【短編】あなたは私の理想のパイプ椅子 ~ホテルでの奇妙な一夜~

ほづみエイサク

あなたは私の理想のパイプ椅子

 ある安ホテルの一室。


 男女が横並びで、ベッドに座っている。


 男性は仕立てのよいスーツを着込んでおり、一目で小金持ちだとわかる。


 女性が身にまとっているのはバスローブ一枚だけであり、シャワーを浴びた後なのか湯気が立っている。


 デリヘル嬢とお客様。男女の関係はそれ以上でもそれ以下でもない。


 そのはずなのだが――


「私は一度、最期の買い物としてパイプ椅子を購入したんです」


 いきなりの発言に、デリヘル嬢は目を丸くした。


「なんでそんな話をするんですか?」

「あなたに聞いてほしいんです」


 頓珍漢なことを言いながら、小金持ちは真剣な表情を向けた。


 はぁ、とため息をつきながら、デリヘル嬢は白けた目をする。


「なんの話ですか?」

「私の人生に関わる話です」


(説教の前振りかな……?)


 デリヘル嬢をわざわざ呼び出して、説教をする客は少なくない。そのほとんどが『自分語り』や『あの頃はよかった話』ばかりで、聞いてて気が滅入るものばかりだ。


 しかし直接断るのも相手を不快にさせてしまう。そういう時に告げるセリフは決まっている。


「はぁ。追加料金をとりますよ」


 金銭を要求すれば、大体の人間は引き下がる。逆上する客もいるのだが、そういう時は「金をまともに出さないヤツは客じゃない」と割り切ることにしている。


 しかし小金持ちの反応は、そのどちらでもなかった。


「いくらですか?」


 驚きながらも、細長い指を5本立てた。いわゆるお断り価格だ。


 小金持ちが頷きながら五千円札を取り出すと、デリヘル嬢は腹ペコの犬のように素早く奪い取り、自分の懐に入れた。


(気が変わらない内にもらっただけだし)


 罪悪感に言い訳しながら、ホクホク顔を引き締める。


「はい、続けてください。真剣に傾聴けいちょうさせていただきます」


 キリッと真剣な表情を作り、ピンと背筋を伸ばした。


 その姿がおかしかったのか、小金持ちは控えめに笑った。


「あんまりおもしろい話ではないですけど」と前置きして、少し遠い目になる。


 そして滔々とうとうと語り出す。


「今はこんな風にデリヘルを呼ぶ程度には成功していますが、うまくいかない時期がありましてね。自暴自棄になって、首を吊ろうとしたことがあるんです」


 落ち着いた声で語りながら、皮のたるんだ首をさすった。


「それは大変だったんですね」と早速後悔しながらも、デリヘル嬢は義務感で相槌を打つ。


(セックスしに来て、自殺の話を聞くハメになるとか)


 色々と言いたいことはあったのだが、樋口一葉の顔に免じて口をつぐむ。


「自死をしようと決めた日、私は山奥で首を吊る準備をしました。確実に死ぬために、丈夫な縄を用意し、パイプ椅子を買いました」

「パイプ椅子、ですか」

「はい。とても安い中国製の椅子でした」


 デリヘル嬢が反応に困っていると、小金持ちは優しく微笑んで、嬢の細い腕をスーッと撫でた。


「――――ッ!」


 その感触に過敏に反応して、腕を振り払ってしまった。気付いたころには遅くて、すぐに深々と頭を下げる。


「失礼しました」

「いえ、私も一言声を掛けるべきでしたね」

「いえ、慣れてますから」


(そのはずなんだけど……)

 

 そっとさっき触られた場所を、自分で触れる。垢を取るみたいに、何度もこする。それでもピリピリとしびれる感覚が残っていた。


(変な撫で方だった)


 今まで100を超える男性から触られてきたデリヘル嬢だが、今回の感触は特別で、ひどく印象に残っている。


(いやらしいとか気持ち悪いじゃなくて、もっと他の――)


 どれだけ考えても、その感情の正体がわからず、棚上げすることにした。


 そんなデリヘル嬢を横目に、小金持ちは言葉を継いでいく。


「それから人里離れた森の奥に行って、縄を太い枝に括り付けて、パイプ椅子の上に乗りました」


 話しながら、自分の首を絞めだした。ただの真似ではない。首の皮膚が赤くなり、顔面は苦しそうに青くなっていく。それでも小金持ちは話すのをやめない。


「パイプ椅子を蹴れば、重力の力で首が締まる。そんな状況でした」


 そこまで言うと、パッと首から手を放した。苦しそうな顔は一変して、とても暖かい表情へと変化する。


「突如、バキッ、と森には似つかわしくない音が響いたんです」


 まるで妻とのめを語るような口調だった。


「予想外の出来事に頭を引いたため、わたしの自死は失敗したんです。自死は勢いが大事なので、一度失敗すると仕切りなおしはできません」


 そこまで言って、力なくかぶりを振る。


「いや、そんな話ではありませんね。私は感動してしまったんです」


 もったいつけた言い方がじっれたくて


「何にですか?」とデリヘル嬢は思わず催促する。

「もちろん、パイプ椅子にです」


("もちろん"なわけあるか!)


