第十四話  天女の夢

 夜。


 寝床に身を横たえて、佐久良売さくらめは目をつむった。


 今日も疲れた。

 足を切断した負傷兵は、気絶から目が覚めてから、ずっとすすり泣いていた。

 今も医務室で、ひそやかな声ですすり泣いているのだろうか。

 腹に大きな傷を負った、うつろな目をしていた負傷兵は、明日までつだろうか。


 そこで佐久良売さくらめは、ふっ、と強く息を吐いた。


 自分だって、今日無事でも、明日はどうかわからない。


 桃生柵もむのふのきはもともと、蝦夷えみしの支配が濃い土地に立てられた城柵じょうさくだ。

 皆、桃生柵もむのふのきは大丈夫だ、と言う。築地塀ついじべいに囲まれているから、と。

 だがもし、万一、築地塀が破られたら。戦えない者が逃げるにしても、桃生柵もむのふのきほど立派な城柵じょうさくは、すぐ近くにない。

 牡鹿郡おしかのこほりへ逃げ込むにしても、どれだけの者が、蝦夷の支配が濃い地を抜け、無事にたどり着けるであろうか……。

 

 そもそも、築地塀があるからと、安心ばかりしていられない。

 築地塀があっても、ここは戰場である事に変わりない。

 げんに昨日、攫われかけた。

 助けが間に合っていなければ、どうなっていたか。


 覚悟の上で、ここに戻ってきたはずだった。


 休もう。

 夜、早く休まねば、身体が保たないだろう。

 そう思うのに、桃生柵もむのふのきに戻ってから、夜、寝つきが悪くなった。寝る前に毎晩、様々な事を考えてしまう。

 意識を手放して無防備な眠りに入る前に、心のよろいの隙間から、弱気がすきま風となって忍びこんでくるようだった。


 何も考えず、安らかな眠りについていた夜に、戻りたい。

 早く戰が終われば良い。

 お父さまが死んだりしないように……。

 もう誰も傷ついたりしないように……。


 様々な人の顔が心に浮かんだ。

 都々自売つつじめ

 お父さま。

 花束をくれた人。福耳の

 あと……あの人。


「あなたは怖くない。」


 と言った人。


 佐久良売さくらめは、怖いおみなだと、おのこと言わずおみなと言わず、陰でコソコソ言われているのを知っている。

 

 ───そんなことないのに。

 実際のあたくしは……。


 などどいう事は、佐久良売さくらめはさらさら、思わない。

 

 ───怖くて結構。

 甘ったれた行動には、いくらでも怖い顔で叱りつけてやるわ!


 佐久良売さくらめはそう思う。

 長い采女の生活が、そのように、佐久良売さくらめを変えた。

 新顔の采女は、甘ったれたおみなが多かった。

 佐久良売さくらめは遠慮なく叱りとばし、その怖さは評判となり、「鬼より怖い陸奥みちのく采女うねめ」とコソコソささやかれるようになった。

 女嬬にょじゅ(上司)には可愛がられた。それで良いと思う。



 怖いと言われたって。

 かまわない……。


 

 そう思う佐久良売さくらめだ。


「あなたは怖くない。

 そんな事を言うヤツは、本当に怖い目にあった事がないヤツだけだ。」


(あんな事、初めて言われた。

 変なおのこ

 あたくしが怒った顔を見て、頬を一回ぶたれてるくせに。

 なんでそんな事を言えたのだろう?

 変なおのこ……。)


 豪族の娘にろうとして?

 そのような、下卑げびた色は、目になかった。

 真剣な顔だった。

 まことの心から出ている言葉だと、なぜか、伝わってきた。

 しかしそうなると、ますます、わけがわからない。


(お父さまや都々自売つつじめは、あたくしのこの性格を理解してくれてる。

 その二人からも、怖くない、なんて言われた事がない。

 家族以外は、皆、あたくしの事を怖いという目で見る。

 やはり、あのおのこが変わってるのだわ……。)


「あなたは神々しくて……美しい天女のようだった。」


 言われた瞬間、その言葉が、なぜか胸の深いところまで、まっすぐ届いたのがわかった。

 歯が浮くような言葉をおのこから言われたのは、これが初めてではない。

 だが今まで、その言葉たちはどれも、風に吹かれる雲のように、あたくしの頭上をさーっと通り抜けただけだった。

 なぜだろう?

