第4話 高校三年 春 3
いつものように重い足取りで家の玄関をくぐると母が夜ご飯を作っている音がした。一定のリズムで刻まれる軽い音はおそらく今日作るみそ汁の野菜を切っている音なのだろう。
僕は軽快な音を耳から入れ、嗅ぎなれた香りをを肺に入れながら靴を脱ぐと母にただいまと告げた。母は、おそらくだが振り返りもせず野菜を切ることに没頭しながら
「あ、おかえり。今帰ってきたの?もうすぐ晩御飯できるからそれまでに今日の授 業内容復習しちゃいなさい。」
「うん。」
僕はそんな短い会話を母としながら二階にある自分の部屋へと向かっていった。
またこれだ。学校でも勉強、家に帰っても勉強のことを誰かに言われ続ける。正直なところ僕は母の勉強に関する言葉が気に食わない。
僕は父を小学四年のころに肺癌で失った。父は役所勤めの公務員で母はそれまで専業主婦だった。特に勉強に対してきつく言われることもなく、習い事などもほどほどにさせてもらえていた。母が変わったのは父を失ってからだ。それまで僕の勉強に関しては一切口出しをしなかった母が突然のように口出しをするようになってきた。
正直母には感謝していると同時に尊敬もしている。それまで専業主婦だった母はいきなり一家の大黒柱を失い、子供を収入面的にも養う責務を負わされた。母は何とか事務職を見つけ、ほぼ毎日定時で帰れてはいるもののそこから晩御飯の用意や洗濯などがある。僕も洗濯などの家事を手伝うといったが断わられている。
それと同時に母の気持ちもわからない訳でもない。家族的にも収入が高いわけでもなく、大卒資格を得ることなしに社会へと駆り出され、いろいろな苦労をしてきた母だからこそ僕にはしっかり勉強をし、いい大学へ入って将来安定した職についてほしいのだろう。だけど僕にはそれが苦しいのだ。
ほかの人からしてみれば母は頑張っている。だからお前も母の言うとおりに勉強を頑張るべきだというだろう。だが僕からしてみれば部外者のそんな言葉など知ったことか。とにかく本来心休まる場所である家がこんなに息苦しいのは僕にとってはつらい。
と、そんなことを考えながらも僕は制服にスプレー式の消臭剤をかけハンガーにかける。そしてベッドに寝転がり上を向くと昔本当の家族であった頃に行ったイギリスの、あの景色をふと思い出す。
正直なところどこの州だったかは思い出すことができない。でもあの唸るような辺り一面に広がる雄大な大地は僕にとってのもう一つの家のようなものである。目を開けばただひたすらに奥まで続く車道。そしてその車道の周りには人工的な塊はほぼ見えず、少し道を逸れ歩き進めばひたすらに深く続いている森林。グランドキャニオンのようにあたかも壮大さを叫んでいるような景色ではないけれども、その静かさの裏にある壮大さが僕にとっての本当の美しさなのである。ぼくはそんなところが心の休まる場所だと思う。
白銀の想い人 chisyaruma @chisyaruma
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