瑠璃之巫女

猪瀬 亮

研修室/赤牟あかむ町立益子ましこ允秀いんしゅう記念図書館、瀬良野せらの地区

平成33年10月21日  午後3時30分(日本標準時)


「……君たちが、あの神事の巫女だって?」


 露木先生が、目を見開いて言った。白い髪の女の子は、こくりと頷く。

「ええと……はい。わたしが、今回の神事における『瑠璃るり童女わらわめ』。ジュン……じゃなかった、姉が、その童女を送り出す『瑠璃るり巫女みこ』、です」

「となると、例の神輿みこしぶねに乗り込むのは、君かい?」

 白い髪の子は、再度こくりと頷いた。


「センセイ、ふたりだけで納得してないで、こちらにも解説が欲しいな」

 水を差すのは承知の上だが、一応は我々も関わってしまった以上、情報の共有はしておきたい。

「それと……君たち3人のことも聞いておきたいな。おじさんたちはさっき話したから、今度は君たちに自己紹介してもらっていいかな? センセイ、それでいい?」

 露木先生は土屋さんとミズの方に目線を送る。ふたりとも軽く頷くと、今度は子どもたちの方を見た。

「ジュンさん、ミオさん、スバルくん、いいかい?」

 先ほどの短い会話で、既に子どもたちの名前は覚えていたらしい。なんだかんだいっても、やはり大学講師といったところか。

 彼女たちは顔を見合わせていたが、3人のうち、黒髪の女の子が我々を真っ直ぐに見、話し出した。


「あたしは綾部あやべじゅん、14歳の中学2年生です。父が瑠璃神社の神職で、物心ついてからは神事について教えられてきました。双子のうち先に生まれたのはあたしで、戸籍上は姉ですが、神事では妹として巫女を務めます」

 顔のつくり自体は先ほどの白い髪の子とうり二つだが、黒髪のショートカット、ボーイッシュな雰囲気をまとっていた。意志の強そうな眼差しに、射られたような感覚を覚える。


「わたしは……綾部あやべみおです。潤とは双子で、普段は妹ですが、神事では姉として童女わらわめを務めます。その……こんなに一度にたくさんの島外の人とお話しするのは初めてで……ええと、ごめんなさい、うまく説明できないかも」

 白い髪の子――アルビノだろうか?――ミオさんは、不安そうに目線をせわしなく動かしながら言った。言い終わると、ジュンさんと藍子さんに助けを求めるような素振りを見せた。


「ミオちゃん大丈夫大丈夫、このおじさんたち悪い人じゃないから。アタシもさっき山で助けてもらったから。さて、スバル、挨拶しな」

 藍子さんは男の子に向かって手をひらひらと振った。男の子は少し顔をしかめる。


「わかったよ藍子ねえちゃん……。えっと、沼座ぬまざ……じゃない、安達あだちすばる、4年生。オレ……じゃなかった、ぼくの家は、神社じゃなくて、島の北の方の、その……小さい店をやってます。図書館にはよく来てて、藍子ねえちゃん……じゃなかった、鎌田さんや綾部さんとは顔見知りです」

 ムスッとした表情は崩さないまでも、照れと緊張がありありと見てとれた。

 ――はて、さっき言いかけた名前にどこか聞き覚えがあるような。


「なんだよぉスバルー、普段さん付けでなんか呼んでないくせにー! アタシには藍子ねえちゃん、ジュンちゃんとミオちゃんにはジュンねえ・ミオねえなんて呼んで、小っちゃいときからトコトコあとをついてきてたじゃん」

「……いいだろ別に!」

 スバルくんは顔を真っ赤にして、再び黙り込んだ。


「3人とも、どうもありがとう。スバルくんも気を張らなくていいよ、『オレ』で大丈夫」

 露木先生はいつものいたずらっ子のような笑い方ではなく、講師としての柔らかい笑みを浮かべた。子どもたちは安心したのか、三者三様に、ふうと息を吐いた。


「さて」

 露木先生はお茶の残りをズズズと音を立てて飲み干し、カツンと机に置いた。

「おじさんたちが赤牟あかむしまに来た目的のひとつに、この島の瑠璃秋葉神社の神事に関する調査があったんだ。本来であれば宮司ぐうじさん――ふたりのお父さんかな――や禰宜ねぎさんに、瑠璃秋葉神社に伝わる伝承の聞き取り調査や資料を見せてもらう予定だったんだけれど、先の地震に関する臨時の神事のために協力できないというお返事をもらってしまってね」


