スライムがこんなに強いなんて聞いてない

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スライムがこんなに強いなんて聞いてない

(スライムがこんなに強いなんて聞いてない――)

 泥のような漆黒の中、どれ程もがいてもまとわり付くそれは、目鼻を塞ぎ、口を塞ぎ、漆黒の深淵しんえんに連れ去っていく。全身が溶けていく。そして、けるような痛みによって意識を手放した。



  ◇



 ショーゴーは冒険者ギルドで次の仕事を受けるため、掲示板に張り出されている依頼内容に目を通していた。ショーゴーの階級である6級の依頼は都市外周の警邏けいらや野草類の採取などで、モンスター討伐の類の依頼は無い。

 そこへ同じ様に掲示板を眺めていた冒険者がショーゴーに声を掛ける。

「おやぁ、モンスター討伐で名を上げるって息巻いていたショーゴーじゃないか。受けれそうな討伐依頼はあったかい?」

 ショーゴーの黒髪と浅黒い肌に対して、白い髪に白いローブをまとったその男、レイクは薄ら笑いを浮かべていた。

「分かってて言ってるだろ」

「スライムにビビって昇級試験を落とした奴に、受けれる討伐依頼なんて無いか」

「あの時はたまたま調子が悪かっただけだ。ゴブリンは倒したし」

 昇級には試験用の課題が依頼という形で出される。5級の試験では既定のモンスターの討伐、具体的にはゴブリンとスライムの討伐を課されていた。しかして結果はレイクが言うように、スライムを前にした時に言い知れぬ恐怖を覚え、討伐には至らなかった。

 一方でショーゴーと共に昇級試験を受けていたレイクは、足がすくんでいたショーゴーを横目に、得意の魔術でスライムを焼き払い、5級に上がっていった。

「次の昇級試験には受かるし」

「その頃には俺は1級かもしれんな」


「緊急ー! 緊急ーっ!!」

 そこへ伝令とおぼしき鎧姿の兵士が駆け込んでくる。それを見た事務の一人が急いで空いている受付の窓口に立った。

「き、緊急依頼だ、巨大なスライムが現れた! 都市の防衛、このスライムの討伐を求む!」

 兵士が息を整えるのもそこそこに受付に伝えた内容に、周囲の冒険者達は怪訝けげんそうに兵士を見遣る。一方、その言葉を聞いたショーゴーには試験の時に感じた恐怖が蘇った。


「聞いただろう、緊急依頼だ! 君達早く支度するんだ!」

 兵士に続いてギルドに入ってきた、癖っ毛の冒険者が大声で周囲に呼び掛ける。彼女、ウィリアの装備は全体的に泥や草木の汁そしてモンスターの血などで汚れており、依頼を終えて戻ってきたばかりであることがうかがい知れる。