 内心でツッコミを入れながらも、顔は平静を保っている。


「なんの変哲もないパイプ椅子に『死んではいけない』と叱咤しったされたように感じたんです」

「はぁ」


 無意識に、気の抜けた返事をしてしまった。


「それからわたしはパイプ椅子というもの研究し始めました。自分で会社をおこし、理想のパイプ椅子を作ることに注力しました」

「へー、じゃあ社長さんなんですね」


 一気に、デリヘル嬢の目の色が変わった。具体的には銭色だ。


「まあ、社長とは名ばかりで、現場にばかりいますがね。パイプ椅子工場は私にとって天国そのものです」

「好きなんですね。パイプ椅子」


 デリヘル嬢が少し引きながら言うと、小金持ちは虫取り少年のように無邪気に笑って


「もう見ているだけで頬ずりしたくなるほど好きですよ」と言った。


 その後、小金持ちの雰囲気がわずかに変わった。真剣な眼差しを向けられて、デリヘル嬢は「ここからが本題か」と理解する。


「だから、ですね――」


 一拍置いた後

 

「あなたには、私のパイプ椅子になってほしいんです」

「え、あ、はい……?」


 デリヘル嬢は、何を言われたか理解できなかった。言葉を一つ一つ咀嚼そしゃくして、意味をしっかり考えても『私のパイプ椅子になってほしい』という文章は全く解読できない。


「一目惚れなんです。あなたの手足と胴のバランスは、理想のパイプ椅子そのものなんです」


 デリヘル嬢はとっさに自分の体を見た。手足は長くてスラリとしている。起伏が少なくて、いわゆる『お人形体型』だ。


 そんな自慢の体が、一瞬無機質な物体に重なって見えた。


(パイプっぽい?)


 思ってしまった瞬間、強烈な不安感が押し寄せてくる。


 自分の中が空洞なんじゃないだろうか。腕も脚も体も空っぽで、本当は死んでいるのではないだろうか。よくよく考えれば簡単に否定できるはずなのに、強迫観念がこびり付いて離れない。


(あ、これヤバイやつ)


 いっそのこと自分の腕を切り裂いて、本当に中身が詰まっているか確認したくなってくる。


 その不気味な感情から目を離したくて、ホテルの部屋を見渡す。   


 すろと、ふいに小金持ちの股間が目に入る。ズボンの上からでも分かるほどモッコリとしている。目の前の男のソレが何故・・モッコリしているのかは定かではないが、なんのため・・・・・にモッコリしているのかは明白だ。


 今までこなしてきた仕事の数々。それらがフラッシュバックした。


(まあ、散々ズッコンバッコンされまくったんだから、空洞じゃない方がおかしいか)


 そう考えると、何故かとてもしっくりと来た。しかし同時に冷たい空虚さが背筋を通って、体が震える。


(あー、早く終わらせて彼氏と話したい。全部埋めてもらいたい)


 早く帰りたい一心で、不気味な小金持ちに向き直る。


「私にどうしろと言いたいんですか?」

「一回だけでいいんです。あなたに座りたいんです」


 あまりにも奇天烈なお願いに、開いた口がふさがらなかった。


 断ろうとして文言を考える。しかしいつもの癖のせいでストレートな言い回しが出てこなくて


「追加料金を――」と口走ってしまった。


 それを聞いた小金持ちは一万円札を取り出して、デリヘル嬢に手渡した。


(あれ、断れなくなった……?)


 なんだか釈然としない気持ちを抱えながらも、ぺらぺらの紙幣一枚を懐に入れる。


 それからは自然な流れで、デリヘル嬢は四つん這いになった。


 ドシン、と。小金持ちは椅子になった女性の上に力強く座った。あまりにも勢いがありすぎて、支えきれずに倒れ込んでしまう。


「ぐぇっ」と潰れたカエルのような悲鳴を上げながら、カーペットの柔らかさを感じた。


(うわ、怒られるか……?)


 最悪の状況を想定して身構えたのだが――


「やっぱり最高です! あなたにはパイプ椅子の才能がありますよっ!」


 耳に入ってきたのは、喜色にまみれた気色悪い声だった。


「ありがとうございます……?」


 デリヘル嬢は困惑しながらも、反射的にお礼を言った。


 その後、何度も同じことを繰り返された。


「いきますよ!」

「ぐぇっ」

「まだまだ!」

「ぐぇっ……」

「もういっちょ!」

「ゲエ」 


 座っては倒れて、立ち上がっては座られて、中年の尻に押しつぶされて――そのたびに感動される。


「本当に素晴らしいですよ! パイプ椅子はあなたのように壊れるべきなのです。それなのに、あの社員達と言ったら――」


 小金持ちが狂気に満ちた顔で叫ぶ下で、デリヘル嬢は冷めた顔をしていた。


(どんなプレイだよ)


 繰り返しているうちに、デリヘル嬢の中で何かが壊れていく。どんどん自分の中の空っぽが大きくなっていき、ボロボロになった体が崩れていくイメージが、強い現実感を持って襲ってくる。


(壊れるパイプ椅子の気分ってこんな感じなんだ)


 なんだか、いろんなことがバカバカしく思えてくる。


 今やっていることも、今までやってきたことも。お金稼ぎも、セックスの快楽も。


 さっきまでの自分が酷く愚かに思えた瞬間、胸の中にあった熱が霧散していき、ゴミ捨て場に放置されたフライパンのように冷たくなる。


(もっと人間らしく生きよう)


 助けを求めるように手を伸ばすと、近くのテーブルの脚に触れた。冷たくて固くて頼もしい感触に、鮮烈な安心感が湧き上がる。


(頑丈なモノを作りたいなぁ)


 こうして説教されても寝耳に水だったデリヘル嬢は、冷や水を浴びせられて、あっさりと水商売から足を洗ったのだった。





――――――――――――――――――――――――――――――――――――

《後書き》


なんだこれ……?

なにこの小金持ち……?

?????????????


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