焼肉弁当と天の川

おぼこ

<焼肉弁当と天の川>

「ねぇ、家まで送ってくれないの?彼女なのに?」


 そう不満げにもらした彼女、『小鳥遊 穂波(たかなし ほなみ)』の声色は、口からこぼれた疑問文とは裏腹になんら期待していない表情である。


「送らないよ?一雨きそうだし、傘もって来てないし。」


 うだるような猛暑が続く真夏の昼、そう言いながら空を見上げようともすればここは高架橋の下であり、こういった会話をするタイミングで空の顔色を窺えないとなると説得力にも欠けるが仕方ない。


「今日、うち誰もいないんだけど?」


「……?、穂波の家に誰もいないと、わざわざ雨に濡れながら俺が送って行かなきゃいけない理由になるのか?」


 もちろん、彼女の言い分が分からない鈍感野郎を演出しているだけであって、その言葉の真意に気付けないわけでもない。

 そしてもうひとつ重ねると、その演出の意図に気が付かないほど彼女も馬鹿ではない。


「キミってほんと彼氏失格だよね。」


「穂波だって、別に期待してないだろ?」


 彼女は静かに目を閉じて、俺の言葉を思案する素振りだけすると「そうだね。」と言って背を向ける。

 手入れの届いた、背の中ほどまで伸びる彼女の綺麗な髪が静かに風に揺れて、表情を隠した彼女の背中に少しだけ『寂しそう』という視覚情報を演出するが、そもそもとして実際そんなことはない。


「じゃあ、私帰るね。」


「うい。気を付けて。」


 最後は目も合わせずにその背中は高架橋の影を抜けて歩き去る。自分も手早く帰るとしよう。


 なにせ今日は、休日だというのに朝から夏期講習という名の『数字との殴り合い』を受けてへとへとなのだ。

 まだ夏休みにも入っていないため、軽いジャブの打ち合い程度で終わると思っていたのに、それなりのボディブローを受けた身としては、午後のうちに明日の試合へ備えて対戦予定の選手を徹底解析しておかなければならない。


 ただ少し小腹が空いているので、帰りがけ百貨店にでも寄って軽食を獲得したいところだ。


 そんなことを考えながら歩き出すと、交差点の近くの焼肉屋が店の前に机を並べ、弁当販売をしているのが目に入る。

 わざわざ昼に弁当を売り出しているところを見ると、集客の大部分となる夜の営業がうまくいっていないのだろうか。

 味が悪いのか立地が悪いのか。はたまたまったく別の理由なのか。


「……800円か。」


 余計なお世話で高校生ごときが大人の経営事情にあれやこれやと考えては見たものの、別に大した理由もなければ興味もない。どちらかと言えばやはり目の前の弁当の方がはるかに興味をそそられる対象だ。


 なにせ肉だ。多かれ少なかれ人には好き嫌いといものがあるが、肉が嫌いな人類などさほど比率として多くはない。

 無駄に店の個性を出そうと余計なスパイスだなんだと振りまいてさえいなければ、肉の美味さなど食べる前からある程度の保証がされているものなのだから、これこのように目の前に肉を並べられれば大抵の男子高校生には効果抜群というやつである。


 しかし、同時に肉を主力とした食事というものは、やはりその魅力に違わずきっちり経済を回しにかかるもので、社会に出てもいない学生が財布のひもを開くのには、それなりの決心を試される。


 800円という大金は、ともすれば『当時の』俺たち高校生がコンビニバイト1時間で稼げる最低賃金を160円も上回っている。まさに大金である。


 ましてや、労働のひとつもせず『こづかい』という名の不労所得を提供されている俺のような立場の人間がこのような贅沢を享受していいかと問われれば自然と財布のひもも固くなるというもの。俺の財布、チャック式だけども。


 そも学生の本文は勉学である。そういった意味では俺たち学生も働いているといっても過言ではなく、この不労所得は実は不労所得でもなんでもなく、れっきとした『労働の対価』という受け取り方もできる。


 これは一体どうなんだ。『働かざる者食うべからず』と不労所得者を非難したウラジーミル・レーニンの言葉の真意やいかに。


「焼肉弁当か、美味しそうだね。」

 

