第四話 トアに求婚されたラピスは、彼が美形の男になれるなんて知らなかった。

 ラピスは驚き、高鳴る胸を手で押さえ、深呼吸をした。

 トアは真剣な表情で話を続ける。


「城に来るか? 使ってない広い部屋ならたくさんあるぞ。掃除は俺なら一瞬で綺麗にできるから問題はない。俺の城にも厨房ちゅうぼうがあるし、書庫にはたくさんの本がある。人間の町で人気がある菓子や料理を作ることを好むメイドもいるし、商売をしている知り合いもいるから、生活に困ることはないだろう。この部屋と寝室にある物を持って行きたいなら、それでもいいぞ。空間を繋げれば一瞬だからな。城の庭には薔薇バラが多いが、野菜や果物も植えてある。何も植えてない場所があるから、お前が育ててる植物を持って行ってもいい」


 ラピスは戸惑い、何も言えないでいた。


 トアが優しいのは分かってる。

 だけど猫だ。彼の気持ちは嬉しいけど……猫なのだ。


 トアのことは好き。


 彼の力のおかげで、トアが近くにいる時は、ラピスが大きな声を出したり号泣しても、屋敷の者に知られることはない。

 他人の目を気にせずに泣きわめき、思いのままの言葉を発することができた。


 嵐の夜に一人で怯えた時や、寒さの中、孤独を感じた夜に、トアが姿を見せると安心した。彼のなめらかな毛並みをなでさせてもらったり、一緒に寝たこともある。


 猫だからなのか体温が高く、とても柔らかな体で、彼に触れる時間は至福しふくだった。

 トアは気配に敏感なので、屋敷の者に気づかれたことはない。

 それと不思議なことに侍女達は、トアが残した抜け毛を見ても、驚くこともなく掃除をしている。


「魔物の嫁は嫌か?」

「トアのことを嫌だと思ったことはないのだけれど……猫と結婚するとか、考えたこともなくて……」

「人にもなれる」

「――えっ?」


 そう言って、トアは瞬く間に、猫から背の高い男へと変化へんげした。


 柔らかそうな黒髪に、葡萄酒ぶどうしゅ色の双眸そうぼう漆黒しっこくの服を身に纏う、神秘的な美貌びぼうの男。


 ラピスはドキドキが止まらない。驚き過ぎて声が出ない。


「どうだ? 人になったぞ。森にはたくさん魔石があるからな。売れば金になるし、欲しい物があれば買ってやる。お前はお前らしく、好きなことをしたらいいんだ。この姿でもダメか?」


 悲しげな顔のトアを見たラピスは切なくなり、両手をぎゅっと握りしめる。


「……ダメってことはないの。トアは素敵よ。猫の時もだけど、今の姿も。慣れてないから緊張するけど、トアがダメってことはないの。わたくし、親が決めた相手と結婚するものだと思っていたから、いきなり俺の嫁になればいいって言われても、どうしたらいいのか分からないというか……」


「俺のことが好きなら俺の城に来たらいいし、嫌いなら断ればいい。俺は好きだぞ。ラピスのこと」


「……私の、匂いが好きなのよね?」


 尋ねると、トアがくつりと笑う。


「そうだな。匂いも好きだ。でもな、それだけじゃない。お前が泣いても笑っても、怒ったとしても、俺がラピスを愛していることは変わらない。お前が老いても、俺の気持ちは変わらない。軽い気持ちで求婚してるわけじゃないからな」


「いいのかしら? 逃げても。トアのところに行っても……」


 そう口にしたら、身体が震えて涙が出た。


「ああ」


 トアが頷き、静かに近づいてくる。そして大きな手で、ラピスの涙を拭った。

 彼の匂いと温もりを感じて、ラピスは号泣する。


 ラピスが泣き止むまでの間、トアは黙ってそばにいた。

 泣き止んだラピスが顔を上げると、トアが優しく頭を撫でてくれる。


 とてもとても幸せで、ラピスはまた泣きたくなった。

 そんなラピスの頭と鼻と唇に、トアはそっとキスをする。


 ラピスは胸がいっぱいで、トアにぎゅっと抱きついた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る