第6話「運命の出会い」
「久しぶりだね! ベストでもしかしたらって思ったけど、本人だった! なんだっけ、このベスト。おばあちゃんの手作りだっけ? まだこれ着てるんだねー!」
派手な顔立ちをした、美人の登場。しかもユウヒに妙に親しく話しかけてくる。
「浮気」「二股」の言葉がアルニラの脳裏に浮かんだ。が。
「……何の、用だ?」
ユウヒが後ずさりかけたのが見えた。表情は強張っており、声も固くなっている。焦るでもなく誤魔化すでもなく、恐れ、逃げようとしている。苦手な人と会ってしまったときと同じ反応だ、と直感した。
「ここに来てるんだから、もちろん紅葉を見に来たんだよ! わかりきってることでしょ?」
対して女のほうは機嫌が良さそうだ。どこか馴れ馴れしさを感じさせる調子で、ユウヒに近づいていく。
「あの、あのとき付き合ってた人は?」
「ずっと昔に別れているよ。私、男運ないみたいでね。あの後も色んな人と付き合ったけど長続きしなくて。で、この前30になっちゃった。まずいな、って困ってるのよ。将来的に考えて、やっぱり付き合うなら真面目な人がいいなって思い始めてきてね」
で、と女はにこおっと満面に笑みを浮かべた。初めて見る顔にもかかわらず、アルニラはその笑顔に思わずぞっとした。
「優陽と別れたの惜しかったなあって思ってたんだけど、ちょうど良かった! まさか再会できるなんて! ねえ優陽、ここで会えたのも何かの運命だと思うし、私達やり直さない?!」
は、と大きな声が出かかったのをなんとか堪える。
ユウヒの動向はと見れば、ユウヒは真っ直ぐ姿勢を正した。
「君は、僕を裏切ったじゃないか。僕は面白くないんだろう? 面白くないのは今も変わっていない。君の望む人間にはなれないし、ならない。……今日は一緒に来ている人がいるんだ。帰ってほしい」
強張っているが震えていない、一字一句はっきりした台詞だった。
女は、「はっ?」と笑みを消した。
「いいの、そんなこと言って。うんって言わないと、私、ここで悲鳴上げるよ? 変なことされそうになったって言うよ? いいの?」
何を言っているんだ、とアルニラは危うく大声を出しそうになった。
ユウヒの体が固まったのが見えた。視線がさ迷い、手も一緒になってさ迷う。その手が、拳の形になる。視線の先が、女の目に定まる。
「……今すぐ、立ち去ってくれ」
「あ、そう。じゃ叫ぶね」
「私の連れに何の用事ですか?」
そのとき。二人の間に割り込む人影が現れた。ツムギだった。
急な登場人物に、女の目が見開かれる。
「……なんて。さっきから話、聞こえてましたよ。この人凄く困っているので、やめて下さい。不愉快です。今すぐ立ち去らなかったら、ストーカーに絡まれているって叫びますけどいいですか?」
事務的に、冷徹に、淡々と、付けいる隙の無い冷たい声音で、ツムギは言い放った。目線は女から一ミリも逸れない。
どうなるかと思ったが、やがて女は根負けしたようで、ツムギを睨みながら立ち去っていった。
その瞬間、ユウヒが大きく息を吐き出した。
「はあっ、良かった……! ごめんツムギ、迷惑かけてしまって。は、はは、まさかこんなことが起きるなんて。縁切り神社とか行っておけば良かった。次の休みにでも行こうかな?」
「そういう嘘笑い、いいから」
ユウヒの力の無い、必死で浮かべている笑みを、ツムギは指さした。
「迷惑とも思ってない。だから優陽、笑ってよ。そのために間に入ったんだから」
「わ、笑う?」
「優陽の笑顔、いい笑顔なんだよ。私、優陽にはいつも笑っていてほしいの」
その台詞は喧噪を通り越して、アルニラの耳にも届いた。アルニラは、目を見開いた。
ああ、そうか。そういうことだったのか。
ならば自分がやることは、一つしかない。しかし、その前に。
「……シェダル」
「すぐそこに池があったぞ。店の裏に空のバケツも二つ」
シェダルはに、と笑って肩を叩いてきた。さすが幼馴染み。意思疎通も完璧だ。
池の水をバケツに汲んで戻ってくると、ちょうど目の前の通りを、先程の女が苛立った様子で歩いてくるところだった。「ふざけるな」「腹立つ」と繰り返し呟いている。
気配を消して近づき、他の人にかからないよう気を付けつつ。
アルニラはシェダルと同時に、女に向けてバケツにたっぷり入った水をぶちまけた。
ばっしゃーん! 水の派手な音が響き渡り、周りの人々がなんだなんだと立ち止まる。
女は全身、ここだけ大雨に降られたように、びしょ濡れになった。川草が髪や顔や服にへばりつき、小さい魚が体にぶつかって地面に落ち、足下でびちびち跳ねる。
ぽたぽた雫を落としながら、女は数呼吸の間の後、きゃーーーっと空気を切り裂く悲鳴を轟かせた。
「すみません、ついうっかり」
「人の恋路を邪魔しているようだったからな! 気がついたら手が滑ってた!」
バケツをその場に捨て置き、さっさと逃げ去る。女性の金切り声はあっという間に後ろに下がって遠ざかっていった。
どうせ、今日にはチキュウを発つ。多少派手なことをやらかしたって、犯人はばれない。
アルニラは、並走するシェダルを見た。
「なあ。もう一つ、頼みがあるんだ」
シェダルは頷いた。
「何でも言え」
いきなりのアクシデントが原因か、優陽は「緊張したからね……」と、いそいそとトイレに向かって行った。今度は紬が優陽を待つ番になる。場所を変えず立って待っていると、急に「あの」と声をかけられた。
見ると、フードを被り眼鏡をかけた高校生くらいの男子が立っていた。
「こんにちは。シェダルといいます。アルニラの友人です」
思わず息をのむ。アルニラと再会した日も、確かに眼鏡をかけた男子が後ろにいた。
「アルニラが、あなたと話したがっています。案内するので、行ってやって下さい」
「アルニラくんが……?」
「あなたにはその義務がある」
シェダルは、紬を睨んでいるようだった。
「あなたの事情を俺は知らない。あなたの胸中がどんなものかを知らない。でも、だから逃げだしていいなんて、それはあなたの自己中心な考えに過ぎない。俺はアルニラが、ミラク星での“5年間”、どれだけ一生懸命に生きて、チキュウへ行きたがっていたかを見てきた。アルニラに伝えたいことがあろうとなかろうと、ちゃんと真正面から、あいつと向き合うべきだ」
「わ、私は」
「俺に弁解する暇があるなら、アルニラと話せますよね?」
ふー、とシェダルは長く細い息を吐き出した。自分を落ち着かせるように。
「……アルニラは、単純で、向こう見ずで、若干アホで、明るくて、優しくて、良い奴です。あいつほど真っ直ぐな奴はいません。あいつはあなたと真っ直ぐ向き合おうとしている。だからあなたもどうか、あいつの心と、向き合ってやって下さい」
「……わかった」
紬が頷いたのを確認すると、シェダルは「着いてきて下さい」と歩き出した。
優陽には一件電話をしてくるとメールし、後を追った。
ここにアルニラとシェダルがいるのが偶然とは思えない。どうやったかは知らないが、紬が霜月山に来ることを知って、追いかけて来たのだろう。
店と店が並ぶ隙間を抜け、その先の林を歩いていく。勝手に、姿勢も歩調も強張っていく。満足に練習ができていない中、大きな舞台の本番に立たなくてはいけないような気分だった。
小さな池がある開けた場所に出た。池のほとりに、アルニラが立っていた。エメラルドグリーンの爽やかな髪色に、少し尖った耳。青と水色のグラデーションでキラキラした瞳。
黙ってシェダルがその場を離れる。紬とアルニラ、二人だけになる。
「山も赤色だったけど、この辺りの木も色がついているな。赤に黄色に……綺麗な色だ!」
アルニラは池のそばに生えている木々を指さした。この辺りの木々も、紅葉している。普段は緑だけの樹木が、秋だけは赤や黄の色を装う。
