第3話
時を同じくして、清見のまわりでは妙な事が起きるようになっていた。
たまたま清見が外から昼休憩のために戻ってくると、たまこさんの弁当が鞄の外に出ていることがあった。そのときは偶然だと思ったが、やはり包みが一度包み直されたような気がしてくる。
それどころか。
「……あれ、ファイルが無いな。兼田君、午後のファイルがこの辺にあったと思うんだが、知らないか?」
「いや、知りませんけど……」
そういってしばらく探していると、コピー室に置かれていることがあった。まだ誰にもコピーを頼んだわけでもないのに不思議だと首を傾いた。
仕事に支障が出るほどではないが、そういった「うっかり」で済まされそうな何かが起こり始めていた。
はたまたある時は、家に帰って共同スペースのポストを覗くと、ダイレクトメールに混じって切手の無い手紙が届くことがあった。気味が悪かったし、たまこさんに余計な心配をかけたくなくてそのまま捨てた。
帰る時に視線を感じることもあった。
そしてなにより――妙な噂が立っていた。
「そういえば清見課長、やっぱり彼女さん出来てたんじゃないですか。いい彼女さんですよねぇ。毎日お弁当作ってくれて」
松永が笑いながらそう言ってきたとき、清見はわけがわからずにきょとんとしてしまった。
「いや、弁当なら違うが」
「え?」
今度は松永がきょとんとした顔をした。
「でも課長、前から付き合ってる人がいるって噂になってますよ。同じ社内の人間だっていうから、誰だろうって話してたんですけど」
「お付き合いしている人はいないのだが……」
「えー? それじゃあ、本当にただの噂だったのかな?」
どうやらいつの間にか妙な噂まで立てられてしまったらしい。
「私の弁当を見て、誰かが勘違いしたのかもしれないな」
「うーん。確かに清見課長、お弁当にしたのは最近ですしね?」
松永も首を傾げた。
おそらく誰かの勘違いということになった。
しかしその後も妙なことは続いていた。プライベートのスマホに、非通知の電話が掛かってきたり。作ったはずの資料のファイルが無くなったり。極めつけには弁当の包みが一旦剥がされた跡があったりと、妙なことは続いていた。
清見はその不穏な空気を埋めるように、たまこさんを膝の上に乗せてもふもふしていた。
「あの、しょういちさん」
「なんだい?」
「さいきん、なにかありましたか」
「えっ」
――それは、もふもふしているからか!?
清見は動揺したが、よく聞くとそうではなかった。
「おつかれぎみというか、なにかしんぱいごとが、ありそうな、おかおをしているので……」
「……」
言うべきか迷った。
会社で奇妙な出来事が頻発していること。それがだんだん家に近づいてきていること。
まだ仕事に支障は出ていないが、時間の問題だ。
たまこさんのシッポの蛇が、ちろちろと舌を出しながらこっちを見ていた。最初こそ驚いたが、いまはもうこういうものだと思っている。そっと指先で撫でてみる。はたして蛇に気持ちいいポイントがあるのか知らないが、少なくとも嫌がってはいないようだった。
「……いや、大丈夫だよ」
「わかりました。それじゃあ、ぞんぶんにもふもふしていやされてください!」
あまりにたまこさんが自信たっぷりに言うので、清見は小さく笑ってしまった。
その後も、奇妙な出来事は続いた。
――いったい、誰がなんの目的で……?
