最終話 幸福の先へ
夜の帳が降りてからも変わらず活気の漂いつづけるセントラル街を抜けると東区に出る。
東区の大部分は住居が占めている。日用雑貨店や個人経営の飲食店がひっそりと営業しているが、どの店も繁盛しているとは言い難く、セントラル街との客足の差は一目瞭然だ。
そんな東区に、木造建築がレトロチックな雰囲気を醸している一軒の建物がある。一階は酒場で、二階は宿泊宿。そんな変わった造りになっているこの店に、ツキクサは三か月ほど逗留している。
コンコンと扉をノックすると、「はいはーい」と、どこか投げやりな聞き慣れた返事が返された。ぱたぱた騒がしい足音が徐々に近づき、「おまたせしましたー」と扉が開かれる。
「すんません。今日この店貸し切りでして――」
紅玉めいた瞳が目を惹く金髪の少女だった。華々しい売り子衣装に身を包んだ少女は、ツキクサを見るなり、ぱっと容姿に劣らぬ華やいだ笑みを浮かべる。
「お帰りです、サクサクさん。皆さん待ってますよ。ささ、入って入って」
そう言う彼女の前髪はばっさり切られていて、かつてのように根暗な印象はまるで受けない。
ここは第一試練で助けた少女――アリスの働く酒場だ。
「もうすっかり接客にも慣れたみたいだね。声色も視線も完璧だ」
「へへ、そっすかねそっすかね? 自分、売り子が段々板についてきてますかね?」
「もう一人前の売り子だと思うよ。アリス目当てで遠方から足を運んでる客もいるんだろ?」
「矯めつ眇めつしやがる客には、蔑んだ微笑みを返すサービスを提供してます!」
「貴重なお客さんになんともご無体な……」
「私の中で、男はサクサクさんかそれ以外っすから」
どこか恥じらうような笑みを見せた。アリスはよく笑う子だ。だから話していて楽しい。
ここ三か月、住み込みで働いているアリスと同じ生活空間に身を置いているため、彼女とはもはや家族も同然の間柄にあった。
親密な間柄を仄めかすように、アリスはいつからかツキクサを「サクサクさん」と呼ぶようになった。悪い気はしなかったし、むしろ嬉しかった。
店の中に足を踏み入れると、木の床がピキッと軋んだ音を立てた。
店内は右手がカウンター席、左手がテーブル席となっている。カウンター背後の棚に並ぶアンティークな酒瓶は、如何にも酒場といった風だ。インテリアのほとんどが木造のため、部屋全体に仄かに樹木の匂いが充満している。
ひとつのテーブル席を除いて空席だが、しかし店は満席時と大差なさそうな幸せの音色に満ちている。
弾んだ声色。幸福を孕んだ笑い声――
あっ、とひとりの少女が声を上げた途端、それがぴたりと鳴り止み、皆の注目が一斉にツキクサに集まる。
「おかえり兄様っ!」
「ただいま」
とんがり帽子をかぶったキノカは、今日も変わらず上機嫌だった。
キノカは二階に住んでいるので遅刻しなくて当然なのだが、レンとカリナとモモエも既に腰を据えていて、やはりびりっけつはツキクサのようだった。
「ごめん。待たせたかな」
「気にすんな。女四人、男ひとりで俺が肩身狭い思いしてただけだよ」
「おいおい、雄とか雌とかツレねぇ分類すんなよ。オレらは等しく友だちだろ?」
「うんうんっ! カリナお姉ちゃんの言う通りだよっ!」
「あぁっ、キノカちゃんにお姉さん呼びされるのは私だけの特権だと思ってたのぃ~!」
「ちょ、ピーチさんそろそろ飲むの辞めた方がいいんじゃないすか? 顔、真っ赤っすよ?」
騒がしく賑やかな空間だった。
レンとカリナとモモエには、ルスティカーナ再建の手伝いをしてもらっていた。ツキクサが頼んだら、ふたつ返事で聞き入れてくれた。気立てがいいにも限度があると思う。
キノカはアリスと一緒に酒場経営の手伝いをしている。キノカにはありふれた日常を満喫してほしかったから、ちょうどいい職場だと思った。
テーブルに料理はなく、飲みものしか置かれていない。どうやらツキクサがやってくるまで、食事はお預けにしてくれていたようだ。
「じゃんじゃん頼んじゃってください。サクサクさんが大枚叩いてくれて店長大喜びっすから。たぶんメニューにない料理を頼んでも用意してくれますよ」
「むしろドリアと酒だけでよく持ってるなこの店……」
メニュー表を見てレンが絶句していた。それにはツキクサも同意だった。