 結局のところ、自身の財産を一時の欲に駆られて目減りさせることに躊躇いを感じていただけの俺の横に、いつから居たのか一人の男が現われて呟いた。


「こんなところで奇遇だね、織姫くん。」


「その呼び方はやめてくれ。」


 不愉快な呼び名で俺を呼ぶ彼の名前は『安彦 星弥(あびこ せいや』と言って、これまた不愉快なことに俺のクラスメートであり、世間一般的には幼馴染である。


 俺の母親と星弥の母親は古くからの付き合いで、いわゆる親友という関係に当たる。

 ふたりは自分の子供同士が男と女であったならば結婚して欲しいと切に願う傍迷惑なロマンチストで、俺と星弥がともに男として生を受けた時にはそれなりにショックすらあったらしい。


 それでも諦めきれなかった彼女らは、これまた迷惑なことに名前だけでもとあれやこれやと画策した。

 そんなこんなで俺についた名前が『伊織 姫貴(いおり ひめき)』である。


 お分かりいただけただろうか。

 そう、互いの名前の間を抜き出すと『織姫と彦星』になるのだ。


 不要不急なロマンチックには百歩譲ったとしても、息子の名前に『姫』の一文字を入れるのはどうなんだ?

 とんだ花畑な親もいたものである。一生許さない。


 おかげさまで小学校から中学校まで周囲からどれだけ弄り倒されたか言うまでもない。


 幸い、人の名前で面白おかしく遊んでいるような奴らも、高校生ともなれば落ち着きを見せてくれたが未だにふとした拍子に悪ふざけが顔を覗かせることまでは避けられないでいる。 


「ごめんごめん。それで?姫貴は焼肉弁当がご所望かな?ちょうど僕もお腹が空いていたところだし、奢ってあげようか?」


 奢ってくれるのならば是非もない。

 ちょうど先ほどまで不労所得で贅沢をして許されるものなのか?と世間的な倫理観に対して脳内で討論会を開催していたものの、日本人のお偉い様方に習ってその討論は終止符を打つ気配なく不毛な戦いへと進んでいたところだ。


 だが、しかし。


「……なに企んでんだ。」


「企みというほどでもないけれど、食事を片手に天の川にでも出かけてみようかなと思って。姫貴のようなひねくれた友人が一緒に来てくれると、思わぬ意見に見識が深まることもあるし良かったら。」


 星弥の言う『天の川』とは、この街に流れる『蛙麻(あま)』という渓流のことだ。

 十数年前、この渓流沿いに見つかった遺跡が世間を賑やかし、その渓流沿いに細く開拓された線路を走る観光列車は今や、この街が所有する数少ない売りのひとつである。


「あんなもの、しわの数を数えるのに飽きた年寄りが、無駄に歳だけ重ねた事実から目を逸らすために『若者には分からない良さがある』とか言い訳がましく現実逃避で見に行ってるだけだろ。なにが楽しくて男子高校生ふたりで見に行くんだ。」


「キミのそういったところが楽しくて、かな。」


「わけが分からん。」


 ため息をつく俺の表情が視えていないのか、『それで?買ってく?』と姫貴が財布を開きながら首をかしげる。

 何が楽しくて青春を謳歌している彼女持ちの男子高校生が、野郎とふたりきりで地元の観光など。


「緑茶も頼む。」


「おっけー。」


 これは決して焼肉弁当に負けたわけではない。

 年寄りじみた享楽に励む幼馴染の目を覚ますべく、いかにそれが若者らしくないものか友人として教えてやろうとだな。


 ……だから、違う。決して俺は賄賂に屈したわけではない。絶対。


――――――■


 そうして今、賄賂を片手に観光列車の駅舎まで足を運んだところで、腕を組みながら待ち構えている麦わら帽子の彼女に、俺が睨まれている状況はいったい誰のしわざなのか。


「ふーん、そうなんだ。私みたいな可愛い彼女より、姫貴は男友達とのデートを選ぶんだ?」


 怒っている。明らかに怒っている。


「穂波、なんでお前がここにいるんだ。」


「僕が呼んだんだよ。」


 俺の当然の疑問に、となりで笑顔を絶やさない糞野郎がさも当然のように回答を出す。


「姫貴を独り占めしたら悪いかなと思って。」


「……弁当は?」


「もちろん、彼女のぶんも買っておいたよ。」


 ほら、と星弥は自分の手にもつビニール袋の中を覗かせる。


 中から漏れる美味そうな肉のにおいに一瞬だけ本題が抜けそうになるが、なんとか正気を保つ。

 そうして静かに賄賂から顔を逸らし、ご立腹な彼女に真摯な姿勢で向かい合う。


「ごめんなさい。」


「許しません。」


 こうして三人で腰を下ろした列車の客席は、星弥の割りばしを開く音と共にリズムを刻み始める。


 わずか三両の観光列車にあってなお、今この車両には俺たちの他に乗客は見当たらない。

 木々の木漏れ日から振り落ちる夏の暑さも風に流され、弱り果てた老人の体にも優しいこの観光方法であってすら客席に腰を休める者がいないということが、いかにこの観光地にそれだけ魅力が『残っていない』かという事実を物語っている。