「スライムに大げさじゃない……?」

 ショーゴーは同じ様に困惑している受付を見て、そして先程感じた恐怖を打ち消そうとしてたずねた。

「ただのスライムならともかく、あれは甘く見ないほうがいい」

 ウィリアの眼差しは真剣そのものだった。



 今この場に居る冒険者、およそ二十人が丸テーブルを囲んで集まっている。ウィリアが大きな紙をテーブルに広げながら彼らに向けて口を開く。

「これから対スライム防衛戦の作戦を伝える。心して聞くように」

「ちょっと待て、誰だか知らんが何で当たり前のように仕切ってんだ?」

 そう言って割り込んだのはレイクだった。

「おや、君には自己紹介が必要だったか。私はウィリア、3級だ。生憎あいにくそれ以上の階級が居ないから、便宜べんぎ上指揮をらせてもらう。それとも君がする?」

 ウィリアの階級を知ったレイクは視線をそらして、まぁそれなら、とだけ言って黙った。


「では気を取り直して、だ。まず状況を説明する」

 羽根ペンを手に取ったウィリアは、紙に簡単な線で城壁からスライムまでの位置関係を表す図を描く。

「ヤツは歩くような速度だが真っ直ぐこの街に向かっていた。そのままなら遅くとも今日中にこの街に着くだろう。

 作戦は大きく二段階に分かれる。第一段階は砲撃でスライムを散らす。そのための大砲は城壁の上に据えられている」

 続けて城門に砲台を示す楕円を描き足し、そこから砲撃を表す線をスライムに向かって引く。

「細かくなれば一般的なスライムと同様に倒せるはず。第二段階はこれらを各個撃破する。

 分かっていると思うが、スライムは大部分が水分であり普通の攻撃は吸収してしまう。逆に、水分を蒸発させてしまえば倒せる。例えば、近接戦なら火の加護を与えた武器を焼きごての様に押し付ける。あるいは熱系魔術で直接蒸発させるなどだ」

 ウィリアが一通りの説明を終え、再び周囲を見回すと言葉を続けた。

「幸いにも今回は魔術師がいる」

 周囲の視線がレイクに向けられる。視線を受け取ったレイクは、フッと鼻を鳴らし白い髪をき上げた。

「俺が魔術で焼くのは構わないが、加護は誰がやるんだ?」

「私だ。大精霊の加護が使える」

 手を上げたのはウィリアだった。

「加護は魔術と違うものなのか?」

「俺がわざわざ教えてやろう。魔術というのはだな」

 ショーゴーの問いに、したり顔で割って入るレイク。

「術者の魔力を各種の力として作用させ特定の現象を生じさせるもの、だろ。それは分かってる」

「言わせろよ!」

「じゃあ加護の説明だな」

 ウィリアが説明を引き継ぐ。

「一般に加護とは精霊の加護の事を指す。精霊から借りた魔力を物に宿し、力として行使できる。魔術ほど複雑なことはできないが、負担が無いのがメリットだ。

 そして、街の中心に精霊塔と呼ばれている塔があるが、大精霊はそこで街全体に加護をもたらしている。加護の力はお墨付きだ」

 その説明を聞いたショーゴーはなるほどと頷く。

「他に確認したいことはあるか?」

 冒険者達はお互いを見合いながら首を横に振った。

「それじゃあ冒険者各員は門へ!」


 冒険者達がギルドを出ていく中、ショーゴーはそれを見送る。普通のスライムも倒せなかった自分に出る幕は無いだろうと感じていた。

「ほら、君も早く門に向かうんだ」

 しかしウィリアに呼ばれた。

「あの、僕、依頼を受けるわけでは」

「いいかい、緊急依頼は緊急事態だから緊急依頼なんだ。選り好みできる状況じゃないってことだ。

 新米には厳しい戦いになると思うが、せめて冒険者になるという事の意味をよく見ておくんだ。君はここでぬくぬくと待っていながら、戦った者達と肩を並べて冒険者仲間だと言う事ができるかい?」

 ウィリアがショーゴーの両肩を掴み、顔を寄せて言葉をさえぎる。ショーゴーはその視線にたじろいで目をそらしたが、少し思案して視線を戻した。

「……ずるい。言えないに決まってるじゃないか」



 城門前。

 ショーゴーが着く頃には他の冒険者達はすでに集まっていた。城壁上部の歩廊ほろうには物々しい大砲が並んでおり、兵士達が弾込めの準備をしている。

 城門からは城壁の外周を囲む堀に跳ね橋が掛けられている。門を覗くその先には、スライムから街まではまだ距離があるにもかかわらずその姿が見て取れた。


 一般的にスライムは、正しい知識と備えをすれば冒険者一人でも倒せない相手ではない。

 しかし目の先にいるそれは、一人ではおろか熟練者パーティであっても戦うにはあまりにも巨大だった。

 その姿は汚泥のように黒く形のない塊であり、表面は太陽の光を受けて油膜のように不気味に輝いている。壁のようにそびえるその体は、ショーゴーを含むこの場に居る冒険者達をたやすく飲み込でしまえるだろう。それがゆらりゆらりと揺れながら、街へにじり寄ってくる。