アリスが言ったように、メニュー表にない料理を注文しても、店長は当然のように作ってくれた。どれも味も見た目も素晴らしいもので、なぜドリア以外のメニューが存在しないのか、不思議に思えてならなかった。
一番好評なのはドリアだった。ドリアだけ格別に美味しかった。
「そういえばモモエ、〈国政補佐官〉を辞めるって連絡しといたからな」
「すぴーすぴー……」
「もう寝てるのかよ……」
まぁ大ジョッキのビールを何杯も呷っていたので、当然の末路なのかも知れないが。
「まったく、こんなヤツが〈国政補佐官〉だったなんてオレは未だに信じらんねぇよ」
呆れたように言いつつも、突っ伏すモモエに自身の羽織を被せるカリナは微笑んでいた。
なんだかんだ可愛い妹のように思っているのかもしれない。カリナはモモエよりもひとつ年上だ。
「俺も今日付で〈特別国政補佐官〉辞めたんだ」
「まぁ、三か月前から辞めてるみたいなもんだったよな」
そういうレンは至って冷静で、それはカリナもキノカもアリスも変わらない。
ツキクサが〈特別国政補佐官〉を退職することを惜しく思っている仲間はいなかった。誰もが、ツキクサは〈特別国政補佐官〉以外の道に進むべきだと思っていた。
「ところでカリナ、村の方は問題ないか?」
「ん、大丈夫だよ。そうでなきゃここに留まってねぇし。それがどうかしたのか?」
「いや、前に約束したからさ。カリナが困ったら手を貸すって」
「いいよいいよ、オレのことなんか気にしなくて。任務済んだから、キノカと旅に出るんだろ?」
ルスティカーナでの任務が済んだらキノカと旅をする。
それは前々から決めていたことだった。
「旅よりもカリナお姉ちゃんの方が大切だよ。ほんとうに手を貸さなくて大丈夫?」
こてんと首を傾げるキノカに、レンは優しい笑みを向ける。
「お前ら兄妹はほんといいヤツすぎるよ。……あ、そういえば俺もツキとキノカちゃんの旅に同伴したいんだけどいい?」
「あ、オレオレも! 友だちと旅とか超楽しそうじゃねぇか!」
「旅っすか。いっすねぇ~。……わ、私も行こうかな? ひとり留守番するのも寂しいし」
「だってさキノカ。ふたり旅じゃなくなりそうだけど平気か?」
と、問いかけつつも、キノカの返事などわかりきっている。
「うんっ! みんな大歓迎だよっ! へへっ、ますます旅が楽しみになってきたなぁ~」
弾けるようにキノカは微笑んだ。その笑顔に寂しさを覚えつつも、それよりも遥かに大きな喜びがツキクサの胸の内を満たしていた。期待で胸が高鳴っていた。
「……私は、むにゃむにゃ……キノカちゃんのお姉さんになって、ツキクサさんの……妹に、なるんですぅ……むにゃむにゃ」
「悪いが、妹はキノカひとりで満席だ」
モモエの寝言に脊髄反射で反論すると、どっと場が笑いに包み込まれた。よっ世界のお兄様とか、相変わらずのシスコンぶりだなとか、焼いちゃうくらい深い兄妹愛っすねぇとか、兄様は相変わらずだなぁとか聞こえてきたが、聞こえていないふりをした。
「……るせぇよ」
兄が妹を好いてなにが悪いと言うのだろうか。
○○○
食後にケーキが運ばれてきた。蝋燭が乗ったケーキだ。
今日はキノカの、そしてツキクサの誕生日だった。
部屋の電気が落とされた。蝋燭の火が暗闇にゆらゆらと揺らぐ。
兄様もいっしょにとキノカに言われたので、ふたりで息を吹きかけて蝋燭の火を消した。
お誕生日おめでとうと、友だちが拍手と共に言祝いでくれた。
キノカ以外からはじめて貰う言祝ぎだった。
友だちが誕生日プレゼントを渡してくれた。
キノカ以外からはじめて貰うプレゼントだった。
友だちと微笑みながらケーキを食べた。
甘くて美味しいケーキが懐かしくて、思わず涙ぐんでしまった。
「素敵なプレゼントをありがとう兄様。わたし、す~っごく幸せだよっ!」
「……あぁ、俺もだよ」
キノカがいて、友だちに囲まれて。
こんな誕生日が訪れるなんて夢にも思っていなかった。
「ありがとうみんな」
目尻に溜まる光の粒を拭い、ツキクサは微笑んだ。
「みんなと出逢えて、俺は最高に幸せ者だ」
それは、ありのままの感情に彩られた無邪気な微笑みだった。
―FIN―
EVOLBER 風戸輝斗 @kazato0531
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