第43話 波乱の旅立ち 1

 王都ヴァイレルよりガリアールの道のりは、生半可な距離ではない。

 馬車を使って休まずに突き進んでも、20日かかってようやく辿り着ける地である。途中で立ち寄る村や街は30を越え、その遠さが改めて伺い知れた。

 それも仕方がないことだ。元はと言えば、ガリアールは辺境の北方自治都市あった。いわば、王国とは関わりが全くなかったのだ。それが、蓋を開けてみれば、世界と交易をする素晴らしい都市であった。


 そんなガリアールを無血でヴェルムンティア王国の一領地としたのが、ほんの百年前だ。

 今や、ヴェルムンティアの海外航路や交易は、ガリアールに頼りきりになっている。

 だからこそ、王都ヴァイレルから、ガリアールまでの道のりは、陸運のために開けた大きい道がつながれていて、その隊商の留まる街も自然と賑わいを見せる。

 だが、アストール達は、なぜかその道を使わずに、今、辺境の森の中にある獣道を進んでいた。


「なんで、この道を選んだわけ?」


 不満そうにメアリーが、前を行くアストールに問いかける。


「隊商の道は確かに安全ですけど、かなり遠回りになるのですよ?」


 アストールはそう言って、森の中の細い道を突き進む。そこに馬の姿はなく、一向のほとんどが徒歩である。


「いや、確かにそうかもしれないけど、だからって、こんな妖魔がいる森を突っ切るなんて、頭がどうかしてるわ」


 メアリーはそう不満そうに愚痴を漏らす。


「でも、仕方ないじゃありませんの。この森の道を進み、山を一つ越えたほうが、かなりの近道になるんですもの」


 アストールがそういうのも、ちゃんとした根拠がある。

 王都ヴァイレルよりガリアールを直線距離で結ぶと、歩いて休まず行軍すればおおよそ一週間とちょっとで着く距離である。だが、それはあくまで休憩をせずに歩き続けての話だ。

 その間には妖魔が多く潜む広大な森林地帯と、その向こうには標高1500mを数える巨大な山岳地帯が立ちはだかっているのだ。

 それ故に、それら危険を伴う近道を東か西に迂回して、隊商の通る安全な道が作られている。ヴァイレルからは東、西、どちらのルートを使っても、早くて一月はかかる。

 だが、今進んでいる道を使えば、徒歩で行ったとしても、2週間ちょっとでガリアールに着くことができるのだ。


「だからって、こんな強行軍、馬鹿げてる」


 だが、早さの代わりに、それ相応の危険を孕んでいるのも確かだ。

 森の中には賊や妖魔、はたまた、異種族が混在しており、外界から来る人々を拒んでいる。そう、人が普段送っている生活とは、とても馴染めない連中の巣窟なのだ。

 それゆえ、騎士団でさえ用がなければ、足を踏み入れない未開の地でもある。

 唯一外界の人々が使う道となれば、今、アストール達が使っている戦時用臨時連絡路と呼ばれる道だけだ。

 それも一般人は使うことなく、月に一度行われる訓練で王国軍の兵士が立ち入る位だ。


「あー、もう! なんで、皆反対しなかったわけ!?」


 メアリーは不満そうに後ろに続く集団に叫んでいた。

 ジュナルは物思いにふけりながらひたすら歩き、レニは鳥の羽ばたく音にびくつきながらも、平然と大人の足取りに付いてきている。コズバーンはあの大きな斧を担いで歩いているにも関わらず、弱音一つ吐かず寡黙に歩いている。

 そして、その後ろで甲冑や荷物を馬に括りつけて歩くウェインと、その従者二人が続いていた。だが、その誰しもが、メアリーの言葉に反応しなかった。

 それもそのはず、この道を選ぶとアストールが言った時、反対したのはメアリーだけだったのだ。


「絶対に反対よ! 危ないし、疲れるし、きたないし、最悪の道じゃん!」


 そう言ったが、誰も反対意見を述べなかったのは、誰しもが早くガリアールに着きたいと思ったからだ。だが、今やそのここにいる従者のうち、コズバーンとジュナルを除いた二人以外は後悔している。