 ショーゴー達は門の下で、作戦の最終確認をしながら砲撃の開始を待つ。

 そして、のたりのたり近付く黒い塊が大砲の射程圏内に入った。

「弾込め良し! 射線良し! 撃てーぃ!」

 城壁の上で合図と共に砲声が轟く。それぞれの大砲から放たれた砲弾が次々と炸裂し煙を上げる。繰り返し押し寄せる波の如く、無数の砲弾が浴びせられ続けた。

「大砲が使われているのを初めて見た」

「砲撃だけで倒せるんじゃないのか」

 冒険者達の間からそんな声が聞こえてくる。ショーゴーもまた、大砲のその威力を見て安堵あんどした。あるいは過信した。


 そして砲弾の雨が止んだ。

「総員、前進!」

 ウィリアの合図によって冒険者達が門をくぐり、陣形を整えながら進む。

 前衛に十人程の大盾持ちが展開し、ショーゴーもここに位置している。

 その裏にレイクが、会敵直後に魔術を撃てるように背丈ほどの杖を構える。

 そしてレイクを挟んで、大剣や槍などを持った十人弱の長物持ちが位置している。長物持ちの先頭、陣形のおよそ中央でウィリアがショベルを担いで指揮をる。


 スライムに近付くにつれて立ち込めた煙が晴れていく。

 そこから姿を現したのは、あれだけの砲撃を浴びてもなお、見上げる程の塊として残っているスライムだった。しかしそれでも全くの無意味だったことはなく、その塊は大きくえぐれ形を歪ませている。


「すまないが状況は想定よりかんばしくない。小さいのを片付けたら接敵して切り崩していく」

 ウィリアは冒険者達に次の行動を指示し、レイクに目配せする。しかし、レイクはじっと正面を見据えて杖を強く握りしめていた。

「行けるか?」

 声を掛けられてようやくハッとするレイク。

「と、当然だ! 俺だぜ?」

「無理だと思ったらすぐに言うんだよ。……熱撃用意、撃てーっ!」

 前衛が左右に分かれ、レイクが持てる限りの魔力を込めて熱撃魔術を放つ。あぶられた街道沿いの草が燃える間もなく灰になる。陽炎かげろうによってスライムの姿が揺らめく。それ程の熱が光沢のある表面を焼き、黒い煙が立ち上がった。

 周囲に散っていたスライムは瞬く間に縮こまるように干からびて動かなくなったが、一方レイクは魔力を使い果たし、息を切らせてショーゴーにもたれかかった。


 そして本体は、あぶられた表面が陽光の輝きを失った。それでも、炭化した表面がパラリパラリと剥がれ落ちるままに、速度を落とすことなく地面をのたくって近付いて来ている。

「大盾構え!」

 大盾持ちの冒険者達がいくつかの組になり、盾を並べてスライムににじり寄る。ショーゴーも形だけは同じ様に盾を構えるが、その胸中には不可解なおぞましさが渦巻いていた。


「攻撃開始!」

 ウィリアが合図を出すとともに一番に躍り出た。ショベルを突き立て、火の加護によって熱を送り込み、炭化したスライムの塊をえぐり出す。

 スライムも大人しくそれを受け入れる訳が無く。スライムの表面が波打った次の瞬間、槍のように突き出される塊。それをスラリとかわすとその勢いのままショベルを降り下ろし断ち切った。