「別にいいじゃない。貸し切りみたいで贅沢だわ。」


 いつもより一層クールに大人びた態度で、彼女はそう呟いた。

 そして俺と違い米粒ほどの交渉もなく、一切の損なしに賄賂を受け取った彼女がその肉を口に運ぶ。


 ずるい。俺も食おう。

 美味い。


 ……ずるい。


「あ、見えてきた。」


 星弥が車窓の外のそれに指を向ける。


 木々の間から顔を覗かせるその石造りの遺跡は、およそ軽車両一台ぶんほどの大きさで、年季を感じさせる苔に覆われている。たしかに傍から見れば納得の風格だ。


 当時その遺跡が発見された時、日本中に大きな衝撃が走り、日夜その報道で世間を賑わした。


 今は無き縄文時代の建造物だという鑑定結果が出され、日本史を揺るがす世紀の大発見というやつだ。


「縄文時代、たしかにそんなのもあったらしいわね。」


 いつの間にやら心の声が漏れていたのか、俺の言葉に彼女は淡白な感想をつなぐ。


 今となっては教科書からその名を消した『縄文時代』が『なぜ無くなったのか』といった話になれば俺は知らない。

 なにかしらの解釈違いがあったのか、そもそもとして見当違いな話だったのか。


 教科書に載っていないことをわざわざ勉強するほど暇でもないのだから、『知らない』の一言に尽きる。


 そして、この遺跡も例に洩れず『そういったもの』である。


 つまるところ、そうだ。


「当時世間を騒がせた謎の遺跡は、はるか昔の歴史的な超財産……ではなかった。」


 気だるげに話し始める俺の言葉のつづきを楽しそうに待つ幼馴染と、さして興味もなさそうに箸をすすめる彼女。


 俺はわざわざこの糞野郎のためだけに、つまらなさそうに外を眺める彼女を無視してまで言葉を続けるか少しだけ悩んだが、いかんせん現在進行形で俺の胃を満たしゆく快楽は、この糞野郎の賄賂あってのものだ。


 不興を買い返金を求められたり、今後も提供されるかも知れない賄賂を失うことだけは避けねばならない。


「蓋を空けてみれば、どこぞの金持ちがその昔に道楽で作った精巧な芸術品だった。

 あまりにも拍子抜けな結果だが、それに気が付くには何もかもが遅すぎた。

 迅速に市税を投げうって鉄の道を敷き、過疎化したこの街を盛り上げようとした大人たちの嬉々とした顔色が、

 ゾンビみたいに青々とするのはだいぶん後の話だ。


 『そんな筈はない。』『これは間違いなく歴史的なものだ。』と顔を赤らめながら事実を受け止めず、

 よくと分からんものと戦うっていう長い長い過程が間にあったからな。」


「まるで信号機ね、黄色から始まってるけど。まぁ、始まりを勘違いした人たちだから仕方ないわね。」


 事実を事実と認められない人間は沢山いる。

 厄介なのは、いかに『周囲』がそれを事実ではないと理解していようとも、そうでない者たちで集まってしまうと『彼らにとっての周囲』だけ認識が変わってしまうことにある。


 隣のやつに『間違っていないよな?』と聞いて『間違っていない。』という回答しか返ってこないのだから、彼らにとって間違えているのは自分たちではないのだ。


 ましてや情報網も手狭な、老人たちの町だ。この考えを正せる若者は決して多くない。


「俺の親父なんかも、その類だ。母さんはわりと頭がやわらかい方だが、親父は近所の老人たちとの会話の方が馬が合うみたいでな。たまの休日の茶飲みの際には、こぞって親父と近所のやつらが母さんを怒らせて茶をぶっかけられてる。

