第十三話 手習い
浅き心を
万葉集 作者未詳、ただし、采女。
* * *
「そこの倚子に座っていてちょうだい。」
書ければ良いな、とは思う。
だが、読み書きは、できるヤツに任せてしまっている。
勉強するより、仲間と食事を楽しんだり、剣の稽古を楽しんだりしたい
反省。
とはいえ、文字を教えて下さい、と
さっそく、
「オレの……、左頬の……。驚かなかったんですか?」
と、おずおずと訊く。
使っていない木簡を選び、机の上に広げた
(距離が……。近い。)
いや、男女の分別ある距離は保っている……と思う。でも、手習いする関係上、
ふわ、と落ち着く、深い甘さのあるなかに、清涼感のある香りがする。
「ああ、
と言った。
ふと手を止め、こちらを見て、にやりと笑った。
「触ったことがあるわ。医療でね。だから、本当よ。」
(……!)
たしかに負傷兵に
しかし、触るとは。
ただ、すれ違うだけなのに、それすらも耐えられない、というように。
なのに、見るどころか、その手で触ったとは。
初めて触る時、この豪族の娘は、どれくらいの勇気を出したのだろう。
この美しい
「尊敬します。」
「ふ……。」
柔らかく微笑みをもらした。
桜色の唇が、ふっくらと大きな笑みの形になる。
「ありがとう。」
と言ってくれた。その微笑みの優しさに、
(うわああ……。)
こんな近くで、麗しき天女の微笑みを見させられては……昇天してしまう……。
「手本を書きます。集中して良く見なさい。書き順も見て覚えなさい。泣き言は許しません。あたくしは怖い
「
思わず軍部で用いる返事をして、
安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國
スラスラと木簡に文字を書いた。
綺麗な文字だった。
「読める?」
始めの文字は、
「あ、あ……。ええと……。読めません。」
「
浅き心を
「へ、へえ……。」
(浅い心であたくしはあなたを思うのではありません、か……。)
「軍監殿と、婚姻するんですか?」
するり、と口がなめらかに
(うわっ、オレは今、何を……!)
慌てて右隣を見ると、ぎらり、と光る目で凄みのある笑顔を浮かべた
(ひいぃ…………!!)
「まあ……、軍監殿の仕込みかしら?
なら、お
もっと若くて優しい
この戰の最中に、お父さまもまわりも、婚姻の事ばかり。
どうして?
あたくしはお相手を恵んで欲しくて
すこしでも戰の役に立つ為に、その為だけに帰ってきたのです!」
その姿は強く凛々しい。
だけど、同時に痛々しさを、
───あたくしは生涯ひとりでかまわない!
と炎燃ゆるように口にした
迷いはない、という顔をしているが、一人とは。
一人とは、寂しいものなんですよ……。
「傷の手当はありがたいです。
でも……、
「年増の
知ってるのよ! 皆、あたくしの事を年増だって、怖いって、
激昂した
その手を
「あっ!」
(たしかに、オレも、
それどころか、ぐいっと手を自分のほうに引き寄せる。
ぐっと、
「あなたは怖くない。
そんな事を言うヤツは、本当に怖い目にあった事がないヤツだけだ。」
自分を殺そうとする凶刃のもとに、身をさらした事がある者にはわかる。
いくら
比べれば、全然違う。
(あなたが、そんなヤツらの言葉に傷つく必要はない。)
「医務室でひたむきに負傷兵を治療してくれていたあなたは、神々しくて……、美しい天女のようだった。」
(言えた。)
ちゃんと伝えたい言葉を、伝えたい相手に、言えた。
顔を隠さなくても。
女官が、こらえきれず、吹いたのだ。
「
年若い女官は、
「申し訳ありません。」
と礼の姿勢をとった。
「ご無礼をお許しください。」
「
「はい。」
「その木簡を持って、もう行きなさい。」
「はい。書をありがとうございました。たたら
「疲れたわ。
とため息まじりに言っていたのを、背中で聞いた。
(オレは
ぎらりと光る目で大蛇のように怒る顔。
天女のような優しい微笑み。
にやり、不敵に笑った顔。
目を見開いた、驚いた顔。
ああ、あの美しい顔で、ずいぶん表情が豊かなのだ、とやっと気がつく。
叩かれそうになったのを止めただけだが、
柔らかく、すべすべした感触。細い指。
───完治したあとは、
あの言葉を聞いた瞬間。
その色は、あの
きっと、一生、この言葉を、忘れない。
(
そう思うと、うああ、と叫びたくなってしまう
「おーい、通せ、通せ。」
やっと軍の自分の居場所についた時には、
「遅れすぎだこの
怒った
「へへ。ごめん。もうしないよ。」
上機嫌の
* * *
お姉さまへ。
今日も、
顔に
でも、
それでね、話はここで終わらないのよ。
顔に
きゃ〜っ!
どういう事、て、手を握って!
そんな事、面と向かって言った
これは
だって、あたし達の敬愛する
ちょっとよ。
そして、その後、
天女よ!
あたし、驚いたわ。思わず、ふいたわ。あたしも誰かに言ってほしい……。
その後、医務室に戻る前に、
無理もありません。
昨日、賊に
あたし、休むように進言したのよ。
───負傷兵のほうが、傷は深いのよ、あたくしは、怪我一つしてないわ。
と
あたしが
↓挿絵です。
https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330669049084601
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