いっそ警察に言うか。それとも会社の上司に相談するか。でも、弁当が勝手に開けられているのも自分が見たわけではない。それこそ気のせいかもしれない。ファイルが別の場所やコピー室で見つかるのは、自分が置き忘れた可能性もある。まだ仕事に影響が出ていないのが救いだ。
その日は少し遅くまで仕事を片付け、普段より遅れて会社を出た。普段通りに帰路につき、自分のマンションへと向かっていく。そういえばあれ以来母に電話していないことを思い出した。たまこさんのことをどう説明するべきか。そもそも父にしたって、なにを考えてたまこさんを寄越してきたのだろう。
そんなことを考えながらエレベーターに乗り込み、軽く肩を回して凝りをほぐす。自宅のある階につくと、そのままエレベーターホールから廊下へと出た。
ふと見ると、自分の部屋のドアが開いているのが見えた。
さっと顔が青くなる。
心臓を掴まれた気分だった。
「きゃーっ!」
「たまこさん!?」
たまこさんの声だった。
急いで部屋の前に到達する。
「たまこさん!」
ドアの中に叫ぶと、たまこさんの他に人影が見えた。
「誰だ! たまこさんに何をしてる!」
叫ぶと、その人物が振り返った。
「き、きみは……、山崎君!?」
「清見課長!」
山崎はどういうわけか、清見を見て顔を明るくさせた。そして、笑いながらこっちに走り寄ってきた。いまにも抱きつかんばかりの山崎の肩を掴んで止める。
そもそもどうして山崎が自宅にいるのか。疑問ばかりが増える。
「なにをしているんだ、こんなところで……。……たまこさんは!?」
パニックになりながらも、ハッとして山崎を振り払って部屋の奥まで走る。靴を履いたままだったが、気にしてはいられない。
部屋の中は相当逃げ回ったのか、白い羽毛があちこちに散乱していた。
「たまこさん!」
部屋の隅で、白いかたまりがふるふると震えていた。
「しょういちさん!」
「大丈夫か、何があったんだ!」
そっとたまこさんを持ち上げる。たまこさんも、シッポの蛇も涙目になっていた。
振り返ると、後ろから山崎が追ってきたらしく部屋の入り口に突っ立っているのが見えた。
「そいつから離れてください。そいつは化け物です!」
手には包丁を持っていた。
ぎょっとする。
「お、落ち着け、山崎君。説明するから。たまこさんは――」
「化け物に騙されないでください! 蛇なんて気持ち悪いうえに、鳥なのか蛇なのかわからないなんて。そいつのせいで、清見課長はおかしくなってるんです!」
「待ちなさいっ。たまこさんは確かに普通の鳥じゃないかもしれないが、とにかく落ち着いてくれ!」
山崎は相当パニックになっていると清見は思った。
「おまけに、清見課長と私の邪魔までして――」
「じゃ、邪魔ってなんだ?」
たまこさんを見てみるが、たまこさんもわからないようだった。
「知ってますよ。私のこと、試してたのくらい」
「試したって、何を言っているんだ……?」
思い当たる節が無く、清見は眉間に皺を寄せる。無意識にたまこさんを抱きしめた。
「清見課長の恋人は私ですものね」
「……は?」
本当に何を言っているのか、理解できなかった。
山崎が自分の恋人?
いつそうなった。まったく心当たりがない。
「清見課長、とぼけなくていいんです。私も、清見課長が嫌がると思って、ずっと付き合ってた事隠してたんです。お昼を一緒にしてくれなかったのも、噂になると恥ずかしいと思ったからですよね。お弁当を食べるようになったのも、私への当てつけだったんでしょう。大丈夫です、私、全部許しますから」
「山崎君――そもそも僕らは付き合ってないじゃないか。恋人ですらない」
「どうしてそんな嘘つくんですか!」
金切り声がした。
かなり興奮しているのが見てとれる。
「そいつのせいですか。そいつが清見課長をおかしくしたんですか? 清見課長は私の恋人なのに。清見課長は完璧な私の恋人なのに。それなのに、清見課長の部屋まで汚しやがって。あまつさえあんな巣まで――」
山崎は、まだ部屋の片隅に残っているゴミ袋を見ていた。
一人と一匹(二匹?)で少しずつ片付け、次のゴミの日に出すべく置いてあったものだ。汚れきったマットも、まだ換えていない。
「……山崎君。この部屋は、私のせいだよ。たまこさんのせいじゃない」
清見は首を振った。
「私はきみが思うほど、完璧な人間じゃないよ。家の中をゴミだらけにするし、スーツが埋もれたら買い換えれば良いと思ってたくらいだらしがないし、仕事以外は本当にちゃらんぽらんだったんだ。たまこさんのおかげでようやく持ち直せたくらいの人間なんだよ。たまこさんには本当にお世話になっていて――」
「黙って!」
山崎が包丁を突き出したので、清見は抱きしめたたまこさんを後ろに隠すようにした。
「そんな怪物、やっつけてやります!」
「よせやめろっ!」
清見が山崎に向けて自分の背を向けた。覚悟したように目を瞑る。もう避けられない。
「だめです! だめ! だめー!」
たまこさんの声が響き渡った。
たまこさんのシッポの蛇の目が光り、あまりに強い光が部屋の中に満ちた。
――なんだっ……!?
