第42話 噛み合いはじめた歯車
賑わいを見せる港町ガリアール。
古くから大陸間の交易が盛んな港であり、元は一領邦として成り立っていた港街である。それも百年前の無血交渉によって、ヴェルムンティア王国領の一部として併合され、今やその庇護下に栄華を誇っている。
北方地域にありながらも偏西風によって、けして凍ることのない不凍港でもあるのが、この港が栄えている理由のひとつでもある。
石造りの港には多くの帆船や軍船、商船、ガレーが所狭しと着けられており、倉庫ではひっきりなしに海の男たちが、船へと荷物を運び、また、船から荷を下ろしている。
荷車を引くロバや、馬車を引く馬、その中で治安を守る自警団や宗教騎士、王立騎士の姿も目に付く。
騒がしくも活気に溢れた港街は、見ていてとても気持ちのいいものである。
そして、その賑わいは、街全体をも活気づかせていた。
商店街や露店の立ち並ぶ通りには、多くの人が行き交っている。摺りや置き引きは当たり前、被害届を出しても、自警団や騎士達は動かない。それどころか、むしろ自分の物をちゃんと管理していないと、注意される始末だ。
それほどまでに賑わう街には、多くの店が立ち並んでいる。
宝石店や魔法の品々を売っている店、雑貨屋に武具屋、食器に家具、骨董品に絨毯、食べもの関連の屋台、飲み物屋、食料品店と、何から何まで、王都にさえない物も、全てが揃えられる。
そして、その賑わいは、裏取引を覆い隠すのにも持ってこいの場所であるにも、間違いなかった。
取引の禁止されている品々に加え、密輸品などなど、多くのものが裏では出回っている。
賑わいを見せるのは表だけではなく、街の裏社会も同様であった。
それら裏社会を牛耳っているのが、賊集団であったりする。
ただ、あくまで裏社会なので、賊集団が表立って出てくることもない。
この街を仕切る領主とは、相互不干渉の密約を結んでおり、関わることがない。だからこそ、光と影の両者が、この賑わう街で共生できているのだ。
黒魔術師たちが多く潜んでいると言われている由縁もそこにある。
事実、街の一画でお茶を楽しむごく普通の男女も、その一部であるのだから。
「ふあ~あ、ケニー。正直、退屈なんだけど、なんで、こんなとこにいるのよ」
そう言った少女は、机の上に置かれたお茶に舌鼓を立てていた。
「うーん。そうですね。やっぱりとあるお客様との商談のため、ですかね」
ケニーは笑みを浮かべて、その少女、マリーナを見る。
リアム公の旧屋敷に忍び込み、魔導兵器を起動させた二人だ。そんな二人の恰好は、あの時とは打って変わっていた。
二人とも街に紛れ込みやすい、一般的な服装に身を包んでいる。
マリーナは年相応の上着とスカートをまとっている。一見すると元気で健康体などこにでもいる少女のようにも見える。だが、その服の内側には、投げナイフや短剣などが隠されており、とても、普通の少女とは言えない。
一方のケニーは長い髪の毛を、後ろで一つ括りにしている。服装もどことなく値段が高めのシャツと黒ズボン、ブーツを履いていて、一見すればどこかの貴族のようにも見える。
彼の顔立ちは良くいえば整っていて、悪く言えばそこに不釣り合いで目立っていた。
それに対してマリーナは歳相応の服を着ているせいか。周囲から見ると、貴族とそのお付がお茶をしているようにしか見えなかった。
「だれよ。それ」
マリーナの鋭い瞳が、ケニーを捉える。彼は満面の笑みを浮かべて言う。
「会うまで秘密です」
ケニーのその満面の笑みを見たマリーナは、相変わらずの鋭い目付きで睨みつける。
「あー、やっぱ、あんた、性悪」
「ふふ。それは褒め言葉ですよ」
優しく微笑むケニー。御婦人達が感嘆と憧れのため息をついてしまいそうなその甘いマスクの裏は、どす黒い塊で塗り固められている。
それを知っているからこそ、マリーナは言うのだ。性悪、腹黒と。
「あ、あの、すみません。このあたりで、カラスの羽を売っている人を知りませんか?」
突然二人に声がかかり、二人はその声をかけられた方へと顔を向ける。
そこには二十代の、金髪をなびかせる優男が立っていた。年の割に頬は痩せこけ、表情そのものにも元気はない。だが、その瞳だけは違った。
何か獲物を追い求めるようなギラついた瞳が、二人を捉えていた。
それでもケニーは相変わらずの笑みを浮かべたまま、答えていた。
「ああ、それならば、日向の影で商売をしている僕ですけど、あなたが探しているのは赤カラスの羽ですか、それとも、黒カラスの羽ですか?」
意味ありげに言うケニーに、その男は鋭い目付きで二人を見たあと答えていた。
「いえ、この街のマヤガラスの羽です」
そう言った時にマリーナは確信する。これは暗号であり、合い言葉であり、何よりその待っている人物はこの男なのだと。
「ああ、そうですか。なら、席が一つ空いてますから、どうぞおかけになってください」
そう自然な流れで優男は、促されるままに席についていた。
