模倣犯

神崎郁

模倣犯

 正しく在りたいと思う。


 世界は、正しくも優しくもないからだ。


 私は誰に嫌われようとも変わることは無い。どう思われようと私は私だ。


「お、『イインチョー』じゃん」


 浮ついた声だ。


 私は別に、何かの委員長じゃない。だから、この私への呼び名は言うまでもなく皮肉だ。


 理由は多分、周りから孤立してる癖して真面目気取ってるとかそんな所だろう。


 だが別に構わない。だって、こんな奴らたかが知れている。


 自分の意見を持ちもせず、仲間内で消費するために人を安全圏から嘲笑う。私はああはなりたくない。


 だから、私は彼らと同じ土俵に下りてなんかやらない。


 彼らはひとしきり皮肉という名の自己満足を終えると、ご満悦の表情で去っていく。いつもの事だ。


 こういう世界で生きられたら、きっと幸せなのだろう。


 関係ないか。私は自ら不幸せを選んだのだから。


===


 今日も、いつもの様に文章を書いた紙を取り出し、学校の適度に目の付く所に貼る。


『安全圏で石を投げるな、低俗な生き方しやがって』


 毎回内容を変えるが、おおよそこんな見出しで私の思う正しさを書いた紙を、こっそり学校内に貼っている。


 傍から見れば完全に頭のおかしいやつだろう。


 多分、この行動は誰にもバレていないはずだ。


 どの道大きな効果はないだろう。が、話題にはなっている。だから大丈夫。誰かには伝わるはずだ。


 そう願いながら、今日も不特定多数へ言葉をぶつける。


 彼から貰った言葉の断片を。


===


 この中学という牢獄では、誰も私のことを分かってくれない。


 私はあなた達の敵じゃない。彼を奪ってなんかいない。


 なのに、どうして石を投げるのだろう。


 味方は誰もいない。中学という小さな世界では、異物は一瞬で処理されてしまう。私この波にのまれ、あっさりと漂白されてしまう。


 悔しかった。どうして私だけがこんな目に遭うのだろう。


 体育館裏の隅で誰かに見つからないように私は蹲る。もしかすると泣いているかもしれない。


 その判別もできないくらいに、私は行き場を失っていた。


 ふと、足音が聞こえる。まずい。今の状況で皆に見られたら大変な事になる。


 けど、意外なことに、そこに居たのは同じクラスの男子だった。


「どうしたの? こんな所で」


 心配げに、けど一定の距離を持って彼は私に話しかけてくる。


 それが鼻についた。


「分からないよ、君には」

「そうだね。きっと僕には分からない。けどさ、僕も独りだから、つい」


 確かに、彼は周りから一定の距離を置いているように私の目には映っていた。誰と衝突を起こすこともなく、それなりにやっていた。


 だから、縋ってしまった。この小さな世界で生きる術を、教えて欲しかった。


「......なら、教えてよ」

「何を?」

「どうしたら上手に生きられるのか、私に教えてよ」


 彼は一呼吸置いて、それから頭の中から適切な言葉を丁寧に選ぶように言う。


「僕は上手になんて生きていないよ。ただ、やり過ごしてるだけ」

「でも、私はやり過ごせてない」


 覚悟を決めるように、彼はまた一呼吸置いて、言った。


「何の解決にもならないかも知れないけど、持論を言っていい?」


 祈りながら、頷きを返す。


「正しくなれ」

「......?」

「誰かの思う正しさじゃなくていい。君の信じるものを信じ続ければいいんだ」


 自分で聞いておいて、何言ってるんだと思った。本当に何の解決にもならない。


「そんなの持ってない」

「何でもいいと思うよ。何なら『ざまあみろ』でもいい」

「何でも......?」

「ま、いずれ見つかるよ。揺るぎない何かを手に入れた時、少しだけ正しく生きられるようになるんだ。僕らは」


 そんなことを言われても、分からない。そもそも、揺るぎない何かを持っていれば苦労していないのだ。


「なら、一つ教えてやる」


 その言葉は、声は確かに私の胸の穴の中に確かに染み渡った。


 彼は優しい声で大切な言葉をくれた。


 それは単純で、だけど魔法の言葉だった。


 何も無い私に差し伸べられた一筋の救いだった。


 彼が教えてくれたそれで、私は何処へだって行ける気がした。世界だって変えられる気がする。


 羽でも生えたように心が軽くなる。私ってこんなに単純だったんだ。


「ありがとう」


 言葉は喉をつっかえて、新鮮な胸の熱に追いついてくれない。


「どういたしまして」

「私も、君みたいになっていい?」


 彼は微笑む。


「勿論」


 私は貴方の魔法の言葉を抱いて生きるのだ。それだけで生きて行ける。


 傍らでぽつりとかすかな光に照らされる小さな水溜まりを見て、私は自分が泣いていることに気づいた。


 この涙の先にあるものが私の強さだ。きっと一生それは変わらないだろう。



===


 私は変わらない。あの日から私は私のままだ。


 深呼吸して、これから自分がするべき事を見据える。


 放課後の校庭に、私は独りで立っている。


 ここからは革命の時間だ。


「ねえ、君たち! いいご身分だね」


 私はひとりで、ひとりよがりに叫んだ。


 嘲笑が聞こえる、教師がこちらに来ている。


 いいよ、存分に笑え。


 私は不敵に笑う。一応そのつもり。


 馬鹿なことをしているのだろう。そんな事は自分でもわかる。私は別にアニメの主人公なんかじゃない。


