エピローグ 深淵の探究者

 ドラゴンテイルに日常が戻ってきた。

 

 しかし、そこにヴィスタインの姿はない。

 今は、ヨシュアとミレーユがカウンター席に腰かけて、コーヒーを飲んでいる。

 ニャルも陽の当たる指定席で毛繕いをしている。


 レガルドは、また《神の思い出ロギア・メメント》を探すと言ってどこかへ去って行った。

 ダタイの行方は知れない。もしかしたらニーベルンからだけでなくドライグ王国からも出て行ってしまったかも知れない。短い付き合いであるはずなのに何故か気になってしまうのだ。最近、レティシアは鈴の音が鳴ると、ヴィスタインやダタイの姿を幻視してしまうようになった。レティシアが丁度そんなことを考えていた時、入口の鈴が鳴った。


 レティシアだけでなく、ヨシュアとミレーユの視線もそちらへと向く。

 入って来たのはスキッドロアであった。彼は自分に視線が集中していることに気付くと一瞬だけ固まるが、何かを察したのか特に何を言うでもなくカウンター席に座った。


「お久しぶりですね。私にも一杯頂けますか?」

「いらっしゃい。まだ、この街で布教活動しているのかしら?」

「そうですね。しかし、この国は竜神信仰が強いようです」


 スキッドロアは相変わらず読めない表情で、やれやれとばかりに首を横に振った。


「この国には本当に竜神がいるのか?」


 ヨシュアが唐突に疑問を口にした。


「それがよく分からないのが現状です。竜神自体は存在するようなのですが、この国を護るためにいるのか、たまたまこの場所を棲み処としているのか……。どんな力を持つのかもよく分からないのでどこにいるのかも不明です」

「ほーん。一応、存在はするってことか」

「何? 興味があるの?」


 レティシアがスキッドロアにコーヒーを差し出しながら言った。


「ああ、俺は元々、竜神に興味があってこの国に来たんだ」

「へぇ……意外な理由ね」


「何てったって俺は不思議探究者イグニマ・ハンターだからなッ!」

「久しぶりに聞いたわね……。その言葉……」


「んだよ。じゃあ、お前さんは何なんだよ」

「そうねぇ……。強いて言えば、素材探究者アイテム・ハンターってとこかしら」


 それを聞いたヨシュアが何かを言おうと口を開きかけた瞬間、また鈴の音が響いた。


 またもや、全員の目が入口を向く。

 入って来た人物を見て、レティシアは驚きのあまり目を大きく見開いた。


「え? は? 何でッ!?」

「あ? あんた……」

「ここは、特異点か何かですか? 色んな存在が集う場所ですねぇ……」


 レティシア、ヨシュア、スキッドロアが三者三様の言動を示す。ミレーユはただ一人、訳が分からないと言った表情をしている。


「顛末が気になってな。ちと足を運んでみた」


 今日はドレスではなく、ラフな探究者っぽい格好をしているが、そこに静かに佇んでいたのは他ならぬ、ドラスティーナであった。


「えーッと……。いらっしゃいませ……でいいのかしら?」

「ふふふ……構わんぞ」


「でもよく決着したのが分かりましたね?」

「異空間内の戦いとは言え、あれだけ大きな力が飛び交えば馬鹿でも気づくわ」


 ドラスティーナの言葉にレティシアは苦笑いを隠せない。


「人間の街は久しぶりだ……。ところで何とも言えぬかぐわしい匂いがするな。一体何なのだ?」

「それじゃあ飲んでみます?」

「試してみよう。我も興味がある」


 すると、話に着いてこれないミレーユが小声でレティシアに問い掛ける。


「何? 何者なの? あの超絶美女なのに話し方が化石な感じの人は?」

「ヴァンパイアのお偉いさんよ」


 レティシアの超雑な説明を聞いたミレーユは椅子から飛びあがらんばかりに驚いた。その反応に興味をそそられたのか、ドラスティーナはミレーユの隣に腰かける。


「聞こえておるぞ? ハイエルフハーフの女よ」

「あううううッ! すみませぬぅぅぅ!」


「口調が少し感染しうつってるわよ? ミレーユ」

「ってかミレーユってハイエルフハーフだったのか」


 ヨシュアが初耳だと言わんばかりにそう言葉を漏らす。

 レティシアも若干驚いていた。しかし、ハーフかどうかなど些細なことに過ぎない。むしろ、何でもお見通しのドラスティーナの方が気になるレティシアであった。


 ヨシュアの言葉に、一転してミレーユの表情が曇る。


「ええ……。私はハイエルフと人間との間にできた忌まわしき子なの」

「つっても、別に何も変わらないじゃねぇか。全然気にすることねぇだろ」


 世間一般ではハーフはあまり歓迎されていない。この世界はまだまだ血統が重んじられており、その血筋に穢れが入ることを極端に嫌う傾向にある。ヨシュアはそれを知ってか知らずか、ばっさりと斬って捨てたのである。レティシアはコーヒーを入れつつ、ミレーユを眺める。彼女の表情が少し緩んだ気がした。


