


「いつもそればかり! あたくしは、本当の戦況を教えていただきたいだけですわ!」

「…………。」


 お父さまは顔をしかめ、沈黙する。

 都々自売つつじめは助け舟を出す。


「お姉さま。お父さまをそのように責めてはいけませんわ。お父さまは文官なのです。」


 お父さまが、むぅっ、とうなった。


「そういう佐久良売さくらめこそ、どうなんだ。その……軍監ぐんげん殿は。」

「…………。」


 今度は、佐久良売さくらめ姉さまが黙った。


「今までの縁談のなかで、一番良い雰囲気だったじゃないか。生命も助けてもらったし、爽やかな、良い若者だ。私は気に入ったぞ。」

「…………。」

「おまえの言う、妻も吾妹子あぎもこもいない相手、子供もなく、不細工でなく、教養もあるおのこを探すのは、大変なのだぞ。」

「…………。」


 お姉さまの表情の険しさが増す。

 都々自売つつじめはハラハラしながら二人を見る。


「まあ、教養のないおのこはイヤ、というお前の言い分もわかる。

 おまえは采女うねめとして、奈良の風流をたっぷり身につけて帰ってきたのだからな。心より尊敬できる相手でなくば、妻として生涯つかえる気にはなるまい。」

「…………。」

「その点、あの殿は、立派な教養の持ち主ではないか。あのような問答、とっさにできるものではないぞ。」

「お父さまッ!」


 眉を立てた佐久良売さくらめ姉さまが、ガチャン、と須恵器すえきわんを乱暴に机に置いた。


「あたくしは婚姻なんていたしません! 何度もそう申し上げているはずです。戰の手助けをする為にここにいるのです。」

「バカ者っ!

 いつまでも頼りにするのが、この父だけで何とする!

 おみななら、つまを持ち、孕乳ようにゅう(子をはらみ、産む事)をせ。この父を、一日でも早く安心させておくれ。このままでは、死んでも死にきれん……。」


 お父さまの言葉を最後まで聞かず、お姉さまはガタンと倚子を立ち上がり、さっさと妻戸つまと(出入り口)へ歩き出した。


佐久良売さくらめ!」

「朝の薬草摘みの時間です!」


 お姉さまは振り返らず姿を消した。


「まったく……。困ったものだ……。」


 お父さまがぐったりと倚子に座りなおす。

 都々自売つつじめは、ふーっ、とため息をつき、


(お父さまもお父さまですわ。もっと言葉をお選びになればよろしいのに。)


 との思いをこめて、お父さまを、


「…………。」


 無言で、じとー、と見た。

 これで通じるのである。

 お父さまは都々自売つつじめの視線に、居心地悪そうに身じろぎし、咳払いをした。

 都々自売つつじめは、若大根売わかおおねめに、


佐久良売さくらめ姉さまに、いつものように握り飯をお持ちして。」


 と指示を出す。

 このままでは、お姉さまの食事量が心配だ。若大根売わかおおねめ厨屋くりや(厨房)へ行かせ、お姉さまに握り飯を届けさせるのである。


「はい。」


 若大根売わかおおねめは礼の姿勢をとり、部屋をあとにする。




    *   *   *




 朝露の美しい庭。

 八月も、早朝の風は、少しの清涼を感じ、気持ちが良い。

 佐久良売さくらめは一人、竹を細く割りさいて編んだかごに、よもぎを摘み入れていく。


「せっかく今朝は夢見が良かったのに。

 良い気分が台無しだわ……。」


 夢の中身は、都々自売つつじめに見守られ、自分が空を翔んだ事くらいしか覚えていない。

 寝覚めに、胸が広々とする良い気分が残った。


「どうしてお父さまはわかってくださらないのかしら。婚姻なら、都々自売つつじめがしてるじゃない。

 あたくしは年増なんだから、もういいのよ……。」


 よもぎを摘みながら、そう佐久良売さくらめが一人でブツブツつぶやいていると、ご機嫌で唄う、おのこの声が遠くから聞こえてきた。


「ワーホイ、ワーホイ、鳥追とりおいだー、鳥追いだー。

 白稲しろちねねらはり、かもかもころはえ。

 かもかも、かもかも、上枝ほつえけなむ───。」

 

 声質は柔らかく、ほどほどに低く、声が良く響き、響いたあとに甘い余韻が残る。

 甘い声。


(あの声はきっと……。)


 佐久良売さくらめは、よもぎを摘み入れたかごを持ち、声の聞こえてきた方角へ、そっと足を進める。


 そこには、左頬に疱瘡もがさのあるおのこが、にこにこ笑いながら唄い、赤い芍薬しゃくやくの花を手折って、花束を作ろうとしていた。







    *   *   *




 ※著者より。

 韓国からくにのみなもとの子供時代の短編を、随分前に公開済です。

 ご興味が少しでもわいたら、一話しかないので、ぜひ。

「ももきね旅の草まくら」

 https://kakuyomu.jp/works/16817330655002064214

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る