第十六話  芍薬 〜しゃくやく〜

 

(やっぱり。昨日のおのこだわ。)


 なぜか、佐久良売さくらめ心臓しんのぞうが、トン、と小さく跳ねた。

 なぜだろう?


(ここで会ったとは、ちょうど良い。からかってやろう。)


 佐久良売さくらめはイタズラ心を起こした。にっ、と笑い、すっ、と息を大きく吸い、


「何をしているのッ!」


 と大声をあげると、は、


「わっ!!」


 と驚いてこっちを見た。

 顔色がみるみる赤くなり、慌てて赤い花を後ろに隠した。

 佐久良売さくらめは意地悪く笑う。


「後ろのものは何です? 隠しても無駄ですよ。何のつもりです?」

「あわあわあわ。」

「答えられないの? ……大罪ですよ。」

「えっ?!」

「この芍薬しゃくやくは、ただ観賞用で植えてあるのではありません。

 花が咲ききる前に、つぼみを取り、根を太らせて、薬とするのです。蕾を取る時期は、しっかり見計らっているのですよ。

 それを勝手に手折るとは……。」

「………!」


 佐久良売さくらめが軽く睨みつけると、は、面白いほど顔色が青くなり、うなだれた。


「言いましたよね? あまり無礼を働くと、ばっします、と。

 今から罰を与えます。逃げられませんよ。怖い罰ですからね。

 目をつむりなさい。」

。」


 おのこはすぐにぎゅっと目をつむった。


(素直でよろしい。……あら。)


 昨日、に手を握られ、近くに引き寄せられ、顔を間近で見させられた。

 その時にも思った事だが、おのこの左頬には痛々しい疱瘡もがさが目立つが、右の顔は、案外、おのこらしい、良い顔立ちである。


(もったいない事ね。疱瘡もがさがなければ、美男ね。)


 まあ、が美男であろうと、そうでなかろうと、佐久良売さくらめには関わり無いことだ。

 佐久良売さくらめは婚姻しない。

 おのこの顔なぞ、どうでも良い。

 

