男子校生徒、全員免疫まるでなし
大竹しのばない
第1話 高校2年、5月15日(水)
おそらく、こういう日はずっとないと思っていた。隣で女子が歩いている。
校門を出てから、駅に着くまでの距離を永遠に感じる。電車の方角も同じ、降りる駅も一駅違いなら、一緒に帰らなければむしろ不自然だ。つまり、これから三十分ほどはマンツーマンになる。それは本当に厳しい。気の利いた話材なんかない。男子校生徒だからだ。
緊張する、ということはないけれど、日ごろの低すぎる会話レベルがうらめしい。こういう時の適切な会話は何だ。勉強の話か。いや、女子部には偏差値で大きく水を開けられているので、キャッチボールにならなさそうだ。なら小説や美術など文化系の話か。いや、そもそもぼくは芸術などという高尚なものにはほど遠いところにおり、コンビニの上げ底弁当より底の浅い話材になって途中で枯渇することが目に見えている。これまで、男子校のぬるま湯に漬かり続けてきたツケが今来ている。
隣を歩く彼女の様子をうかがったが、平然と歩いているように見える。背筋がぴんと伸びた、きれいな歩く姿。かわいいなあ。特に緊張しているそぶりは見えないが、慣れているからなのだろうか。あるいは、女子というものはそういうものなのだろうか。いかんせん、初めてのことでよくわからない。
ううむどうしたものか、と無言のまま、グラウンドの横を通り過ぎる。知らない仲ではない、ということが本当にありがたい。少々沈黙があったとしても、気まずさはそれほどないようにぼくは勝手に感じている。
交差点に差し掛かったところで彼女が口を開いた。
「そういえばね」彼女は続ける。「まずはこの間は本当にごめんなさい。急なキャンセルになってしまって」
申し訳無さそうな顔をしている。
「いや、こちらこそごめん」
彼女たちが来れなくなってしまった理由は、むしろこちらにあるのだ。
「ぼくらにとっての日常が、世の人にとっては異常なせいだよ」僕は答えた。
「世の人」少し笑って彼女は続けた。「変わった言葉を使うね」
そうだな、言われてみれば変な言葉だ。緊張していないつもりだったけど、やはりぼくの頭は変な風に回転しているんだろう。
「異常かどうかは知らないけれど」こちらを見ながら、言葉を紡ぐ。「男子校の中って、いつもああいう感じなの?」
質問をしてくれてありがたい。これなら会話が続けられる。
すぐ交差点に差し掛かる。学校と駅はわずかな距離で、いつもであれば交差点をそのまま進んで漫画喫茶に入るか、左に曲がって一駅歩き、パチンコ屋の釘をチェックするか、というところだが、今日はさすがにそういうわけには行かない。右に曲がり、素直に地下鉄の駅を目指す。
鞄を持つ手が汗ばんでいるのが、自分でもわかる。
「まあ、いつもあんな感じだよ」言葉を選びながら、ぼくは続ける。ぽつぽつとではあるが、なんとか会話のキャッチボールは続いているようだ。
「たぶん、これから女子にとっては、想像したことのない出来事の繰り返しになるんじゃないかと、嫌な予感がしている。それこそ、未知との遭遇、というか」
「未知との遭遇、ねえ」こころなしか、彼女の顔がこわばった気がする。それはそうだろう。ただでさえ、お互いに学校生活が激変するのだ。
期待も不安もあるだろうけれど、でも先んじてその生活をリードしてくれる役割の彼女たちに、不安が先行するのは良くない。
また言葉を間違えたかも、と少し後悔して、ぼくは続けた。
「あ、でもさ、良いやつらではあるんだよ。それはもう、みんな」なんだか取り繕うようになってしまった。やっぱりなんだかうまく行かない。
人に気を遣う、という経験のないままもう四年が過ぎてしまった。このあたりは本当に男子校の弊害だ。くそ・・・なぜオレはあんなムダな時間を・・・。
