5.グッド・バイ

 読者諸君どくしゃしょくんにはまず、事の始まりからお伝えするのが良いだろう。


 高校2年生の夏休み前、私は一冊の小説を読み終えた。その瞬間しゅんかん一人の女が私にった。


 彼女は物言わぬ存在であり他人の認知にんちの外にいた。ムーミン谷のスナフキンのような、全身を外套がいとうですっぽりと収めて、つばの広い帽子ぼうしをかぶったました表情の女であった。


 それは、私だけの存在。


 彼女はどこかファムファタール的な妖美ようびを持ち合わせており、仕方なく私は彼女に己の人生、その一切を注ぎ込もうと考えた。


 これはそこまで異常いじょうなことではないのだ。重ねて記すが彼女は他人には見えない存在であり、私だけの存在である。それすなわち、私の一部であるといっても過言かごんないものなのだ。きたえあげた自慢じまんの筋肉にむことや、目の下のほくろにうっとりしてかがみを何度も見るような。そんな、ナルシズムに通ずる。


 しかし、それはこいでもある。


 急な展開てんかいかもしれないが。原因は私の読んでいた本にある。


 その時私が読み終えた作品はフランス文学の『マノン・レスコー』であった。名家に生まれ、学術がくじゅつひいでた将来有望な若者が一人の女性に恋をしたせいで人生のあらゆる善良ぜんりょう選択せんたくをふいにしていく物語だ。


 そもそもの始まりは、気取って太宰だざいを読み衝撃しょうげきを受けたことだった。もっとおかたいい大人の読み物だと勘違かんちがいしていた私は、それを読み終え自分が何かを感じることができたことにおどろいた。


 その後ほかの『文豪ぶんごう』なる人の作品をいくつか読んだが、それは想像通りの難しさがあり、当時の私にはあまり響かなかった。では、海外文学はどうかと思って近所のブックオフで見つけたのが『マノン・レスコー』だった。マノンというひびききがいかにも海外的で、どこか文学のにおいがした。


 そうして読んでみると、その内容に強くかれて、若き歳でありながら、私は自らの破滅はめつの人生を夢想むそうしてしまった。


 そして、現れた彼女。彼女こそ、破滅の象徴しょうちょうである事に違いなかった。


 物言わぬその女との、交流はただ一つの方法しかなかった。


 それは、読書だ。


 私が小説を読み、感じるものがあると彼女もそれに影響えいきょうされた。悲しい話を読み、私の目頭めがしらが熱くなり鼻をすするようなことがあれば、彼女は音もなくなみだを流していた。それでいて、その作品に満足し微笑ほほえんでいるのだ。落ちた涙は決してカーペットにむことは無かったが、その姿に私はぬくもりを感じた。


 時には面白い話を読み、互いに顔を合わせて笑いあった。


 つまらない作品を読むと彼女は興味がなさそうに窓の外を見つめて、物憂ものうげな表情を見せていた。


 彼女は常にそこにいる存在ではなかった。彼女は小説と強くむすびついており、私が小説というものを忘れる時には彼女の姿はなくなっていた。テレビゲームをしている時や、友人と過ごしている時。


 ぎゃくに心が小説に近い時、彼女は私のそばに現れた。休み時間に読んだ本のことを授業中に考えていると、先生の横にチョークを持った彼女がいる。彼女は、黒板の空いたスペースに登場人物たちの名前を書き、それを線でつないで関係図を作っていた。


 私は時折ときおり、なんでもない瞬間に彼女のことを探してしまうようになった。それは、自分が小説から離れていることを自覚じかくしてしまう瞬間であり、私はその自覚のたびに焦燥感そうしょうかんを覚えるようになってしまった。


 次第に私は他者との交流をらしていき読書に集中するようになった。『この本を読めば彼女はどういう表情をするのだろうか』それが私の本の選考基準せんこうきじゅんであり、人の顔が千変万化せんべんばんかであるように興味の本もきなかった。

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 ある時、これもまだ高校生の頃の話だ。三年生の冬に近い時期だったと覚えている。


 長者ちょうじゃという名前の話し相手が私にはいた。友人ということもできるが、私たちの間にあるのは利害りがいであり、体育の時間のペアだったり、休み時間をつぶす相手だったりであり、学校という環境かんきょうから解放かいほうされた瞬間、他人になってしまうような間柄あいだがらであり、やはり友人とは言いづらかった。


