第7話

「まさか、その日のうちに致すことになるとは……」


 いや、この場合は致された・・・・と言うべきだろうか。昨夜のことを思い出すと頬がカッとなると同時に頭が痛くなった。


(しかも、竜神たるわたしにかわいいなどと抜かしおって)


 人にかわいがられる竜神など尊厳に関わる。いや、そもそもされる側になること自体が問題だ。人に組み敷かれるとは、ほかの竜神に知られればますます笑いものにされてしまう。


(あぁいや、そういうことじゃない)


 どうにも考えがまとまらないのは衝撃が強すぎたせいだろう。竜神として五十年あまり存在しているが、ここまで混乱したのは初めてだ。


(それなのに、妙に満たされるというか懐かしいというか)


 人との触れ合いに妙な懐かしさを感じた。これも前の竜神だった頃の神魂が何か感じ取っているということだろうか。

 神は輪廻の環を回り続ける。竜神も同様に、一つ存在が消えると一つどこかで誕生する。わたしの神魂もかつては古き竜神だったはずで、そのとき人と触れ合った記憶が神魂に残っているのだろう。


海那うみなは僕の神様だ』


 昨夜の熱心な千尋の声が蘇る。


海那うみなは僕だけの神様だ。初めて会ったときからそう思ってた。これから死ぬまで、ううん、死んでもずっと一緒だからね』


 たゆたう意識のなかでそんな言葉を聞いた気がする。その直後、耳の裏側に小さな痛みを感じて……。


「そうだった!」


 すっかり失念していたが、のんびりと寝ている場合ではない。

 千尋を掴まえなければと慌てて寝所を飛び出ると、ちょうど洒落たちゃぶ台を拭いているところに出くわした。「おはよう。お茶飲む?」と笑う腕を掴み「昨日のあれはどうした!」と詰め寄る。


「あれって?」

「わたしの耳元から奪っただろう!」

「あぁ、あれか。うん、ちょっともらった」

「返せ!」

「ごめん、それは無理。だってもうお腹の中だし」


 そう言って腹を撫でる姿に愕然とした。


「……まさか、口にしたのか?」

「うん。それが一番手っ取り早いって聞いてたから」

「お……まえという奴は! 竜鱗が人にとってどういうものか、知っていて口にしたというんだな!?」

「もちろん」

「おま、えは……っ」


 パンと乾いた音がした。本気で殴ったというのに、千尋は笑顔のままわたしを見ている。


「……油断していたとはいえ、まさか竜鱗を奪われるとは」


 一瞬感じたあの痛みは、耳の後ろにある竜鱗を剥ぎ取られた痛みだ。本来なら激痛を伴うはずなのに、それさえも打ち消す法悦だったのか先ほどまですっかり失念していた。しかも、気がついたときには千尋の血肉と混ざってしまっているとは何たる失態だ。


「耳の後ろの竜鱗は逆鱗だ。知っていて奪ったのか?」

「それが一番神通力を持ってるって聞いたからね。海那うみなの鱗はうなじ付近と下腹、それに内ももにしか生えてないでしょ? それなら首が一番剥ぎ取りやすいし、せっかくなら逆鱗が一番かなと思って。飲んだのは夜のうちだけど、こうしてピンピンしてるってことは平気ってことだね。あ、逆鱗のこともじいさんから聞いたんだけど」


 また祖父とやらの入れ知恵か。


(そうだったとしても本気で口にするやつがあるか!)


 竜の逆鱗など口にすれば脆い人など簡単に死んでしまう。肉体が崩れるか魂が壊れるかの違いだけで、どちらにしても人にとっては死そのものだ。


「それをわかっていて口にするなど……っ」

「大丈夫」


 自信たっぷりに千尋が笑った。


「だって、じいさんが『七歳までに神に見初められた子は神と同様』って言ってたからさ。どこかの伝承らしいんだけど、神様に会った僕が神様のもので死ぬことはないって言ってたし」

「そのような不確かな言葉を信じたのか……?」

「普通なら信じないだろうけど、じいさんは何回か神様に会ったことがあるらしいからね。それにほら、こうして平気だったんだしそんなに怒らないで。まぁ怒った顔もかわいいけど」

「千尋!」


 怒鳴りながら見上げるわたしに千尋がにこりと微笑みかけた。


「それに、竜鱗の力を借りたほうが確実にお嫁さんに近づけると思ったんだ」

「それは……そうかもしれないが」


 人が竜神の嫁になるには竜神の神通力を魂魄に浴びなくてはならない。そのための夫婦和合なのだが、千尋の場合は魂魄が神通力を浴びることはなく、代わりにわたしが千尋の魂魄を浴びることになってしまった。それでは千尋は本当の意味での嫁にはなれない。