「ヤツの攻撃は見たな? 無論これだけでは無いだろうが、この図体ならではの動きがある。警戒を怠るなよ」

 千切れた塊にショベルの背を押し付けながら周囲に促す。

 そして、後続の長物持ちもそれぞれの得物を突き立て削っていき、時には大盾持ちの陰に退避してスライムの攻撃をやり過ごしていった。


 しかし、それも長くは続かなかった。

 まず問題に遭ったのはウィリアだった。スライムに突き立てたショベルの柄の先が持って行かれたのだ。あるべき手応えを失ったウィリアは、姿勢を崩してたたらを踏んだ。

 残った柄が溶けたように形を歪ませているのを確認すると、周囲に次の指示を飛ばす。

「退却だ! ヤツは武器を食う! このままでは先に手持ちの武器が全滅する!」

 ウィリアがスライムから視線を外したその瞬間、スライムが全身を波立たせながら仰け反らせた。

「隠れろ!」

 ショーゴーが大盾の後ろから大きく腕を振って招く。その声に応じてウィリアが大盾の陰に滑り込んだ直後、スライムの塊が砲弾のように撃ち出された。

 姿勢を低くし空を仰ぐように盾を傾けて構える。スライムの塊は弾かれ、頭上を超えていく。それでもなお、質量の塊の衝突はショーゴー達を吹き飛ばした。

 ショーゴーが覆い被さった大盾をどかして体を起こすと、すでにウィリアは立ち上がってスライムと向き合っていた。

「君は彼を連れて先に街まで下がるんだ」

 ウィリアが指す先にはレイクが仰向けに伸びていた。


 レイクを起こして肩を貸すが、足に力が入っておらずふらついている。

「足を動かさないと追い付かれるぞ」

 城門へ向かう中、ショーゴーが発破を掛けてもぜぇぜぇと荒い息をするばかり。

「術師は体力なんかより魔力だぜとか騒いでこれか。次からは体も鍛えるのをサボるなよ」

 レイクは担がれている手でショーゴーの肩を握る無言の抵抗をしたが、撫でるように弱々しかった。



 残りの冒険者達も城郭じょうかく内に戻り、城門の跳ね橋が引き上げられる。

 ショーゴーはレイクを詰所のそばの壁にもたれかけさせ、腰に提げた水筒から水を乾いた喉に流し込んで一息ついた。

「いっそスライムが去るまで全員で避難してしまえば」

 ふとこぼした言葉を、戻ったばかりのウィリアに聞かれていた。

「それはスライムがこの街を素通りする前提だろう。もし街に居座りでもしたら近くの街まで行くにも蓄えが無い。あるいは人々を襲ったとしたら逃がせるか?」

「それは……」

 返す言葉に詰まったショーゴーをよそに、ウィリアは詰所へ歩き出した。

「私は武器を新調してくる。

 各員、消耗している武器は今のうちに交換しておくように!」


 ウィリアを見送ると、すぐそばでミシリミシリと木々が軋む音が聞こえた。音の方を向くと門を塞ぐ橋板の継ぎ目から黒い汚泥が染み出している。

「退避! 退避!」

 城壁の上から兵士が叫ぶ。

 しかし、時を待たずして城門が打ち破られた。より正確に言えば門を塞ぐ橋板が弾けた。四頭立ての馬車がすれ違えるほどの城門に窮屈そうに黒い塊が捻じ込まれる。へし折られた板を巻き込みながら門から滔々とうとうと溢れる黒い汚泥はとどまることなく広がり、石畳の地面を溝色どぶいろに染め上げていく。


 スライムは飛沫しぶきを上げながら濁流だくりゅうのように流れる。堀で水を吸ったためか、その速さは壁の外の時とは比べ物にならず、さながら氾濫した川のようだ。

 そしてその先には、まだ肩で息をして座り込んでいるレイクが居た。

 咄嗟とっさの事だった。ショーゴーはレイクの前に躍り出て大盾を構えた。どっと押し寄せる波を受け止める。

「早く逃げろ!」

 立膝を突き、盾を持つ手に力を込めるので精一杯で、振り向く余裕も無い。

 返事は無く、代わりにビタンと床に手を突く音が聞こえた。このままでは共倒れだと思ったその時。

「よくやった。君もすぐに」

 ウィリアの声が降ってきた。それからすぐにレイクの荒い息が遠ざかっていく。一方で盾を持つ手が震え出した。もう少し、もう少し持ちこたえればと、ショーゴーは自分を鼓舞する。