 それがメアリーにはよくわかった。


「あー。もう。何よー。せっかく王国の街回りながら、のんびり旅して、ガリアールに行けると思ったのに!」


 一人愚痴を言うメアリーに、誰も言葉を返そうとしない。

 それも全ては、今後の体力の温存のためだろう。

 しかしながら、メアリーがこのように余裕であるのは、元狩人であるからなのは言うまでもない。

 一匹の獲物を狩るのに、よく同じような森を出入りしていた。何より、狩りの時に比べれば、道があるだけ、まだ生易しいものだ。

 狩人は道なき道を何日にも渡って歩き、獲物を追う時さえあるのだ。

 だから、メアリーは一人、元気よく喋り続けていられる。


「あのさー。メアリー」


 アストールはそんなメアリーの横まで行くと、彼女に呆れの視線を浴びせながら言う。


「お願いだからさ、ちょっとは黙って歩こうぜ?」


 その一言にメアリーは、少しだけむっとして言い返す。


「何よ! その言い方。これじゃあ、私がうるさいみたいじゃない」

「いや、うるさいんだよ」


 アストールの率直な意見に、メアリーは大きな溜息を漏らしていた。


「分かったわよ。ちょっと静かにすればいいんでしょ」


 そう言ったメアリーは暫しの間、皆と同じように黙り込んでいた。

 そこでようやく、アストールは自身の考えに集中することができた。


(あの、ゴルバルナと黒魔術師が関わってんのか……)


 どういう関連があるのか。それはいまだに判らない。

 リアムの屋敷で出会ったケニーという黒魔術師は、魔導兵器を惜しみもなくアストール達にぶつけていた。しかも、それでいて、目的は達成したと言って、その場から立ち去っていたのだ。

 では、彼らはリアムの屋敷から、何を持ち帰ったのか。それが判然としない。

 もしかすれば、それらがゴルバルナの手元に渡って、何かしらに使われているのかもしれない。だが、それはあくまで、アストールの憶測にすぎなかった。

 そんな風に考えをまとめていたアストールだが、彼は急に足を止めていた。


「メアリー、気づいていますか?」


 足を止めたアストールが、周囲に鋭い視線を向ける。それと同じように、メアリーは弓を構えて、周囲を警戒しだす。


「ええ、もちろん。こいつら、何者かしらね。まあ、妖魔じゃないのは確かよ」


 メアリーが真剣に周囲の気配を探りながら、アストールに言う。


「何者かは知らねえけど、とにかく、やばい奴だな」


 静寂な森の中に漂う不穏な空気、それを逸早くメアリーとアストールは感じ取って警戒を強めていた。それを見た従者の面々も戦闘態勢を整え始めていた。

 ウェイン達も同様に、周囲の異変に気づいて剣を抜いている。


「姿を見せたらどうなんです?」


 凛と響きわたるアストールの声、それに答えるかのごとく、暗い森の木々の間から鈍い光を放った何かが、アストールに向けて投擲される。

 彼女(かれ)はそれに気づいて、咄嗟に細剣で投擲されたナイフをたたき落とす。

 それと同時に、周囲からは黒を基調とした服を着て、顔を隠した一団が彼らの前に姿を表していた。

 ある者は斧を、また、ある者は剣を、また、ある者は短剣を。

 得物は揃えられておらず、統一感はない。


「こいつら……」


 アストールは苦笑して額に冷や汗を浮かべる。

 少なく見ても、目の前にいる明らかにやばい奴らは10人以上いる。その全てが手練と言っていい。何より、メアリーが彼らの追跡を感じ取れなかったのだ。


「コズバーン! ウェインとその従者二人! ジュナル達を守って!」


 アストールの言葉に、コズバーン達は素早く配置についていた。

 と同時に、コズバーンは斧を片手に、呟いていた。


「山の民か……。クーマン族……」


 山の民と呼ばれた彼ら、クーマン族。この森から山岳地帯にかけてを縄張りとして行動していて、閉鎖的であれど、けして好戦的な民族ではない。


「なはずなのに、なんで、私たちに襲いかかろうとしてるわけ?」


 アストールは疑問を問いかけると、なぜかジュナルが答えていた。


「もしかすると、彼らの神聖な儀式を邪魔したのかもしれませんぞ」


 杖を構えるジュナルは、そう言うとすぐに魔法の詠唱にかかる。それが皮きりだった。

 黒ずくめの男たちが次の瞬間には、アストール達に襲いかかってきていた。

 有無を言わせぬその殺気に一同は気圧される。

 唯一コズバーンだけは笑みを浮かべて、大斧を奮っていた。それでも、多勢に無勢のアストール達が不利であることに変わりはない。

 ウェインたちの奮戦もあってか、ジュナルとレニ、メアリーはどうにか攻撃を受けずに、サポートに回ることに徹している。だが、アストールが驚嘆したのは、コズバーンの攻撃を、奴らは軽々と避けているのだ。


 メアリーは弓を射るが、それさえも軽々と避けていく。何よりも、アストールはあることに気づいて、焦り始めていた。

 当初こそ、コズバーン達と共に前で戦っていたものの、アストールの周囲には複数の戦士が群がっていた。攻撃を避けるたびに、コズバーン達からは遠ざかっていく。


(ま、まさか。こいつら、従者は殺さずに、俺だけを狙ってんのか)


 そうとしか言いようがないのが、この状況だ。


(いや、指揮官を先にやろうって魂胆か……?)


