5.グッド・バイ
高校2年生の夏休み前、私は一冊の小説を読み終えた。その
彼女は物言わぬ存在であり他人の
それは、私だけの存在。
彼女はどこかファムファタール的な
これはそこまで
しかし、それは
急な
その時私が読み終えた作品はフランス文学の『マノン・レスコー』であった。名家に生まれ、
そもそもの始まりは、気取って
その後ほかの『
そうして読んでみると、その内容に強く
そして、現れた彼女。彼女こそ、破滅の
物言わぬその女との、交流はただ一つの方法しかなかった。
それは、読書だ。
私が小説を読み、感じるものがあると彼女もそれに
時には面白い話を読み、互いに顔を合わせて笑いあった。
つまらない作品を読むと彼女は興味がなさそうに窓の外を見つめて、
彼女は常にそこにいる存在ではなかった。彼女は小説と強く
私は
次第に私は他者との交流を
____________________________________
ある時、これもまだ高校生の頃の話だ。三年生の冬に近い時期だったと覚えている。
長者から「私たちは友人だ」と言われたなら、私もそれを
休み時間を潰す仲というが、
そんな長者がその日、
長者は「君の最寄駅から帰ればいい。だから、少し話しながら帰らないか?」と私を
私は断る材料を持っていなかったため、それに
長者という男は名前とは
「なぁ、君は死ぬならいつ死にたい?」
学校周辺では、まだ下校中の生徒の
「そんなこと、あまり考えたことないね。でも、今すぐに死んでしまいたいって思うことはある。だけども、最近の学生ってみんなそういう所があるだろう。だからって、何歳のいつに死んでしまおうとは皆思うことはあまりない」
私がそう答えると、長者は勝ち
「俺は、二十代で死ぬんだ」
「そうか」
そんな、テキトーな返事をしてみた。彼も何かを感じていたのか、そこから一切黙ってしまった。そして、数十分歩いて、人の気配がなくなり、川の流れと車の通過する音だけの
「男を一人抱いて死ぬんだ。私の人生はその男を探すだけの人生なんだ」
私は瞬時に聞き違いを
そして、私がこの瞬間を小説や文学と
「長者くん、もしかして自覚しているってことなのか?」
私ははっきりと言葉にしなかった。そのことを口にすることが
「まぁ。
それはたぶん、私が読書家だからなのだろうか。彼としては、私にそれを伝えることでなにか読書家らしい
ならばそれは、まったくもってから回った期待というほかない。私はその言葉を聞いても、何も答えることができなかったからだ。
私は自分の中に答えを見つけることができなかったわけではなかった。むしろ、その答えを探していた。
私は、長者ではなく彼女と会話していたのだ。
彼女は長者の言葉に
しばらくすると、彼女はこちらを向いて「わかってるだろ?」とからかうように
むろん分かっていた。
「それで、その話と。二十代で死にたいという話には、何らかの関わりがあるの?」
私はイジワルでそれを聞いてやった。私の中での確信として彼は同性愛について、何かしらの
それが
しかし、長者の回答は最後まで無言であり、そのまま彼は道を外れて帰っていった。
その背中を見送る彼女は、何かを口にした。言葉は響かない、
私にとって長者の告白よりも、彼女が何かを口にしたことが大きく
あの一連の流れを文字として思い浮かべ、彼女の言葉を
――「グッド・バイ」
結局、長者とは卒業まで変わらない仲であった。しかし、ふとした時に彼は思い出したように目を
また、彼が同じクラスの男子生徒にからかわれた際の、苦笑いがどこか照れているようにも感じた。体育の時も彼の視線は剣道部の
それは、ある意味
それは、ある意味別れそのものでもあった。体育でペアを組み、休み時間に利害の
そのため、時が経っても私は長者が死んでしまったのかを知り得ていない。彼が男を抱くことができたのか、そういった人を見つけることができたのか。
しかし、夜な夜な死んでしまいたいと思いながらいまだにその準備の一切を
_______________________________
私の人生に彼女は
私が、ふと日常の中で文学を感じる瞬間に彼女は現れ小説では見せない表情・