 そして、み込まれた。



 しかしてショーゴーは思い出した。かつてもこうして巨大なスライムにみ込まれた事を。

 うねる漆黒に揉まれる中で、頭の中に声とは言い難い声が響く。

『×××××』

 言葉としては聞こえなくとも意味は伝わる。その声曰いわく。


 同胞よ久しいなと。

 吾等われらの大地は荒れているぞと。

 人間共から精霊を奪えと。


 誰だ。頭の中の声に問う。しかし、その答えが返るより先にスライムが飛沫しぶきを上げ、視界が開けた。



 そこにはショベルを振り上げるウィリアが居た。

 ウィリアはショベルを突き立てスライムの中からショーゴーを掘り出すと、雫を浴びるのも構わず担ぎ上げる。半分沈んでいた大盾を足場に蹴って飛び上がり、そばの開いていた窓から建物の中に転がり込んだ。

 ショーゴーは咳き込みながら起き上がる。

「助かった……。ありがとう」

「君こそ。おかげで彼は無事だよ」

 とうに住民が避難したその部屋は、窓から差し込む光しかなく薄暗い。部屋の隅にある机には本やコップが出しっぱなしになっている。

「君! その顔、大丈夫か?!」

 ウィリアの悲鳴にも似た声だった。その慌てっぷりを見たショーゴーも慌てて自分の顔に手を触れる。ぬちゃりとべた付く手触り。スライムが張り付いているのかと顔をしかめると、ウィリアが、鏡、鏡と言って部屋の壁の方を指す。

 それに従い鏡を覗き込むと、そこに映っていたのは溶けて輪郭が曖昧になったショーゴー自身の顔だった。したたる肌色の隙間から泥のような黒色が覗いている。すなわち、スライムのそれだ。


 ショーゴーは困惑していた。自分の顔の有り様は言わずもがな、明らかに致命傷とも言える状態にも関わらず、不思議と痛みすら感じていなかったからだ。

 そして泥のような黒は、肌の奥から湧くように漏れ出している。無駄だと分かっていてもこぼれる黒を受け止めようとするが、指の隙間から、いや、手自体からもこぼれ出す。

 ウィリアはその様子を背後から鏡越しに見ていた。

「……君は一体何者なんだ」

 窓から差し込む日差しによってウィリアの顔の半分に影が落ちている。人ならざるその様を見た彼女は眉をひそめてにらむ。視線はショーゴーに向けたまま床をまさぐり、部屋に飛び込む時に手放したショベルを掴んだ。

 浅い呼吸を繰り返すショーゴー。向けられた視線からは、蛇ににらまれた蛙のように、そらすことができなかった。


 つばむ。

 呼吸が落ち着いてようやく、ウィリアの問い掛けに答えるために、あるいは自分に言い聞かせるように言葉を絞り出す。

「僕は……人間だ」

 しかし、ウィリアの視線はいぶかしむままである。

「思えば君はスライムを倒すのに非協力的だったな」

「違う! 誤解だ! 本当に身に覚えがないんだ!」

「口では何とでも言える」

 ウィリアがショベルを突き立て、火の加護によってジュゥとける音がした。そこにはスライム溜まり。ショーゴーがそのスライムを辿たどって視線を下げると、自身から垂れる黒い泥に繋がっている。

 敵と認識された。ショーゴーにはそう考える他無かった。


 半分溶けかかった足を引きり、不慣れな足取りで転がるように部屋から出た。追ってくる気配はない。

 窓の無い廊下は先の部屋よりさらに暗い。改めて自身の手足を見遣る。黒に覆われた手足はこの暗闇に溶けてしまいそうだった。

 しかしその感覚とは裏腹に、黒はショーゴーのものとして輪郭をはっきりさせていく。少しずつショーゴーの意思に応じて人の形に戻ると共に記憶のふたが開く。

 かつてスライムにみ込まれ全身を侵された。見た目こそ人の姿のままだったが、その薄皮の下はスライムのそれになり果てた。その上で解放され、街に戻った。スライムの先兵として。

