第2話 高校2年、4月18日(木)①

話は四月にさかのぼる。


その日、ぼくはまた遅刻していた。ここ、私立天山てんざん高校男子部は出席の管理がかなり甘いこともあり、毎日少なくない数の生徒が遅刻してくる。

私服通学が認められていることもあり、平日の午前中に街をふらふらしていても、特に目立つことはない。昼頃になってようやく姿を現し、遅刻理由に堂々と「ねぼう」と書いて職員室に提出する力強い生徒もちらほらいる。受け取る教師ももはや注意する気すらなく、「せめて漢字で書け」とピントのずれた指導をしたりする。


昼過ぎの登校なら重役出勤だが、一、二時間程度の遅刻ならせいぜい課長出勤だ。

学校への到着はちょうど二時間目の授業が終わった頃の休み時間で、教室内ががやがやとざわついている。そのこと自体はいつも通りだが、なんとなくクラスがうわついたような、どことなく楽しげなような、不思議な雰囲気がある。毎日が淡々と過ぎていく我が校においては、これは結構珍しいことだ。


とりあえずカバン代わりにしているクリアケースを机にしまい、近くにいたクラスメートに声を掛ける。


「なになに、どうしたのこれ。なんか変じゃね」

「おおリュウちゃん。おはよう」隣席の井上が返してくれる。「今日はどこ行ってたん」

「え、今日。今日はコンビニで立ち読み程度かな。まあそれはいいとして。なんだか、教室の雰囲気がザワザワしてるように感じるんだけど」

ぼくは同じ質問を繰り返す。井上は少し不思議な顔をしてから、あ、と何かに気付いたような表情を浮かべる。

「そうか、リュウちゃんは遅刻組だもんな」顔がどんどんワクワク顔になっていく。ワクワク顔、なんて表現があるかどうかはしらないけれど。

「朝、校長代理の放送があってさ。そのあと、一時間目の授業は全クラスで潰れて、各担任からの説明、という流れになった」単刀直入の性格が強い井上にしては珍しく、本題に入らず、回りくどく説明する。まあ気持ちはわかる。確実に相手が驚く、というネタを喋るときは、たぶんぼくだってそうなるだろう。


時間的にはそろそろ三時間目の予鈴が鳴りそうなところだが、全く気にならない。

「それで、その説明された内容というのは」ぼくは身を乗り出し、真剣な表情で井上に聞く。せっかくなので乗っかった。


「今回はさすがにマジらしいんだけどね」

井上は一呼吸を置き、わざとらしい、もったいぶった表情を浮かべてから、ぼくに告げた。

「うちの男子部と女子部、来年合併するんだって」



――――――「マジかよ!!」

これはさすがに驚いた。井上は、「一仕事終えた」的な充実した満足感を醸し出している。満足しすぎて、今日はもう早退するかもしれない。


井上が「今回はさすがにマジ」と前置いたのは理由がある。これは全国の男子校あるあるだと思うのだが、男子校においては「共学化される」という噂がしょっちゅう出まわる。

やれPTA総会で審議されただの、やれ制服は男女ともにブレザーに決まっただの、出所不明の話があまりに多すぎ、みんな耐性がついてしまっている。むしろ、「いかにほんとっぽい自分流アレンジを加えて喋るか」まで考え、楽しんでいるフシもあるくらいだ。


しかし今回は本当だろう。それならばクラスの浮ついた雰囲気も説明がつくし、誰かに確かめればすぐにわかるような嘘を井上はつかない。そう考えると、なんとなくクラスの空気が桃色に見えてきた。良からぬ妄想をしている生徒がいるのだろうか。


「で、いつから」ぼくはすぐに聞く。「俺たちは、間に合うのか」

一番肝心なところを井上に聞く。井上は、よくぞ聞いてくれました、という顔をしてから、ゆっくりと「間に合う」と答えた。「うちの代が三年になる、来年の四月からだって」



ちょうど井上が答えてくれたタイミングで、ガラリと教室のドアが開く音がする。

「リュウちゃん、いる?」生徒会長の市川が入室してきた。

「いらない」ぼくは答えてから、ここにいるぞと手を挙げる。市川がこちらに気付き、つかつかと歩いてくる。

これまでの流れがあるせいか、若干興奮しているようにも見える。気が立っているのかもしれない。学校で唯一、昔の不良が着ていたという、短ランをわざわざ身にまとって登校している市川がこちらに来るとちょっと怖い。


ぼくの机の前で歩みを止め、空いている椅子に通常とは逆の位置で座る。ちょうどぼくとは正対する形になる。

「あのさあ」市川が切り出したところで、タイミングよく、ちょうど予鈴がなる。きーんこーん、かーんこーん。

締まらない。相変わらず運の悪い男だ。それを知っているぼくも井上も、思わず吹き出してしまう。


「・・・時間がないな」少し恥ずかしそうにしつつ、会長である市川は続ける。「リュウちゃん、聞いた?」

「共学化の話?ちょうどたったいま、井上から」

ぼくは左隣にいた井上を、左手でグッド、の形を作り、親指で示した。

井上は、ごめん俺が話しちゃったよ、リュウちゃんのリアクションを独占しちゃってすまんな、とでも言いたげな顔だ。


「なら話は早い」気を取り直して、真面目な雰囲気を作ってから、市川が切り出す。「頼みがある。来週水曜の授業後に、おれと一緒に―――」

「いやだ」反射的に僕は答える。この流れで、生徒会長たる市川からの頼みであれば、碌なことではない。なにより、不運の代名詞、市川が困っていることであれば、確実にぼくも不運に巻き込まれてしまうではないか。


このタイミングで、教師が入ってくる。体育教師の上田さんが来たということは、三時間目は保健だったのか。ここでよりによって上田先生を引くという、市川の運の悪さよ。確実に不運(ハードラック)と踊(ダンス)っている。


「・・・とりあえず、昼休みにまた来るから」市川はそう言い残し、自分のクラスに帰っていく。

おそらくは押し切られるのだろうな、と予想しつつ、少し楽しんでいる自分もいる。何を頼まれるのかはわからないが、のんきな学生生活にスパイスが加わってくれるなら、悪くない話だ。

まあそのスパイスは、後で考えれば甘口でもあり、辛口でもあり、ぼくの学校生活を大きく味変させるものになったんだけど。

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男子校生徒、全員免疫まるでなし 大竹しのばない @ootakeshinobanai

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