後悔があたまを占めつつあるなか、地下鉄駅の入り口にたどりつく。夕方ではあるものの、少し時間が中途半端だからか、階段を降りて歩く中で周りにはほとんど人がいない。静かで、二人の靴音がよく響く。
「・・・リュウちゃんふくめて、今日は三人とも、いい人たちで良かった。それは今日わかったわ」小学校時代のあだなで呼んでくれる。今後のことも考えて、彼女のほうから距離感を少し詰めてきてくれたようだ。
「それはどうもありがとう。顔合わせは失敗しなかったみたいで、良かった」一応礼を伝え、今回男子部から三人が選ばれた経緯を簡単に話す。事実の説明だけなら、楽で助かる。聞いていたところも多かったのか、特に聞き返すこともなく、ふんふん、とすんなりと聞いてくれる。
「なるほど、つまりリュウちゃんは会長の市川くんに巻き込まれたわけなんだね」
「まあそうだね」改札に定期券を通しながら、ぼくは続ける。「姉がいるから、というだけで。その場にいた三浦と一緒に」
本来であれば、生徒会長を支えるべき副会長がその任にあたるべきだろう。しかしわが校にはそもそも生徒会に副会長という役職がない。長い歴史で生徒会が有名無実化し、いいかげんに運営されてきたせいなのだ。このあたりも悪い意味で男子校ならではである。
「だから流れで、三浦と一緒に市川を手伝うことになったんだ」地下鉄のホームに到着し、電車を待ちながら彼女に説明する。「三浦は部活が忙しいから、あんまり参加できなさそうだけどね。まあ僕は暇だし、やれるところまではやるつもりだけど」
電光掲示板には「次の電車は前駅を出ました」と表示がつく。もうあと1~2分で地下鉄がやってくるだろう。乗ってしまえば、それぞれの降りる駅までそれほどかからない。彼女とふたりなのももう少しだ。終わりそうになると、それはそれで少しさみしい。
「ふむ。そういう流れなんだね」真面目な顔で彼女は相槌を打つ。「私たちとは全然違って、面白いな」
たぶん、真面目な女子部とは全然違うだろう。今日の初顔合わせも、ずいぶん事前に準備してきていたように見えた。何も考えず、全員手ぶらでやってきた男子部三人とは大違いだ。
「・・・さて。そんな巻き込まれ型のリュウくんに、一応言っておきたいことがあります」
あらたまって、彼女が言う。「今後のことを考えると、信じられないだろうけど、伝えておいたほうがいいかなって」
ホームに電車が入ってくる。白線まで下がってお待ちください、といつものアナウンスが流れる。なんだか長い話になりそうなので、落ち着いてこのまま電車を待ちたかったが、タイミングは難しい。話が本筋に入る前に、電車に乗り込むことになりそうだ。
「どうしたの急に」地下鉄の警笛とぼくの声がかぶる。「申し訳ないけど、ぼくら男子校生徒は経験がなさ過ぎて、女子の言うことは問答無用で信じるほかないんだ」
彼女は噴き出す。ぼくが真面目な顔で言ったがために、冗談に聞こえたのだろう。本気なのだが。
「それは、ありがたいわ。説明する手間が省けるから」彼女は笑いながら言った。少し長く一緒にいたせいか緊張もほぐれ、自然な笑顔がかわいくて困ってしまう。
ホームに滑り込んだ電車に、ぼくは目を移した。とてもまっすぐには彼女が見れなかった、というのもある。
「今日は書記の子も一緒にいたでしょう」
ああ、確か雨鳥さんだったか。殆どしゃべっていなかったので印象は薄いけれど、さすがに三人のうち一人なら覚えている。「ああいたね、おとなしい子。わかるよ」
電車のドアが開き、乗り込むタイミングになる。並んでは座れなさそうで、立って帰ることになるかな。ぼくが先に乗り込み、後ろから彼女が言葉を残す。
「あの子、テレパシーが使えちゃうのよね」
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