 それはショーゴーにとって否定しなければならない事実だった。


 そして、頭の中に聞こえた声が蘇ってきた。

 精霊を奪え。

 この場で精霊を求めるなら精霊塔の大精霊だろう。なぜ狙うのか。

 大地は荒れている。

 大精霊はこの街を豊かにしている。その力で大地をうるおすのだろう。力を求めているのは誰か。

 同胞よ。

 この体の自分を同胞と呼ぶ、あの場に居た存在。自ずと答えは出てくる。

『×××××』

 ショーゴーの脳内に再び言葉の無い声が響く。


 ――ああ、同胞が求めている。精霊塔に向かわなければ。


 日が傾き、曇天どんてんが火を放たれたように赤らむ。



 街灯が消えた通り沿い。普段であればこの時間には灯りが点いているものだった。

 通りの先、精霊塔を冒険者達が囲む。そこにウィリアやレイクも居る。その背後からショーゴーが姿を現した。

「何やってたんだよ、逃げ出したかと思ったぜ」

 ショーゴーに気付いたレイクが声をかけるが、ショーゴーはそれに答えず横を素通りする。そして精霊塔の前で振り返った。精霊塔が西日で影を伸ばし、ショーゴーに覆い被さる。

 一時いっときの静寂が流れる。

「……何か言えよ」

 それでもショーゴーは沈黙を返す。痺れを切らしたレイクが一歩近付こうとしたが、ウィリアがそれを制止した。

「スライムが精霊塔を占領している。大精霊に干渉しているのか加護が使えない」

 ウィリアにも等しく反応が無い。

「君もスライムの干渉を受けているのか?」

 ウィリアがショベルを構え、一歩、二歩と近付く。そこでようやくショーゴーに変化が起きた。ウィリアが歩を進めるたび、ショーゴーの足元に黒い泥だまりが広がっていく。

 泥だまりが槍のように伸びると同時にウィリアが大きく踏み込む。槍の切っ先を半歩横にそらして切り払い、ショベルの取っ手でショーゴーの顎を打ち上げた。



 ショーゴーは脳を揺さぶられ、そこで初めて意識が朦朧もうろうとしていたことに気付いた。数歩下がったところで踏みとどまり正面を向き直ると、ウィリアにショベルの刃先を向けられていた。

「今一度問う。君は一体何者なんだ」

「僕は……」

 スライムだった。それがどうした。奴は同胞と呼ぶが、一方的に求めるだけじゃないか。冒険者達とはどうだ、共に戦い助け合ったじゃないか。

 拳を握り締めて言葉を続ける。

「冒険者だ」

 スライムと戦うことをためらわせていた感覚、その正体は恐怖などではなかった。ショーゴーの内に潜むスライムによる、同族を討つ事への嫌悪感だった。

 それを自覚した今、スライムに怯える理由は無かった。

「じゃあ結果で示すんだ」

 ウィリアはショベルの刃先を下ろした。


「目標は大精霊の奪還。その後塔内に閉じ込めたスライムを、塔自体に加護を宿して焼く。各員はスライムが逃げないように出口を固めてくれ」

 ウィリアが簡潔に作戦を伝える。

 スライムに占領された精霊塔には、大精霊を奪還した時点で加護を使うためのウィリアと、スライムにまれても溶かされなかったショーゴーが突入することになった。


 精霊塔に入ると円形のホールが青白い光でかすかに染まっていた。内壁に沿って伸びる螺旋らせん階段。薄暗いホールの中央にはスライムが吹き抜けを貫いてそびえる。見上げた先端で、スライムに覆われた内側からほのかに青白い光が透けていた。

