最終話 ここにいないあなたへ

 朝、目が覚めると、私は知らない場所にいた。

 知らないベッド、知らない机、知らない時計。何もかもが、未知の情報だった。


「なんで、こんなところに」


 訳も分からず、とりあえずここから出ようと思い、ベッドから立ち上がった時。

 涙が、溢れてきた。


「……あれ?」


 その涙の理由は、分からなかった。ただ、少しの、微塵にしか残っていない記憶の断片が、頭の中に浮かんできた。

 けれどそれは、すぐに消えてしまう。涙が落ちていくたびに、消えて行ってしまう。


「ま、待って、零れないで、待ってて」


 涙を掬うようにするも、それは止まることを知らず、絨毯へと落ちて行ってしまう。何とか記憶の整理をしていた、その時。


「……立花、優」


 一つの名前を、口に出す。

 そうだ、立花優。私が愛してきた、彼女の名前。けれど記憶は零れ、どんどんとそれは失われていく。

 何か、ノートに記さなければ。そう思ったとき、机の上にノートを見つける。彼女との記憶を、そこに記していく。


 どこに行ったのか、何を思ったのか。自分の中にある感情を整理し、記憶を記していく。二年に及ぶ、過去の記憶を。

 涙でぐしゃぐしゃになる。けれど、止めない。シャーペンで記した文字が見えなくなる。けれど、諦めない。

 鮮明に記憶を記していくと、時間は溶けるように過ぎていき、時計の針はいつの間にか一周していた。





 あれから、二年後。私はとあるイベントで呼ばれ、インタビューを受けていた。


「それでは、よろしくお願いします」


「は、はい、よろしくお願いします」


「ふふ、緊張しなくていいんですよ」


「そうですか……」


 インタビュアーの人は楽しそうに笑うと、手元の紙を確認しながら、私に対し質問を行う。


「では、いくつか聞きたいことがあります。まず一つ目、高校生ながらにしてレビュー、そして大ヒット、おめでとうございます」


「あ、ありがとうございます」


「先生は非常にお若いながら、あの作品を作り出した異例の才能がありますね。その、秘訣とは?」


 キラキラと輝かせた瞳をこちらに向ける。私は乾いた笑いで返しながら、言葉を吐く。


「私自身には、大した才能がありません。ただノートに書いたことを、面白おかしく書いただけですよ」


「謙虚な方ですねー、お若いながら、凄いです」


「はは……」


 事実をそのまま話しているだけなんだけど。そんなことを思っていると、次の質問が飛んでくる。


「では、次の質問に。本作に出てくるヒロインは、非常に人間味がありながらも儚いという、絶妙なバランスを保っています。もちろん、それを表せる文章力は言わずもがなですが。そこで、誰かをモデルにして作ったりや、何かをモデルにして作ったりはあるんですか?」


 屈託のない笑顔をこちらに見せながら、紙と照らし合わせ質問を行う。隙間を入れず、答える。


「分かりません。この女性が誰なのか、私にも分からないんです」


「はあ……」


「ですが、これだけは。私はこの人を、愛していた。それだけは、事実です」


 いざ言葉にすると、何を言っているのか分からない。けれど、これでいい。私はただただ、事実を述べているのだから。

 潤沢に進んでいたのに、突然抽象的な答えになったからか、人差し指を顎にくっつける。だが、区切りを付けたのか、次の質問に移った。


「この本を書いた理由は、何かあるんでしょうか」


 抽象的な答えをしたからか、抽象的な質問が降ってきた。どう答えればいいか、頭を悩ませる。


「……これも、抽象的になってしまうのですが。これは、彼女が生きた証明を、この世にするために。何より、私が忘れないように、作りました」


 ちぐはぐな答えからか、インタビュアーの人は分かりやすく混乱する。申しわけない気持ちが心に生まれる。

 そして、それも踏ん切りがついたのか、最後の質問を口にした。


「すみません、もう一つ。このタイトルには、どのような意味があるのでしょうか?」


 首を傾げながらそう聞くインタビュアー。その質問に少し悩み、視線を外す。が、答えは決まっているため、口を開く。


「この本の、タイトルには――」





「お疲れー!」


 インタビューも終わり、私は自ら著作した本をしみじみと見つめながらビルの外に出ると、そこには京が待ち合わせていたかのように居た。手を振りながら、自らの場所を伝えてくる。


「ここまで来たの?」


「うん。だって、澪ちゃんと帰りたいし」


 ニッと笑う京。そんな姿を見て、思わずこちらの頬も緩む。


「そっか」


「じゃあ、帰ろ!」


 京はそう言うと、当然のようにこちらに手を差し出す。私はため息を吐くと、本を逆側の手で持ち、仕方なさそうにその手を握る。帰り道を彼女と一緒に、辿っていく。立花優ではない、別の人間と。



 私が、この本に込めた意味。あれは、盛大なラブレターのようにも、悲しい失恋のようにも捉えられる。もちろん、どう捉えてもらっても構わない。この本は、彼女を、立花優を表したものだから。私が好きだった、私を好きでいてくれた、優を。



 これを、あなたに贈る。大好きなあなたに。愛していたあなたに。



 ここにいない、あなたへ。

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