 ミオさんの肩が、ぴくり、と跳ねた。


「もし差し支えなければ、ジュンさんとミオさんに、その神事について軽く聞きたいんだ。梨子堂なしどう館長からは、ふたりのほうが詳しいと聞いている」


 しばしの沈黙。


「……露木先生は、その、瑠璃神社についてはどこまで調べたんですか?」

 ジュンさんが、探りを入れるように聞く。

「うちの大学――城南大学で事前調査できたものは『瑠璃るりみやこ送り』というキーワードと、そのためには御輿みこしふね巫女舞みこまいがいる、という程度だった」


 『瑠璃の都送り』という単語に、ミオさんが身体を硬くしたことが見てとれた。ジュンさんはその様子に目をやると、再び露木先生に向き直る。


「では、巫女舞以外に童女と巫女が何をするかは、わからなかったんですか?」

「その通り。事前に瑠璃神社には調査協力の許諾を得ていたけれど、今回の臨時の神事と『瑠璃の都送り』との関係もわかっていない」


 再びの沈黙。ジュンさんはミオさんに気遣うような視線を投げ、ミオさんはジュンさんをすがるような目つきで見返す。ジュンさんは軽くうなづくと、我々を真っ直ぐに見据えた。


「わかりました。お話しします」

 ジュンさんはお茶を一口飲み込む。


「今回の神事は、『瑠璃の都送り』そのものです。童女は岩擦いわんすれ岬の鬼の洗濯板に置かれる御輿船の中に入り、不眠不休で瑠璃の都――わたしたち瑠璃神社が呼ぶところの『瑠璃之江るりのえ』――の海神わだつみに呼びかける呪文を唱えながら巫女舞を続けます。巫女はその御輿船のかたわらで海神へ祝詞のりと奏上そうじょうし、巫女舞をささげ、童女とともに海神に呼びかけます。ふたりはお互いを見ることはできませんが、対称の振り付けで舞います。物心つく前からお稽古は始まっていて、神事までに全く同じ角度で腕や足運びができるようにしつけられます」

「海神を鎮めるための交信の儀式か……」

 露木先生は左手で顎をさすり、ボールペンの背でこめかみを叩いた。

「その儀式は、どれくらい続く?」

「……わかりません」


 ぽとり、と、ボールペンの落ちる音。


「……わからない?」

「星の巡り……確か……『星辰せいしん』が正しく天にでて、海神が鎮まるときまで、ずっと」

「その、海神が鎮まったしるしは、どうやってわかる?」

「父からは、『ふたりとも、そのときが来れば判る』、と」

「ふたりだけに判る徴、か」


 露木先生は眉間に左こぶしを当て、本格的に長考に入る。――まずい、専門家にしか判らない領域に入った。


 誰も言葉を繋ぐことができず、場を沈黙が支配した。しかし、それを破ったのは、意外な人物だった。


「……あの」

 ミオさんが、おずおずと手を挙げた。全員の視線がそこに集まる。

「あの……えっと、露木先生は、この質問は、その……誰かと話し合って決めた内容ですか?」

「あ、え、僕?」

「えっ……あ、はい、ごめんなさい。同じことを聞いてきたひとが、その、結構前……大きな地震が起き始める半年くらい前に、神社に来たんです」

「そんなに前に……? いや、そういうことは無いよ」

「えっ……じゃあ、どうして……いや、あのひとは大学の人じゃなかったっけか……」

 ミオさんは再び黙り込んでしまった。


「あっ……!」

 今度はジュンさんが驚愕の表情を浮かべた。

「ジュンさん、どうしたんだい?」

「露木先生、あの祝詞、本当に誰かから預かった物ではないんですか?」

 露木先生は無意識に土屋さんに視線を送った。


「それは、どういう……」

 土屋さんは困惑気味に訊ね返す。


「あの祝詞は神事のときと稽古のとき以外に誰かが見ることは無いはずなんです。でも……」

「でも……?」

「太平洋の地震の半年前、この島を舞台にしたアニメを作りたいという会社の人が、何人か取材に来たんです。何週間かかけて、瑠璃神社の外観を写真に撮ったり、宮司にインタビューしたりしていました。そうしているうちに、どんどん取材がエスカレートしていって、なんだか、さすがにお断りしたんですけど……」

 ここでジュンさんが、ミオさんと顔を見合わせた。


「私たちが……その……お稽古で使っていた、呪文と祝詞を書いた文書もんじょが、ある日、どこにも見当たらなくなったんです」

 ミオさんの言葉を、ジュンさんが繋ぐ。

「取材の人たちに悟られないように探しても出てこなくて、どうしようか迷っていたら、その次の日に出てきたから一安心していたんですが――」




「そこに書かれていた、わたしたちしか知らないはずの祝詞、みなさんが持ってきた祝詞と全く同じ内容なんです」


 ――土屋刑事のボールペンが、音を立てて床に落ちた。

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