それは一瞬のことだった。清見は腕でたまこさんを抱きしめていたが、いつまで経っても衝撃が来なかった。不審に思って、そっと目を開けて見上げる。
目の前には、山崎が鬼のような形相をし、ナイフを振り上げたまま止まっていた。
「……山崎君?」
声をかけても、瞬きひとつしない。
恐る恐る指先で、その体を突く。もう一度つつく。山崎はまったく動かなかった。肌の色もやや石のような色になっている気がする。
まるで――そう、石化してしまったように。
「あ、ああ……」
腕の中で声が聞こえた。
ハッとしてたまこさんを見る。
「たまこさん……、たまこさん! 大丈夫か!」
「ご、ごめんなさい。わたし、わたし……」
たまこさんはふるふると羽毛を震わせていた。蛇も涙目で震えている。
はたと気付く。
――そうか、石化……!
コカトリスは目が合うと石化する伝承がある、確かそう言っていなかったか。
――つまりこれが、石化……?
確かに固まっている。
「ごめんなさい、わたし……。わたし、ほんとうはニワトリじゃないんです……!」
「いや、それは……」
とうの昔に知っていたというか、最初に見た時から思っていた。
「……いいんだ。助けてくれたんだろう、ありがとう」
たまこさんを落ち着かせるように羽毛をもふもふと撫でる。
「しょういちさん……」
「でも、この石化はどうしたら治るんだ?」
「わたしの、チをのませれば……。くちのなかにいれれば、かいふくするはずです」
「チ? ……ああ、血のことか」
一応、解決策はあるらしい。
「にくでもだいじょうぶです! も、もう、にるなりやくなりしてください!」
「さすがにそれはちょっと……」
とにかく、その前に警察を呼ばないといけなかった。
警察が来る直前、たまこさんの血を飲ませた山崎は、がくんと膝をついて呆然としていた。実際、石化していた人間がどんな精神状態だったのか――おそらく、突然眠り込んで目覚めたような感覚だったに違いない。なにしろ、ここがどこだかわからないような顔をしたのだから。
その直後に警察を中に入れると、山崎は少し抵抗しながらも連れられていった。そうして、この事件は一応は幕を下ろしたのだった。
数日の休みを貰ってから会社に戻ると、部長がなんともいえないような表情で出迎えてくれた。
「勝手にお休みをもらって、申し訳ありませんでした」
「いや、きみも大変だったな。休みは有給にしてあるから、心配しなくていい」
「ありがとうございます」
後から聞いた話によると、山崎は自分が清見と付き合っていると思い込んでいたらしい。理由は新人の頃、優しく指導してもらったことだった。清見は全員同じように接していていて、山崎も部下の一人でしかなかった。当の山崎だって、見た目や言動におかしなところは見えなかった。見た目もきちんとしていたし、孤立していることだってない。そのため、清見と付き合っていると聞かされていた人たちのほとんどはその話を信じ込んでいて、逆に今回の事件に驚きを隠せなかった。それどころか、「付き合っているとわかると迷惑だから隠していると言われた」とまで言っていた。弁当の件も、最近少し喧嘩したから当てつけにされている、というようなことを言っていたらしい。
デスクに戻った清見を、周囲は少しだけ遠巻きに見ていた。
杉本が「大変だったなぁ」と苦笑いで肩を叩いていくと、清見のもとにちらほらと人が戻ってきた。兼田が、袋入りの和菓子を持って近づいてくる。
「清見課長、和菓子食べますか。前に間違って買ったやつ、美味しくてはまっちゃったんですよ」
「あ、兼田さん、私にもください! お茶淹れますよ!」
松永が手をあげた。
「ん……、ありがとう」
いまはその気遣いが嬉しかった。
家に戻ると、すっかり片付いた部屋で清見はたまこさんを膝に乗せていた。
頭の毛をもふもふとつまむ。癒しだ。
「……しばらく結婚はいいかなぁ」
「しょういちさん、とらうまになってません?」
「そうだなあ……」
たまこさんを膝に乗せたまま、その頭の毛をもふもふとつまむ。
やっぱりクッションのようでふかふかとした羽毛は心地良かった。
ちろちろと見てきた蛇の首元を、指先でなぞる。
「たまこさんに驚かない人がいいかな」
清見が笑うと、たまこさんも、シッポの蛇と一緒にふふふと笑った。
僕とニワトリのたまこさん【短編・全3話】 冬野ゆな @unknown_winter
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