結婚してくれ
「あの新入りはどうしたんだ?」
「最近、姿を見ないけど、まさか、もう出ていったわけじゃないだろう?」
「え、ええ……。契約はそのままだから。それにほら、かの
「ふむ。それもそうか」
仕事でこのあたりの森の調査をしているのか。
そう思って納得したのだろう。屋敷の住人はそれ以上、なにも言わずに去っていった。
はあ、と、
リキのことが気にかかっているのは
――言い過ぎたかなあ。
あの夜の温泉での一件。
まちがったことを言ったとは思わないし、本人のためにもなる言葉だったはず。あんな態度をつづけていてはこれからの人生、損をすることはあっても得することはないはずだ。その点を指摘するのは年長者としての務めというものだろう。とは言え――。
――まだ一八歳。思春期だものねえ。おとなとして、もうちょっと言葉を選ぶべきだったかな。
とは、思う。
もちろん、本当に仕事に出ているだけ、と言うことはあり得る。契約はそのままなのだし、探索者が一年の大半を野外で過ごすのは事実なのだ。
――きっと、そのうち、帰ってくるわよね。あの程度のことで傷ついて帰って来れなくなるほど
リキには帰ってきてもらわないと困るのだ。
わたしの手料理でギャフンと言わせてやる!
そう誓ったのだから。
それから、さらに数日が過ぎた。
リキはいまだに帰ってこない。
「大変だ! 怪物が現れた!」
「なんですって⁉」
こんな人の住みかの近くに⁉
とは、思わない。ファンタジー世界の魔獣や怪物たちとはちがい、この世界の怪物たちは人間によって生み出され、人間によって野に放たれる。必然的に、人の住みかの近くほど怪物の数も種類も多くなる。だからこそ、やっかいなのだし、探索者という職業が必要なのだ。
住人はつづけた。
「
「
「大丈夫。怪我はない。いまは屋敷で休んでいる。それより、早く助けに行かないと。例の新入りがひとりで怪物の相手をしているそうだ。話によると成長した
成長した
その例えに
肉用の、若くして殺されるウシしか見たことのない人間には想像もつかないだろう。成長しきった
「ウシってこんなに大きくなるのか⁉」
はじめて見た人は誰もがそう驚き、子どもなどその大きさに怯えてしまう。
それほどに大きいのが成長した
その
ファンタジー世界の魔獣・怪獣たちをモデルに生み出される現実の怪物たちは、まさにその世界にふさわしい特殊能力をもたされているのだ。
「警護騎士団に連絡して! それから、屋敷の人全員に屋敷のなかに閉じこもって決して外に出ないよう、伝えて」
「わ、わかった……!」
屋敷の住人は泡を食って屋敷に戻っていった。
「アルカディア号、発進!」
いまの時代、広大な交通網を必要とし、地球を傷だらけにしてしまう自動車などと言う古臭くて
アルカディア号が空から地上を捜査し、リキを探す間、
警告音が鳴り響き、目標を見つけたと騒ぎ立てた。
――リキ!
いくら、気に入らないやつとは言え、怪物の餌食にさせるわけにはいかない。
「あの怪物の種類を特定して!」
公表されている改造遺伝子から作られた量産型の怪物なら、データベースのなかに記録がある。それなら、特徴や弱点もわかる。しかし、アルカディア号の答えは、
――該当種なし。
つまりは、公表されていない新型遺伝子から作られた新型の怪物と言うことだ。それでは、特徴も、弱点もわからない。
リキは大振りのナイフ一本を手に怪物と対峙している。すでにあちこち傷を負っているが、この巨大なケルベロス系の怪物を相手にこの程度の傷ですんでいるのはむしろ、驚異的と言える。さすがに、名の知れた探索者だけのことはあった。
足元には狩猟用のライフルと大型拳銃が転がっている。当初は銃で立ち向かったが弾が尽きてしまい、ナイフ一本で渡りあう羽目になったのだろう。実際、怪物の体のあちこちからは血が噴きだしており、何発もの銃弾を食らっているのは明らかだった。
――それでも倒れないとか……どんだけ頑丈に作ってるのよ!
よりによってなんでそんなの、野に放すかなあっ!
