4.雨と救い
前は
そうして、窓ばかり見ている自分。ふと、その
まさか、そのようなことがあるわけがないと思ったが、よくよく思い返せば昨日
勝手に心に
一見、
そんなオブジェクトが雨にさらされて次第に
思ったよりもそれは気持ちのいい光景だった。むしろ、そうしてボロボロになって
さて、栗原が作品を完成させたというニュースは僕にとっては重大なことであった。彼とは
僕は藝大中退を機に、芸術から足を洗うことを決めた。
反対に栗原は、作品に向き合い続けた。彼は「大学では、教授たちに
僕の考えは
僕にはその評価を一生受けることができないんだと
当然、栗原は自分の作品なんて描けるわけがなかった。僕が思うに、彼は大義名分として「自分の作品」なんて言っているが、結局は僕がいなくなったから描けなくなったのだと思う。大学中退を先にしたのは僕だった。
栗原という男は、一人で何かをすることができない
大学時代も、常に僕について回り。課題で描いた作品を誰よりも早く僕に見せてきた。彼は僕よりいい作品をかけたと思った時は、気分をよくし、そうでない時は
そんな奴だから、僕がいなくなった後は大学に居場所がなくなり、作品にも手がつかなくなって僕を追うように中退をしたのだ。
しかし、「君がいないから描けなくなった」なんて言えるはずもないから、「自分の作品を描く」なんてさらに恥ずかしいことを言ってしまうのだ。
しかも、そんなことを言ってしまったがためにいまだに絵を描き続ける
そんな栗原がある日、急に作品を描き始めたのだ。僕も彼も既に社会人。既に働いている身だった。しかも、栗原は会社の
栗原の会社の寮は僕の家(僕は実家住みだ)から数駅離れたところにあり、彼はわざわざ仕事が休みになるたびに僕の家までやってきた。
彼は僕の家の今は物置と化した
ついに彼はそんな生活の中で作品を作り上げてしまった。しかも、その作品を賞に出すというのだ。
思い返していると、彼の完成させた作品を見たくなってしまった。僕はカーテンを閉めると、稲屋へと向かった。
しかし、稲屋に向かった僕はカンバスに掛けられた布を
そこには、
そして、僕はちょうど水が落ちるところにカンバスを移動させた。
この布の先にある栗原の作品。それは決して賞で受賞できるようなものではなかった。むしろ、藝大時代よりも
「あぁ、どうか。
口にすると、なんとスラリと言葉がでるものだ。
そして、それはゆっくりと降りてきた。降りてきたというより
『救いを』
それは天使だった。背に
しかし、
僕の耳には救いという言葉の
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翌日、
川は
確実に稲屋は雨漏りしているだろう。それなのに僕の心は救われることも、満たされることもなかった。強い
今すぐに何か行動がしたいと思ったが、あのカンバスの前に立つ勇気はなかった。そのため、僕は
天使の
それは、
中は思い描いていた教会であった。奥に教壇があり、その方を向くように長椅子が並べられている。
僕が声を出す前に、慌てた足音が聞こえ
「あっ」
シスターだった。それ以外の情報は特に必要はないだろうが、一応日本人だった。さらにこれ以上の情報は
「どうされました?」
僕は、その質問をされて今更ながら自分は何がしたいだろうかと、
「
というものだった。
「あー」
バツが悪そうに、彼女は
彼女は親切に説明してくれたがあまり、頭には入らなかった。どうやら教派が違って、ここでは懺悔を聞くということは無いらしい。
「ですが、なにかお
とのことだったので、僕は全部話すことにした。
栗原という男についてのすべて、そして彼のカンバスの前での天使との
「僕が救いを望んだせいでこの雨が降り、友の
長椅子に並んで座る僕ら。話を聞いたシスターはどこか
「どういうことでしょうか」
「雨が降ってほしいと願う人に、雨を降らせて救いを与える。救いとはそういうものではないのです。なので、この雨は決して
よくわからないが、僕はそれに頷いた。別の誰かのために降っているという言葉は、なんの
「ありがとうございます」
とりあえず、お礼を言って僕は立ち上がった。彼女と話している中で、あのカンバスの前に立つ勇気が湧いてきたのだ。
