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生きていることを証明するのは、自分が思うより簡単なことだったのかもしれない。
人の中に生きる勇気さえ持てば、いつだって人は存在し得るのだ。
島の端の丘に建つ、海風を浴びる家。甘えた猫の鳴き声と、母の膝の上という居場所をせがむ子供の声。オリーブオイルの弾ける香りが漂う中、小川は一通の手紙を読んでそう考えを改めていた。
母親に刺された海叶の傷は深かったが、その命を奪うまでには至らなかった。また、その母親も、側頭部に傷を負ったが、後遺症もなく今も依存症と戦っている。
そして、海叶が刺したという伯父と伯母は、暴れる海叶をなだめる時に、軽い怪我を負っただけだった。
海叶が何度もナイフを突き立てたのは、店の中で海叶が暴れた時に割れた生け簀から飛び出した魚たちだったらしい。だが、海叶はいまだにそれが信じられないという。そして、頭の中で二人が動かなくなるまで何度もナイフを突き刺したのには違いないと、酷く自分を責めた。
小川は海叶から久しぶりに届いた手紙を封筒に戻し、キッチンで夕食の準備をする亜紀の足にしがみついてはなれない子供を抱き上げた。
「
「あついの? おちてくるの?」
「そう。熱いんだよ。火傷しちゃったら、痛いし、跡が残っちゃうんだよ。空の手とか、こんなにツルツルで綺麗なのに」
そう言って小川が空の手をさすると、くすぐったさに空は笑った。
「くすぐったいー! ねえ、『あと』ってなあに?」
「えとね、でこぼこになっちゃうんだ。お父さんの背中みたいに。そんなの嫌だろ?」
「えー。そら、おとうさんいやじゃないよ。でもいたいのはいや」
「お待たせー。はい、お父さんも、空も、シュー触ってから手は洗った?」
亜紀の言葉に、小川と空は顔を見合わせて、二人とも舌を出した。
「あっ、見たぞー。そんなんだったら、もうご飯作ってやんないんだから」
亜紀が大袈裟に口を尖らせて見せると、その顔を空も真似した。
「大丈夫だよ。さっき手は洗ったから」
「だったらそう言えばいいのに。あーあ、カワイイ空ちゃんがどんどんお父さんに似ていっちゃうー」
亜紀が空のお腹に顔を押し付けて左右に振りながらそう言うと、空は木を滑り降りるように小川の腕の中から降り、ソファーの上に飛び乗った。
「手紙……。海叶君、どうだったって?」
「ああ、合格したって。第一志望の札幌の大学」
「やったじゃない、海叶君。……そっかあ、春から北海道で大学生か。簡単には会えなくなっちゃうね」
海叶は今を生きている。海叶が未来を選択した瞬間にそこにいた小川もまた生きている。
生きている者は、必然的に他の生きている者の証人となる。命の証人がいてこそ、人生に価値が生まれる。母親のような依存症患者を救いたいと願う海叶の人生はまた、証人である小川や、母親の価値でもある。
これから海叶の人生の証人は、小川や母親以外の誰かに変わってゆくだろう。
子は親の鏡ではない。
子は周囲を見渡しながら自分の道を歩み、関わった者全ての証人となるのだ。
凧の糸 了
凧の糸 西野ゆう @ukizm
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