「ところで、あのヴァンパイアハーフの坊やはいないのか?」


 場を沈黙が支配した。

 レティシアはそっとドラスティーナの前にコーヒーを置く。


「ヴィスタインは死んだわ。私を救うために」

「ほう。彼奴きゃつが救いたかったのはぬしであったか。あの時の覚悟は本物だった。娘よ。誇っても良いぞ? 誰かのために己を犠牲にするなど、言う程容易たやすい行為ではない。あの坊やにとって主の存在はかけがえのない存在であり、生きる希望であったと言うことだ。案ずるな。彼奴きゃつの魂は常にぬしと共にある」


 ミレーユが儚げに呟いた言葉に、ドラスティーナが、雄気堂堂とした態度で言い放った。そしてカップを手に取ると口をつける。

 その言葉にミレーユの目からは大粒の涙が零れ落ちた。


 しかし、レティシアは聞き逃さなかった。貫禄たっぷりに言い放ったドラスティーナが、コーヒーに口をつけた瞬間、顔をしかめて「にが」と小声で呟いたことに。


 それにしても。


 レティシアは思う。ミレーユもヴィスタインもハーフであったのだ。似た境遇の二人が惹かれ合ったのも宿命だったのかも知れない。


「ヴィスタインと出会ったのは星霜樹せいそうじゅの下だったわ」


 落ち着きを取り戻し、泣き止んだミレーユは誰に話すでもなくポツリポツリと語り始めた。


「大きな赤いバンダナを頭に巻いていたわ。それだけじゃなくって、すっごく大きな赤いマフラーを首にぐるぐる巻きにしてたの……。だから顔が埋まって表情がよく見えなかったわ」


 その姿を思い出したのか、ミレーユはふふッと笑う。


「彼が衰弱して動けないことに気付いた私は彼を連れ帰ったわ。初めは何も話してくれなかったけど、私の日々の様子を見て境遇を理解したんでしょうね……。表面上、私は大事にされていたけど、裏で色々言われているのは知っていたわ。ヴィスタインとは散々、馬鹿をやったものよ……。彼はきっとそれに気付いていたんでしょうね」


 ミレーユの独白は続いた。

 ハーフでありながらヴィスタインと一緒にいれたのは族長の庶子だったからと言うこと、白い眼で見られながらもやってこれたのは彼のお陰だと言うこと。そして二人で国を飛び出したこと。諸国を見て歩いたこと。


 全てを話し終えてホッとしたのか、ミレーユはふうッと大きな溜め息をついた。

 そこへ、じっと聞き役に徹していたスキッドロアが顎に手を当てて言った。


「もしかしたら宿命の中にいるのはお嬢さんだけではないのかも知れませんね」

「そうかも知れぬな。レッドベリルが滅びて世界中の神共が慌てておるわ。だがこれは大きな奔流の濫觴らんしょうに過ぎん」


 二人の視線がレティシアを捉える。

 レティシアはそれを真っ向から受け止めてジッと見つめ返した。

 深淵しんえんに触れる覚悟などとっくの昔に済ませている。ドラスティーナやスキッドロアの言う宿命の中にレティシアが本当にいるのならば、世界の謎と嫌でも向き合うことになる。深淵しんえんは自ずと向こうからやってくるのだ。それは神か、はたまた世界そのものなのか。いずれにしても全てを知るものなのは間違いないだろう。レティシアはヨシュアにチラリと視線を向ける。


「さっきは素材探究者アイテム・ハンターなんて言ったけど……これは訂正が必要みたいね」


 その視線を受けたヨシュアがニヤリと笑う。

 レティシアはミレーユ、スキッドロア、ドラスティーナへと順に顔を向けた後、少し上を見上げて虚空を睨んだ。


 そしてレティシアはまだ見ぬ未来あしたに向かって堂々と宣言した。



「あたしはなってみせるわ。深淵の探究者アビス・ハンターに!」



            第一部 完

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深淵の探究者~アビス・ハンター~Ⅰ部 波 七海 @naminanami

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