 なにを言えば温厚な母さんが毎度あんなに怒るのか気になるもんだ。」


 もちろん、巻き込まれたくはないので気にしないことにしてはいるが。


「姫貴、その理屈で言うと、キミのお母さんが勘違いをしている、という可能性もあるんじゃないのかな?」


 少し寂しそうに、星弥がそう言って弁当の箱を閉じる。


「母さんが?寝言は寝て言え。お世辞じゃないが俺は母さん似だ。母さんはよく頭も回るし、口も回る。

 古い情報に左右されたりしないし、毎朝のニュースだって鵜呑みにするべき内容かどうかきちんと自分の中で情報を精査して飲み込んでる。間違いを指摘されれば意固地にならず考えだって改める。

 だから、口論になるなら基本的に親父や近所の連中が悪い。」


「はぁ、変わらないわね、あんた。」


 彼女の呆れた反応で我に返る。やや意固地になって反論に言葉を費やし過ぎてしまっていたかもしれない。


「姫貴がそんなだから、姫貴のお母さんも割り切れないんじゃないの?」


 おい彼女。曲がりなりにも俺の彼女だというのに、あんまりな言い様だ。

 いくら賄賂を渡されているとはいえ、大事な彼氏の母親が馬鹿にされているのだから、少しは味方をして欲しい。

 将来お前のお母さんにもなるかも知れないんだぞ。


「それはないわよ。」


「断言するなよ。」


 今はまだ付き合っているにもかかわらず、将来的な破局を宣言された。

 あれか?彼氏にはしたいけど夫にはしたくないタイプなのか俺は。


「あ、見えてきた。」


 星弥が再び、車窓の外に指を向ける。


 この渓流沿いに、さっきの遺跡以外に目ぼしいものなんてないだろう。

 なにが見えてきたというのか。この話題の着地点か?


「まったく、この渓流のどこにそんな指を指してまで見るものが在るって言うんだ。」


 そう言いながら窓の外を見れば、木々の間から顔を覗かせるその石造りの遺跡は、およそ軽車両一台ぶんほどの大きさで、年季を感じさせる苔に覆われている。


「……は?」


 先ほど見たものと、瓜二つの遺跡がそこにあった。


 なんだ?ふたつもあったか?それとも俺の知らない間に、この観光列車は山手線方式で道を伸ばしたのか?

 正直それこそ誰に聞いても失敗だろう。ただでさえこの道を敷くときに莫大な資金を無駄にしたというのに。


「いったい何が……、」


 何があったのか、と問いかけようとして視線を戻し、硬直する。


「……誰だ。」


 俺の正面に座るこのオッサンは誰だ。

 どことなく星弥の面影がなくもないが、あいつは高校生でこいつはオッサンだ。


「姫貴」


 名前を呼ばれて隣を見る。

 今にも泣き出しそうな瞳をした、綺麗な女性が座っている。



 穂波はどこへ行った?穂波の姉かと思うほどのそっくりさんだが、生憎と俺の目はごまかせない。

 彼女はもっとこう、どこか垢ぬけない感じがあって、体ももう少し華奢だ。言ってしまえば貧相の類だ。

 

 俺の彼女がここまで成熟した美しい女性になるのは、少なくともあと10年は先だろう。 

 無論、先ほど破局宣言をされたので、その歳の頃にはとっくに俺の彼女ではなくなっていると思うのだが。


「ちゃんと目を見て。姫貴。」


 この女性は、なぜ俺の名前を知っているのだろう。

 やはり穂波の姉かなにかだろうか。


「姫貴がそんなだから、姫貴のお母さんも割り切れないんじゃない。」


 先ほど穂波が口にした言葉だ。なぜそれを今ここで繰り返す。


 混乱する頭でこのドッキリじみた茶番の意図を必死で読み解こうとするが、整理が追いつかない。


「まぁまぁ、お茶でも飲んで落ち着くといい。」


 星弥によく似たオッサンが、ビニール袋から緑茶を取り出してこちらへ差し出す。


「……僕が悪かったのかもしれないね。姫貴。」


 受け取った緑茶を膝上に眺めながら、状況を飲み込もうと必死な俺に、彼はそう言った。


「10年前の今日。この七夕の日に僕は願ってしまったんだ。」


 目の前の彼が、何を言おうとしているのか理解できない。

 