 長者から「私たちは友人だ」と言われたなら、私もそれをみとめただろうが、たがいにそんなことを確認するような人間でもなかった。


 休み時間を潰す仲というが、つくえはさんで向かいあってるだけでお互い別のことをしていた。私は読書をして、彼はスマートフォンでゲームをしていた。


 そんな長者がその日、めずらしく放課後私に付き添った。彼の家は私の家と同じ方角であったが、私よりはるかに遠いところにあった。彼は電車通学だった。


 長者は「君の最寄駅から帰ればいい。だから、少し話しながら帰らないか?」と私をさそってきたのだった。


 私は断る材料を持っていなかったため、それにおうじた。彼と並んで帰路きろを進む。


 長者という男は名前とは裏腹うらはらにクラスの中では背の低い男であった。それでいて、肩の落ちた猫背ねこぜであり、ポッケに手を入れて隣をあるく彼は、どこか見栄みえを張ってる不良気取りの子供のように見えた。


「なぁ、君は死ぬならいつ死にたい?」


 学校周辺では、まだ下校中の生徒のれが作られており私たちの声が聞こえる距離にも女子学生の集団がいた。それでも、気にせず彼はそんな切り口で会話を始めた。


「そんなこと、あまり考えたことないね。でも、今すぐに死んでしまいたいって思うことはある。だけども、最近の学生ってみんなそういう所があるだろう。だからって、何歳のいつに死んでしまおうとは皆思うことはあまりない」


 私がそう答えると、長者は勝ちほこったように「あんなに本ばかり読んでるくせに面白くない回答だな」と下品げひんな笑みを浮かべた。


「俺は、二十代で死ぬんだ」


 長者ちょうじゃがそういうと、近くの女子集団のざわめきがした気がした。彼女たちがいちいちこのえない男二人の話に耳をかたけているとは思えないが、私ははげしい羞恥しゅうちを感じて、長者の話を真剣しんけんに聞く気を失せてしまった。


「そうか」


 そんな、テキトーな返事をしてみた。彼も何かを感じていたのか、そこから一切黙ってしまった。そして、数十分歩いて、人の気配がなくなり、川の流れと車の通過する音だけの橋梁きょうりょうの上でやっと話を続けた。


「男を一人抱いて死ぬんだ。私の人生はその男を探すだけの人生なんだ」


 私は瞬時に聞き違いをうたがったが彼の声がふるえ顔が赤いところと、長者をはさんだ先で彼女が現れ並び歩いているのをみて、それがはっきりと口に出されたものであると理解した。


 そして、私がこの瞬間を小説や文学と同列どうれつの事だと意識してしまっていることも。


「長者くん、もしかして自覚しているってことなのか?」


 私ははっきりと言葉にしなかった。そのことを口にすることが禁忌きんきであると思っているわけではない。私の中でそれを表す言葉が無数に存在していた、ホモ・同性愛者・男色なんしょく。でも、そのどれもが私の口から出ると、その新たなる意味をき違えたニュアンスで出てしまうような気がした。


「まぁ。くわしく話すつもりはないんだ。そして、君に好意こういを持ってるわけでもクラスの男子に好きな奴がいるというわけでもない。ただ、君になら話せる気がした」


 それはたぶん、私が読書家だからなのだろうか。彼としては、私にそれを伝えることでなにか読書家らしい知識人ちしきじん的な理解ある回答がでると期待してものだったのだろうか。


 ならばそれは、まったくもってから回った期待というほかない。私はその言葉を聞いても、何も答えることができなかったからだ。


 私は自分の中に答えを見つけることができなかったわけではなかった。むしろ、その答えを探していた。


 私は、長者ではなく彼女と会話していたのだ。


 彼女は長者の言葉に動揺どうようを一つも見せずに、澄ました顔をしているのだ。何も気にめない、しかしそれでいて何かを深く考えるように空の高いところを見つめていた。


 しばらくすると、彼女はこちらを向いて「わかってるだろ?」とからかうように微笑ほほえんだ。


 むろん分かっていた。


「それで、その話と。二十代で死にたいという話には、何らかの関わりがあるの?」


 私はイジワルでそれを聞いてやった。私の中での確信として彼は同性愛について、何かしらのげやりを感じているのを感じていた。


 それがずかしさなのか、罪悪感ざいあくかんなのか、陶酔とうすいなのか。さだかかではないが、同性愛が許されるのなら死んでやる。または、許されざる行為であっても曲げることはない。そういった意志があるように思えた。それを無理やりにでもその震える口から引き出してやりたかった。


 しかし、長者の回答は最後まで無言であり、そのまま彼は道を外れて帰っていった。


 その背中を見送る彼女は、何かを口にした。言葉は響かない、くちびるが動いただけだ。もちろん読唇術どくしんじゅつなんて習得しゅうとくしてない私には、その言葉を見つけられるはずがない。


 私にとって長者の告白よりも、彼女が何かを口にしたことが大きく心惹こころひかれる出来事であった。そうして、家に帰りあの場面を反芻はんすうしている時、ふとを小説としてとらえようと思った。


 あの一連の流れを文字として思い浮かべ、彼女の言葉を「」かっこの記号で浮かべた瞬間、気持ちよいほどにぴったりとその言葉はハマった。


――「グッド・バイ」


 結局、長者とは卒業まで変わらない仲であった。しかし、ふとした時に彼は思い出したように目をせて、何かにえるように口をつぐんだ。


 また、彼が同じクラスの男子生徒にからかわれた際の、苦笑いがどこか照れているようにも感じた。体育の時も彼の視線は剣道部の主将しゅしょうの胸にまれているように見えた。


 それは、ある意味偏見へんけんに他ならないのだが、偏見で彼を見てしまうことに一切の罪悪感はなく、またそのことに関して何もない様に受け入れ、嫌悪や興味が引き立てられない私がいた。


 それは、ある意味別れそのものでもあった。体育でペアを組み、休み時間に利害の相対そうたいを行ったとしても、もう私たちは別れの中にあったのだ。


 そのため、時が経っても私は長者が死んでしまったのかを知り得ていない。彼が男を抱くことができたのか、そういった人を見つけることができたのか。


 しかし、夜な夜な死んでしまいたいと思いながらいまだにその準備の一切をおこたっている私のように、彼もどこかで生きているように思えた。その方が私は少しだけハッピーな気分になれるのだ。

_______________________________


 私の人生に彼女はかせなかった。私の興味の中心にいるのは彼女でしかない。最初は読書だけであったそれは、長者ちょうじゃとの出来事のように日常にまで侵食しんしょくしてきていたのだ。


 私が、ふと日常の中で文学を感じる瞬間に彼女は現れ小説では見せない表情・仕草しぐさをみせる。その中でも、やはり別れは劇的げきてきだ。


 大学時代、私の今までの人生の中で唯一ゆいいつの交際相手ができた。千賀せんがは私が大学3年次の時、住んでいたマンションの近くにあるショッピングモールのカフェでバイトをしてた時の後輩だ。


「付き合ってください。私、今彼氏がいるんですけど、それでもいいなら」


 そんな、告白だったものだから、彼女が現れて千賀の肩を叩いてしまったのだ。


「いいよ。自分は今、彼女いないし」


 その瞬間の私は自我じがを持っているかあやしかった。彼女のために、私は物語の何者かをえんじようとしていた。彼氏がいるのに、告白をしてくるいかにも危うい後輩。自分がこの後、どれほどみじめな思いをしても、読了した小説程度しか記憶にないように思えた。


 千賀は私の前では、言い訳するように「彼氏とは別れてないだけでずっとあってないです。機会きかいがないからずっとお別れできないでいるだけで」と語っていた。


 それが、うそか本当かはそこまで重要ではなかった。千賀がそのような言葉を吐いたことが重要だ。こんな言い訳をしながら実は何でもないように彼氏と会い、私との浮気を隠そうとしていたとしたら、私の中で確固たる惨めさが生まれるだけだ。


 その惨めさが、彼女の表情を引き出すだけなのだ。


 しかし、この千賀という女は何を思ったのか早々に彼氏とのえんを切ったと言い始め、こんな私にくしてくれるようになった。彼女は常に話題を振る側であり、私がどれほど曖昧でテキトーな返事を返しても、楽しそうに言葉を続ける。その姿に、私は疑問を持つことさえ何か悪いことのように思えだした。


 踊らされるだけ踊ってやろうと私は思った。そう思いながらも、本当に彼女を大切に思えていたのかは、定かではない。


 ある日電話越しに彼女と話している際、本当に何もない深夜の事。彼女がふと、現れて。『グッド・バイ』をつぶいたのだった。


 彼女が現れた瞬間から、私はその予感よかんを感じていて。心の底から「やめてくれ」と懇願こんがんしたはずだった。しかし、その懇願こそ彼女の表情を最高に引き立てたのだった。


 別にそれは呪いの言葉ではない。深い眠りの中、甘い夢の奥底から引っ張り上げる目覚ましのようなもの。彼女が『グッド・バイ』を口にすることで、私は私として目覚めるのだ。