モミジやイチョウの葉が、はらはらと落ちてくる。
ツムギ、とアルニラが口を開いた。
「僕は、ツムギが好きだ。昔も、今も。力を込めて、即答できる。何回でも」
この口調を、紬は覚えている。必ず会いに来るから待っていてほしいと言われたとき。あのときもこんな風に、いつも笑顔だったアルニラが真剣な顔つきになって、どこまでだって進めるような真っ直ぐな声で言っていた。当時の紬はそんなアルニラが、どんな強いものよりも頼もしい存在に見えた。
「ツムギは、どうだ? 好きだって。力を込めて、すぐに言えるか?」
「……それは」
あのとき。あのときなら、間違いなく言えた。何回だって頷いただろうし、何度だって「好き」と言えただろう。しかし、今は。
「実は今日、チキュウを出発するんだ。またチキュウに来るかはわからない。ここで僕が、ツムギにも来てほしいと言ったら、ツムギは頷くか? 仕事や交友関係、慣れた生活、持っているもの全て捨てて僕と共に行くことができるか?」
「それ、は」
「わからない?」
小さく頷く。「そうか」という声は、予想外にも優しかった。アルニラはふっと顔を緩ませた。
「もうツムギは、答えが出てるよ。わからないんじゃない、見えていないだけだ」
「……それはないよ。あのね、婚約者って言ったの、あれ嘘だよ。でも告白されたのは本当。けど保留している。私、自分のことなのに自分の気持ちが全然わからないんだ。アルニラくんといたいのか、あの人といたいのか、それともどっちともいたくないのか……。怖いんだよ。そう、怖い。選んで、取り返しのつかない失敗をするのが怖い。だから逃げている」
幸せを、誰かと築いていける自信がないから。不安ばかりが浮かぶから。だから逃げ続けている。
アルニラを待っていた日々だってそう。自分は逃げているわけではない、待っているのだという言い訳の一つではないと、果たして言い切れるのか?
「……あの人なら、大丈夫だと思うけどな」
アルニラが小さく何かを呟く。その台詞は紬には上手く聞き取れなかった。
「じゃあヒントだ」
アルニラは微笑んだ。先程からずっと微笑んでいる。
「ツムギ、僕の願いはな。ずっとツムギに、笑顔でいてほしいってことなんだ。この願いが変わったことはない。昔も、今この瞬間も願い続けている。……20年もほったらかしにしておいて、こんなこと言う資格なんてないのはわかってるよ。僕はツムギを一人にし続けて、笑顔どころか涙を流させてきたんだから。でも、わかってても願わずにはいられないんだ。ツムギには、いないか? そういう、ずっと笑顔でいてほしいって思う存在が」
はらり。一枚の落ち葉が、二人の間に降ってくる。
「あ……」
笑顔。
記憶の中のアルニラは、いつも笑顔だ。それ以外の表情が思い浮かんだときが、あまりない。紬が何もしなくても、笑っている。
ずっと笑顔でいてほしい人。そう聞かれたら、一人だけ思いつく人がいる。
冗談の苦手な自分が、冗談を言ってでも笑ってほしい人。困っている顔、辛そうな顔を見たくない人。
「……アルニラくん」
“もしも”が浮かぶ。
「もし、怖がらずに20年前アルニラくんの手を取っていたら、私はどうなっていたんだろう。詳しいことは一つも想像できないけど、私の傍にアルニラくんがいるのは、確かだと思う」
「だけど、それはもしもの話になる」
「そう、もしもの話だね……」
紬はゆっくりと、頭を下げた。赤や黄色の落ち葉でできた絨毯で、視界がいっぱいになる。
「ごめんなさい」
声が頭に反響した。ひゅう、と風が吹く。落ちていく葉の数が増える。風が池の水面に波紋を描く。
「うん。わかった」
遅すぎもせず、早すぎもしない。返事が来るまでの“間”は、それくらいの長さだった。
「僕、聞くのを忘れてたんだよ。まずツムギがどう思っているのかって。聞けて良かった。ありがとう」
