過呼吸で死にかけた挙句、殺されそうになった話

イノベーションはストレンジャーのお仕事

過呼吸で死にかけた挙句、殺されそうになった話

在京大学時代に4歳年下の女性とお付き合いしていました。JKでしたので犯罪一歩手前ですが、当時はまだ援助交際とかパパ活なるものが然程問題視されていた時ではないし、自由恋愛でしたので罪悪感は有りませんでした。

私が地元就職する事になり、彼女を置いて故郷へ帰ることになりましたが、私には未練があり、社会人になってからも車で東京に数回行って彼女と会っていました。

明確な時期は忘れましたが、社会人2年目の夏の終わり頃でしょうか、車で彼女に会いに行きました。高速を使って4時間位の道のりです。私はヘビースモーカーなので、行きの社内でタバコをバカバカ吸いながら運転していました。

高速道路の終点手前で若干の息苦しさを感じながらも、東京の市街地を走行するので緊張感を持っていましたので気にしませんでした。恐らくその時既に酸欠状態だったのでしょう。高速を降りて直結の国道への道順でした。すると、右折の信号待ちの時、急に呼吸が苦しくなり始め、荒くなりました。やばい!と思いながらも交差点の真ん中で右折待ちしていて緑の右矢印が出た以上、進まなければなりません。呼吸はみるみる早くなり、もはや運転できるレベルではなくなりました。私は身の危険を感じ、右折してすぐに路肩に車を止めて傍にあった八百屋さんに駆け込み、救急車を呼ぶように頼みました。親切にもその八百屋さんに連絡してもらって数分後救急車が到着しました。私の中では時間感覚がおかしくなっていたので、救急車が直ぐ来たような感覚でした。

救急隊員は私に透明のビニール袋を手渡すと、ビニール袋の気体をゆっくり吸って吐く様に言いました。それを数回行いました。すると直ぐに呼吸が楽になりました。(あれは効果絶大)並行して救急車は近くの病院へと向かって走り始めました。その後、目白病院に救急車で運ばれました。練馬から目白まで10数分掛かるところですが、私には2,3分で着いた感覚でした。

病院に到着すると女性看護師さんが私の前に現れ、名前や住所などを確認しました。その時、ボールペンをカチカチしながら質問していたことが印象に残っています。恐らく意識をしっかり持たせるためだったのでしょう。

その時は立って歩けるくらいに回復していましたが、看護師さんは私をICUに案内しました。ICUに初めて入った私は驚きました。体中包帯を巻いている患者さんやマンガにあるみたいに脚が物凄く太くなっていて、脚を上げて吊っている患者さんなど、6人くらいベッドに横たわっていました。ICUは集中治療室ですので重病や緊急性の高い患者が入っている部屋です。私には到底縁が無いと思っていましたが、とんでもない所でした。

ある空きベッドに通されて、何か読むか?と女性雑誌やつまらなそうな漫画を渡されました。渡されたとて別に読みたい訳では無いのですが、眼の前にものすごい状態の方々が目に入るので渋々女性雑誌を見ていました。

その後、食事が出てきました。えっ、食事なんて出るの?と思いながらパクパク食べていました。すると、私の両親と町田市に住んでいる叔母の3人が現れました。事前に看護師さんに家族構成などは聞かれていました。が、それにしても早くないか?家から新幹線で2時間は掛かるし、叔母に連絡して落ち合ってここに来るにも時間が必要なのに!と思ったと同時に申し訳ない気持ちになりました。両親は商売をしており、休んでここに来た事になるからです。

入口で看護師さんに事情を説明されているのでしょう、数分掛かって私の所に来ましたが3人と何を話したかは覚えていません。

大分回復した私と両親、叔母の4人は小田急線に乗って町田へ向かいました。その時車内ですごく惨めだった記憶があります。電車内でも会話は殆ど無く、叔母の家に行く際に使っている急行列車もいつもより時間が掛かっている錯覚に見舞われました。

駅について叔母の家に徒歩で向かいます。その際もほぼ会話は有りません。15分ほどで叔母の家に着きました。私は病院でご飯を食べたため、直ぐに寝るように促されました。色んなことがありすぎて目を瞑っても眠れそうにありません。襖から光が漏れ母親と叔母が何やら話していますが、会話の内容まではわかりません。私について何か話しているようでした。私は暗い部屋で再度目を瞑りました。

ウトウトとしていると、光がぱっともれて襖が開くのがわかりました。誰かが私の方に近づいてきます。すると、母親と叔母が私の顔を覗き込んで、何やら相談していました。もしかして殺されるのでは!という恐怖に駆られました。なので、薄目を開けて二人を確認していましたが、寝たふりをしたあと寝返りを打つと二人はすぅーっと襖を閉め、部屋に戻っていきました。あの時、何しようとしてたのか?と聞くのが怖くてずっと聞けませんでしたが、最近母親に聞いてみました。しかし、半笑いではぐらかされて本当のところは今も謎のままです。

翌朝、早々救急車を呼んでもらった練馬の八百屋さんに挨拶に行き、経過をお話してお礼をしました。置いていった車は何処かに置いておいてくれたみたいで、側道に止まっていました。私の運転で両親と高速を使って自宅へと向かいました。その道中、涙がつーと頬を伝えていきました。おれは何してるんだろうか?という思いと彼女とは距離を置かなければいけないという悔しさがこみ上げてきました。更に、身内に殺されるかも知れないという恐怖を受け止めるのにしばらくの時間が掛かりました。

           (おしまい)

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過呼吸で死にかけた挙句、殺されそうになった話 イノベーションはストレンジャーのお仕事 @t-satoh_20190317

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