「あなた達が例の……」
男が何かを口にしようとするのを遮って、ケニーが答えていた。
「そう、僕はケニーで、こちらが僕の護衛役を務めているマリーナです」
笑みを浮かべたケニーを前に、男は鋭い目付きでマリーナを見る。
(こんなガキを護衛だなんて、全く、黒魔術師は何を考えてるのかわからんな)
そう思う男はすぐにケニーに視線を戻していた。
「私は名乗ったほうがいいか?」
「いえ、もう、お話は伺ってますから、結構ですよ。元団長」
そう言われて男は自分が名乗らないで済むのを安堵していた。と同時に周囲に目を光らせる。自分は追われている身だ。だからこそ、警戒は怠れなかった。
「警戒しなくても大丈夫ですよ。ついさっき、密偵は始末しておきましたから。それに周囲にそんなのがいれば、彼女がすぐにカタを付けてくれます」
そう言って笑みを浮かべたケニーは、マリーナを手で指し示す。
これほどまでに小さな少女が、本当にそんなことをできるのか。男は疑問の視線を、マリーナに浴びせていた。
「おい、おっさん。雇い主の客人だから何もしないけど、それ以上疑うんだったら、ここで実力を見せつけてやってもいいいんだよ?」
マリーナは殺気を込めた目付きで、男を見つめる。それに男は自分の考えを改める。
彼女の瞳はどす黒くも、危うく美しい輝きを放っている。それに殺気が加わり、彼女が本当に護衛役を務めていると思わされたのだ。
「疑って悪かった。すまない。それで、ケニー殿、例の仕事の件なのだがな」
男は相当に焦っているらしく、マリーナに一言だけ謝ると、ケニーとの交渉に入っていた。それがマリーナは気に食わないらしく、腕を組んでそっぽを向ける。
ケニーは相変わらずの笑みを浮かべて、男に答えていた。
「ああ、あのご注文頂いていた品々ですか」
「うむ。輸送はそちらで頼むことはできるか?」
唐突な質問にケニーは少しだけ顔を歪ませる。
「えー。まあ、できないこともありませんけど、今いただいている金額では、ちょっと難しいですね」
わざと困った風な様子を装うケニーに、男は渋い顔をしつつ答えていた。
「金は出そう。だから、必ず、届けて欲しいのだ」
男の必死に懇願する顔に、ケニーは笑みを浮かべる。
「ああ、そうですか。それほどまでに、あの導師にお惚れになっておいでですか?」
ケニーの意味深な言葉に、男は明らかに嫌悪感を露にして吐き捨てる。
「ふん。奴は俺の手駒にすぎん」
男の言葉にケニーは腹の底から笑いがこみ上げてくるのを我慢する。
(そうですか。いや、おめでたいですね。お互いに。あの導師もあなたを手駒としてしか見ていないんですよ? 本当におめでたい)
などとは口にはせずに、ケニーは続けていた。
「いいでしょう。その代わり、それ相応の危険も伴いますし、金額はあの品々に上乗せして、こんなもんでどうでしょう?」
ケニーが提示した金額、それは、裏取引の品々を注文した金額分を、注文した品物分に更に上乗せした金額だった、それを見た男が、目を丸くする。
「お、おい。これはちょっと、高すぎないか?」
「ああ、ならいいですよ。あとは御自分でお運びになってください」
ケニーはこの男が金持ちであり、その位の金額を出せることを知っている。そして、何より、彼は今、追われる身であるのだ。
物を運ぶのに、派手に動いてしまってはそれこそ、動向を騎士達に押さえられかねない。
だからこそ、言うのだ。払わないのなら、ご勝手にと。
男は歯噛みしつつも、ケニーを睨みつけながら言っていた。
「わかった。仕方がない! 出す。出すからには必ず送り届けろ!」
男の足元を見たケニーの行動に、マリーナは改めて思う。
(やっぱ、あんた腹黒いわ……)
そんな呆れの視線など気にせずに、ケニーは上機嫌で男に告げていた。
「ありがとうございます。では、代金は提示した額を、この街の銀行の78541-5の口座に預入しておいてください」
満面の笑みを浮かべたケニーを前に、男はその場を無言で立ち去っていく。
金額が金額なだけに、男も相当に頭にきていたのだ。だが、そんな男のことなど、露知らず、ケニーは満面の笑みで彼の背中に声をかけていた。
「あ、品物を運ぶのは、お金が入ったのを確認してからですからねー」
そう、男の背中に告げるケニーに、男は背中を向けたまま、手を上げて答えていた。
「ふふ。儲かりました。儲かりました。事情のある金持ちの足元を見ると、金が山のように積まれていて、全くもって甘い汁を吸い上げられますねー」
満面の笑みを浮かべるケニーを前に、マリーナは一言だけつぶやくのだった。
「史上最悪の腹黒……」
呆れるマリーナと、満足そうなケニーは、その場を立ち上がっていた。
そうして、喧騒な街中へと、二人は消えていく。
カモメの鳴く平和な街で、歯車は少しずつ噛み合い始めていた。
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