 それでも、私は私の言葉でこの小さな世界を変革したかった。


「安全圏から石投げて、笑って、楽しい!? 楽しいよね。私がもっと楽しくて苦しい生き方を教えたげる!」


 叫べ。


 今は周りの言葉なんて聞こえちゃいない。


 そして私は全力の大声で彼が教えてくれた言葉を語った。


 魔法使いにでもなった気分だ。


 その言葉ならこの腐った場所を変えることだってできるのだ。


 けど、笑い声は止まない。ま、当たり前か。それでいい。


 たった一人に届けばいい。そこから伝播しろ。


 言葉は世界を変える。何故か今は根拠も無しにそう信じることが出来た。


===


 一日では何も変わらなかった。この学校を取り巻く空気は一切変わらず、昨日の出来事は今日の面白ネタとして一瞬で消費されて終わる。


 後悔なんてない、ないはずだ。


 けど、今は分からない。私がしてきた事は全部無駄だった?


 いや、気を取り直せ。誰か一人には伝わってるはずだ。でないとおかしい。


 思案しながら、後ろ指を指されながら、帰路に着く。あの日から私は孤独だ。


「なあ、ちょっといいか?」


 男に話しかけられる。


「何やってんだよ、お前」


 そこに居るのは、紛れもなく、私の大好きな魔法使いだった人だ。


「久しぶりだね! 私、ついにやったよ」

「そうだな。盛大にやらかしてくれた」


 彼の眼は氷みたいに冷たかった。


「なんで......?」

「正しさはな、振りかざすものじゃないんだよ」


 まるで人気のない田舎道で、彼は無表情のまま言う。


 頭の中が真っ白になった。心も何もかも冷えて上手く頭が回らない。


「確かに僕はお前に僕の座右の銘を教えた。けどな、それはお前の物じゃない」

「......!」


 頭が割れるように奇妙な感覚を覚えた。


「人の理想を、言葉を、お前の頭の悪い行動で汚さないでくれ。あれは僕のものだ。何も無い僕だけのものだ」

「でも、私は貴方の言葉に救われたんだよ。神様に見えた、私でも世界を変えられるって......」

「うるさい」


 信じたものが、いとも簡単に崩れていく。


「お前はその浅い自己顕示欲を満たす為だけに僕の言葉を使ったんだ。それだけは僕の中で変わらない」


 知らない、聞こえない。


「違う!」


「何がだよ。こんな事ならあの日、お前に話しかけなければ良かった」

「違うの、ほんとは」


 そうだ、私は、強くなりたいんじゃない。強くなくて大丈夫なように、貴方の言葉で私は私を覆い隠した。


 だから、結局は、これでしかない。


「私は! 貴方みたいになりたかった!」


 気づけば大声が漏れていた。


 祈りながら、彼の顔を見遣る。彼は鼻の周りをしわくちゃにして吐き捨てた。


「キッショ」


 背を向ける彼を、私は呆然と見つていた。


 そうだ、馬鹿は私だ。何も分かってなかった。今だって分からない。夕日が私を刺すようだ。視界全てがぼやけて見える。


 確かにそうだ。こんな思いをするなら......


 そう思いながらも、魔法の言葉は私の胸で淡く輝き続けている。


 空虚を遺して、魔法の残像に私は縋り続けた。


===


 何なんだ、あいつは。


 僕の言葉に、正しさに我が物顔で踏み入りやがって。奪いやがって。


 正しさも、矜恃も自分の胸の中で秘めるものだろう。


 なのに、あいつは言葉の力を過信して僕の言葉を捻じ曲げた。それが気持ち悪かった。


 あいつのした事は盗用だ。利己的な、浅い欲求の為だけの。


 胸はまだ痛い。言いすぎてしまったという後悔も正直な所、ある。


 いくらそう感じても、僕は心の奥底から湧いて出た呪詛を抑えるべきだった。


「はあ......変わらないな、僕は」


 僕ももしかすると、彼女とそう変わらない浅い尺度で生きているのかも知れない。


 人は完全に理解し合うことは出来ないし、あの日の僕もまた弱かった。だから、こうなった。


 ため息が漏れる。キリがない。今日はさっさと帰ろうか。


「どうしたの、少年」


 女性だった。多分僕より年上の。


「聞いて、くれますか?」

「勿論」


 彼女は優しく頷いた。どうしてか、信用できると思った。


「昔、会ったことがある人に怒りに任せて酷いことを言ってしまいました。馬鹿ですよね」

「そうだね。でも、人間なんてそんなもんだよ」


 煙草を取り出して彼女は言った。


「いいんですか、それで」

「私、こう見えても成人だからねー」

「はぁ......」


 彼女は僕に視線を向けて手を差し出す。


「生きづらいでしょ?」

「......はい」


 僕は分からなくなっていた。昔のやり方じゃやり過ごせなくなって、正しさは思うよりずっと脆弱で。


「なら、上手な生き方を私が教えてあげる」


 否定でも肯定でもいい、ただ、この自己矛盾をわかって欲しかった。


「......教えて、ください」


 震える手で、彼女の手を取った。


 僕たちはいつも、何かを求めて、それでも分からないから、他人に縋って生きている。


 何も無い田舎町ににわか雨が降り始めた。

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模倣犯 神崎郁 @ikuikuxy

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