「ふふ……。」


 佐久良売さくらめはたっぷり時間をかけ、を焦らしてから、その鼻面はなづらに、よもぎの葉の裏を、ぽん、と押し当てた。

 よもぎの白い綿毛が鼻をくすぐり、


「ぶぁ、ぶぁくしょいっ!」


 とは大きくクシャミをした。


「あははははっ!」


 佐久良売さくらめは腹を抱えて、大爆笑した。ひとしきり笑ってから、顔赤く戸惑とまどったに、やっと口をきく。


「あー、すっきりした。これで許してあげます。

 でももう、勝手に摘んじゃ駄目よ。

 ここにあるものは貴重な薬なんですからね。」

「はい。」

「その芍薬しゃくやくをどうするつもりだったの?」


 そこでおのこは、朝露の残る美しい花束を、背中から手前に出した。そして、モジモジと言う。


「あなたに差し上げるつもりでした。

 あの……、昨日のお詫びに……。」


 佐久良売さくらめは少し首をかしげる。


「あら……、ありがとう。でも、あたくしの部屋にはもう別の花を飾ってあるから……。」


 がぐいっと芍薬の花束をこちらに差し出して、必死に、


「この花のほうが新鮮なんだから、昨日もらった花は、戍所じゅしょでも医務室でも、他のところに飾ればイでぇっ。」


 は舌を噛んだ。


「あははははっ!」


 佐久良売さくらめはまた大笑いしてしまう。

 手に籠を持って、向こうから歩いてきた若大根売わかおおねめが、大笑いをする佐久良売さくらめを見て、


「づええっ!」


 頓狂とんきょうな声をだした。

 佐久良売さくらめは、まだ笑いが尾を引いた、揺れさざめく声で、


若大根売わかおおねめ。あたくしの部屋に戻ったら、この芍薬を飾ってちょうだい。」


 と若大根売わかおおねめに花束を渡し、かわりに、彼女が持ってきたかごを受け取る。


「お腹すいちゃったわ! ありがとう。」


 とかごにのせられた白い布をはずす。

 中身は二つの握り飯。一つは、あわきび、米の塩握り飯。もう一つは、ナズナを刻んでまぜてある握り飯だった。

 の目が吸い寄せられる。


「ま───っ! 駄目よ。これはあたくしの物なんですからね。あげませんよ。」


 佐久良売さくらめはくすくすと笑う。

 おのこは汗をかき、恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。


 カーン……。


 鐘が鳴る。

 がハッとしたように周りを見る。もう行く時間なのだろう。


「よろしい。。明日の朝、今日よりも早い時間に、弓矢を持って、一人でここにいらっしゃい。

 弓矢の腕前を見せてくれたら、特別に握り飯を分けてあげるわ。」


 そう佐久良売さくらめがにっこり笑うと、は赤い顔のまま、びっくりした顔をした。


「あっ、ありあり……、ありがとうございます。必ず、参ります。」


 とは礼の姿勢をとり、駆け足で去っていった。


 佐久良売さくらめは近くの切り株に腰掛け、笑いを噛み殺しながら、大きな口で握り飯を頬張った。


「おいし───い。」


 そこで若大根売わかおおねめが遠慮がちに声をかけてきた。


佐久良売さくらめさま……、よろしいでしょうか?」

「なあに?」

「なぜあのような兵士と、親しくなさるんですか?」


 佐久良売さくらめはきょとん、として答える。


「親しく? してないわよ?」

「はあ……。」


 若大根売わかおおねめは、曖昧な返事をする。

 佐久良売さくらめは目を伏せる。


おのこなんて……。

 あたくしが今まで、縁談の相手を全員冷たくあしらってきたのを、見て知っているでしょう?

 あたくしは、一人で良いの。」

「はい。」

「でも……。」

「でも……?」

「あのおのこ、すーぐ顔が赤くなったり、青くなったりして、面白いのよ。兵士をからかうと、こんなに楽しいものなのね!」


 佐久良売さくらめは、そう言って、くっ、くっ、と笑った。





   *   *   *





 若大根売わかおおねめ土器土器日記どきどきにっき


 お姉さまへ。


 聞いてくださいまし、お姉さまあああ!

 今朝、佐久良売さくらめさまに、握り飯を届けに薬草園にいったら、頬に疱瘡もがさのある兵と仲良く談笑してたのよ!

 それでね、佐久良売さくらめさまが!

 佐久良売さくらめさまが!


 大笑いをしてたのです!


 笑顔が眩しくて、楽しそうで、とってもお綺麗でした。

 佐久良売さくらめさまが帰国なさってから、あんなに大笑いをなさった事は、初めてかもしれません。

 いつも、ご家族と一緒の時は、笑うと言っても、ほほ、と上品に笑う程度ですもの。

 

 あんな風流の欠片もない、疱瘡もがさ持ち。なんであんなに、気にいってらっしゃるんでしょうね?


 あたし、自分のこめかみを拳でぐりぐりして、よーく考えてみたのですが、やっぱり、わかりません。


 ともあれ、佐久良売さくらめさまは、その後も一日ずっと、明るい顔で過ごされたわ。

 嬉しいことです、お姉さま。


 あとですね、この先はお読みにならない方が良いかもしれません……。


 今朝、あたし、佐久良売さまから、ひしおを頂戴したの!

 香ばしくて、豆がとろりとして、塩気と、酸味と、舌に残る芳醇な後味がたまりませんでした。

 今思いかえしても、唾が口内にあふれます。

 ふふふ、うらやましがらないでくださいね、お姉さま!



 若大根売わかおおねめより。










↓佐久良売の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330669049272606


↓若大根売の挿絵です。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330669049391851

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