多様性、多様性と言う前に、その場に住んでいる人間の安全を考えてほしいものだ。
とにかく、指をくわえて見ているわけにはいかない。あの体格差だ。捕まったら一発で食い殺されてしまう。
唸りをあげて放たれた銃弾が怪物の体を直撃する。
怪物の体から血がほとばしり、叫び声をあげて身を躍らせる。
「
アルカディア号の接近に気付いたリキが叫んだ。
「これを!」
リキはライフルを手にとった。
熟練の仕種で操作し、怪物目がけて撃ち放った。
撃った、
撃った、
撃った。
弾のつづく限り、撃ちまくった。
空からは
ライフルを撃つ
この怪物に罪がないことはわかっている。怪物を生んだのはあくまでも人間。作りたいから作り、野に放したいから放した。怪物は望みもしないのに勝手に生み出され、望みもしないのに野に放され、そこで生きていかなくてはならなくなった。そのために必要なことをしている。ただそれだけのこと。それでも――。
自分が人間である以上、人間を最優先にしないわけにはいかない。
――ごめん!
そう心のなかで詫びながら撃ちつづける。
大口径ライフル二丁による連射を受けて、さしもの頑丈な怪物も終わりのときがきた。全身から血を噴きだし、断末魔の叫びをあげてその場に倒れる。
「……ごめんなさい。せめて、安らかに」
気がつくと、すぐ隣でリキも同じように手を合わせている。
その足元に転がっているものがあった。銃とはちがう、見慣れないなにか。しかし、そこから漂ってくる得も言われぬ芳香は……。
「えっ? もしかして、これ、
「あっ……!」
と、リキが子どものような声をあげた。
それは、まぎれもなく
――
マジマジと――。
リキは唇を噛みしめ、耳まで真っ赤にして顔をそらしている。
「リキ、あなた……。
警護騎士団が到着し、事後処理が進められた。ケルベロス型の怪物はその大きさと予想される殺傷能力から駆除対象と認められた。駆除したリキには後ほど報酬が支払われることになる。
ちなみに、
「まあ、一応、誰が作り、野に放したのか調査はするけど……」
警護騎士の責任者は言ったものである。
「期待はしないでくれ。なにしろ、バイオハッカーは数が多すぎて特定なんて出来ないからな」
もちろん、
そのリキはと言えば――。
幾つもの傷を負っていたが幸い、どれも軽傷で、
「……なんで、おれが寝かしつけられてなきゃならないんだ。それも、お前のベッドで」
『
「怪我人だからに決まってるでしょ」
「この程度、探索者にとっては傷のうちには入らない」
「ダメよ。ちゃんと休んでなさい」
そう叱りつける態度が完全に弟に対する姉。リキが
ほう、と、
「それにしても、あなたが
「……『
「名字がかわったのはそれでわかるとして、なんで名前までかわったのよ?」
リキは頬を赤らめながら、答えた。
「……あんな身勝手な親がつけた名前なんて名乗りたくなかった。だから、自分で自分の名前をつけたんだ」
それは、たしかに子どもっぽい抵抗だったかも知れない。それでも、親に捨てられた子どもにとってはゆずれない行いだったのだ。
「……そう。つらかったのね」
「……ふん」
「でも、なんで最初にそう名乗らなかったの? そうしていれば……」
そこまで言って思い出した。リキは最初、メダル売り場で出会ったとき、たしかに言ったのだ。
『わからないのか』と。
「もしかして……名前がちがっても会えばわかるはずだと思ってたの? それなのに、わたしがわからないから
リキはますます顔を真っ赤にしてそっぽを向いている。唇を噛みしめたその表情が図星であることを告げていた。
突然――。
「なにがおかしい⁉」
「ご、ごめん、ごめん……。だって……」
そういうことなら毎日まいにち、嫌味を言いながらメダル売り場に来ていたわけもわかる。なんとか、思い出してもらおうと会いに来ていたのだ。
――でも……。
――一〇年前の約束、覚えてたんだ。
「いいか、
一〇年前、リキはたしかにそう言ったのだ。
そして、その言葉を守るために探索者となり、『幻』と言われる
祖母の味を再現していたのも同じ。リキは子どもの頃、
だからこそ、自分ひとりになっても祖母の味を思い出しながら試行錯誤を重ねてその味を再現したのだ。わざわざ、自分で料理して祖母の味を
それぐらい、自分との暮らしを大切に思っていた……。
そう思うと、さすがに胸がキュンとなる。
「いいわ。この
チョン、と、リキの鼻などをつついてお姉さん振りながら、
「もっとおとなになって、言うべきことを言えるようになったらね」
「ふん」
と、リキは鼻を鳴らして見せた。
「……そんな台詞ならいつでも言える」
リキは
そして、言った。
「結婚してくれ」
完
真朝の庭園 〜恋と仕事と冒険を〜 藍条森也 @1316826612
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