 これは、誰にでもある事だろう。人付き合いのなかで、ある日急に冷めてしまう。それが、彼女という形で表に出たに過ぎない。


 また、そういう冷めについては実は認知の裏側。意識のしない自然的な部分での進行があるものだ。私にとってそれを今言葉にしてみるなら、文学さの欠如けつじょと言えるだろう。


 彼氏がいるのに告白をしてくるような女。そんな千賀が私の興味の対象であり、私に尽くしてくれるようになった彼女に「なんか違う」という身勝手を感じていた。それが身勝手であるとわかってるが故に、意識の先に追いやりこの関係を続けた。


 彼女の『グッド・バイ』はそれらすべてを鮮やかに目の前にけてくるのだ。そうして、一度認識してしまえばもはや、目のはなせないものとなる。


 それでも、私自身に『グッド・バイ』を言える口はなく、彼女との関係は引きずるように続いてしまった。


 最終的に1年ほど続いた頃に私は「内定をもらった会社の勤務きんむ先が県外になり遠距離になってしまう」という理由を得てやっと別れを切り出せた。


 なぜ、千賀がそこに至るまで私を捨てなかったのかは全く分からなかった。いつその時が来てもいいように私は覚悟をしていたし、そうなる理由もあったはずだった。


 でも、私の言葉を聞いて千賀が涙をあふれされるのをみて、私はこの世の中で最もおそろしいばつを受けているような心地になった。自分はどこか大きな間違えをしているのに、その間違えが一体どこにあるのかわからない。


 わからない私は、人間ではない。何か違う化け物である事を突きつけられるような。そんな私の戸惑とまどいのなかで、彼女は現れ、「可哀かあいそうに」と千賀の頭をでて私に微笑んで見せた。

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 二十四歳になった私は、文学的理由により会社をめた。これについての詳細ははぶくが、2時間半の説教せっきょうの後に解放かいほうされて、もう会社に行かなくて良くなった私は、暗い帰り道の途中とちゅう、人気のない通りで思うがままに体を動かしおどった。


 私の技術のかけらもない踊りに彼女は手をとって合わせてみせた。


 仕事に行かなくなった私は、また変わらず読書を続けた。いまだに、彼女の表情はページを捲るたびに新たな発見を見せてくれる。


 だが同時にその表情は私を不安にさせた。私はまだ若いとしても人生を幾分いくぶんか乗り越えてきた身であり、社会も経験した。小説をたくさん読んだ。だから、このまま彼女に捧げる生活を送った先にどんな結末けつまつがまっているのか、この先どうなっていくのかある程度理解してきている。


 私は、彼女のために人生を過ごし、本を読んでいる。だというのにそういった経験によって彼女に尽くすことへの現実的な不安・苦悩くのうさいなまれていく。


 できることならすべてをリセットしてみたい。


 『マノン・レスコー』を読んだあの日のように、目の前に現れた彼女にすべてをささげるとちかったあの日まで。 

  

 私の人生のあらゆる場面で『グッド・バイ』をささやく彼女だが、いまだに私にその言葉をかけることは無いのはなぜか。


 それは、私には一切の陶酔がなく心の水面下でさえ私は彼女から離れることをしぶっていることの証明であった。


 どうしようもない結論。私はいまだ、君に恋をしているのだ。


 それゆえに私も彼女に対して別れを口にできない。不安を押し込めて、この生活を受け入れる。


 いまだに人生は途中経過。未完結の物語。


 先の展開が見えるからと言って、そのページをめくらない理由にはなりはしない。どうか、これから先も虚無きょむや現実といった引力がこの心を引っ張ってくずしてしまわないことを願うばかりだ。


 そして、今日もまた一つ小説を読み終えた。本を閉じた時、一人の女が私に寄り添った。


 薄い笑みは満足そうでありながらも、唇の端が少し動いているのを見るに物足りなさもあったのだろう。


 少し将来の不安に感傷かんしょうを抱いていたせいだろうか。長者の言葉が今になってよみがえってきた。


――「なぁ、君は死ぬならいつ死にたい?」


 いまなら、その答えは口に出る。多分、長者の望む答えではないだろうが。


「今は三十で死にたい。それでも、死にきれないなら四十だ。そして、五十。六十……」


 あぁ、どうかこれからもよろしく頼む。


 いまだ見知らない君の表情。数々の出会いと別れ、この身に余る文学。


 いくらの惨めも最後の時にはしあわせなんだろう。そうして、最高の笑顔で君に看取られる。


 それこそ僕らのグッド・バイさ。

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【短編集】ひと世の戯れ Vol.6 岩咲ゼゼ @sinsibou-r

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