「また、何かあったらいらしてください。この雨ですし、帰り道はお気をつけて」
そんな言葉に見送られて、僕は再び水に包まれた外に出た。帰りの道を半ば進んだところで、おもむろに傘を閉じた。この雨の中外を出歩く人はおらず、一人っきりの道を雨に
張り付く髪や衣服が、なんだか心地よかった。僕の中にある邪なものをこの雨は洗い流してくれるんじゃないかと思えた。
そうして、家に帰ると稲屋の前に知らぬ傘が立てかけられていることに気づいた。
瞬間、僕は栗原がきていると直感した。そうして、稲屋の中に足を進めた。
思った通りそこには栗原の姿があった。彼はカンバスの前に
天井から
見事なまでに、それは台無しになっていた。彼にしては、なぜこんなに
それは全部、僕のせいだ。
(あぁ、いい。これは実に
僕は、心に湧き出る
「栗原、大丈夫か?」
彼は返事を返さなかった。ただ、自分の絵を見つめている。足元を見ると、絵の具が
「俺、描くわ」
それが栗原の返事だった。
「なんか、全部吹っ切れた。この作品も、なんか違うって思っててさ。でも、完成させないとってなんか
栗原はカンバスを
「もう一回、大学いく」
そういうと、彼は僕の方を振り返った。しかし、顔を見ても何も言うことは無かった。なぜ、ずぶ濡れなのかとか、今までどこに行ってたのかなど何も聞かない。そして、無言のまま歩き出して稲屋をでた。最後に一言、
「雨が止んだら、それ片付けにくるから。それまでごめん」
それだけ言って傘をさして雨の中に消えていった。
全身を濡らした僕はその場を動くことはできなかった。ただ、雨漏りの音を聞きながら、落ちたカンバスを見つめるだけ。
一歩踏み出し、すると体は軽く動いてカンバスを持ち上げた。台無しになって何が書かれたのかすらわからなくなったそれをイーゼルの上に乗せた。
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次の日は、大雨が
母親が彼に
しかし、栗原は「大丈夫です。お世話になりました」と返し、稲屋を片付けて彼は帰った。彼がどこに帰ったかは分からない。これ以来一切栗原とかかわることは無かったからだ。
勝手にやるせない思いを抱えた僕は、シスターのもとに行って事の
「じゃあ、あの日の雨は。その子のきっかけになったのですね」
「きっかけ?」
聞き返すと、シスターはまたどこを見てるのかわからない、虚ろな目で話し始めた。
「言ったでしょ。雨が降ってほしいと願う人に、雨を降らせて救いを与える。救いとはそういうものではないと。与えられるのは、きっかけなのです。それは
「じゃ、じゃあ」
僕は思いを言葉にしようとしたが、それがはっきりと声になることは無く、続きは「いや、何でもないです」と弱弱しいものになった。
帰り道に家の前の公園に入った。あの窓から見えるオブジェクトを一目見ようと思ったのだ。
こうして近くでみてもその形は形容困難な代物だった。しかし、観ていて不安になることは無く、何かしらの計算のもとでその形になったと、思わせられた。
そして、そのオブジェクトがなんなのかやっとわかった。
ただの水飲み場だったのだ。オブジェクトには
蛇口をひねると、細く水が流れた。
その流れる水が、昨日の雨漏れと重なる。
あの時稲屋で見た天使、あれが言った救いは僕に向けてじゃなくてカンバスを通して、栗原に向けた
水を止めて、晴天を
「じゃあさ、僕にはいつ救いがくるんだ? いつ僕のための雨が降ってくれるんだ?」
天使は
僕は雨の日に期待をしてしまうようになった。しかし、雨がいくら降っても変わらぬ日常。どこで何をしてるかもわからない栗原のもとに何かしらの救いが訪れたんじゃないかと思うと、焦ってしまう。
「あぁ、雨よ降れ。僕に救いを。もう一度、彼と共に描くチャンスを」
そう言葉にしながらも、もうその
僕という栗原にとって
ならば、もう。栗原なんてどうでもいい。彼のよう絵を描くことに
だた、救いが欲しいのだ。
――雨よ降れ。雨よ。雨よ。救いの雨よ。
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