 アストールはそう思いつつ、次々と襲い来る刃を細剣でいなし、時には避けて、また時には距離をとっていく。

 そうするたびに、従者たちとの距離は広がっていく。


「ち、完璧に追い詰められてんな!」


 細剣を振るっていたアストールだが、彼の進む先に崖が見え、少しだけ焦りの色を見せる。道は崖先まで続いているが、その先は吊り橋である。

 もしも吊り橋まで追い詰められると、逃げ場がなくなる。

 だが、そんなアストールの不安を前に、戦士たちは見事な連携を見せて徐々に彼女(かれ)を吊り橋まで追い詰めていく。

 そうして、崖先まで来たアストールは、覚悟を決めていた。


「山の民か何か知らねえけど、私たちを狙う理由があるっていうのか!」


 だが、そんなアストールの問いかけに対して。戦士たちは口を噤んだまま動かない。


「ち、あくまで殺す相手にはだんまりかよ」


 アストールは細剣を構えたまま、相手を見据える。

 道の先、アストールの後ろには吊り橋があり、まだ逃げ道があることに彼女(かれ)は少しだけ安堵していた。

 橋さえ渡りきって橋の入口で戦えば、警戒するのは前後方だけで済む。

 今の様に周囲全てに警戒しつつ戦わなくていいのだ。

 だが、もしも、この橋の向こう側にも敵が居るとなると、そうもいかない。

 挟撃されて最悪命を落としかねない。

 今の状況が好転するかどうか、それは、この選択で決まる。


「いっちょ、カケにでるか!」


 アストールは笑みを浮かべて、橋に向かって駆けていく。

 その後ろを三人の戦士が追っていく。

 橋は軍が使うというだけあってか頑丈に作られていて、幅も馬車が通れるほど広い。だが、吊り橋であることに変わりはない。

 駆ければそれなりに揺れるし、下には激流の川が流れている。


「さて、どうなるかね」


 笑みを浮かべるアストールは、細剣を片手に橋の中央まで来ていた。

 そして、踵を返して戦士三人に向き直る。

 日の当たらない森とは違い、切り立った崖の上は明るい。そこで、三人の顔色がようやく見えた。

 山の民というには、露出している肌の部分は色白く、目の色は済んだ青色だ。

 なおかつ、彼らの着ている肌着、それら全てが真新しい。

 聞き及んでいる山の民の印象と大きく違い、アストールは不敵に笑う。


「お前ら、山の民じゃねえな?」


 アストールを前に、三人は少しだけ怯む。森がひた隠しにしていた彼ら三人の正体が、日に晒されて暴かれそうになっているのだ。

 だが、次の瞬間には三人はアストールに襲いかかっていた。

 先頭の男がナイフを投擲し、横の男が剣で斬りかかる。

 飛んでくるナイフをアストールは避けると、男の剣を正面から受けていた。上段から振りおろされた剣を受けて、鍔競り合いになる。


 男はアストールを女と見て、剣により一層の力を込めて彼女(かれ)の細剣を押しこんでいく。このまま力負けするかに見えた。

 だが、アストールは力が入れられると同時に、細剣を引き、男の前から身を少しだけかわす。力がもろに前にかかっていた男はバランスを崩して、そのまま前のめりにこけそうなっていた。

 それを見逃さなかったアストールは、素早く足を引っ掛ける。無様にこけた男に、アストールは細剣を突きつけていた。


「動くな! こいつを殺すぞ!」


 アストールの言葉が谷に響きわたり、二人の男が動きを止める。かに思われた。

 だが、残りの二人の男は、彼女(かれ)の言葉に構うことなく攻撃をかけていた。


「な、仲間はお構いなしかよ!」


 止めをさそうとするアストール。だが、二人の男がそれを許さない。

 ナイフを投擲されて、細剣をやむなく振るう。もう一人の男が容赦なく斧で、アストールに襲いかかる。身を引いてどうにか横薙ぎを避けきるも、アストールは後ろの気配に気づいて細剣を構えて振り向く。


 そう、やはり彼女(かれ)の予想通り、後ろからも山の民の格好をした男が現れていたのだ。

 後ろから現れた男は、両手に持つ短剣で攻撃を繰り出す。アストールは細剣を振るってどうにか耐えきる。だが、流石にこの状況、乗り切れる自信がない。

 男の時であっても、この四人を相手にしても、どうにか勝てるかといったところだろう。


(こ、こんな奴ら、四人も相手に戦っていられるか!)