 何が違うのだろう?

 真面目ぶった顔で、近い距離から、目をそらさないで言ったから?


 頬をぶってやろう、とふった手を、あっという間につかまれて、その後はびくとも動かなかった。

 おのこの手は大きく、温かく、皮膚が硬く、力にあふれていた。佐久良売さくらめは驚き、心臓しんのぞうは早鐘をうった。

 男に手を離されたあとも、すぐには落ち着かず、身体と心を休めるために、少し休憩を取らざるを得なかった。

 

(仕方ない。あたくしも疲れてるのよね……。)


 力強い手。


(昨夜、あたくしを馬上で抱いた時も、の腕は力強かった……。)

 

 そこまで考えて、佐久良売さくらめは眠りに落ちて行った。




     *   *   *




 夕暮れ。


 影がのび、茜色に染まった幼い都々自売つつじめが泣いている。

 あたくしは、


 ───どうしたの? 


 と、声をかける。

 十歳くらいの都々自売つつじめは、手にまりを持ち、しくしくと泣く。


「お姉さまは、采女うねめとして遠いところに行ってしまわれるのでしょう? 

 奈良の平城京で仕えて、もう、なかなか会えなくなるのでしょう?」


 ああ、そうか。都々自売つつじめが十歳。

 あたくしが十五歳。

 あたくしが、奈良に行く前、ずっと泣いていた都々自売つつじめだ。


「もう遊べなくなるなんて、イヤです。

 お姉さまだって、知らないところに行くのは、怖くはないの?」


《あなたは怖くない。》


 どこからか、おのこの甘い声が響く。


「あっ、鞠……。」


 都々自売つつじめの手から鞠が落ちて、てん、てん、と転がった。

 その鞠を拾うおのこがいる。

 筋肉ががっしりついた鋼のような身体。

 力強く、温かい微笑みで、こちらを見ている。

 あたくしに鞠を手渡してくれた。

 おのこの左頬には、痛ましい疱瘡もがさの痕があった。


《あなたは神々しくて……。》


 また、甘い声があたりに響くが、目の前のおのこは一言も喋らない。

 まっすぐな目をしている。

 どんな困難にも立ち向かえるような。


 ───だあれ?


 あたくしが訊いても、おのこは無言で微笑んでいるだけだ。

 ふと、手の力が緩んで、あたくしの手から、鞠が滑り落ちた。


《美しい天女のようだった。》


 てん、てん。

 鞠がはねて、都々自売つつじめの手に納まる。

 視界が開けて、明るくなる。

 光があふれて、都々自売つつじめが驚いたようにあたくしを見上げる。

 なぜが視界がそのまま、ぐんぐん、ぐんぐん、上に上昇する。


「お姉さま……?」


 すっかり泣き止み、ぽかん、と口を開けた都々自売つつじめを、あたくしは高くから見下ろす。

 あたくしだけ、空に浮いているのだ。

 

 ───あたくしは、空を翔べたんだわ!

 これで、いつでも帰ってこれるわよ、都々自売つつじめ


 都々自売つつじめは、うっとりと笑った。


「きれい……。」


 ───そうでしょう? あたくしは天女だったのよ。


 領巾ひれは春風に舞う桜の花びらのように、高天にたなびく。

 あたくしは、こぼれるような微笑みで、空を飛翔した。












 佐久良売さくらめは起きたあと、不思議な夢を見た、と思った。


 よくは覚えていないが、淡い夕暮れ時に、昔の幸せだった頃の、あけびのような甘さの残る、夢だった。







  

↓挿絵です。 https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330669049189064

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