 ウィリアがその光を指す。

「大精霊はあそこだ」

 二人は螺旋らせん階段を駆け上がり、光のもとへ向かう。その間にも撃ち出される黒い塊をくぐっていく。


 視線の高さが大精霊の光を超えた辺りで、ショーゴーは光に向かって手摺てすりを蹴った。

 泥の海に飛び込む。その中をき分け、光に手が届く。その勢いのままスライムを貫き、向かいの階段に着地した。青白く光る大精霊の姿は一抱えほどの結晶で、その大きさとは裏腹に風船のように軽い。

 大精霊を奪い返されたスライムは、直ちに標的をショーゴーに集中し投網のように覆い被さる。階段を一足飛びで上りそれをかわした。そしてそのままウィリアのもとまで駆け上がった。


 ウィリアが半身はんみで階段に手を突き、大精霊の力を階段に流す。力は熱となりスライムをき始めた。

「熱の伝わりが遅い……!」

 スライムは階段でその身をきながらなおも這いずってくる。重力に逆らっての動きは遅いようだが、それでも下から押し寄せる塊は、二人に辿たどり着くまでにき尽くせる量ではない。

「大精霊の加護の力を直接ぶつけてスライムを焼く事はできないか?」

「それが出来れば確実だとは思うが、加護の力を伝えるにはそれに直接触れる必要があるんだ」

 鉄をも溶かすあの体に、炭にするまで触れ続けなければならない。それがどれだけ危険かは説明されるまでもなかった。しかし。

「僕なら触れられる」

 ショーゴーは階段を数歩降り、右手から黒い泥を吹き出した。その泥がスライムに混じり込む。一方で、左手はウィリアに伸ばした。ウィリアはショーゴーの表情を一瞥いちべつすると、強く頷きその手を取った。

 熱がショーゴーを通してスライムに伝わる。黒い表面が沸々ふつふつと煮え立つ。いよいよ目と鼻の先まで近付いたスライムだったが、眼前で炭化して動きを止める。しかし、それを乗り越えて奥から送り込まれ続ける。

 体から蒸気が立ち昇りしなびると共に、万力で締め付けられるような痛みで顔が歪む。

「やっぱりだめだ! これは君が持たない!」

 ウィリアがショーゴーの手を振りほどこうとする。ショーゴーはそれを握り直した。

「僕がスライムの仲間でないことを、冒険者であることを、結果で示すためだ。今だけは引き下がれない」

「……分かった」

 加護の熱が加速する。水分を失ったスライムが動く度に自壊していく。消し炭のようになったスライムは、最初に見た時とは比べ物にならないほど小さくなっていた。それを見たショーゴーの胸中を、憫然びんぜんたる思いが吹き抜けていった。

 ウィリアに手を引かれ、スライムから引きがされた時には全身の感覚は働いていなかった。


 頭の中で断末魔にも似た声がこだまする。それは次第に掠れていき、最後にははたりと消え去った。

「ショーゴー、君にここまでいることになってすまなかった。君の判断力、献身、覚悟、君は立派な冒険者だったよ」

 ショーゴーの目には、ウィリアの姿は酷くぼやけた人影にしか映っていなかった。覆い被さるその影は肩を震わせているようだった。


 それから口を濡らすものがあった。口元の感覚が戻り、口に触れているものから少しずつ水を飲むと、それに伴い全身の感覚が戻り始める。そこでようやくウィリアの腕に抱えられていることに気付いた。

「生きてる……!」

 驚きと歓喜が混じった声がウィリアの口から漏れる。

 やがて視界が鮮明になり、横に座っていたウィリアが涙を浮かべながらも笑顔をたたえているのが見えた。



 後日、歩ける程に回復したショーゴーは、ギルドに呼ばれて受付を訪れた。

「今回は特殊なケースでしたが、特例で昇級相当の実績として認められました。5級への昇級となります。お疲れ様でした」

 受付から渡されたギルドカードに刻まれた5級の文字。それをしげしげと見つめるショーゴーの口元が綻んだ。

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