 視界の端、窓の外にまた何かが通り過ぎる。さっきも見た何かだ。

 そうして視線を戻せば、目の前には先ほどよりも歳を重ね、額にしわを刻んだ初老の男性が座っている。


「あの日、雨が降った。」


 初老の男性が漏らすその声は枯れていて、なんだか少し疲れていて。


「雨は夜を待たずに通り過ぎていったものの、その勢いはとても強かった。」


 窓を、小さな雫が叩く。雨だ。


「霧が深くなり、この観光列車は安全確認のためにその足を停めた。」


 そうだ、その通りだ。でもそれは今じゃない。『このあと』の話だ。


「土砂が、この小さな空間を飲み込んだ。」


 嗚呼、そうだ。その通りだ。『思い出したくもない』。


「救助されるまで、僕は空を見上げて願ってしまった。」

 死にたくない、死んでほしくない。ずっとみんなと居たいと。

 ……空は、嘘みたいに晴れていた。」


 悲しげに言葉をつむぐ初老の彼の瞳に、窓も開いていないのに雨粒が溢れかえる。

 唇を震わせて、なんとか唾を飲み込んで次の言葉をひねり出そうとする彼の手を、そっと隣の彼女が握る。


 彼女の手は乾いていて、しわがあって、震えていた。


「あなたのお母さんは、それを受け止められなかった。おかしくなってしまった。

 お父さんや、近所の人たちがなんとかしてあげようと毎日のように言葉を尽くしたけれど、

 その事実は、受け止めるには難しすぎた。

 なぜなら、お母さんの『周囲』には、あなたが居たから。」


 彼女の声は、やっぱり芯の在る強さを感じて、少し優しくて。

 俺はいつも、その声を心地よく聞いていて。


 ……そうか。そんなことか。


 俺は母さんに似て、口も頭も回る方だ。

 古い情報に左右されたりしないし、毎朝のニュースだって鵜呑みにするべき内容かどうかきちんと自分の中で情報を精査して飲み込んでる。間違いを指摘されれば意固地にならず考えだって改める。


「俺は死んだのか。」


 きっと沢山泣かせた。

 心配させて、後悔させた。


「星弥は、きっとたくさん怒られただろう。」


「そんなことないよ。」


 そんなこと、あるに決まってる。

 人一倍に息子想いで、何事にも熱のある俺の親父だ。


 あの日、俺を連れて列車に乗らなければ、なんて恨み節のひとつやふたつ、吐いたに決まっている。

 それを否定するのは、してくれるのは、星弥が優しいやつだからだ。


「穂波は、きっとたくさん後悔しただろう。」


「……そうかも知れないわね。」


 そうに決まっている。

 夏期講習の帰り道、無理矢理にでも自分の家に引っ張っておけば、なんて思ったに違いない。


 俺が断ったのに、自分のせいにして泣いて怒って暴れたに違いない。

 なんせ彼女だ。世界で一番いい女だからだ。


「そっか。……ごめんな。きっと毎年、来てくれてたんだろ?」


「織姫と彦星が会えるのは、天の川がかかる七夕だけだからね。

 この短い観光列車の旅路で、キミに言葉をつむぎ終えるのに40年もかかってしまった。」


 あれから40年も、この客も来ない観光列車は走っているのか。金の無駄遣いだな。


「そうでもない。今の時期こそさほど人気はないが、紅葉の季節にもなればここは大賑わいなんだ。

 特に駅舎で売られるようになった焼肉弁当がこの旅の定番でね。」


 なるほど、そうなるのか。

 たしかに、これだけ青々とした山川だ。紅葉ともなれば、さぞや美しかろう。


 青々としたこの景色が、黄と紅に埋め尽くされた山に変わるその時を、可能なら一度くらい見てみたい気もする。


「まるで信号機ね。」


 いつの日か、同じ言葉を呟いた彼女を思い出す。

 大自然の景色を人工物に例えるなんて、風情のない事この上ない。


 だけれど、今の俺には悪くもない例えだ。


「じゃぁ、青信号のうちに前に進んでおかないといけないな。」


「そうよ。どれだけ待ったと思ってるの?いい加減さっさと渡るだけ渡ってくれる?」


 我が彼女ながら手厳しい。が、正論だ。

 それじゃ、先にいって待っていることにしよう。


「ああ、そうだ。最後に二人に聞きたいことがあるんだけどいいか?」


 ふたりが不思議そうな顔で目を合わせた後、ふたたび俺に視線を投げかける。


「ふたりとも、もしかして付き合ってたりするのか?」


 これだけは聞いておかなければならないと思った。

 事と次第によっては、夜ごと彼の枕元に立ち、墓に賄賂を置くよう脅さなくてはならない。


 実際のところどうなんだ?と俺が手に汗を握っていると、彼女が『ふふっ』と笑って口をひらく。


「今日、うち誰もいないんだけど、……来る?」

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焼肉弁当と天の川 おぼこ @kaidadada

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