「だからといって、逆鱗を口にする奴があるか」

海那うみなの逆鱗が僕を殺すことはないよ」

「なぜ確信できる。そもそも人の世に伝わる話など嘘か誠かわからぬものだぞ? そんな言葉を信じて口にするなど……」


 眉を寄せるわたしに千尋の顔がますます笑顔に変わっていく。


「おい、聞いているのか? おまえ自身の命の話をしているんだぞ?」


 そう口にすると「海那うみなの鱗は絶対に僕を殺すことはない。僕がそう信じているんだから間違いない」と自信たっぷりに返された。


「だって、人が信じる気持ちで神様は存在できるんでしょ? じゃあ僕の信じるもので僕が死ぬことはないよ」

「そんな屁理屈は……いや、そうなのか……?」

「僕はこれからもずっと海那うみなのそばにいる。そのために逆鱗を飲み込んだんだ。そうすれば死ぬまで一緒にいられるし、たとえ僕の寿命が先に尽きたとしても、それまでずっとそばにいられる。だからこれが最善なんだ。あとは僕の死期をできるだけ遅らせる方法を考えないといけないけど、それは追々かなぁ」


「ね? これからも海那うみなと僕はずっと一緒だよ」と言いながら満面の笑みを向ける。


(なぜ千尋は笑っているのだ……?)


 自分の命が危うかったというのに、どうして笑顔なのだろう。輝かんばかりの千尋の笑顔を見ていると、どうしようもなく背中がぞくぞくと震えた。


 こうして最年少の竜神であるわたしは千尋という嫁を得た。ほとんどの竜神たちが「まさか」と驚いていたが、辰咜山たつたやまに棲む竜神だけは「必然が起きたな」と口にした。「さて、竜脈に食われるのはどちらが先か」と言葉が続いたが、どういう意味かわたしにはわからない。


(とはいえ、これを嫁取りと言っていいものかどうか)


 どう考えてもわたしのほうが嫁のような気がする。それでも千尋が「海那うみなは僕のかわいい旦那様だよ」と言うから、嫁はやっぱり千尋なのだろう。


(そもそも、竜神の逆鱗を口にして平気な人など存在し得るのか?)


 何度もそのことを考えた。だが千尋は相変わらず極上の食事を作り、毎晩のようにわたしの床に入ってくる。体も魂魄も以前と変わったところはない。むしろ床の中でだけ体が大きくなってしまうわたしのほうがよほどおかしかった。


(あれも一体どういう仕組みなんだかな)


 そう、わたしは体が大小に変化する珍妙な竜神になってしまった。原因はわからないが、どうも床のときだけ大きくなってしまうらしい。


(できれば普段からあの大きさでいたいものなんだが……)


 そうすればほかの竜神たちに侮られることもなくなるのに、何とも残念なことだ。そんなわたしと同じくらい千尋も残念がっていた。ただしわたしとは逆で、大きくなるのがどうしても納得できないらしい。


「そんなに合法ショタが嫌なんだ」


 また同じ言葉を口にした。


「だから、その“ごうほうしょた”とは何か説明しろと何度も言っているだろう」

「してもいいけど……やっぱり今度にしよう。まだ新婚ほやほやだし臍を曲げられたら僕が困る」

「臍を曲げる? どういうことだ?」

「何でもないよ。それより今日はわらび餅を作ったんだ。ちゃんと本わらびを使ってしっかり練って作ったからね」


 洒落たちゃぶ台に出てきたのは、透明でぷるんとした美しいものだった。三十年ほど前にも似たようなものを口にした記憶がある。


「……うん、うまい」

「よかった。あ、きな粉だけじゃなくて黒蜜もあるからね」

「きな粉も黒蜜もうまいな」

「じゃあ、今度はあんみつ作ってみようか」


 あんみつとやらは食べたことがない。そう思いながら千尋を見ると、心底嬉しそうな顔でわたしを見ていた。

 千尋がわたしを喜ばせようとしているのは十分に感じている。逆鱗を飲み込んだことは許しがたいが、それもわたしのそばにいたい気持ちからだと考えれば健気だと思う。それに千尋が逆鱗を口にしていなかったとしても、最後は同じ結果になっていたような気もした。


(千尋の住まいだからか、ここも心地がよいしな)


 これなら新たに社殿を構える必要はなさそうだ。千尋一人の信仰心で満たされ続けるとは思えないが、いまのところわたしの神魂はずっと満ち足りた状態だった。


海那うみな、これからもずっと僕だけの旦那様でいてくれる?」

「それが竜神の嫁取りだからな」


 照れくさくて思わず早口になってしまった。そんなわたしに「あぁもう、かわいいなぁ」などと言いながら千尋が頬に口づけた。

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竜神様の嫁取り 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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