 最悪な状況が続くアストールに、四人はにじり寄っていく。

 アストールは橋の手摺りまで追い詰められ、焦燥感をあらわにする。

 囲まれて突破のしようがないこの状況、アストールはそれでも諦めずに男たちを睨む。


「アストール! 助勢するわ!」


 メアリーの声が聞こえると同時に、男の一人に向かって矢が飛んでいく。

 斧を持った男の腕に矢が突き刺さり、男はその場で斧を落としていた。

 それだけではない。


「エスティナ殿!」


 メアリーの横をウェインが颯爽と駆け抜けて、アストールを囲む男たちに突進していた。


「くそ! 食い止められなかったのか!?」


 男の一人が初めて言葉を口にする。

 三人のうち、二人がウェインの足止めに向かう。


「この賊風情が!」


 ウェインはそう言って長い剣を、二人に向かって振るう。

 短剣の男が間合いに入る前に切り倒され、ナイフを投擲していた男が帯剣でウェインとかち合う。


「なに!」


 二撃目を与えようと剣を振るうウェインは、剣を受けられたことに驚く。

 足を止められたウェインの前方には、相変わらず状況の好転しないアストールが居た。

 斧を落とした男は、早々にその場から立ち去っていた。だが、残りの剣を持った男が曲者だった。

 その剣の腕前は、騎士に訓練をされたかのように流麗で、型にはまっている。それゆえに、アストールの型になったばかりの細剣など、相手になっていなかった。

 防戦一方のアストール。彼女(かれ)に刃が襲いかかるのは時間の問題だ。

 細剣を繰り出す暇がなく、アストールはあのマリーナという少女のことを思い出す。


「ち!」


 少しでも気を散らせば、刃が肌を掠める。

 腕を薄く斬られ、真っ白なシャツに血が滲む。

 傷口を庇う暇なく、次々と繰り出される攻撃を前に、アストールの肌着は徐々に血で赤く染まっていく。

 メアリーは弓を構えたまま、矢を放てずにいる。矢を放てば、動き回るアストールに当たってしまうかもしれない。そんな不安の中、メアリーは弦を引き続ける。


(ま、まずいよね。この状況……)


 みるみるアストールが疲弊していくのが、メアリーにも分かった。薄く斬られた傷口からは血がにじみ出て、息を切らし始めた彼女(かれ)の細剣の動きが時折鈍る。

 それに反応して、男が剣を繰り出すのを、どうにかアストールも受けきる。

 常にひやりとさせられる状況に、メアリーは歯噛みする。


(こ、このままじゃ、アストールが死んじゃう!)


 メアリーがそう思った瞬間、アストールの細剣の動きが鈍った。一瞬見せた隙をついて男が、上段から剣を振り下ろそうとする。


(チャンス!)


 アストールと男が一瞬距離を開けたのを見計らい、メアリーは矢を放つ。

 振り下ろされた剣、放たれた矢。

 矢に気づいた男が剣を振りつつも、回避行動に移る。

 アストールも身をよじって避けようと、縄の手摺を掴もうとする。しかし、不幸にもリーチの長い剣の切っ先が、身を捩った彼女(かれ)の左腕を斬りつける。

 その勢いのままアストールは、縄の手摺の向こうに体を倒していた。回避に移った勢いが余って、手摺を乗り越えてしまったのだ。

(しまった! やらかした)


 素早く細剣を放して、右手で手摺の縄を掴もうとする。だが、その手はあと一歩の所で、届かなかった。上体が手摺を越えて、背中から崖下に落ちていく。

 握られていた細剣が橋の上で虚しく音を立てていた。


「アストール!!」

「エスティナ殿!」


 悲痛なメアリーの叫びと、ウェインの叫びが重なって谷に響く。

 アストールの目には遠ざかっていく橋と、青空が目に映っていた。


(失敗した。畜生……)


 みるみるうちに遠ざかっていく橋と空。真横を流れる岩の絶壁。

 それら全てがアストールの目に焼き付いていく。

 一瞬の落下のはずなのに、これほど長く感じるとも思わなかった。アストールは目をつぶり、覚悟を決める。


(爺さん、すまねえ。約束果たせそうにねえわ……)


 激しい衝撃が背中と後頭部を襲い、その痛みと息苦しさにアストールは気を失っていた。

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私の騎士(かれ)は女の子!?~美少女は意地でも騎士を続けます~ 猿道 忠之進 @maiyo262

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