紬は顔を上げて、そうして、はっと息を忘れた。
「君が、“ずっと笑顔でいてほしい”と思える人に出会えて、本当に良かった。なんだか今、凄く嬉しい。こんなに嬉しい返事はないってくらい、幸せな気持ちになってる」
胸に手を添えて、アルニラは笑っていた。その笑顔は、記憶の中のアルニラのどの笑顔とも違う、初めて見るものだった。
地球人だとか宇宙人だとか、子供だとか大人だとか、男だとか女だとか。あらゆるラベルを無視した先の向こう側にあるような、とても優しい、澄んだ笑みをしていた。
その清らかな笑顔を見た瞬間、ふたが大きく外れる感覚がした。こんなこと言う資格ないとか、言っても迷惑になるだけだとか、非常識だとか。それで形作られたふたが、一気に弾け飛んだ。
「アルニラくん、さっき願う資格なんてないって言ったけど! 私、アルニラくんにもう一度会ったら、絶対伝えようと思ってたことがあって!」
腹の底、いや心の奥の奥底から声を出す。ずっと伝えたいと思っていたこと。
「ありがとう、アルニラくん! あなたと出会えたから、私は今まで生きてこられた! 辛いことも苦しいことも耐えられた! あなたとの思い出が支えてくれた! 笑顔でいてほしいって、心から望む人とも出会えた! あなたと出会えて、本当に良かった!」
ぽかん。アルニラは呆然としている。
紬は自分のことを指さした。今、自分ができる精一杯の笑顔を浮かべる。
「私、今、学校の先生をしているの。夜間学校の。アルニラくんが、紬は教えるのが上手いって言ってくれなかったら、絶対目指さなかった職業だよ」
と。
「ははっ!」
アルニラは、顔をくしゃっとさせて、笑った。
「僕達、お互いに“運命の出会い”だったんだな!」
宇宙を航行するための船は、どんどんチキュウから離れていく。
「この宇宙船、どうするかなあ……」
コックピットを見回しながら、アルニラは呟いた。買ったばかりなので、手放すには惜しい。免許だって取得しているのだ。
「せっかくだ、また宇宙旅行に出かけるか! そのときはシェダル、お前も同行してくれよ!」
「なんで俺まで……。まあいいけどさ」
隣のシートに座るシェダルはため息を吐いた。面倒臭そうにしているが、本当に面倒ならシェダルは絶対に来ない。「いいけど」と言っている時点で、満更でもないどころか結構乗り気なのだ。
ふと、シェダルは読んでいた本を閉じた。
「……良かったのか? 本当に」
何のことかは、言われるまでもない。不思議なほどすんなりと、「いいんだ」と出てくる。
「伝えたいことは伝えられた。そうしたら、言われるなんて思ってもみなかった嬉しいことをたくさん言われた。これで後悔なんてしないさ。言っとくけど、僕は嘘なんて言ってないぞ? あの場面で嘘なんて言えるものか。ツムギのこと大好きなのに」
「……そうか」
すると。突然、シェダルは反対方向に顔を向けた。
「俺は、今から寝る。目を閉じるから、何も見えなくなる」
「お、おお? わかった、おやすみ」
「……アルニラ。俺は何も、見ないからな」
それきり、静かになる。
アルニラは正面を向いた。宙の一点を見つめる。
熱い水滴が、頬を伝った。
片方の目から零れた水は、それを始まりとして。次から次へと、溢れてきた。
「うっ……。う゛ううっ……」
手でおさえようという考えも湧かないほど。どんどん涙が流れてくる。いくら泣いてもなくならない。涙とはこんなにたくさん出てこられるものなのかと、初めて知った。
ああ、けれど良かった。チキュウでは我慢できた。笑っていられた。
どうか、あの二人がずっと、笑顔でいられますように。
アルニラに、新たな願いが生まれた瞬間だった。
終
宇宙からのプロポーズ大作戦!! 星野 ラベンダー @starlitlavender
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