大学時代、私の今までの人生の中で
「付き合ってください。私、今彼氏がいるんですけど、それでもいいなら」
そんな、告白だったものだから、彼女が現れて千賀の肩を叩いてしまったのだ。
「いいよ。自分は今、彼女いないし」
その瞬間の私は
千賀は私の前では、言い訳するように「彼氏とは別れてないだけでずっとあってないです。
それが、
その惨めさが、彼女の表情を引き出すだけなのだ。
しかし、この千賀という女は何を思ったのか早々に彼氏との
踊らされるだけ踊ってやろうと私は思った。そう思いながらも、本当に彼女を大切に思えていたのかは、定かではない。
ある日電話越しに彼女と話している際、本当に何もない深夜の事。彼女がふと、現れて。『グッド・バイ』を
彼女が現れた瞬間から、私はその
別にそれは呪いの言葉ではない。深い眠りの中、甘い夢の奥底から引っ張り上げる目覚ましのようなもの。彼女が『グッド・バイ』を口にすることで、私は私として目覚めるのだ。
これは、誰にでもある事だろう。人付き合いのなかで、ある日急に冷めてしまう。それが、彼女という形で表に出たに過ぎない。
また、そういう冷めについては実は認知の裏側。意識のしない自然的な部分での進行があるものだ。私にとってそれを今言葉にしてみるなら、文学さの
彼氏がいるのに告白をしてくるような女。そんな千賀が私の興味の対象であり、私に尽くしてくれるようになった彼女に「なんか違う」という身勝手を感じていた。それが身勝手であるとわかってるが故に、意識の先に追いやりこの関係を続けた。
彼女の『グッド・バイ』はそれらすべてを鮮やかに目の前に
それでも、私自身に『グッド・バイ』を言える口はなく、彼女との関係は引きずるように続いてしまった。
最終的に1年ほど続いた頃に私は「内定をもらった会社の
なぜ、千賀がそこに至るまで私を捨てなかったのかは全く分からなかった。いつその時が来てもいいように私は覚悟をしていたし、そうなる理由もあったはずだった。
でも、私の言葉を聞いて千賀が涙を
わからない私は、人間ではない。何か違う化け物である事を突きつけられるような。そんな私の
_________________________________
二十四歳になった私は、文学的理由により会社を
私の技術のかけらもない踊りに彼女は手をとって合わせてみせた。
仕事に行かなくなった私は、また変わらず読書を続けた。いまだに、彼女の表情はページを捲るたびに新たな発見を見せてくれる。
だが同時にその表情は私を不安にさせた。私はまだ若いとしても人生を
私は、彼女のために人生を過ごし、本を読んでいる。だというのにそういった経験によって彼女に尽くすことへの現実的な不安・
できることならすべてをリセットしてみたい。
『マノン・レスコー』を読んだあの日のように、目の前に現れた彼女にすべてを
私の人生のあらゆる場面で『グッド・バイ』を
それは、私には一切の陶酔がなく心の水面下でさえ私は彼女から離れることを
どうしようもない結論。私はいまだ、君に恋をしているのだ。
それゆえに私も彼女に対して別れを口にできない。不安を押し込めて、この生活を受け入れる。
いまだに人生は途中経過。未完結の物語。
先の展開が見えるからと言って、そのページを
そして、今日もまた一つ小説を読み終えた。本を閉じた時、一人の女が私に寄り添った。
薄い笑みは満足そうでありながらも、唇の端が少し動いているのを見るに物足りなさもあったのだろう。
少し将来の不安に
――「なぁ、君は死ぬならいつ死にたい?」
いまなら、その答えは口に出る。多分、長者の望む答えではないだろうが。
「今は三十で死にたい。それでも、死にきれないなら四十だ。そして、五十。六十……」
あぁ、どうかこれからもよろしく頼む。
いまだ見知らない君の表情。数々の出会いと別れ、この身に余る文学。
いくらの惨めも最後の時には
それこそ僕らのグッド・バイさ。
【短編集】ひと世の戯れ Vol.6 岩咲ゼゼ @sinsibou-r
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます