魔女と亥の子餅

Tempp @ぷかぷか

第1話 魔女と亥の子餅

智樹ともき、お前甘いもの好きだろ」

「好きだよ。なんで?」

 円城環えんじょうたまきがクウェスで執筆をしていたら、想定通り幼馴染の公理こうり智樹がやってきた。クウェス・コンクラーヴェはこの辺で人気のオシャレカフェで、ランチタイムに入るには少々席があくのを待たなければならない。一方で環は日がな一日クウェスの奥まった二人がけの席に居座っているものだから、その向かいの席は常に空いている。だから智樹は3日に1日ほどはぽっかり空いた環の向かいの席で昼飯を食べにくるのだ。

「俺の代わりに和菓子を食ってくれ」

「いいよ」

「じゃあ3日後の3時に商工会議所で」

 環も智樹も辻切で個人事業主をやっている関係で、商店会の若手会に無理やり所属させられている。そんなわけで、ちょっとした会にはよく商工会議所の会議室を使っている。


 そして3日ほど後の亥の日。

 環はもう少し説明をしたほうがよかったかだろうかと少しだけ頭を痛めていた。智樹は環の隣で少しだけ心臓をバクバクさせていた。

 なぜなら2人の魔女が獲物を狙うがごとく、公理智樹をにんまりと眺めていたからだ。

「坊、そろそろ始めちゃどうだね」

 ぱっとみ30台後半で実は少しそれより年上のスラリとした長身に短く切りそろえられた黒髪、北の魔女が腕を組みながらそう告げる。

「そうそう、鮮度ってもんがあるからね」

 ぱっとみ10代中盤で実はそれより遥かに年寄りの小柄で赤毛のちぢれ毛を2つにまとめた、中央魔女代理が腰に手を当てそう告げる。

 環はその鮮度という言葉に酷く嫌な予感がしていた。それ以前に、2人が持ち寄った箱からは、通常の和菓子からは生じ得ない禍々しい波動が感じられたからである。

「確かに先延ばしにしても意味はありません。ただ、俺が耐え難く面倒くさく思っていることを態度で表明しているだけです」

 ぱっとみ30ほどで見た目もそのまんまなサブカル系ギーグ味のあるファッションでまとめた黒髪長髪の円城環は実に面倒くさそうにそう告げる。

 3人も揃うとやっぱり魔女みがあるなと智樹は心のなかで呟いた。この神津こうづには5人の魔女がいて、円城環の性別は男だが、当代の南の魔女である。魔女というのは概念で、必ずしも性別を示すものではない。環だって魔男なんて間抜けな呼称で呼ばれるのは嫌なのだ。


 事の起こりは実にくだらないことだった。

 前回の魔女組合の会合で、円城環が彼女ということにしてある女子高生から去年のバレンタインのチョコレートを貰ったかという、実にくだらない季節外れの指摘を東の魔女が行ったのだ。

 もちろん環と女子高生の付き合いが諸事情に基づく架空の付き合いであることは魔女組合の魔女たちはよく知っている。けれどもこと、菓子についてと恋について、魔女たちがいかに姦しいかも環は熟知している。

 その結果、名伏しがたい紆余曲折を得て、これまで時には心血を伴う不断の努力によって避けてきた菓子対決という袋小路に落ち着いた。

 なぜなら北の魔女はpatissiereエクセデスノルゲン、中央魔女代理はpatissiereベクセンハウザーと、それぞれ洋菓子店を営んでいたからだ。ここで仮に優劣がつき、負けてしまうと沽券に拘る。

 そしてその判定は環が2人と何の関係もない菓子好きを連れてくることになった。万一を考えれば環が判定をするわけにはいかない。2人のうちの1人を選ぼうものなら、この狭い魔女業界で今後どんな面倒な事態が生じるか、火を見るより明らかだ。

「それにしたって何で題目がこれなんだね」

「洋菓子じゃないってのは専門に拘るからわかるんだけどね」

「だってあなたがた、源氏物語が大好きでしょう?」

 環が苦肉の策に選んだのは亥の子餅だ。環は和菓子であれば問題は少ないのではないか。それに時期的にもちょうどよく、古くは源氏物語葵の帖にも登場する和菓子。そして環はこの2人の魔女がNTRだのショタだのにあふれる源氏物語を下世話な理由でこよなく愛しているのを知っていた。


 その夜さり亥の子餅参らせたり。かかる御思ひのほどなればことことしきさまにはあらで、こなたばかりにをかしげなる桧破籠などばかりを、色々にて参れる


 10月の初亥の日、現代の暦では11月上旬にあたるが、美しい容器に入れられた亥の子が紫の上にだけ振る舞われた。葵の上の喪中のため光の君も食べられなかった特別な贈り物だ。この特別というのも2人の魔女の琴線に触れた。多産なイノシシの形をした亥の子を貴族はこの節句に贈りあう風習があった。

 肝心の亥の子餅は大豆、小豆、大角豆、胡麻、栗、柿、糖の七粉を練り合わせた、それほど複雑ではない、けれども創意工夫という名のバリエーションにあふれる余地の在る菓子だ。2人の魔女の用意したそれが、小さな伊万里と瀬戸の蓋付きの器に入れられ、智樹の前にドンと饗される。

「えっと、頂いていいのかな」

「早く召し上がれ」

 北の魔女が猫なで声でそう述べる。

「そうそう、死んでしまう」

 中央魔女代理がわけのわからぬ調子で嘯く。

「えっ死ぬ?」

「菓子がだよ、馬鹿だねぇ」

 智樹はババァどもの圧に押されて若干腰が引けていた。蓋の内側からはカタカタと音がする。菓子が死ぬという言葉をそう直截に意味するとは誰も思うまい。

「智樹。早く開けてしまえ。それでどっちか選べ」

 伊万里と瀬戸の器のそれぞれが、どちらの作かは環も知らない。けれども環は2つの容器から漂うやんごとなき気配から、この2人が既に一線を踏み越えたことに気がついていて、やはり智樹に申し訳ない気持ちになっていた。

 智樹がおそるおそる伊万里の蓋を開けば、その中から薄茶色で楊枝で縦筋がいれられた手に乗るほどの亥の子餅が飛び出した。そう、飛び出し、智樹は小さな叫び声をあげた。

 そしてそれは小さな机の上を走り回り始めた。

「えっとこれ、どうしたらいいの」

「馬鹿だねえ。捕まえればいいじゃないか、ほら」

 中央魔女代理は指を亥の子餅に向ければ亥の子餅は宙に浮かび上がり、ぴぐぴぐと小さく鳴きながら智樹の眼前でもがき始める。それはいかにも。

「……かわいそう」

「何だって? かわいいじゃないか!」

 魔女の感性はやはり普通じゃないと智樹は思った。

「はっ。あんたの菓子は食うまでもないってことさ」

 北の魔女は鼻で笑い、中央魔女代理はぐぬぬと苦しげに呻く。これはどうみても……可哀想だ。環も心のなかで同意した。というか白魚の踊り食いでもないのだから、魂入りの菓子なぞ通常の日本人の感性では口に含めるものでもないだろう。奇をてらいすぎだ。

「何さ! じゃああんたの菓子はどうなんだい!」

 売り言葉に買い言葉で何故か智樹が恐る恐る瀬戸の蓋をとれば、そこには赤福もかくやというつややかな湿度の小さな饅頭が現れた。

 見た目、普通……だ。だが。

「却下だ」

「何を言うんだ坊」

「あんた、これに何を入れた」

「何ってこれは亥の子餅だろう?」

 勝ち誇ったようなその言葉に、環は思わず頭を抱えた。このババアどもは常識のネジが何本か飛んでいる。イノシシは多産の象徴だ。そしてこれには……生の新鮮な猪の睾丸のペーストが使われている。これは甘い強壮剤だ。

「北の。お前、魔法をかけただろう」

「恋には魔法がつきものさ」

 そう、有り体に言えば、追加でチャームの魔法がかけられている。

「これ、お前が今食え」

「え、それはちょっと」

 北の魔女はわかりやすくたじろいだ。

 菓子である異常これがどちらが優れているか沽券をかけた負けられない戦いだ。片方は尋常じゃない菓子を用意し、もう片方は魅了してでも自分の勝ちに持っていこうとするえげつない魂胆が透けてみる。

「自分が食えないものを客に出すな。ということで今回の勝負はなしだ」

 この最も言いたかった一言は、奇しくも今回の勝負の結論となった。可愛いのにねぇと呟いて、中央魔女代理は未だ走り回りそうな亥の子餅をぺろりと平らげた。

「智樹、すまん。別のを用意してある。食えるやつ」

「え? うん。わかった」


 環は2人の魔女を追い出して、机に包みを広げる。

 なんとなく、ろくな結果にならないことを予想していた環は、辻切ツインタワーの催事場で亥の子餅フェアをやっていたものだから、比較用に店を回っていくつか購入していた。

「へえ、これが亥の子餅なんだ。随分違うんだね」

 亥の子餅というのは七種の素材を使うというだけだから、様々なバリエーションがある。きなこや黒ごまをまぶしたものや、餡を中にいれるのではなく外側に塗ったもの、豆がふんだんに表面に現れたもの。

 智樹は6つの亥の子餅をぺろりと食べきる。

「どれも美味しいけど、やっぱ和菓子は有賀堂ゆうがどうの先代のが好き」

「酷いじゃないか。人が集まってるって聞いたから持ってきたのに」

 そう言って商工会に入ってきたのは同じ若手会の有賀堂の若い方の店主で、環と智樹はげんなりした。この有賀辻ありがつじの作る和菓子は新進気鋭すぎて実に評判が悪い。

 辻が得意げにあけた風呂敷包みの中の箱からは、実にリアリティあふれるイノシシ型の和菓子が現れる。辻は趣味で造形師をやっているものだから、和菓子のクオリティが斜め上に変なのだ。

「すごい毛並みだねえ」

「栗餡を細く切ってだな」

 今にも襲ってきそうな風貌は技術としてはすごいのだろう。中央魔女代理の動く亥の子餅とはまた違うが、環は食べろといわれればやはり躊躇する、べきところを智樹は躊躇いもなく爪楊枝を入れる。

「ああ! 頑張って作ったのに!」

「食べられたいのか食べられたくないのか、どっちなのさ」

 真っ二つになってしまっても、中身の内蔵を模した餡が詰め込まれたリアルな造形はやはり環を躊躇させたが、智樹は菓子と割り切ればあまり気にしないようだ。

「そういやクリスマスはどうすんの? 和菓子。うちは毎年混み合うんだよねえ」

「やっぱサンタ作らないと」

 2人が個人事業主らしい会話を始めるよそで、環はタブレットを開く。仕事ができれば環はさして場所を選ばない。そしてまたガチャリと扉が開かれた。

「ねえ、誰かいるの? なんだ智樹じゃない」

「げ、美波みなみじゃん」

 灯りがついていると誰かが現れる。そうしてまた、騒がしい年末が訪れるのだなぁと環はうんざりした。一見、一番暇そうに見える環は毎年忘年会の幹事を押し付けられるのだ。


Fin


辻切商工会の若手会には他には呉服屋の幸田さんとかノアプテの苑田さんとかが入ってる。中央魔女代理は若くないから入ってない。

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